7月6日朝日新聞は「集団安保潜ませた外務官僚」で次の記述をしている。
「外務省には1991年の湾岸戦争で国際社会から“カネだけ出した”と批判されて以来、自衛隊の活動範囲を広げ、“外交カード”を増やしたい考えがあった」
同じく7月3日東京新聞は「集団的自衛権主導する外務官僚」「湾岸戦争トラウマ」「金だけだして、、、」の標題の下、次を記述した。
「集団的自衛権の行使容認に向け、安倍首相と外務省は足並みを揃えてきた。背景には1991年に起きた湾岸戦争をめぐるトラウマがある。日本は百30億ドルを拠出。ところが“金だけ出して人は出さない」と米国を中心に国際社会から強い批判を浴びた」 しかし、これは実態と違う。
私は著書「情報と外交」に次のように記述した。
*********************************
恩田宗元駐サウジ大使著「湾岸危機の際の日本の貢献―そ
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
今なぜお金より人的派遣なのか、背景を正しく分析することが大切なのではないか。また、形だけ作っても,若者に覚悟がなければ成り立たないが、覚悟があっても己を支える人々を無視することはできない。簡単に乗り越えられる問題ではない。
①要望しているのは国際社会なのか、同盟国の米国とか英国が言っているだけなのか。説得できる根拠の資料があるのかどうか。一国の要望を要望とするのは、平和主義を掲げる敗戦国日本が複雑な国際社会で許されることではない。
②米国の戦争能力はどうなっているか。大戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東諸国との戦争が続き、地上戦の戦力が確保できるか。生活困窮者を集めることができるのか。集めるのが困難な状況になっているのではないか。
③多くの米国兵が戦場で犠牲になったが、帰還兵の多くのあるものは自殺したり、うつ病になったり日常の生活異常をきたしている人が多くなっている。戦争をいつまでも引きづり、戦争がなかなか終わらない。
④米国の大義のための戦争に日本の若者を犠牲にすることが国家として正しいのか、戦場に赴く若者自身が納得できるだろうか。
⑤号泣県議を見るとき、生死をかけた自己絶体絶命の状態中で、己の生き方を自ら見出す教育、経験、体験を現在の若者は積み上げているのであろうか。人生を表面的な形、言葉で過ごしていて、本質を見抜かない若者は、想像を超えたあらゆる
現象にうろたえるばかり、途方に暮れる人が多発するのでしょう。
⑥国家は、米国の要求に沿って、人的派遣できる体制を作ればよいということではない。国際社会でどのような問題が起きるか、日本がどのように変わっていくか、その姿が望ましいものかどうか冷静分析して考えることなく、米国の要求に安易に沿っていくことは望ましいことではない。少なくとも、国民の意思を無視し、解釈で国の方向を変えることはまともな為政者のすることではない。
客観的な評価などあまり意味のない時代ですね。トリプルAでもくず証券ですから。科学の世界ではインパクトファクターというのがあるんだけど、これもあまり意味がないと僕は思う。
日本は日本の哲学を持って行動すればいいんです。それが評価されるかどうかは運次第。評価されるように行動するのは意味のないことだと僕は思う。