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昔、「風貌がお前に似てる(笑」と、餞別代りに貰ったスヌーピー・ブックス「ゴッツン!!ライナス」が手元にある。当時は少しパラパラ捲っただけだったが、漫画とはいえ、これは中高年になってから読んだ方が入ってくるのでないか。
>「禅語」の解説より、「ピーナッツ」の漫画の方がはるかに説得力があり、深淵に思える
将棋の対局をリアルタイムで見るのと、対局後に勝負を振り返った解説を聞くのとでは違う━それに通ずるものもありそうだ。
小説などの原作を映像であれば映画監督が理解した世界に監督の思想を盛り込んで映画を製作する。
小説家の世界観と映画監督の描く世界は同じではないが、映画の方が一般者は自己の世界を作りやすい。
小説などの原作を漫画家が描けば漫画家の世界観が盛り込まれていき、漫画家が描いた世界の方が理解しやすいし創造性も出やすい。
読み手に取って映像、漫画の方を好む人がいれば、一方では、小説の原作の方が、読み手が自由に新しい見方・考え方で構想できるので原作を好む人もある。私は原作主義である。
「禅」は見るものでもないし、聞くものでもないし、識るものでもない。新しい見方・考え方を展開し新しい世界を展開していく思考方法であり、「禅語」はその道しるべに過ぎないと理解している。現前する具体的事実を事実として受け止めながら肯定もしなければ否定もしない世界に入るための道標である。道標にとらわれたら、「禅」の目指す新しい見方・考え方は開けない。唯物的思考をする人たちにとってはこの唯心的思考は受け入れられるものでないかもしれない。
孫崎さんのツイッターに取り上げていただき恐縮しています。
ツイッターでは、花の写真を取り上げておられ、釈尊の「拈華微笑」が頭に浮かんでいます。
孫崎さん写真に取り上げ「花」を見て微笑しておられるのではないかと連想しています。
私たち存在するものは滅するものでありますが、今を盛りに咲いている花を見て感動を覚えるのが禅で言う「悟り」であり、新しい見方・考え方が次から次と出てくる原点とみています。