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記事 305件
  • 「犯罪と親の責任 悪魔を誰が育てたか?」小林よしのりライジング Vol.273

    2018-06-19 18:55  
    150pt
     6月9日、神奈川県内を走行中の東海道新幹線のぞみの車内で、乗客3人が殺傷される事件が起きた。
     犯人の22歳男性は日頃から 「俺なんて価値のない人間だ。自殺したい」 と話していて、 「誰でもいい」 から人を殺そうと、なたとナイフを買い込んで新幹線に乗り込んだ。
     そして隣席の20代女性に無言でいきなり切りつけ、さらに通路を挟んで左隣の席にいた別の20代女性にも切りつけた。
     それを二つ後ろの席に座っていた38歳の会社員・ 梅田耕太郎 さんが制止してもみ合いになり、女性二人はその隙に逃げて軽傷で済んだ。
     だが、梅田さんは殺害されてしまった。
     警官が車内に突入した時、犯人は梅田さんに馬乗りになり、なおも無言で切りつけ続けていたといい、梅田さんは首に致命傷と見られる長く深い傷があった他、数十カ所もの傷があったという。
      自分の命を犠牲にして、若い女性二人を含む多くの乗客を救った梅田耕太郎さんの名は、英雄として末永く顕彰しなければならない。
     一方で、この卑劣な犯人は絶対に死刑にすべきだ。殺されたのが一人だけだから死刑を回避するなんてことはあってはいけない。この事件の裁判だったら、わしはどんなに忙しくても、裁判員を引き受けたっていい!
     こういう事件が起きると、殺された梅田さんやその遺族、襲われた乗客の心情といったものを無視して、真っ先に犯人に同情する者がいる。
      犯人が凶行に及んだのは、そうさせた社会が悪いのだと、まるで犯人も被害者であるかのようなことを言い始めるような言説は、わしは大嫌いである。
     とはいうものの、今回の事件に関しては、犯人の小島一朗(本当は名前も出したくないくらいだが)についても言っておかなければならないことがある。
     というのも、小島は 「発達障害」 だったという報道があるからだ。
      事件と「発達障害」との関連が明らかになっていない時点で、その診断名や精神科の受診歴が報道されたことには、偏見を助長する恐れがあると懸念を示す声が上がっている。
      もちろん、発達障害の人間は凶悪犯罪を起こす可能性が高いなどという事実はなく、そんな偏見があってはならない。
     だからこそ、偏見を取り除くためにも発達障害についての正確な知識を持ち、これと事件に関連があったのか、なかったのかを明らかにする必要がある。
     発達障害とは、脳の発達・機能が多くの人とは異なっていて、社会生活や日常生活に困難を生じる状態をいう。
     映画『レインマン』のような、古典的な自閉症なら見てわかりやすいが、今では脳障害の幅はもっと広いことが知られるようになってきた。 一見しただけでは障害を抱えているとは思えない人が起こすトラブルの原因が、実は脳の発達・機能の障害にあったというケースは、かなり多いのである。
     発達障害は生まれつきのもので、遺伝的要因が大きく関係していることがわかっているが、まだ原因ははっきりと解明されてはいない。その特性は幼少時から存在し、生涯続く。大人になってから発症するということはなく、成長して治癒することもない。
     発達障害にはASD(自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群)、ADHD(注意欠如多動性障害)、LD(学習障害、限局性学習症)などの種類があるが、その判断は微妙で、診断名が併存する場合も多く、同じ症状でも医師によって診断名が異なることも珍しくないらしい。
     そして、 小島は5歳の頃に 「アスペルガー症候群」 の疑いを指摘されていたという。
  • 「水着審査をなくすミス・アメリカ」小林よしのりライジング号外

    2018-06-12 18:40  
    100pt
     ミス・アメリカが水着審査を止めるそうだ。
     その上、イブニングガウンの審査も止めるそうだ。
     これを聞いて、瞬間的に 「馬鹿馬鹿しい。そんなものを誰が見るか!」
    と思わない男がいるのだろうか?
     イデオロギーとしてのフェミニズムに嵌った偽善者ならば、おのれの性的欲求を押し隠して、 「水着審査はセクハラだ―――!」 と叫ぶのかもしれない。
     人間の煩悩を断ち切った禅僧のような男なら、 「水着は見たくありませぬ」 と無表情で言えるのかもしれない。
     わしはセクハラは嫌いだし、やることもない。イデオロギー抜きでわしは「フェミニスト」だと自認しているし、その手前で「紳士的でありたい」と思っている男ではある。
      だが一生、性欲を葬れそうにない煩悩まみれの男でもあるから、「水着審査をなくす」という「設計主義的」な流れには、不快感100%になるのである。
     
     ミス・アメリカは1921年に第1回大会が開かれた、米国を代表するミスコンテストであり、世界で初めて水着審査を導入したミスコンともいわれる。
     その主催団体、ミス・アメリカ機構が5日、公式サイトやSNSで、水着審査を廃止することを発表した。
     同機構の理事長で、自身も1989年のミス・アメリカ優勝者であるグレッチェン・カールソンはTVのニュース番組で、 「ミス・アメリカはもはや美人コンテストではありません。(単なる)コンテストです。今後は出場者を容姿で審査しません。えぇ、大きな決断ですよ」 と語り、今後の審査基準は 「社会に影響をもたらす取り組みについて自分の言葉で何を語るか」 だと表明した。
     水着審査の代わりに、出場者には情熱や知性、ミス・アメリカの役割に対する考えについて審査員からの質問に答えてもらい、判断材料とするらしい。
     頭がおかしい!
     単なるコンテストって、何のコンテストなんだ?
     とにかく立派な人を選ぶ、ただし容姿だけは決して判断材料にしないというのか?
     だったら、頭巾でもかぶって顔を隠せ!
     いや、それではまだ体形がわかるから、いっそのこと全員にブルカを着せろ!
     社会貢献について語る内容を審査基準にするって、それは「弁論コンクール」じゃないか。
     だったらもう、ミス・アメリカはブルカを着せた「青年の主張」にしてしまえ!
     もう24年前の話になるが、堺市の女性団体が 「ミスコンは女性差別の集大成」 だと言い出し、各地のミスコンが次々に中止に追い込まれたことがある。
     わしはこれを「SPA!」の『ゴーマニズム宣言』で、以下のように徹底批判した。
     わしは「美」も才能だと思っている。美人は天才なのだ。
     人は努力に関係なく、生まれつきのものを与えられる場合がある。
     絵を描く才能、曲を作る才能、速く走る才能、知識を吸収する才能、笑わせる才能、肉体で戦う才能、美しさで人の目を楽しませる才能。
     これらのどれもこれもがまず才能ありき! それから努力で磨きをかけていくものである。
     頭のいいやつはちゃんと受験という学力コンテストを受けて世の中に認められていくが、「東大の入試は頭脳差別の集大成だ!」…と言って抗議するやつはいない。
    (ミスコン反対論者が、人を外見で判断するな、「大切なのは人柄よ」と主張しているが、)何が「大切なのは人柄よ」だ!
     モーツァルトに向かって「大切なのは人柄よ」なんて言って曲を認めないというのか? 音楽家にとって大切なのは曲の質だ! 美人にとって大切なのは顔とプロポーション。人柄など関係ない!
     最近ではおそるおそるやってるミスコンなんか「うちでは教養とか礼儀、性格も見てます」なんてバカなこと言っとるが…
     それだともう人間コンテストになって、総合的に質の良い人間と質の悪い人間に分けるという、おそるべき差別を犯してしまうぞ!
     美だけ! あくまで美だけで競うから良いのだ。
     この資本主義の中で人はいろんなものを消費されて生きてゆく。
     漫画を描く才能を…球を蹴る才能を…ブスであること、ブ男であることを消費されるやつまでおる。
     なんで「美」だけは消費させてはいかんとのたまう?
     差別だ! 美の才能だけはこの世で認めんという才能差別だ!
     人は誰しも己に与えられた天賦の才能を利用していく権利があるはずだ。
     これは人権侵害である!
     美は才能。美人は天才。顔とプロポーションを品評するミスコンは女性差別ではない!
     いま見ても、完璧な論理だ。
     当時、「この見解にきちんと理屈で返答してくれ」とミスコン反対論者を挑発したのだが、これにきちんと返答してきたものは今に至るも皆無である。そして、ミスコンバッシングの嵐も、なし崩し的に消えていった。
      ところが24年経ったら、ミス・アメリカが美人コンテストを止め、今後は外見で判断しない「人間コンテスト」にするという、冗談みたいな事態が出現してしまったのである。
     さすが「禁酒法」まで生んだお国柄は、21世紀に入っても変わらないものなのだなあと言いたいところだが、何でもかんでも「アメリカについて行け」がお国柄みたいになっている日本は大丈夫なのか? と思ってしまう。
  • 「『謝ったら死ぬ病気』に罹るな!」小林よしのりライジング Vol.272

    2018-06-05 15:15  
    150pt
    第279回「『謝ったら死ぬ病気』に罹るな!」  自分の発言の誤りが判明しても、絶対に認めない人がいる。
     その極みが、 安倍晋三 だ。
     安倍は加計学園の獣医学部新設計画を 「2017年1月20日」 に知ったと言い続けてきたが、愛媛県から、 「2015年2月」 に安倍が加計孝太郎と面会して 「そういう新しい獣医大学の考えはいいね」 と言ったとする文書が出てきた。
     これはもう動かぬ証拠というしかないものであるが、しかし安倍は、以前の発言は誤りだったとは決して言わない。
     愛媛県がわざわざ虚偽文書を作成する理由など全くない。
     加計学園が愛媛県に嘘の報告をしたのであれば、加計が安倍の名を勝手に悪用したことになるから、安倍は森友問題で籠池泰典前理事長に対して言ったように、加計にも「詐欺師」と言わなければおかしい。
     どう見てもつじつまが合わないのに、安倍は決して誤りを認めない。
     日大アメフト部前監督の 内田正人 も同じだ。
     問題の場面の映像がはっきり残っていて、しかも試合直後の取材に対して 「内田がやれって言った、でいいじゃないですか」 と、自分の指示であることを認める音声まであるのに、わざわざ記者会見して、自分の発言と選手の理解に乖離があったなどと見え透いた嘘をつき、絶対に自分の非を認めない。
     最初は「責任は全部俺が持つ」とかカッコイイこと言っといて、それが問題化したら「全部選手のせい」にしてスタコラサッサと逃げるのだから、卑怯な人間がいるものだ。
      安倍も内田もやってることは全く同じなのだが、ネトウヨ連中はなぜか安倍だけを擁護している。
     本来「誤りは認めよう」というのは単純な道徳の問題だが、もし安倍が本当に自分の誤りを認めたら、こう言わなければならない。
    「私の発言は嘘でした。私はお友達のために行政を歪め、国有財産をタダ同然で分け与えようとしたり、獣医学部の認可を出したり、何十億もの税金を投入させたりしました」
     正直にこう言ったら最後、首相も国会議員も辞めなければならず、さらには検察が動いて後ろに手が回りかねないのだから、嘘をつくしかないわけだ。
     内田も同じで、日大経営陣のナンバー2として人事と予算を牛耳ってきた地位も権力もすべて失いかねないから、絶対に非を認められない。
      こんなのは、犯罪者が罪を逃れようとして嘘八百を並べ立てているのと同じで、道徳云々のレベルの話ではない。嘘を承知していて、平然と嘘を吐き続けるのは、人格が破綻したサイコパス傾向の者たちなのだろう。
     それでは 「報道機関」 の場合はどうか?
     報道機関の使命は「真実の追及」にあるはずだから、過去の自らの報道や論説に誤りがあれば、認めて訂正・謝罪をするのが当然だし、それをしたからといって社会的地位が剥奪されるものではなく、ましてや犯罪者になることもない。これなら「誤りは認めよう」という道徳で語れるのではないか?
     財務省の福田淳一前事務次官の「セクハラ」問題が報道されて以降、特に朝日新聞・東京新聞・テレビ朝日「報道ステーション」は福田を叩きまくり、麻生太郎財相の 「セクハラ罪という罪はない」 という、間違いではない発言を「暴言」として非難した。
     中にはキャバクラまでセクハラの温床だとして非難し、セクハラの「根絶」を訴えるものまであった。
     さて、これは正しかっただろうか?
  • 「飲み屋潰しのセクハラ糾弾に言っとく!」小林よしのりライジング Vol.271

    2018-05-22 19:00  
    150pt
      《お酒を飲みながらの会話は、重篤なセクシャルハラスメントを引き起こし、社会的制裁を受ける可能性があります》
     缶ビールやチューハイに、こんな警告表示が義務付けられたら――。
     5月16日の朝日新聞オピニオン欄に、「セクハラ許す日本の謎」と題する巨大なセクハラ糾弾キャンペーンが繰り広げられた。このなかで、企業広告の効果測定やチェックを行うビデオリサーチ社の「ひと研究所」から研究員の村田玲子という人が登場し、テレビコマーシャルや番組、企業広告に対する所感を述べている。
     研究所では、企業やテレビ局の依頼を受けて、CMや番組に不快な表現が含まれていないかのチェックを行っており、たとえば視聴者から 「女性のくちびるを映した映像がアップになりすぎていて不快な印象を持つ」 などの声があれば、それを企業側に届けるという。
     企業はいまやネットでの炎上対策に保険をかけるほど神経を尖らせているから、くちびるのサイズひとつにもビクビクしている状態なのだろう。
     
      保険会社も「ネット炎上対応保険商品」を販売している時代…。
     しかし、女性のくちびるがアップになりすぎているって、資生堂からカネボウ、花王、ライオンまで化粧品や歯ブラシ関係などのCMは軒並みNGだと思うが。放映されているものをざっと眺めるだけでも相当あった。
     
      ※不快に思われる方を配慮して一部モザイク処理をしております
     村田研究員によると、企業のCM製作者には、“自分たちの視点が今の生活者の感覚に合っているのか”を意識する者が増えており、全体的にはCMやテレビ番組での性的な表現は減る傾向にあるという。そして、 「それでも一部のウェブ向け宣伝動画などでは、多くの人が不快と感じる表現がみられる」 と続ける。
     ふーん……。
     子供の頃、『志村けんのバカ殿様』で、おっぱい丸出しの女性をたくさん床に寝かせ、女体で神経衰弱ゲームをやるというコントが普通に放送されていて、お茶の間で見ていたりしたが、もうあんな企画は遺跡状態だし、公共の場で懐かしんでいたら 「時代錯誤のアナクロおばさん」 ということになってしまう。
     とにかく、私には特に文句を言いたくなるほど性的に不快なテレビ映像なんてのは見たことがない。YouTubeを開くと、広告として強制的に流れはじめる、「あべりょう」とかいう風刺音楽みたいなやつのほうが、口やかましい上に、いかにもネット的な安っぽく押しつけがましい音で非常に不快に感じるのだが。それでも自分で音を消すから別に苦情を申し立てるほどじゃない。
     それにだいたいが、たかだかくちびるがアップになっただけで「不快」とまで感じてしまう“今の時代の生活者の感覚”って、本当にくちびるが原因なのか?  あまりにも超高解像度・超高精細で大画面のテレビを見ているから、セクシャル的な問題というより、映像がいちいちリアルに大きく見えすぎて気持ち悪い 、という理由だってあるんじゃないかと思うがどうなんだろう?
     見たくもない顔がよく見えすぎて「きもっ」と思うときなら私にもある。
     薄型の大画面テレビの価格が下がり、データ放送の技術は毎年のように進歩、4Kだ8Kだと映像が高密度になる。色彩も階調も進化。通信速度もどんどん向上するから、パソコンやスマホで見る映像もやたらと綺麗な世の中だ。
     高密度・巨大映像に感覚が追いつかなくて、疲れているんじゃない? 女のくちびるひとつでゲンナリさせられる時代になってしまったんじゃないですかっ?
    ●そんなに性的な表現に反応してるの?
  • 「フランスのセクハラ罪を知っているか?」小林よしのりライジング Vol.270

    2018-05-15 20:30  
    150pt
     麻生太郎氏の「セクハラ罪はない」発言に対する攻撃が止まない。
     麻生の発言がいつも大雑把なことくらい、誰でも知っている。中には擁護のしようがない暴言もあっただろうが、基本的に男っぽい美学と茶目っ気もあるキャラクターを持っているので、わしは人格として嫌いではない。
     かつて京都で芸者の踊りを見ながら、酒を飲んだこともある。
     アルファベット英語で堂々と外国人とおしゃべりする豪胆さは大したものだなと思う。
     安倍晋三の下で働いているから、損をしているなとわしは思う。
     麻生自身はセクハラをするような男ではない。部下が犯した道徳的な罪に対して、世間の風圧に負けて断罪するのではなく、「セクハラ罪はない」と抗弁するのは、それほど非難されるべきだろうか?
     問題とされているのは4日、麻生が訪問先のマニラで行った記者会見での発言だ。
     そもそもこの記者会見は、マニラで行われたアジア開発銀行年次総会などについてのものだったのだが、その質疑応答で朝日新聞の記者が、福田淳一前事務次官のセクハラ問題の調査を財務省が打ち切ったことに対して、テレビ朝日側がなおも徹底調査を求めるという文書を出したが、これについての見解を聞きたいという質問をした。
     それに対して麻生は 「これは1対1の会食ということになっていたそうですから、そういったやりとりについて、財務省だけで詳細を把握していくということは不可能です。これはいくら正確であったとしても、それはいかにも偏った調査ではないかと言われるわけですから」 と答え、さらにこう言ったのだ。
    「御存じのようにセクハラ罪という罪はないのですよね、あなたよく知っているように。殺人とか傷害とは違いますから。訴えられない限りは、親告罪ですから、あれは。」
     一対一の会食の場で何があったかを、財務省だけで詳細な調査をするのは不可能だし、仮に調査をして、それが正確なものだったとしても、偏った調査だと言われることは目に見えている。
     じゃあ警察に調査を委ねるかといっても、セクハラについて殺人や傷害と同様に警察が捜査できるような「セクハラ罪」というものがないのだから、それもできない…麻生はそう言ったのだ。
      福田は女性に直接手を触れたわけでもなく、ただ不快な言葉を言っただけだから「強制わいせつ罪」にも当たらず、罪に問うとすればせいぜい 「名誉棄損罪」 か 「侮辱罪」 であり、これは本来、当事者同士で解決すべき軽微な罪ということで、被害者からの訴えがなければ刑事事件として起訴することができない 「親告罪」 となっている。
     福田に刑法上の犯罪行為があったとして、警察に捜査してもらおうというのであれば、 まずは被害者が福田を「名誉棄損罪」か「侮辱罪」で刑事告訴しなければならない。
      ところがテレ朝は匿名の社員が被害を受けたと抗議をしているだけで、被害者は告訴どころか、被害届すら出していないのだから、どうしようもない。
     ここで麻生が言ったことは、全く正しいのである。
     やや余談であるが、強制わいせつも昨年、性犯罪を厳罰化した改正刑法が施行されるまでは親告罪だった。
     TOKIOの山口達也に呼び出され、無理やりキスされたり顔をなめまわされたり押し倒されたりした女子高生は、警察に被害届を提出したが、ジャニーズ事務所との話し合いで示談が成立、被害届を取り下げた。
     親告罪であれば、話はこれで終わっていた。おそらく事務所も山口も、昨年の法改正の意味をはっきり把握しておらず、今まで同様、これでもみ消したと思っていたのだろう。
     ところが強制わいせつは非親告罪になっていたため、被害者が被害届を取り下げても捜査は続き、山口は書類送検され、事件が表沙汰になったのだ。
     警視庁は書類送検の際、起訴を求める最も厳しい「厳重処分」の意見を付している。既に示談が成立しており、不起訴になるのはほぼ確実なのに「厳重処分」の意見がつくのは異例のことで、山口が有名タレントであることが考慮されたからかもしれないし、もしかしたら捜査において犯行が相当に悪質だったと認められたのかもしれない。
  • 「芸術家と偏執性~ロダンとカミーユ編」小林よしのりライジング Vol.269

    2018-05-08 20:35  
    150pt
     彫刻『考える人』を知らない人はいないと思う。
    “近代彫刻の父”と称されるフランスの彫刻家オーギュスト・ロダン によるものだ。
     
      (C) 江戸村のとくぞう (Edomura no Tokuzo) in 静岡県立美術館
     ロダンには『地獄の門』『カレーの市民』『接吻』など数えきれないほどの傑作がある。
     時代の先を走りすぎていて、当時は酷評・嘲笑されて引き下げられ、死後ようやく絶賛された超有名作もある。 『バルザック記念像』 という高さ3メートルの像だ。
     1891年、フランス文芸家協会から、『ゴリオ爺さん』などで知られる小説家オノレ・ド・バルザックを顕彰する像の注文を受けたロダンは、バルザックのすべての小説、書簡を何度も丹念に読み込み、バルザックの服の仕立て屋まで探し出して、正確な体の寸法を得るなど徹底調査していった。
     しまいには、まるで自身がバルザック作品の登場人物になったかのようにふるまいながら生活するという命の懸けっぷりで、なんと 7年 もかけて、裸体から着衣まで、さまざまなポーズ、表情、年齢のものを大量に彫り上げている。
     そうしてようやく「最終形」として仕上がったものをサロンに出品すると……
     
      ロダン 『バルザック記念像』(最終作)
    「なにこれ傾いてるやん」
    「ひっくり返るよ。酔っぱらったバルザック?」「雪だるま(笑)」「袋に入ってるよ」「借金取りに叩き起こされてベッドから起き上がる瞬間のバルザックですか(笑)」「眼がなくて怖いんだけど」
     まったく理解されず、嘲笑われた挙句、文芸家協会からは受け取りを拒否され、挙句の果て、代金も支払われないという結果に。
     なんとも気の毒な話だが、ロダン本人は、この作品について、 「右後方、台座から20歩離れたところから見よ」 と不思議なコメントを残している。そういうわけで、指定の場所から眺めると、こうなる。
     
      松岡茂雄「ロダンのバルザック 右側のプロフィルに隠されたファロスの表像」
    (『美術史論集 第7号』,神戸大学美術史研究会,2007)より
      ロ、ロダン・・・!
     おわかりいただけるだろうか。屹立した男性像が、「ナニ」を表現しているのかを。
     正解を書くと、Appleの都合により伏字対応か、削除依頼がくるかもしれない。
     当初傾斜角度は8°だったが、ロダンは 「もっとグ~ンとそそり立たなあかんよ~」 と、わざわざ12°まで傾けて調整したそうだ。
     バルザックという作家を研究し尽くし、作風と感性を吸い上げた巨匠ロダンが「バルザックの創作の根源とはなにか」を削り出してしまった、という話であった。
    「人が嘲笑い、破壊できないためしつこく笑いものにしたこの作品は、私の全人生の成果であり、私の美学の軸そのものである」 オーギュスト・ロダン
    (1908年、ル・マルタン紙にて)
    ■“ロダンのミューズ”カミーユ・クローデル
     偏執的で鬼気迫る彫刻家ロダンだが、彼の傍らにはこれまた鬼のように凄まじい才能を持つ女性が常に一緒にいた。
     
     
      美貌の彫刻家カミーユ・クローデル である。
  • 「芸術家と偏執性~荒木経惟編」小林よしのりライジング Vol.268

    2018-05-01 21:15  
    150pt
     アラーキーこと写真家の荒木経惟が、自身の過去のモデルにネット上で告発され、それに乗じて荒木作品が一部で炎上、バッシングされるという出来事があった。
     ひとりは現在47歳の女性で、19歳の時に撮影現場で、レイプではないが性的虐待を受けて撮影されたという内容の文章と、その英訳をフェイスブックに投稿。
     もうひとりは荒木作品では世界的に有名な、15年間ミューズ(写真やファッションショーなどでそのブランドの象徴的な女性モデル)をつとめ、荒木と深い関係にあった女性によるブログだ。
     私の感想としては……
     前者の女性は、荒木経惟がどんな作風の写真家なのかを知らないor説明されないまま、マネージャーに騙されて撮影現場に連れてこられたのか、だとしたらそのマネージャーに問題があると思うし、ご本人がなにも知らずに個人モデルに応募してしまったのなら、PTSDに悩まされるほどの苦痛を受けたということだから、ネットに書き込んで私刑を煽るよりは法的な交渉に動いたほうが……と思った。
     しかし、なにしろ個人間のことで事情もはっきりわからないから、なんとも言えない。
     後者のミューズによるブログは、多くの写真ファンが度肝を抜かれた。彼女はてっきり荒木経惟と共に“主体的に作品づくりをしている側の人”だと思われていたからだ。
     個人的には、「愛憎」が絡んでいる話なのかなとは感じた。15年のうち、恋人兼モデルとして幸せで刺激的な時期がどのくらいあったのかは知らないが、荒木の写真への狂気に触れて、扱いに納得がゆかない、でも作品には参加したい、心の底にいびつで複雑な思いがうずめいてしまったのかもしれない。
     そんなに苦痛だったのなら、15年のうち、もっとはやく降りていたほうがよかったのではとも思えてくるし、しかしこれも、個人の関係性と、心のなかの話だから、なんとも言えない。
     写真家にしても、モデル全員を等しく扱っているわけじゃない。相手との親密度や、接している頻度、想いの強さや内容は、写真にそのまま反映されていく。
     一律に、「こうだ」とは言えないところがある。
    ■アラーキーのこと
    「荒木経惟」という写真家の世界について、私が感じていることを綴ってみたいと思う。
     私はアラーキーの写真全部を見ているわけではないが、総じて、あまり好きではない。でもそれは個人の趣味の問題であって、別に「こんな写真撮りやがって」なんて嫌悪したりはしていない。ほかにもっと好きな写真家がいるだけだ。
     右眼を失明しても、写真の右側を黒く塗りつぶした 『左眼ノ恋』 という作品シリーズを発表したのは「すごいこと考える人だな」と驚いたし、きっと死ぬまで“写狂老人”として突っ走る人なんだろうと思っている。
     
     ちなみにこのタイトルは 「左眼だけになってもまだエロい」 みたいな変態的な意味ではない。オランダ人写真家・エルスケンが1950年代のパリの若者たちの姿を撮った 『セーヌ左岸の恋』 という超有名な傑作写真集のオマージュになっているというお洒落なものだったりする。
     アラーキーはずいぶん昔から「俺は男尊女卑だ」と言っていた。78歳という年齢を考えても、女性に対しては横柄な物の言い方をするところがある人なんだろう。
     でも、女を縛ってこねくりまわした写真ばかり撮っている人ではない。
     私が写真展で強烈に覚えているのは、 ある花の写真 だ。展示パネルの一枚だったので、ネット検索しても出てこないが、爛れるように赤黒く、しおれかけた肉厚の花弁と、からからに乾燥してねじくれた土色の葉っぱだった。
     花を見て、「エロい」と感じたのははじめてだった。
     それから、ものすごく悲くてしょうがない、胸のつまるような感情がこみあげてくる不思議な写真だった。
     その写真展で、はじめて、アラーキーが吉原遊郭そばの三ノ輪出身で、実家は、 遊女の「投げ込み寺」として有名な浄閑寺 の目の前にあったと話すのを聞いた。
  • 「セクハラとジャーナリストの覚悟」小林よしのりライジング Vol.267

    2018-04-24 21:00  
    150pt
    『脱正義論』で薬害エイズ運動に嵌った学生たちに向かって、わしは将来、会社・組織に入っても、組織自体が悪を遂行している場合は、個人として戦い、腐敗した組織を変えよと演説した。
     それができぬのなら官僚バッシングをするなと言った。
     ところがわしの読者のみならず、マスコミや一般人の多くが、「普通の人間は組織に依存せざるを得ず、個人では戦えない」「だから社員を会社が守るべきだ」と主張し、セクハラを理由に官僚バッシングに精を出している。
     官僚のトップは叩きやすいが、テレビ局や新聞社は叩きにくいらしい。
     セクハラをなくすには、セクハラが起こるシステム自体を変えるしかない。
     それはむしろマスコミの側に責任があって、なぜ美人で才媛の女性記者が、官僚に深夜、電話一本で呼び出されて、酒を飲まねばならなかったのか、1年半に何度も二人きりで会食せねばならなかったのか、そこに人々の関心が向かないように、マスコミは財務事務次官にすべての「悪」を背負わせようとしている。
     悪いのはセクハラ発言をする「男」であり、「男一般」が女に性欲を感じなければよい、感じても封印する完全な紳士であればいい、品行方正な聖人になればいいと、教育しようとしている。
    「記者を男にすればいい」と言えば、女性差別だと言い、女性だって深夜でも権力者の元に駆けつけて情報をとりたいのだと主張する。
     権力者がなぜ電話で女性記者を呼び出すのかと言えば、まちがいなく「下心」があるからであり、たまたま情報を漏らしたくなったからではない。情報を漏らしたいだけなら男性記者と会えばいい。
     女性記者は権力者の「下心」を百も承知でパジャマを着替えて駆けつけるのである。
     女性記者が「ジャーナリスト」ならば当然のことだし、あえて危険を顧みず、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の覚悟で飛び込んでいくのである。
     テレビ朝日やマスコミは、女性記者の役割りはそういうものだと割り切っている。くノ一のように女性記者は権力者の懐に飛び込んで、特ダネを取るのである。プロのジャーナリストはそういうもので、セクハラに遭わないように会社が守ってくれるものではない。
     それは大人の世界の常識のはずだが、マスコミもコメンテーターも、女性記者には「覚悟」は要らない。会社が守り、権力者がセクハラをしなければいいだけだとウルトラ欺瞞を主張している。
     戦場ジャーナリストには「覚悟」は要らない、スポンサーが守ってくれて、兵士やゲリラが銃撃しなければいいだけだと、そんな途方もない馬鹿を主張できるのか?
     わしの『新堕落論』を読んだ者なら、「弱者のルサンチマン」について少しは理解したはずだろうが、やっぱり読解できていないのがほとんどなのだろう。
     強者の傲慢さを見たら、自分と同じ弱者の位置まで引きずりおろすことしか考えていない。それを繰り返せば、社会には品行方正な小市民しかいなくなってしまうのだが。
     Me too運動を「国の将来のために」賛成したわしにも、バランス感覚が働く。それが「保守」の真髄だからだ。
     わしは、例え小児性愛者で、養女を性的虐待していたウディ・アレンでも、映画作りを止めろとは言わない。
     天才や秀才エリートの中には、品行方正ではない者が多いだろうが、わしは作品や仕事の能力を評価するのである。
  • 「民主制より大きな問題を語るべきか?」小林よしのりライジング Vol.266

    2018-04-17 17:15  
    150pt
      森友疑惑なんて小さなことばかり、いつまで国会で問題にしているんだ。もっと論じるべき、大きな問題があるだろう。
     …主に右派の(しかも安倍信者の)知識人たちが、こんなお決まりの物言いを偉そうにやっている。
     
     櫻井よしこは「週刊ダイヤモンド」3月31日号で 「森友文書だけが日本の問題ではない 国の安全への責務を政治家は自覚すべきだ」 と題するコラムを書いている。
     ここで櫻井は、 「急展開する国際情勢を見れば、国会が同問題だけにかまけていてよいはずはない。国会は日本の命運を左右する大きな国際情勢問題に急ぎ取り組むべきだ 」 とした上で、北朝鮮問題に関して 「日本国の安全を確固たるものにする責務を政治家は自覚すべきだろう」 と主張する。
     櫻井よしこがそういうのはわかる。安倍政権を守るためだったら詭弁はおろかフェイクだって言うのだから。
     しかしこれとそっくりなことを、西部邁の弟子筋である佐伯啓思(京大名誉教授)が、よりによって朝日新聞(4月6日付)に書いたのには驚き、呆れ果てた。
     佐伯は、国会やメディアにおける森友問題への追及を 「事実も想像力も、また様々な政治的思惑も推測もごちゃまぜになったマス・センティメント(大衆的情緒)」 でしかないと決めつけたうえで、 「その時その時の不安定なイメージや情緒によって政治が右に左に揺れ動くのが大衆民主政治というものだ」 と冷笑して切り捨て、こう嘆くのだ。
    私がもっとも残念に思うのは、今日、国会で論じるべき重要テーマはいくらでもあるのに、そのことからわれわれの目がそらされてしまうことなのである。トランプ氏の保護主義への対応、アベノミクスの成果(黒田東彦日銀総裁による超金融緩和の継続、財政拡張路線など)、朝鮮半島をめぐる問題、米朝首脳会談と日本の立場、TPP等々。   もっと論じるべき大きな問題があるのに、森友疑惑のような小さな問題をいつまでもやっている場合ではないなどという言い草は、正しいのか?
      櫻井や佐伯は、天下国家の「大文字」の問題さえ議論しておけば、その足元で民主制が崩壊していてもかまわないと言っているようなものだ。
     なぜなら、森友問題は権力者が「妻」や「お友達」のために国有財産をタダ同然で渡そうとして、それをごまかすために公文書の改ざんまで起こしてしまったという、民主制の根幹に関わる問題だからだ。
     さらに言えば、 天下国家の「大文字」の問題があるから国内の「小文字」の問題にこだわるなというのは、「日本は、中国になれ」と言うのに等しい。
      中国では、国内問題は「小文字」の問題として放置されている。民主制もなく、権力さえ握れば利益誘導も縁故主義もやり放題。憲法には美しい理念が書かれているが、何一つ守られていない。
     しかし国外に対する「大文字」の問題では、中国はアメリカやロシアとも対等に渡り合える「世界の超大国」として振る舞っており、そのための戦略は徹底的に考え、実行している。
     足元の国内問題がガタガタになっているのにもかまわず、「天下国家」のことだけ考え、強国の体裁だけを保っているのが中国だ。 国家は国民のことを顧みず、国民も国家を一切信用していない。櫻井や佐伯は、そんな国がいいのか? 日本をそんな国にしたいのか!?
     そしてさらに、問わなければならないことがある。
      そもそも日本には「大文字」の政治課題を語れる資格などあるのか?
     例えば北朝鮮の問題について、日本の国会で何をどう論じられるというのか。
     もし米朝会談が実現したとしても、アメリカは自国のことしか考えていないのだから、テーマに乗せるのは北朝鮮に、アメリカ本土まで到達できる核搭載ICBM(大陸間弾道ミサイル)を放棄させることだけだ。
     もちろん、日本の拉致問題だの、日本を標的にした短距離核ミサイルだのの問題なんか、アメリカの眼中には一切あるわけがない。
     そんな状況で「森友問題なんかより北朝鮮」と主張する櫻井よしこは、具体的には何をするべきだと言っているのか?
  • 「一般常識を敵にする安倍信者」小林よしのりライジング Vol.265

    2018-04-11 11:30  
    150pt
     世の中には、一般の常識・良識とは真っ逆さまの理屈を「常識」「良識」だと、大真面目に主張する人たちがいる。
     一般人から見ると「頭がおかしい」としか思えないが、その人たちは自分に都合の悪いことは一切見ようとせず、一般社会の方がおかしいと思っている。
     世の大多数から批判されると、迫害されたと被害妄想を抱き、同じ理屈を共有する者だけで結束を固めて閉ざしていく。時には存在しない「敵」を想定し、それを攻撃することで自己を正当化する。
     そうして主張はどんどん先鋭化し、より一層、一般常識から乖離していく。
     読売新聞社の全国世論調査では、佐川前国税庁長官の国会における証言に75%が「納得できない」と回答している。
     安倍昭恵を国会に呼んで説明を求めるべきだとの意見は60%で、「そうは思わない」の36%を大きく上回っている。
      国有地の8億円値引き、そして公文書の改ざんという前代未聞の不祥事を官僚が勝手にやるわけがなく、もし官僚が忖度して勝手にやったとしても、安倍昭恵の存在なしにこんなことが起きたはずがないというのは、ごく真っ当な一般庶民の常識的感覚だ。
     ところが、無条件に安倍昭恵が「潔白」だと信じ、その証人喚問を求めることは 「人権侵害」 だと主張する、「頭がおかしい」としか思えない人がいる。
     産経新聞の「エース記者」、 阿比留瑠比 だ。
     しかも産経にはこれに賛成する読者がいるようで、阿比留は4月5日の産経新聞コラム「極言御免」で、そんな読者の声を紹介している。
    「昭恵さんの証人喚問が実現すれば日本の社会に大混乱をもたらすだろう。知らぬ間に隣人や知人に犯罪容疑者にされる恐怖が社会全体に疑心暗鬼を生むからです」
     昭恵は「知らぬ間に」疑われたわけじゃないでしょう! 怪しすぎる状況証拠が山積みでしょうよ!!
     安倍昭恵を証人喚問したら、社会全体が恐怖に覆われ、日本社会が大混乱に陥る!? どこのノストラダムスだ!?
    「知らぬ間に犯罪容疑者になる恐怖」だったら「共謀罪」の方が百万倍大きいと思うが、この人は共謀罪に反対したのだろうか?
     阿比留はさらにこんな読者の意見も紹介する。
    「臆測で『裁判』にかけられるようになったら自由に意見も言えなくなる。何とかまっとうな世の中になってほしい」
     あまりの無知に、唖然とする。
      国会の証人喚問は「裁判」ではない!
     時には「公開裁判」のように見られることもあるが、これはあくまでも議院証言法に定められた、国政調査のための証言を求める制度である。証人は「被告」として扱われているわけじゃないし、そこで裁きを受けることもない。
      安倍は「真相究明に全力を挙げる」と言っているのだから、それならば真相究明のために安倍昭恵の証言は必要不可欠だと思うのは、全くの常識である。
     ところがこの読者は、昭恵の証人喚問を求めたら「自由に意見も言えなくなる」、「まっとう」ではない世の中になるという。
     そして阿比留はこれに全面的に賛同し、こう書くのだ。
      日本社会の現状に深い閉塞感を覚え、今後の日本のあり方についても憂慮しているのが伝わってくる。現代の魔女狩りに、おぞけをふるう人は少なくない。
     証人喚問は裁きの場でもリンチの場でもなく、国政調査のための証言の場でしかない。本当に潔白なら、堂々と出てきて潔白だと言えばいいだけのことだ。それに「深い閉塞感を覚え」、「現代の魔女狩り」呼ばわりして「おぞけをふるう」とまで非難する意味が全くわからない。
      ひょっとしたら、阿比留も産経読者も実は内心、昭恵が「真っ黒」だと思っていて、証人喚問に出したらオシマイだと予感しているから、こうもヒステリックになっているのではないか?
     続けて阿比留は、野党やメディアが昭恵の証人喚問を求めることをこう非難する。