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記事 10件
  • 「棄てても棄ててもワクチンはやってくる」小林よしのりライジング Vol.456

    2023-01-10 14:55  
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     久しぶりにコロナのグラフを製作して、ため息が出た。
     
     日本は、新規陽性者数が、欧米諸国をぶっちぎりで引き離して増加しているのに、
     
     1日のワクチン接種回数もまた、超ぶっちぎりで多いという摩訶不思議……。
     そもそも、過去3年近く、世界各国の状況を比較解説するために使ってきたこのデータ集積サイトも、コロナに関する計測を終えた国が増えたために、グラフが表示されなかったり、途中で途切れたりしている有り様だ。
     世界全体におけるワクチンブームも、次の通り、もうすっかり下火。
     
     いまだに接種に盛り上がろうとしているのは、日本ぐらいという酷い様相を呈している。
     各国が脱コロナ・脱ワクチンに舵を切ってしまうなか、クソ真面目に「コロナ怖い」を普及してワクチンを打ち続けようとしてくれる、製薬会社にとって格好のお金持ちのお客様が、日本ということだ。
      日本が現在契約しているワクチンは、合計8億8200万回分。だが、実際の接種回数は、半数にも満たない3億2000万回程度。 差し引きで、4億5539万回分のワクチンが余っており、その金額は、1兆2400億円以上だ。 どえらいこっちゃ!
     mRNAワクチンが発売された当初は、医師や専門家たちが、 「接種すれば1年~2年程度は免疫を得られる」「有効性は90%」「ワクチンを打てばコロナに感染することはなく、集団免疫が作られる」 などと製薬会社の言い分を喧伝するところから始まった。
     ところが、あれよあれよと科学フル無視のメッセージが積み重ねられてきた。
    「3週間間隔で2回打てば強力な免疫を得られる!」
    ↓↓↓
    「異物入ってた? 多少は死ぬけど気にしなーい!」
    ↓↓↓
    「心配ない。3回目を打つことでかなり重症化を抑えられるゾ!」
    ↓↓↓
    「ワクチンの有効期限、多少過ぎても、冷やしときゃ大丈夫!」
    ↓↓↓
    「人口の8割が打ったけど、まだまだいっとこう!」
    ↓↓↓
    「集団免疫? そーいう話じゃない! 4回目を打て、打つんだー!」
    ↓↓↓
    「心筋炎? そんなもん気にしたら負けじゃね?」
    ↓↓↓
    「8か月たてば、追加接種OKデス!」
    ↓↓↓
    「8か月も待つことない! 6か月で追加接種だ!」
    ↓↓↓
    「いや、6か月もいらん! 3か月で追加接種だ!」
    ↓↓↓
    「元気ですかー! 死んでないなら、まだまだ打てる! 5回目、ダーッ!」(←今ここ)
     そのうち、 「5回目と6回目は同時接種できます」「同じものをもう1本!」 みたいなことがはじまるのではないだろうか?
     だが、いくら打て打てと煽ったところで、実際の接種率は伸びておらず、日に日にワクチンは余っている。
     打てども打てども集団免疫など出来上がらず、感染者数増加はおさまらず、むしろぶっちぎりの世界一に躍り出て、しかも、感染したところで、ほとんどの人にとっては「ただの風邪」。キツすぎる副反応も体験済みだし、いい加減、打ちたくなくなるのも当然だ。
     TBSの取材によれば、 2022年、東京23区だけで、100万回分、総額27億2500万円分のワクチンが期限切れになって廃棄されていたという。さらに、関東1都6県で調査すると、合計300万回分が廃棄されていた。82億円近い税金が、棄てられてしまったのだ。
     昨年9月からは、かなり周回遅れで「オミクロン株対応」の新しいワクチンが供給され、接種間隔が、理由もよくわからぬまま「6か月」から「3か月」に短縮されたが、接種率は大して伸びず、どうやら新しいワクチンも大量に余ることになるらしい。
     ある自治体の担当者は、TBSの取材にこう答えている。
  • 「『戦争論』でわしが間違っていた記述」小林よしのりライジング Vol.454

    2022-12-13 19:45  
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     わしは「ミスをする天才」であると、だいぶ昔描いたことがある。
    『ゴーマニズム宣言』も膨大な話題について触れ、『戦争論』や『天皇論』シリーズも描いてきたが、時代の変化につれ、ミスが見つかったり、アップデートしたかったりする箇所はある。
     増刷される機会があれば、修正した方がいいのかもしれないし、いちいち少部数の増刷で修正していたら、編集者や印刷会社には手間がかかるから、申し訳ない気もする。
     それにその時代の表現だったり、そのときまでのわしの思想だったりするので、間違いは間違いとして残しておいたほうが誠実なんじゃないのかという考えもある。
     だが、どうしても訂正しなきゃならない箇所があれば、修正し、謝罪することだってある。
     言いっぱなしで転向するのは卑怯だし、思想の成長にならないから、「謝ったら死ぬ病」にだけは罹らないようにしたい。
    『新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論』(幻冬舎)は平成10年(1998)に出版し、来年には刊行25周年となるわしの代表作のひとつで、これまで60刷以上を重ねている。
     戦後に「自虐史観」が席巻してしまった日本の歴史観に、大転換を巻き起こした世紀の書であるとの自負もある。
     だがその中に、最近になってミスが見つかった。
     第18章『軍部にだまされていたのか?』の冒頭で、統一協会の元信者が起こした 「青春を返せ訴訟」 について描いているが、この部分に現在の認識からすると大きな誤りがあり、このままでは統一協会を利してしまう恐れすらあることがわかったのだ。
     まだ誰にも指摘されてはいないのだが、見つけてしまった以上、隠すわけにはいかない。
     そこで今回は、このことについて説明しておきたい。
     統一協会の元信者が、教団の勧誘や教化の方法は違法なものであるとして、教団などに損害賠償を求める裁判が昭和57年(1987)の札幌地裁を皮切りに、全国で起こされた。
      原告は青春のすべてを捧げて活動して、裏切られたとして「青春を返せ」と訴えたことから、これらは「青春を返せ訴訟」と呼ばれた。
     平成10年3月、名古屋地裁で初めての判決があり、裁判所は教団の行為は元信者に対する不法行為とは言えないとして、原告の請求を棄却した。
     わしは『戦争論』の中で、この名古屋地裁判決について 「信仰を捨てたとたん『青春を返せ』と言ったって棄却されて当たり前じゃないか」 と賛同してしまった。
     そしてその上で、こう描いている。
    元信者たちは結局
    「信じたんじゃない だまされたんだ」
    と言ってるわけだ
    悪かったのは文鮮明教祖であり
    統一教会という組織であり
    その幹部たちだと
    オウム真理教を脱会した元信者にも
    似た言い方に転じた者がいた
    「麻原が悪い」
    「麻原は俗悪なおっさんだ」
    「麻原はサギ師だ」
    「マインドコントロールのせい」
    「信者はだまされていただけ」
    かくして元信者たちは
    自分たちが愚かであったことは認めても
    悪かったこと 自分たちにも
    責任があることは認めず
    教祖や幹部だけを悪者にして
    自分だけどこまでも純粋で
    善良な人間であろうとする
    「私たちは教団にだまされていただけ!」
    だまされることを決断した自分はいないのか?
    信じることを決断した自分はいないのか?
    「だまされる」ことと「信じる」ことは
    両面張り合わせのひとつの心理だ!
    この元信者たちは実は相当恥ずかしいことを主張している
    つまりこう言ってるのだ
    「『自分』はなかったのです」
    「カラッポだったのです」
    「決定する主体たる自分はなかった」
    「だまされただけ!」
    わしは統一教会とオウム真理教に深く関わってしまったために
    「だまされていただけ」と言って
    自分の責任を棚上げにするやつが大嫌いになってしまった
      
     ボロッカスである。
     いま見ると、残念ながらこれは認識不足と言わざるを得ない。
     確かに執筆当時、「青春を返せ訴訟」では元信者側の敗訴が続いていた。
      だが『戦争論』発行以後、平成12年(2000)には広島高裁岡山支部で教団の違法性を認める全国初の判決が出て、その判決が翌年、最高裁で確定した。
      これにより、統一協会の勧誘・教化の方法は違法であるという判例が確立し、以降の裁判では元信者側の勝訴が相次ぎ、今日に至っている。
     確定した判決では、 統一協会が正体を隠した勧誘を行い 、 計画的に自由意思を制約し、自律的な判断能力を奪った上で入信させる手口 が、 憲法に保障された宗教選択の自由を侵害している ことや、 不当に高額の献金をさせる ことによって元信者の生活を侵し、 自由に生きるべき時間を奪った ことなどが、不法行為に当たると認定している。
     現在、統一協会が違法な活動をしているとして、教団の解散や被害者救済へ向けた動きが加速しているが、その「違法活動」が行われたとする根拠こそが、これら「青春を返せ訴訟」の判例なのだ。
     わしも現在、統一協会の行為は違法であると非難しており、また、統一協会は創価学会などの宗教とは違うという主張もしている。
     そしてその根拠は、 第一に統一協会は正体を隠して接近 してくること、 第二に自律的な判断能力を奪った状態で入信させ、献金させている ことであり、つまり「青春を返せ訴訟」の判決で確定したことと同じ理由なのである。
     たとえ元信者たちが「カラッポだった」「決定する主体たる自分はなかった」と主張したとしても、それは「相当恥ずかしいことを主張している」とまで言うわけにはいかない。
      実際にマインドコントロールによって「カラッポ」にされ、「決定する主体たる自分」を喪失させられていたと認定し、これは「だまされただけ」だったと言っても仕方がない。
     そういうわけで、元信者側が敗訴した「青春を返せ訴訟」の一審判決を『戦争論』の中でわしが支持し、元信者側を批判したのは間違いだったと言うしかない。
    「オレオレ詐欺」に騙される老人も結局、人がいいから騙されるのだろう。わしは「個」の確立を啓蒙してきた。だからサタンを飼いならす「個」が必要だというのは真理だ。
     だが、ようするに「善良で純粋で、騙されやすい人だって、この世にはいる」と認識しておかなければ、弱者を救えない。
     三浦瑠麗や太田光が統一協会に関心を持たないのは、個の弱い弱者を馬鹿にしているからだろう。自己責任が身についているから、信仰は個人の自由でいい、騙される奴が悪いということになる。
     以上の認識を再確認したうえで、ではなぜ当時わしが『戦争論』であのようなことを描いたのかを検証しておこう。
     この章はまず、統一協会に洗脳されて家族が崩壊してしまった、わしの叔母の話から始まっている。
  • 「ロシアによるウクライナ侵略戦争」小林よしのりライジング Vol.429

    2022-03-08 17:25  
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     先月半ばまで、どんなにウクライナで緊迫が高まろうと日本のメディアは相変わらずコロナばっかりで、「戦争なんか起こらない」「欧米が煽っているだけ」なんて論調もずいぶん目にした。
     さすがに実際に戦争が始まってしまうとメディアもウクライナ一色となったが、しかし日本人はこの事態を、どれだけ真面目に見ているのだろうか?
     わしは今回のロシアによるウクライナ侵略戦争には、もちろん断固反対する。
     自称保守派もこの戦争には反対のようで、産経新聞は2月25日の社説で 「れっきとした主権国家への明白な侵略である。断じて許すことはできない」 と主張したが、いったいどのツラ下げて、としか言いようがない。
      産経新聞はイラク戦争の際には、アメリカによる 「れっきとした主権国家への明白な侵略」 を、諸手を挙げて支持したじゃないか。
     産経や自称保守は、イラク戦争の際には 「フセイン大統領が大量破壊兵器を所有している」 というアメリカのデマを信じて大賛成したわけだが、そんなのは、プーチンが言った 「ゼレンスキー大統領はナチズムの信奉者で、ロシア系住民を虐殺している」 というデマを信じるのとほとんど大差のないものだったのではないか?
      自称保守派はただ、アメリカの侵略なら許されて、ロシアの侵略なら許されないと言っているだけで、こんな論法には全く説得力がない。 思想がないから論理が貫徹しないのだ。
     一方の左翼は左翼で、共産党の志位は 「プーチン大統領のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条なのです」 と発言。これを受けて 「もしロシアに9条と同じようなものがあり、それがしっかり機能していれば、ロシアはウクライナに進攻できなかったでしょう」 などと幼児レベルのことを言い出す者も出てきて、「9条お花畑」が満開という有様だ。
     場合によってはこの先10年以内に、日本も無関係ではいられなくなる重大事態に発展する恐れもあるというのに、右も左も思考を停止させ、ただ平和ボケの極みの空気の中を漂っている。
      わしがロシアのウクライナ侵略戦争に反対するのは、単なる反戦平和主義からではない。
     これを許してしまったら、 国際法なんか何の意味もなく、世界は「万人の万人に対する闘争の自然状態」(ホッブス)に回帰していくしかなくなってしまうからだ。 弱肉強食の原理が全てとなり、強大な軍事力を持つ核保有国だったら、何をやってもいいという野蛮な世界になってしまうからだ。
     もしも日本が核武装して、世界一強い軍隊を持っていたらそれでもいいかもしれないが、今の日本はとてもそんな状態ではない。だから、 国際法秩序の維持 は死活問題なのである。
     プーチンは国際法秩序など簡単に踏みにじることができると思っていたのだろうが、それは完全に誤算だった。
     ロシアの侵略は国際社会から徹底的に批判され、 米欧は予想外の早さでロシア中央銀行を含む複数の銀行を 「国際銀行間通信協会(SWIFT)」 システムから除外するという、「金融の核爆弾」と呼ばれる制裁を決定した。
      これによってロシアの通貨ルーブルは暴落し、過去最安値を更新。ロシア中央銀行は政策金利を9.5%から20%に倍以上引き上げた。
      民間企業でも、米欧の石油大手がロシアでの石油・天然ガス開発事業から相次いで撤退、他の産業でも大手企業が続々とロシアにおける事業から撤退するなど、自身の商売を考えれば不利益になることも顧みずに、制裁を行う動きが広がっている。
     パラリンピックでは開幕前日にロシアと支援国ベラルーシの選手が急遽参加を認められなくなった。
     爆撃で殺された選手の写真を掲げて、 「攻撃国は参加できるのに、彼が競技をする機会は二度とない」 と言ったウクライナの記者の訴えがかなり効いたように思えるが、「スポーツと政治は違う」などと言う人には、あのウクライナの記者に答えられる言葉があるのだろうか?
     もともとロシア国内の世論は、新聞・テレビしか見ない年寄りは別として、ネットなどで自ら情報にアクセスできる若者を中心にウクライナへの侵攻には懐疑的で、 ロシアでは異例の反戦デモまで起きていた。
  • 「30周年記念・『戦争論』の経緯」小林よしのりライジング Vol.425

    2022-02-01 18:25  
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     先週はゴーマニズム宣言30周年記念ということで、「ゴー宣スペシャル」の誕生を振り返ってみたが、さすがに「ライジング」はコアな読者が多いから、反響も大きかった。
     今回はその続き、いよいよ『戦争論』シリーズについて紐解いていこう。
     なお、前回もそうだが、わしは過去のことは片っ端から忘れていくので、細部に関してはトッキーの記憶で補強している。
     新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論(1998.7.10 幻冬舎)
     
     言わずと知れた、「ゴー宣SPECIAL」(細かいことだが、この作品から「スペシャル」の表記が「SPECIAL」になる)最大のヒット作であり、代表作である。
     わしはSAPIO誌の連載『新ゴーマニズム宣言』で、薬害エイズ運動の総括と入れ替わるように「従軍慰安婦問題」に関するシリーズをスタートさせた。というより、それは運動の総括と地続きだったとも言える。
     もともと薬害エイズの被害者救済が目的だったはずの運動が、左翼に乗っ取られたらたちまちイデオロギー化して、薬害エイズ被害者だけが被害者ではないとか言い出して「永久運動」へと向かった。そしてそうなれば「日本の戦争責任追及」は必ずセットになる。
     実際、ラップで薬害エイズを訴えた学生たちに触発されたといって、薬害エイズ被害者の次は従軍慰安婦の救済だと「ロックで慰安婦問題」を訴える若者まで出てきて新聞記事にもなった。そこでわしとしては、薬害エイズ運動に参加した学生たちを、こんなもんに関わらせるわけにはいかないと思ったのだ。
     そしてここでさらに重大なのは「従軍慰安婦」って本当に「被害者」なのか? という問題だった。
     そもそも「従軍」とはあくまでも軍の命令により軍務を担った「軍属」につけられた名称であり、「従軍看護婦」とか「従軍記者」、「従軍僧侶」などはあるが、「従軍慰安婦」なんて人はいない。そして「慰安婦」とは戦地で兵隊を相手にしていた娼婦だということは、昔の映画などを見ていれば常識のはずだった。
     それが「戦争被害者」ということになったのは、慰安婦とは日本軍によって奴隷狩りのようにして「強制連行」されて戦地に送られた少女たちだというデマを、朝日新聞などのメディアが流布して定着させてしまったからで、これも完全な「インフォデミック」だったのである。
     慰安婦強制連行デマの定着で、日本における「自虐史観」の全体主義は完成の域に達し、これに異議を唱えようものなら「極悪人」扱いされてしまう空気が出来上がっていた。
     そんな中で「従軍慰安婦問題」を扱うに当たって、わしは「両論併記」から始めた。全体主義の中で完全に封殺されているが、実はこんな意見もあるんだよということをまず示したのだ。そうしたら読者の反響は轟轟たる非難で占拠されてしまうだろうから、それをどう説得していくかを考えようという計画だった。
     ところがフタを開けてみたら、反響の8割が「強制連行ナシ」の意見で、「アリ」は2割程度、しかも「ナシ」の側が圧倒的に論理的なのに対して、「アリ」は感情的でヒステリックなものばかりだった。
     これもまた現在の『コロナ論』を巡る状況とそっくりで、世間の大多数が信じ込んでいる情報がデマだと気づきながら、沈黙せざるを得ない人が世の中には一定数いて、その思いをわしが代弁したことで、我が意を得たりと殺到してくるのである。
     それが世間の目には「邪教のミサ」に映ってしまうわけだが。
     ともかくそんな読者の反響に力づけられ、わしは確信を持って慰安婦問題をどんどん描き進めていったが、同時に、それだけでは足りないとも感じていた。
     わしは薬害エイズ運動や、その前に関わったオウム真理教事件から感じた問題に、解決策を提示しなければならないと思っていた。
     なぜ薬害エイズ運動に参加した学生たちは「個」を持てず、いともたやすく運動体に呑み込まれてしまったのか? そしてオウム真理教信者の若者たちも、なぜいとも簡単に「個」を失い、荒唐無稽な教義を掲げる教団に呑み込まれてしまったのか?
  • 「山口敬之氏手記『私を訴えた伊藤詩織さんへ』を再読する」小林よしのりライジング Vol.305

    2019-02-26 21:15  
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     いささか旧聞に属するが、2017年12月号の月刊「Hanada」で、フリージャーナリストの山口敬之氏の独占手記が掲載された。タイトルは「私を訴えた伊藤詩織さんへ」。
     掲載された当時、一読して「なんだ、この被害者ヅラは!」と、ものすごい違和感を覚えた。何しろ本論に入る前にこう書いているのだ。
    事実と異なる女性の主張によって私は名誉を著しく傷つけられ、また記者活動の中断を余儀なくされて、社会的経済的に大きなダメージを負った。  名誉? 記者活動の中断? 社会的経済的に大きなダメージ? 
     え。なに。被害者のつもりなの? 
     もう最初からこんな調子なので、少しも頷くところがない。レイプ被害に遭った女性は、名誉とか経済的ダメージなどとは次元が全く違う苦しみの中にいるんですけど? 
     この記事は、レイプ被害に遭った伊藤詩織さんが記者会見を開き、民事訴訟を起こすことを知ったため、 「自らの見解を『当該女性への書簡』という形で申し述べる」 として書かれた手記である。けれど最後まで気分の悪い違和感だけが残り、熱心にもう一度読み直すという気持ちにはなれなかった。
     ところが今回、小林先生が山口氏から名誉棄損で訴えられた。私も詩織さんの『Black Box』を読み、さらには違和感ありまくりの山口氏の手記(以下、山口手記)を再び読み返すことになった。まったく不愉快だけど、こうなったらいろいろツッコミを入れながら読んでやろう。以下に記すのは、そんな私のツッコミの記録である。
     詩織さんと山口氏は当然のことながら事実認識が異なる(性暴力の有無だけでなく、たとえば山口氏のTシャツの貸し借りの認識の相違やトイレの回数など)。今回は、その事実認識の真偽を明らかにすることが目的ではなく(そもそもそんなことはできない)、あくまでも山口手記の文章に対する私の見解を記していることを最初にお断りしておきたい。ただし、私は詩織さんが書いた『Black Box』の内容を全面的に信用している。彼女が顔と名前をさらして性暴力を告発した勇気こそ、信頼に足るものだと思うからだ。
     山口手記を読んだことがない人もいると思うので、まずはこの記事について概観しておこう。
     山口氏は、詩織さんの性暴力に対する訴えが、検察審査会の「不起訴処分は妥当」とする結論によって刑事事件としては完全に終結したこと、しかし詩織さんが民事訴訟に打って出たので、自分も主張の一部を示すとして、書簡風にそれを綴っている。その主張は、【1】「デートレイプドラッグ」、【2】「ブラックアウト」(アルコール性健忘)、【3】詩織氏特有の性質、【4】あとから作られた「魂の殺人」、【5】ワシントンでの仕事への強い執着、という5つの項目に分けられている。このうち【1】と【2】では、事件当日に飲食店2軒をハシゴしたこと、自分はデートレイプドラッグなど「聞いたことも見たこともない」こと、詩織さんはアルコールの影響で記憶を失うブラックアウトであったのではないかと主張している。その上で、酒に強く、この程度の酒量で記憶をなくしたことはないという詩織さんに対し、【3】詩織氏特有の性質がある、つまり思い込みが激しいのだと記す。また【4】では、「レイプは魂の殺人です」と訴えた詩織さんに対し、その怒りは最初から一貫していないことをあれこれと具体的な事例を挙げて説明している。続く【5】では、詩織さんが仕事を斡旋するよう執拗にメールを送ってきたと困惑気味に記し、挙句に野党議員がこの問題を取り上げ、自分が誹謗中傷にさらされていると被害者ヅラしている。
     以上が、記事の概略である。
    「なぜか」を多用するイヤらしさ
     山口手記で最初に気になったのは、「なぜか~~した」という記述が4か所もあるということ。ほかに似たようなニュアンスで「不思議なことに~~になった」とも書いている。細かいことだけど、こうした言葉の使い方には、書いた本人の意識が透けて見える。
     詩織さんの会見に先立ち、 なぜか 『週刊新潮』がセンセーショナルに報じ、 なぜか 複数の野党政治家が詩織さんの側に立って質問するようになった。そして なぜか 、こうした野党政治家の主張に共鳴する集団(共謀罪反対や反原発を唱える組織)が自分を糾弾するようになった。で、山口氏は言う。 「これはまったくの偶然なのでしょうか?」
     要するに、詩織さんがマスコミと結託し、野党政治家を巻き込み、ある特定の政治信条を持つ人々とつながり、私(と、私が支える安倍政権)を追い込もうとしているのではないか、と言いたいのである。こうした陰謀論めいた書き方は「Hanada」読者の大好物なのだろう。筆が滑ったのか、あるいはあえて書いたのか、 「 どういう思惑と連携があったかは知りませんが 、複数の野党の国会議員や支援者があなたを支援し」 云々と、陰謀が前提になっているかのような記述もある。
  • 「徴用工問題、個人請求権について」小林よしのりライジング Vol.292

    2018-11-20 21:30  
    153pt
     戦時中、日本に動員された元徴用工とされる韓国人4人が新日鉄住金に損害賠償を求めた訴訟で、韓国の大法院(最高裁)において1人あたり約1千万円を支払うよう命じた判決が確定した。
     安倍首相は 「1965年の日韓請求権・経済協力協定によって完全かつ最終的に解決している」「判決は国際法に照らしてありえない判断だ」 と、珍しく真っ当なコメントをした。
     また、原告となった元工員4人についても 「政府としては『徴用工』という表現ではなく、『旧朝鮮半島出身の労働者』と言っている。4人はいずれも『募集』に応じたものだ」 と指摘した。
     この判決に対する反応で、わしが特に注目していたのは朝日新聞の社説である。これまでの所業からすれば、こんなデタラメな判決にでも理解を示すようなことを書きかねないと思ったのだ。
     ところが判決翌日・10月31日の社説では、冒頭から
     植民地支配の過去を抱えながらも、日本と韓国は経済協力を含め多くの友好を育んできた。だが、そんな関係の根幹を揺るがしかねない判決を、韓国大法院(最高裁)が出した。
     と、一方的に判決を批判する論調となっていた。
     朝日社説は 「日本政府や企業側は、1965年の国交正常化に伴う請求権協定で元徴用工への補償問題は解決済みとし、日本の司法判断もその考えを踏襲してきた」 とした上で、 「政府が協定をめぐる見解を維持するのは当然」 と主張する。
     もっとも、その後に 「としても、多くの人々に暴力的な動員や過酷な労働を強いた史実を認めることに及び腰であってはならない」 と付け加えているところがいかにも朝日的なのだが、それでも明らかに日本政府の方を支持しているのだ。
     その上、さらに朝日社説はこう書いている。
     原告側は、賠償に応じなければ資産の差し押さえを検討するという。一方の日本政府は、協定に基づいて韓国政府が補償などの手当てをしない場合、国際司法裁判所への提訴を含む対抗策も辞さない構えだ。
     そんなことになれば政府間の関係悪化にとどまらず、今日まで築き上げてきた隣国関係が台無しになりかねない。韓国政府は、事態の悪化を食い止めるよう適切な行動をとるべきだ。
      朝日は韓国政府にのみ「適切な行動」を求めている。かつての朝日を考えれば、隔世の感を覚える。
     11月11日に開催されたゴー宣道場「『戦争論』以後の日本と憲法9条」終了後の控室トーク『語らいタイム』では高森明勅氏が、 この朝日の論調が『戦争論』によって日本が変わった実例であり、20年前だったらこうは書かなかったはずだと指摘した。
     道場では、『戦争論』出版から20年経っても、日本の現状はちっとも変わらないという面ばかり強調されてしまったが、やはり目に見えて変わっているところもあるようだ。
     だがそれでも往生際悪く、1965年の国交正常化の際の日韓基本条約・請求権協定で「完全かつ最終的に解決」したといっても、 「個人請求権」は存在していると言っている者もいる。
     衆院外務委員会で共産党の穀田恵二が、日本政府も個人請求権の存在を認めて来たのではないかと質問、これに河野太郎外相が 「個人請求権が消滅したと申し上げるわけではございません」 と答弁したら、それを韓国・ハンギョレ新聞が鬼の首でも取ったかのように書いていた。
      だが、個人請求権は消滅していないというのは以前からの政府見解で、別に「不都合な真実」ではない。
      請求権協定によって、日本は韓国に「経済協力金」の名目で、無償で3億ドル、有償で2億ドル、民間借款で3億ドル、合計8億ドルを支払っている。当時の韓国の国家予算の2.3倍、今の貨幣価値では1兆800億円 に相当する額である。そして、この経済協力金には個人に対する補償も含まれている。
     韓国政府は個人に対する補償金も一括して日本から受け取り、それを国内で分配するとしていた。 ところが韓国政府はその経済協力金を産業育成に投じ、個人への補償に十分回さなかったために不満が沸いていたのだ。
      つまり、個人請求権は消滅していないが、その請求先は日本政府ではなく、韓国政府なのである。
     しかも、経済協力金に個人への補償が含まれていることは、かつて韓国政府も認めており、 さらに現大統領の文在寅はその政府見解のとりまとめに深く関わった張本人なのである。
  • 「『海外では女医が多い』の疑問」小林よしのりライジング Vol.281

    2018-08-21 16:50  
    153pt
    「日本は諸外国に比べて女性医師が少ない!」
    「フィンランドでは女性医師の割合が5割。なぜ日本はできないのか?」
     日本国内の社会問題を批判するときに、比較対象として 「海外では…」 と他国の例を持ち出して、他国が無条件に優れているかのように賛美し、「それにくらべて日本は未熟で悪辣」と結論づける人々のことを、ちまたでは、その口癖から 『海外出羽の守( かいがいでわのかみ )』 と呼んでいる。
     亜種として「うちらの業界ではさぁ~」と、すぐ“自分のいる業界って特別なんだぜ風”を吹かせて悦に入る 『業界出羽の守』 、先進国での複雑化した貧困問題について語っているのに「アフリカでは飢餓の難民が~」と言い出す 『途上国出羽の守』 も本当にやっかいだ。
     また、LGBTに関する話を聞いていると“現実はそんなうす甘い恋愛話ばっかりじゃねえよ!”と腹が立ってきて、つい「二丁目ではねぇ~」と言ってしまう 『新宿二丁目出羽の守』 (あたしだよっ!)も最近発見されている。
    ■ドラマ見て女性差別と決めつける出羽の守
    「20年以上前のアメリカのドラマ『ER緊急救命室』では女性医師が活躍していた。アメリカでは女性にとってERが普通の職場。日本の医療界の男女差別は酷いな」
     よっぽど演出がかっこよくて「アメリカ人のたくましい女医、憧れるう~♡」と記憶に残ったのかもしれないが、日本だって 『救命病棟24時』 では松嶋菜々子や松雪泰子が救命医として大活躍していたし、 『ドクターX~外科医・大門未知子』 も超大人気ドラマじゃないか!
    『科捜研の女』 に至っては、死体を解剖する監察医のみならず、法医学の世界で働く女性科学者が異常なまでに事件に食い込んで大活躍している。1990年にも 『外科医有森冴子』 が大ヒットしたし、今年10月からはじまるTBS系の連ドラ 『大恋愛~僕を忘れる君と』 は、若年性アルツハイマーに侵された女医の恋愛という、単純に“活躍する”女医像ではない、複雑多岐に渡る設定が発表されていた。
     
      『ER season1』DVDパッケージより
     そもそもアメリカはポリコレがすごいから、表現に関しては、男女だけでなく、白人、黒人、スパニッシュなど人種にも相当配慮して配役していると思う。ドラマや映画では理想像を描きながら、白人至上主義との衝突など、現在進行形で大問題が起きているのがアメリカだ。
     ドラマの配役だけで、即「アメリカは進んでいる、日本は遅れている」とは決められない。
    ■国柄を無視するOECD出羽の守
     これは、OECD加盟国の女性医師の割合について、各国を比較した表だ。平均は39.3%。日本は20.4%と低く、21.9%の韓国に次いで最下位である。
     
     
     最下位と聞くと、反射的に「もうちょっとなんとかならんのか……」と思う。しかし、この表を掲げて日本を「女性蔑視」と叩く前にちょっと冷静になってみたい。
    「1位のエストニアは凄い。女性医師の比率が73.8%にのぼるじゃないか。それに比べて日本は……。女性の人権がないがしろにされている」
     ……とは、言えない。
     エストニアをはじめとするバルト三国は、もともと旧ソ連の影響を受けており、「働かざる者食うべからず」。日本のように「家事という仕事」が認められず、男女ともに「主婦・主夫なんてあり得ない」という感覚の国でもあるが、そこに加えて 社会体制の崩壊が影響して「男性が早死する」という事象 も起きている。エストニアは人口の男女比率が偏っていて、 女性100に対して男性が88 しかいないのだ。
  • 「個と公、覚悟なき私人主義」小林よしのりライジング Vol.253

    2018-01-09 19:50  
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     わしがウーマンラッシュアワーの村本という芸人を最初に見たのはテレビの「すべらない話」だったが、自分のツイッターの炎上話をしていて、さっぱり面白くなかった。
     トッキーから聞いた話によると、その番組では必ず話の最後に押される「すべらない話・認定印」が村本の話の一つにはついに押されず、番組史上初の「すべった話」として語り草になったらしい。
     そんなわけで、お笑い芸人としてはぱっとしない印象だったのだが、いつの間にか「朝まで生テレビ」に出てきたものだから驚いた。
    「よしもと」の芸人が最近、ワイドショーのコメンテーターに次々出てくるが、多分、人数をかかえすぎて、芸人の活躍の場を開拓しているのだろうと、わしは推測する。それにしても天下国家を論じる論客の分野までもお笑い芸人が出てくるのはどうなんだろう?安易すぎないか?
     その「朝生」での発言がまたつまらないもので、自分の弟が自衛官で、弟に戦争に行ってほしくないから戦争反対なんていう論調なのだ。
     村本はやたらと自分の弟が自衛官であるということをひけらかし、利用するのだが、まずそれがおかしい。
     自衛官は入隊時に宣誓文に署名をしなければならない。その宣誓文は、この言葉で結ばれている。
    「事に臨んでは 危険を顧みず、身をもつて 責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います」
     これは要するに、戦争に行って死ぬことも辞さないという意味だ。公務員は全員服務の宣誓をしなければならないのだが、命がけの仕事というイメージのある警察官や消防官の服務の宣誓でも、 「危険を顧みず、身をもつて」 とまでの文言はない。
     ウーマン村本の弟は服務の宣誓をして自衛官になっている。自ら、国防のために命を懸ける覚悟をしているのである。
     自衛隊の本来任務は国防であって、災害救助ではない。 国を守るためなら、人を殺すことも、殺されることもあるのが自衛隊という職業である。
      それが嫌だったら、村本が直接弟を説得して、自衛隊を辞めさせればいいだけのことで、それが筋というものだ。
      自衛官の弟が人を殺すのも死ぬのもイヤだとテレビで発言する兄貴は、単に弟の覚悟と職業を公然と侮辱しているだけではないか!
     今年の元旦の朝生にも村本が登場し、 「侵略されたら白旗挙げて降参する」「尖閣は中国に取られてもいい」「敵を殺さないと自分が殺される状況に置かれたら、自分が殺される」 などと放言しまくり、たちまちネットで炎上した。
     こんな幼稚な議論に付き合わなきゃならない井上達夫氏が気の毒だ。井上氏のかつての生徒たちでも、これほど幼稚な者はいなかっただろう。
     村本という人間は、あれだけ人に嫌われる顔と、嫌われる性格をしているくせに、どういうつもりか、「人から善人に見られたい」と願っているようで、臆面もなくエセ・ヒューマニズムの言葉を吐くのだ。
      だが、侵略されても戦わずに白旗を挙げたら、国がなくなってしまい、国民は奴隷になってしまう。チベットやウイグルの民のように、思想の自由も、言論の自由も何もかも奪われてしまうのだ。
     言論の自由がなくなってしまったら、漫才もできないということをわかっているのだろうか? 
     村本は現在の日本では、漫才で政治的な言論が封じられていると思っているのかもしれないが、それはあくまでも自主規制であって、やろうと思えばやれるのだ。
     中国に侵略されたらそれどころじゃない。言論の規制に逆らったら投獄され、拷問される。生命の保障だってありはしない。
     そんなことにも考えが至らない村本は、何もわかっていない赤ん坊みたいなものだ。
  • 「『戦争論』再考」小林よしのりライジング Vol.244

    2017-10-17 21:20  
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     来年で『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』の出版から20年になるらしい。トッキーが言っていた。
     20年も経つと、もう若い世代で読んでいる人は相当少なくなっているだろうし、読んだ人も、その記憶はかなり薄れているだろう。
     そんな状況に乗じて、「『戦争論』がネトウヨを生んだ!」というデマの流布にいそしむ悪質なライターもいるようで、トッキーに袋叩きにあっている。
     トッキーから「ロックオン」された獲物は気の毒だ。絶対に逃げられないし、油汗かいて静まり返るしかない。最後は毒牙にかかって狂い死ぬのがオチだ。
     来年は20周年を機に、『戦争論』の意義を再確認する連載を某雑誌でやることになった。面白いことになろう。
     わしの子供時代、寺の住職をしていたわしの祖父や、そこに集まって来る祖父の戦友たちは誰も、俺たちは戦争に行って悪いことをしたなどとは言っていなかった。
     ただ、死んでしまった戦友たちのことは心のどこかに澱のように残しつつ、生き残った戦友同士が集まって、あの時は大変だったなあ、こんなこともあったなあと笑いながら話していて、そんな様子をわしは幼少時に見ていたのだ。
     当時は、祖父の戦友で俳優の加東大介氏が書いた『南の島に雪が降る』が大ヒットして、ブームになっていた。
     戦争末期、ニューギニア・マノクワリで、補給も絶えて戦闘どころか生きるのがやっとという状況の中、加東氏が率い、祖父がその一員を務めていた演劇部隊の芝居が、兵隊たちの唯一の生きる支えとなっていた。
    『南の島に雪が降る』はその体験記で、加東氏自らの主演で映画化され、舞台にもなり、舞台中継をテレビで放映していたので、わしはそれを何度も見た記憶がある。
     
     舞台に冬の情景が作られ、一面の銀世界に雪が降り、それを見た東北の兵隊たちがみんな泣いているシーンは、テレビで見てものすごく感激した覚えがある。それで後に『戦争論』で描いたその場面は、当時感じたインパクトをそのまま再現したようなものになった。
     トッキーによると、小説ではもっと淡白らしいが、わしの印象が強烈だったので、漫画の方がインパクトが強いらしい。
     わしはそんな祖父たちを子供の頃に見て、思い入れを持って育ってきた。ところがそれにもかかわらず、中学・高校に進んだ頃にはマスコミが旧日本軍の「加害」だの「暴虐」だのを責め立てる論調一色になっていたものだから、つい流されてしまい、うちの祖父も悪いことをしたのかな、中国人を斬り殺してきたんだろうかとも思っていた。
     そしてさらに時間が経つと、あの時は若かったなあ、祖父たちは戦争で悪いことをしたなんて何も言っていなかったのに、疑って済まなかったなあという気持ちが湧いてきた。
     90年代に入ると、戦時中の日本人を単に悪人にしてしまう「自虐史観」は極みに達した。従軍慰安婦問題は、祖父虐待に等しいと感じた。
     わしはそんな当時の風潮に対し、大して戦略的に重要でもない南の島に送られて、補給も途絶え、月に一度の芝居見物を楽しみにしながら、無残に餓死してしまった人だっている若者もいたのに、彼らを無視して、日本兵はすべて悪とするのはおかしいと感じた。それで『戦争論』を描こうと決意したのだ。
  • 「『ゴー宣』『戦争論』が変えたもの」小林よしのりライジング Vol.155

    2015-11-17 20:10  
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     11月4日、東浩紀氏、宮台真司氏と『戦争できる国の道徳』(幻冬舎新書)の出版記念として、5時間にも及ぶトークイベントを行った。
     その中で宮台氏が、ネトウヨも安倍政権も、シールズも 「全部よしりんの影響下にあるんですよ」 という発言をした。
     ネトウヨや安倍政権をわしがつくったとかいうのはシールズの連中の決まり文句だが、そういうシールズだって、わしがつくったというのだ。
     たしかにシールズのデモのやり方は、薬害エイズ運動の時にわしが打ち出した方法論そのままである。
     薬害エイズの頃、もうとっくに労組などの団体の旗がひらめくデモには威力がなくなっていた。むしろ団体の動員を受けたデモだと思われたら、一般大衆には見向きもしてもらえなくなる状態だった。
     そのため薬害エイズ問題に対する世論を盛り上げるためには、デモから組織やイデオロギーの色を一切排除する必要があった。そこでわしは、 「個人」がこのワンイシューのためだけに、緊急措置として集まって活動している「個の連帯」である というコンセプトを立てた。
     そして集まった学生たちは、 ダサいのはイヤだ、ファッショナブルなデモをやりたいと言い、ラップでパレードというスタイル を作り出した。
     このデモは大きな効果を上げた。だが、 実際には学生たちに「個」など確立しているわけがなく、学生たちは弁護士ら大人の顔をうかがい、組織に埋没していった。そして、「正義」の運動をしているという快感に酔い、運動が目的化して、薬害エイズ運動が終結しても次の運動をやりたがるようになってしまった。 そのために、わしは「日常に帰れ!」と警告し、『脱正義論』を描かなければならなくなったのである。
     一方のシールズも、 自分たちは「個」の集まりであると標榜し 、その団体名「SEALDs」(Students Emergency Action for Liberal Democracy-s=自由と民主主義のための学生緊急行動)からして 「緊急行動」を謳っており、ワンイシューで活動し 、来年の参院選をもって解散すると表明している。
     また、とにかく ファッショナブルにすることにこだわり、ラップを取り入れ、プラカードは英語が目立つ 。わしから見れば、英語がファッショナブルでカッコイイという感覚自体がどうしようもなくダサいのだが、とにかく『脱正義論』を読んで研究したのではないかと思うほどそっくりである。
     もちろん、 実際のシールズのメンバーに「個」などない というところもそっくり同じだ。
      シールズは事実上、「左の在特会」と言うべき「しばき隊」の下部組織である。
     シールズ中心メンバーの奥田や牛田らは、しばき隊のbcxxxなる人物の親炙を受け、わしと対談する際にもいちいち彼の顔色をうかがっていた。そしてbcxxxが小林よしのりとの対談などするなと言ったために、牛田は当日ドタキャンし、奥田が一人でやって来たのだ。
     しかも奥田は、わしと対談したことについてbcxxxに対してツイッターで次のように弁解し、反省・謝罪を表明した。