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記事 285件
  • 「結婚延期、眞子様の言葉を信じる」小林よしのりライジング Vol.258

    2018-02-13 18:25  
    150pt
     今年11月に予定されていた眞子さまのご結婚が突如、再来年に延期されたことに関して様々な憶測が飛び交っている。
     ご結婚相手の小室圭さんの母親に関するスキャンダルが影響したのだろうという見方が強いのだが、これも憶測の域を出ない。
     このスキャンダルは最初に「週刊女性」が報じ、「週刊文春」「週刊新潮」が後追いで報道した。
     小室さんは小さい頃に父親を亡くしており、母親はその後に商社マンの男性と交際、婚約し、430万円ほどの金銭の援助を受けていた。
      ところがこの男性は婚約破棄を申し出て、金を返せと言ってきたという。
     親の話であり、本人には関係ないじゃないかと思うのだが、そのお金の大半が小室さんの大学の入学金や授業料、留学費用などに充てられていたから、小室さん本人の問題でもあると言う者もいるようだ。
      しかしこの問題で最も悪い者は、小室さんの母の元婚約相手以外にない。
     子供がいる人と婚約までしたのなら、その子のためにお金を出すという関係性はいくらでもあるし、そのお金のやり取りは借金じゃないだろう。証文も交わしていないはずで、それなら贈与にほかならない。
     婚約破棄を言い出したのは男の方なのだから、むしろ男が慰謝料を払ってもおかしくないのに、仲がこじれて別れた後で金返せと言い出すなんて、あまりにもみっともない。 しかもこいつは、情報を週刊誌に売り歩いていたのだ。
     この男が一番悪い。以上、話は終わり!
     それをなんで横からバッシングする奴がいるのか?
     小室さん本人は、真面目過ぎるほど立派な性格だ。本人がよければいいじゃないか。親の話は関係ない。
     結局のところ、ご結婚が延期になった理由として真実性のあるものは、眞子さまのコメントだけである。
     マスコミ報道が先行してしまったために、 「当初の予定を大きく前倒しして婚約が内定した旨を発表」 することになってしまい、 「色々なことを急ぎ過ぎていた」 と思ったため、 「結婚までの、そして結婚後の準備に充分な時間をかけて、できるところまで深めて行きたい」 と、眞子さまはおっしゃっている。
     その上で、 「今後の私たちの結婚とそれに関わる諸行事を、これから執り行われる皇室にとって重要な一連のお儀式が滞りなく終了した後の再来年に延期し、充分な時間をとって必要な準備を行うのが適切であるとの判断に至りました」 とコメントされているのである。
      急ぎ過ぎたから、もっと時間をかけたいということだけであり、小室さんと結婚するお気持ちは何も変わっていない。
     それならその言葉通り、来年の天皇退位・即位の儀式が終了した後、再来年にはご結婚されるものと思って、見守るしかないというだけの話である。
     今後どうなるかという予想は、大きく二つの見方に分かれる。
     ひとつはいま述べたように、眞子さまの言葉どおり、再来年には結婚されるという見方である。
     そしてもうひとつは、一応延期ということにしておいて、実は破談になるんじゃないかという見方だ。
      竹田恒泰は、 「宮内庁は小室さんの自身の足場を固めるための期限と言いつつも、白紙に戻したい意向もあるのでは。小室さんから『婚約辞退』を願い出る可能性も含めた2年半では」 と発言している。
     要するに一旦棚上げにして2年待たせて、どこかで小室さんが辞退するという形で婚約解消に持ち込もうと、宮内庁が画策しているのではないかというのだ。
     一番心の汚れた人間が邪推すれば、こういう見方になる。
  • 「Apple社、『ナパーム弾の少女』を児童ポルノ判定」小林よしのりライジング Vol.257

    2018-02-06 17:10  
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    第67回「Apple社、『ナパーム弾の少女』を児童ポルノ判定」  AIが暴走したというフェイクニュースをきっかけに、仮想世界のなかに企業が作り出した欲望のシステム、それによる価値の崩壊と平板化、感受性の劣化へと引きずられそうになってゆく現実を書いてきた。
     で、このまま無関心・無自覚のままでいると、一企業が設けた「わが社の規定」によって画一的な情報統制がなされてしまうよ、そう、Facebook社が「ナパーム弾の少女」を機械的に児童ポルノ判定して削除したようにね。
    ・・・という記事を書いたら、その記事中の「ナパーム弾の少女」が児童ポルノ判定されて、削除させられてしまった!
     
     まじか。
    ■経緯
     経緯を改めて書いておく。
     1月30日に配信した記事について、翌31日までに、 Apple社 からニコニコチャンネルを運営するドワンゴ社に対して、「ナパーム弾の少女」が児童ポルノに当たるとして、削除依頼があった。
     どうしてAppleから? 青天の霹靂すぎて驚いたが、ニコニコチャンネルにスマホから簡単にアクセスできる機能として、「ニコニコチャンネルアプリ」というものが配信されており、ライジングをスマホの専用アプリで簡単に見られるような仕組みがあったらしい……。
     そして このスマホアプリが、Apple社の配信基準に合わせて運用されているため、ドワンゴを飛び越えて、Appleの規約に触れた ということだった。
     ドワンゴにとっては、Appleと契約の上でスマホアプリのサービスを利用しているわけで、Appleをコントロールすることは不可能。ドワンゴのチャンネル担当者は、記事を読んでくれていて、 「記事の意図からも、該当画像が児童ポルノ画像には当たらないと考えている」 とのことで、なにか他に対応策はないか検討してくれたようだが、不本意ながら、現状では削除するしか方法がないということだった。
    ■Appleは人道に反しすぎている
     しかし、どこの誰が、あの写真を見てポルノだと思うのか。いるとしたら、相当特殊に病んでいる人間で、そのような特殊なごく一部の人間のために、紋切り型のルールを全世界に適用し、歴史的に重要な報道写真まで排除するなんて、Appleは異常すぎる。
      だいたい、 ナパーム弾はアメリカが開発したもの だろう。あの写真だって、南ベトナム軍(=アメリカが加担した側)の空爆による実態を示しているのだ。広島・長崎の原子爆弾によって、身ぐるみを吹き飛ばされてしまった少女の写真があったとして、それを掲載したらアメリカの会社からポルノ呼ばわりされ、一方的に削除されるようなもの。人道に反するのもいい加減にしてもらいたい。
     それに、あの写真に写っている少女、キム・フック氏は生存しており、大人になって、現在も反戦活動家として各国で講演を行っている。背中一面に壮絶なケロイド状の火傷の痕のあるキム・フック氏が、生まれたばかりの我が子を抱きしめる写真もかなり印象的だ。来日したこともあり、日本の大学などで講演会も行っている。 もちろん、あの写真をみずから説明しながら。
      キム・フック氏は、自伝も出版しており、 自伝の表紙にも、あの写真が使われている。
     しかも、少女時代の逃げ惑う自身の姿の部分をあえて明るく加工し、スポットライトを当てたようなデザインになっている。自身の存在意義を示す写真でもあるだろう。だが、その本の書影をここに掲載したら、またAppleから削除依頼が来るのかもしれない。
    「The Girl in the Picture: The Story of Kim Phuc, the Photograph, and the Vietnam War」という洋書だ。戦争で過酷な体験をした生き証人である女性の自伝が、児童ポルノ扱いされるなんて、本当に腸の煮えくり返るデタラメな世界だ。
    ■たどりつかない…
     こういうことを、直接Appleに言って、見解を聞こうと思ったのだが、まず、どこに連絡したらいいのかがわからない。
  • 「無知に媚びる民主主義という病い」小林よしのりライジング Vol.254

    2018-01-16 16:50  
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     民主主義が人類の歴史上に初めて登場したのは、古代ギリシアの都市国家(ポリス)においてだった。
     市民たちは「民会」に参加して、公的な問題の対処を自ら決定した。
      ただし、「市民」とは「戦士」のことである。
      兵役に就く者だけが議論に参加する事ができ、周辺の他国と戦うか否かといった問題を直接民主政で決めていたのだ。
      命を懸けて共同体を守る覚悟を持っている者だけが、民主主義を行使できる。
     女・子供・奴隷などは「市民」とは認められていなかった。自らの所属する共同体・国を守る覚悟がなく、いざとなったら逃げるという者は「奴隷」の身分に置かれ、議論の場から排除されるのは当然のことである。
     これが、民主主義の起源における原則なのである。
      近代国家の始まりであるフランス革命でも、徴兵制によって国民をつくったのである。
     ウーマンラッシュアワーの村本は、 「侵略されても戦わない。山の中でもドブの中でも逃げまわる」 と公言した。
     つまり村本は正真正銘の奴隷であり、そもそも議論に加わる資格など持っていないのだ。
     そんな人物を、国のことについて議論しようという「朝まで生テレビ」の議論に参加させたこと自体がおかしいのである。
     古代ギリシアと現代日本では違うんじゃないかとか言い出す者がいそうだが、本質的には変わらない。
      国民でつくり、国民で守る国家であり、その経営は民主制でなされるのだから、国家を守る覚悟のある者と、全然その覚悟のない者が、同じテーブルに就いて議論していいはずがないのだ。
     侵略されても戦わない、ただ逃げる、国を占領され、自由を奪われて、奴隷になってもいいという者が天下国家を語ってはならない。
     国家の存続に責任を持たない感覚は、憲法9条護持や極左の連中も同じである。
     国外から侵略されても、国内から独裁制が生まれても、圧政が敷かれたら人々の自由は奪われる。そんな時、自由を守るために命を懸けて戦う覚悟のない者は、あっさりその境遇を受け容れ、自ら奴隷になるだけなのだ。
      チベットやウイグルを見ればいい。ほとんどの民は圧政を受け入れる。ごく少数の者がテロも辞さずの「自由と独立の戦い」を続行しているのだ。
     しょせん奴隷志願者が「安倍政権は独裁だ、自由を守れ!」なんて非難の声を上げてもパワーにならない。覚悟のない者は議論に参加する資格はないのである!
     それでも「言論の自由はある」とか言い出す者もいるかもしれないが、国家を守れずに「言論の自由」は守れないのだから、幼児並みの駄々っ子な主張は「公論」にはならない。一人で呟いておけばいい。
     最低限の資格もクリアしていない、レベルが低すぎる人物を朝生に出すこと自体がおかしいのだ。そんな奴隷を出して、井上達夫ほどの学者にその相手をさせるなんてことは失礼である。
     このような民主主義の原則は、 『民主主義という病い』 に詳述している。これを読んでいれば、村本を朝生に出すなんてありえないことだと、すぐわかるはずである。
     
  • 「個と公、覚悟なき私人主義」小林よしのりライジング Vol.253

    2018-01-09 19:50  
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     わしがウーマンラッシュアワーの村本という芸人を最初に見たのはテレビの「すべらない話」だったが、自分のツイッターの炎上話をしていて、さっぱり面白くなかった。
     トッキーから聞いた話によると、その番組では必ず話の最後に押される「すべらない話・認定印」が村本の話の一つにはついに押されず、番組史上初の「すべった話」として語り草になったらしい。
     そんなわけで、お笑い芸人としてはぱっとしない印象だったのだが、いつの間にか「朝まで生テレビ」に出てきたものだから驚いた。
    「よしもと」の芸人が最近、ワイドショーのコメンテーターに次々出てくるが、多分、人数をかかえすぎて、芸人の活躍の場を開拓しているのだろうと、わしは推測する。それにしても天下国家を論じる論客の分野までもお笑い芸人が出てくるのはどうなんだろう?安易すぎないか?
     その「朝生」での発言がまたつまらないもので、自分の弟が自衛官で、弟に戦争に行ってほしくないから戦争反対なんていう論調なのだ。
     村本はやたらと自分の弟が自衛官であるということをひけらかし、利用するのだが、まずそれがおかしい。
     自衛官は入隊時に宣誓文に署名をしなければならない。その宣誓文は、この言葉で結ばれている。
    「事に臨んでは 危険を顧みず、身をもつて 責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います」
     これは要するに、戦争に行って死ぬことも辞さないという意味だ。公務員は全員服務の宣誓をしなければならないのだが、命がけの仕事というイメージのある警察官や消防官の服務の宣誓でも、 「危険を顧みず、身をもつて」 とまでの文言はない。
     ウーマン村本の弟は服務の宣誓をして自衛官になっている。自ら、国防のために命を懸ける覚悟をしているのである。
     自衛隊の本来任務は国防であって、災害救助ではない。 国を守るためなら、人を殺すことも、殺されることもあるのが自衛隊という職業である。
      それが嫌だったら、村本が直接弟を説得して、自衛隊を辞めさせればいいだけのことで、それが筋というものだ。
      自衛官の弟が人を殺すのも死ぬのもイヤだとテレビで発言する兄貴は、単に弟の覚悟と職業を公然と侮辱しているだけではないか!
     今年の元旦の朝生にも村本が登場し、 「侵略されたら白旗挙げて降参する」「尖閣は中国に取られてもいい」「敵を殺さないと自分が殺される状況に置かれたら、自分が殺される」 などと放言しまくり、たちまちネットで炎上した。
     こんな幼稚な議論に付き合わなきゃならない井上達夫氏が気の毒だ。井上氏のかつての生徒たちでも、これほど幼稚な者はいなかっただろう。
     村本という人間は、あれだけ人に嫌われる顔と、嫌われる性格をしているくせに、どういうつもりか、「人から善人に見られたい」と願っているようで、臆面もなくエセ・ヒューマニズムの言葉を吐くのだ。
      だが、侵略されても戦わずに白旗を挙げたら、国がなくなってしまい、国民は奴隷になってしまう。チベットやウイグルの民のように、思想の自由も、言論の自由も何もかも奪われてしまうのだ。
     言論の自由がなくなってしまったら、漫才もできないということをわかっているのだろうか? 
     村本は現在の日本では、漫才で政治的な言論が封じられていると思っているのかもしれないが、それはあくまでも自主規制であって、やろうと思えばやれるのだ。
     中国に侵略されたらそれどころじゃない。言論の規制に逆らったら投獄され、拷問される。生命の保障だってありはしない。
     そんなことにも考えが至らない村本は、何もわかっていない赤ん坊みたいなものだ。
  • 「醜い国・日本の権威主義と忖度」小林よしのりライジング Vol.252

    2017-12-26 15:35  
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     先週は 「政治体制としての権威主義に堕した国民」 と題して書いたが、この問題は現在の日本にかなり根深く浸透してしまっているので、今回も引き続いて掘り下げていこう。
     先日、松本人志が「ワイドナショー」(フジテレビ)で共演している指原莉乃、古市憲寿、東野幸治と共に、安倍晋三と焼肉会食をしたことが報じられ、話題になった。
     古市はツイッターで、 「単純に安倍さん出演回の番組出演者で打ち上げに行きましょうという話が、今月まで延び延びになっていただけ」 と苦しい言い訳をしたが、安倍がワイドナショーに出演したのは昨年5月1日で、もう1年7か月も前のことだ。
     たった1度安倍が出た回の「打ち上げ」の話など、実現しないまま1年半も経ったら立ち消えになるのが普通だろう。それをわざわざ実行したこと自体、安倍と松本・古市らの関係が普通じゃないほどズブズブベッタリだということの証明以外の何者でもない。
     そもそも安倍が出たワイドナショーは露骨な安倍ヨイショ番組だったし、松本はその後、安倍政権を擁護する発言を繰り返しており、完全に安倍シンパの感覚になっているではないか。
     こんなふうに、芸能人などが権力にすり寄っていくことこそが、 「政治体制としての権威主義に堕した国民」 の醜態そのものなのである。
     以前は、著名人がここまであからさまに権力にすり寄る姿を見せることなど、まずなかった。これは第二次安倍政権発足以降の現象だ。
     毎年4月に行われている首相主催の「桜を見る会」は今年で62回を数える恒例行事だが、ここ数年は芸能人が多数招待されて、嬉々として参加する様子がかつてないほど大きく報道されるようになっている。
     天皇皇后両陛下が主催する園遊会ならわかるけれども、安倍なんかに呼ばれて、よく行く気がするなあとわしは思う。
     ちなみに園遊会の招待基準は「産業・文化・芸術・社会事業などの分野で功労のあった人」などと宮内庁が厳格に定めているのに対して、桜を見る会は政府与党推薦で決めていて、基準はユルユルだという。
     元衆院議員の中田宏はブログにこう記している。
    「この桜を見る会は与党の党勢と支持拡大の面が多分にあります。
     招待者は基本的には政府・与党の推薦なので、国会議員は自分の招待枠に後援会の人を招待することもあります。
     総理主催であることや多彩な顔ぶれの人たちに会えるかもしれないという意味で、ファンサービスの側面があるのです」
     やっぱりこれは政権のPRイベント以外の何者でもなく、メディア戦略に長けた安倍政権は完全に意図的に、政権の好感度アップに利用するために芸能人を招待しているのだ。
     わざわざこんなところにでかけて、はしゃいで安倍と記念撮影なんかして、まんまと権力に利用されている芸能人を見ると、キモいとさえ感じてしまう。
     いまは首相に対する感情が、すごく憎むか、すごく好きかのどちらかに極端に二分化されているが、「すごく好き」の有様は、明らかに尋常ではない状態になっている。
     月刊Hanada2月号など、安倍首相のインタビューを大々的にトップにして誌面を組み、産経新聞に全面広告まで打った。
  • 「政治体制としての権威主義に堕した国民」小林よしのりライジング Vol.251

    2017-12-19 20:00  
    150pt
     朝日新聞13日夕刊に載った、塩倉裕編集委員による論壇時評「(回顧2017)論壇 忍び寄る権威主義に危機感」は、興味深い記事だった。
    「忍び寄る権威主義」とは何か?
     そもそも「権威主義」とは、わしが『ゴーマニズム宣言』のスタート時から一貫して批判してきたものである。
      権威と権威主義は違う。天皇のように、本当の権威(普遍的な秩序と信頼の要)は必要である。
      それに対して権威主義とは、権威とされたもの(普遍性がなく信頼性も怪しい)を絶対視し、盲従することをいう。
     形骸化した権威や、単なる権力に対しては「王様は裸だ!」と言わなければならないのだ。
     最初の『ゴー宣』の単行本の帯には「権威よ死ね!!」と書かれていた。編集者が考えたコピーだが、これはあくまでも「権威主義」はダメだという意味で使ったのである。
     記事ではまず、「世界」2月号に掲載されたロベルト・ステファン・フォアらの論考を紹介する。
     北米や西欧の成熟した民主主義国で、民主主義に代わる政治体制としての「権威主義」の支持に前向きな市民が増え、「軍による統治がよい」「議会や選挙を顧みない強いリーダーが望ましい」と考える人も増加している。フォアらはそう主張した。 「民主主義に代わる政治体制としての『権威主義』」 とは、どういうものか。
      政治の場における「権威主義」 とは、 「支配関係を価値の優越者 (上級者) と下級者との縦の関係において構成していこうとする秩序原理および行動様式」 (ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)のことをいう。
     記事には 「軍による統治がよい」「議会や選挙を顧みない強いリーダーが望ましい」 と考える人が増加しているとあるが、このような、上からの権威の支配に対して下の者たちが服従するという構造が、まさに 政治体制としての「権威主義」 である。
     要するに 政治体制としての「権威主義」 とは「非自由主義」「非民主主義」であり、「独裁主義」「専制主義」「全体主義」などはこれに含まれるのだ。
     塩倉編集委員は、こう感想を述べる。
     どれだけ政治への不信が強まっても「民主主義の国で暮らすこと」の価値までが否定されることはないだろう――そうした楽観を揺さぶる論考だった。  もうお気づきだろうが、これは北米や西欧に限った話ではない。
      日本でも、安倍政権が議会も民主主義も憲法も全て無視して好き勝手やっているが、そのことに対して強い批判も上がらなくなっている。
      むしろ「議会や選挙を顧みない強いリーダーが望ましい」とでも言わんばかりに、政権に高支持率を与えているという状況ではないか。
     日本もすでに権威主義になっており、強いリーダーにただ付き従っていた方がいい、民主主義でなくてもいいという感覚が確実に広がっているのだ。
     一方、「権威主義」とよく似たものに 「パターナリズム(paternalism)」 がある。これは強い立場の者が、弱い立場の者の利益になるとして当人の意思を問わずにその行動に介入したり、干渉したりすることをいう。「paternal」は「父の、父らしい」という意味。念のため言っとくが、「パターン化(patterning)」とは全く関係ない。
      パターナリズムは、日本語では「父権主義」などと訳される。もともとは 、未熟な 子供の ため にいろいろ世話を焼く父親に由来する言葉だ。
     こういう父権主義的傾向というのは、ある意味『ゴーマニズム宣言』にずっとあったものともいえる。
  • 「陛下御恨み骨髄」小林よしのりライジング Vol.250

    2017-12-12 21:30  
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     政府は8日の閣議で、天皇陛下の退位日を平成31年(2019)4月30日と定める政令を正式決定した。
     12月1日の皇室会議の結果を踏まえて、という体にはしているが、 公表された「議事概要」にも、皇室会議で具体的に誰が何を発言したか、政府案に対する異論は出たのかといった点は一切記載されていない。
     安倍政権は当初、皇室会議の開催自体に頑強に抵抗していたが、それが通らないとなると、皇室会議を「ブラックボックス」にして、骨抜きにしてしまったのだ。
      会議にはメンバーではない菅官房長官が出席して、本来会議を取りまとめる事務方トップである宮内庁長官が座るべき位置に陣取った。 メンバー以外の人物が陪席すること自体は禁じられていないが、会議の輪に入るのは完全なルール違反である。
     会議では、出席者全員が一通り意見を述べた後、安倍と菅が別室に退席し、戻って来ると 採決も取らず、政府案通りに決定すると通告して終えてしまった という。皇族2名と立法・司法のトップも集まった皇室会議を完全にコケにして、会議の体もなさない状態にして強引に決めてしまったのだ。
     そして政府は新天皇即位の5月1日を休日にすることで、この年のゴールデンウィークを「10連休」にする方針だという。
      天皇陛下のご意思であることが明らかである「3月31日退位」を無視して1か月遅らせた理由には、「10連休」を作って国民のウケを取ることがあったようだ。
     これだけでも、ここまで天皇陛下を蔑ろにした話はないのだが、まだ他にも1か月遅らせた理由が推測されている。「選挙対策」だ。多くの人が指摘しているが、例えば女性セブン12月21日号では政治ジャーナリストがこう語っている。
    「新時代の幕開けからわずか3か月ほど後の’19年夏には、参院選が控えています。もし、その年初頭の通常国会で安倍首相が悲願とする憲法改正案が提出されれば、改正への国民投票は参院選とのダブル投票になる。
     安倍首相は、退位を1か月遅らせることで、国民的なイベントの高揚感を世間に残したまま選挙に臨もうとしたのではないでしょうか」
     安倍晋三は、天皇陛下を自分に都合よく利用すること以外、一切考えていないのだ。
     そんな中、週刊新潮12月14日号に、 『「安倍官邸」に御恨み骨髄「天皇陛下」』 という、過激ともいえる表現をつけたタイトルの記事が載った。
  • 「譲位を巡り、天皇を侮辱する安倍晋三」小林よしのりライジング Vol.249

    2017-12-05 20:10  
    150pt
     天皇陛下の退位が再来年4月30日、新天皇の即位が5月1日と決まった。
     日付が違うことで、「空位」の時間が生じるのではないかという懸念もあったが、これは退位が「4月30日が終わる瞬間」、即位が「5月1日が始まる瞬間」に行われる、つまり同時であるため問題はないらしい。
     だが問題は、「5月1日」という即位の日程だ。
     当初、政府は「1月1日」とする方針を示した。
     これは政府が宮内庁にも相談せず、天皇陛下のご意向など一切無視して勝手に決めたもので、宮内庁の西村泰彦次長は定例記者会見で「1月1日は皇室にとり極めて重要な日。譲位、即位に関する行事を設定するのは難しい」と難色を示した。
     宮内庁が退位を巡って公の場で言及するのは異例の事態であり、しかもこれを表明したのが、官邸が宮内庁をコントロールするために送り込んだ人材だったはずの西村というのも、実に皮肉な話だった。
     再来年の1月7日は、昭和天皇の崩御から30年の式年祭が行われる。今上陛下は父親である昭和天皇の三十年祭を自ら執り行いたい意向であることは明らかで、その1週間前に退位させるというのは非常識としか言いようがない。
      宮内庁もこの点には特にこだわりを見せ、年度替わりの節目でもある「4月1日即位」案を提示、官邸側に年末年始と3~4月の皇室行事を示し、どちらが皇位継承に伴う陛下と皇太子殿下の負担が少ないか説明したという。
      ところが、官邸は1月1日即位案を撤回したものの、宮内庁、つまりは天皇陛下のご要望である4月1日即位案にも乗ろうとしなかった。
     理由は「メンツ」、ただそれだけである。
      天皇退位特例法 には、退位の期日を「政令」で決めるとしている。 政令は閣議決定によって定められ、その主体は内閣であり、トップは首相ということになっている。 官邸幹部は 「最後は政治が決めるんだ」 と言い放ったという。
      つまり完全に「国民主権」の意識で、政治のトップが天皇よりも上だと信じ切っているのである。
     しかも官邸は、もともとは天皇の退位すら認めず「摂政」で済まそうとしており、しぶしぶ退位を認めることになっても「一代限りの特例」にするつもりだった。それが事実上の恒久制度化まで妥協を強いられたため、ここでも「メンツを潰された」という恨みの念を抱いていた。
     さらには、4月1日即位案の一報を朝日新聞が報じたことから、安倍晋三が 「朝日が報じたとおりにはさせない」 と思ったのではないかという推測まである。
     官邸は秘かに「1月1日」「4月1日」以外の日程案を探り、9月には5案になっていたという。
     この作業は宮内庁には全く知らされずに行われた。そして、退位・即位の日程を決める皇室会議が12月1日に行われることが宮内庁に知らされたのが、わずか10日前の21日夜。 しかも宮内庁の山本信一郎長官はこの日の報道で初めて「5月1日即位案」を知り、「まったく知らない。分からない」と記者団に硬い表情で繰り返した。
     5月1日案が表に出てから、皇室会議による決定までたったの10日。これでは報道各社の世論調査も間に合わず、4月1日と5月1日のどちらがいいかを国民に問うこともできない。もちろん、政府はこのタイミングも計算していたはずだ。
      そして12月1日の皇室会議には、どういうつもりかメンバーではない菅官房長官が本来宮内庁長官の据わる位置に陣取ってにらみを利かせており、そんな異常な状況の中で4月30日退位・5月1日即位という日程が決められてしまった。
     安倍政権の本音はこうだろう。
    「天皇よりも政治の方が上なんだ! さんざん安倍政権に楯突きやがって、これ以上天皇の言うことなんか、聞いてたまるか! 何の意味もない5月1日即位という日程にしてやったぞ! ザマー見やがれ!!」
     何の意味もない5月1日即位という日程を正当化するために、予算案審議や統一地方選が終わった後で静かな環境で迎えられるだの、連休が増えるだのということまで報道されているが、そんなものは全く理由にならない。
     そもそもこの日程では、高森明勅氏が指摘しているように、新天皇即位の行事の集大成であり、最も重要である 大嘗祭に新穀を献上する田んぼを選定する際に大きな支障が起こる ことが懸念されている。
     https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=jo6zp5n4s-14#_14
     安倍晋三は、大嘗祭の重みを全く理解していないのだろう。
     というか、安倍は「大嘗祭」が読めるかどうかも分かったものではない。
  • 「安倍改憲を止める唯一の方法」小林よしのりライジング Vol.248

    2017-11-28 19:35  
    150pt
     安倍政権が目指している憲法改正は、発議されたらもう阻止できない。
     国民投票で否決することは不可能である。
     この重大な事実について、立憲民主党にさえ理解していない者がいるのではないかと、わしは非常に危惧している。
     憲法改正の発議が行われれば、規定によりその後2カ月から6カ月の間に国民投票が行われ、有効票の過半数の賛成で憲法改正が成立する。現在考えられる最短のスケジュールは、来年4月発議、6月国民投票だ。
      発議されれば、読売新聞、産経新聞ら安倍政権の御用メディアは、賛成票を投じるべきだという論調を連日大々的に展開させるだろう。
      それに加えて、国民投票に関する広告・宣伝費を制限する法律はないから、政府は電通でも博報堂でも使って、ありとあらゆる媒体を通して賛成票を投じようという巨大キャンペーンを繰り広げるはずだ。
     現在のところ、自衛隊明記の改憲案に対する世論調査の結果は、朝日新聞が賛成36%、反対45%。読売新聞が賛成35%、反対42%。共同通信は賛成38.3%、反対52.6%。以上3社は反対が上回っている。
     これに対して、日経新聞が賛成44%、反対41%。毎日新聞は賛成33%、反対29%で、賛成がわずかに上回る。
     そして産経新聞・FNN合同調査だけは、なぜか賛成59%、反対29.1%と、賛成が圧倒している。
     これだったら、圧倒的な物量でキャンペーンを仕掛ければ、国民投票で過半数の賛成を獲得することなど造作もないだろう。
     そもそも、憲法9条の1項・2項をそのまま残し、自衛隊の存在だけを明記するという改憲(加憲)案に対しては、朝日新聞や東京新聞でも、反対論は主張しづらいはずだ。
     反対する理由を挙げるとしたら、 自衛隊のままで集団的自衛権を行使させてはいけない ということくらいだが、その理屈は一度、安保法制で戦って敗れており、その繰り返しになってしまう。
     いくらその手段や議論に問題があったといっても、もうすでに憲法解釈の変更で、集団的自衛権は憲法上認められることになってしまっているのだから、反対の理由としては弱いと言わざるを得ない。これは、反対を唱えるための理論づけが非常に難しいのだ。
     それに対して、賛成を訴える側は簡単だ。情緒に訴えりゃイチコロなのだ。
      災害救助などで、自衛隊はこれだけ我々の役に立ってくれているのに、長年憲法上の位置づけが明確でないために、差別にさらされてきた。 この差別をなくすため合憲にすべきだ…と言われれば、間違いなく国民感情は情緒的に賛成の方向になびくだろう。
     改憲が発議されて国民投票になったら、その時点で安倍の勝ちだ。
      国民投票で否決するためには、国民感情の中に、これを通したら大変なことになるという相当の危機感が巻き起こらなければならない。
      しかし、現行の9条はそのまま残して、自衛隊を明記するだけと言われれば、そこまでの危機感が湧くことはないだろう。
     実際には、安倍改憲が実現すれば、今まで以上に米国追従になり、危険なことになる。
      自衛隊は現状の「軍隊未満」のまま、集団的自衛権の行使で米軍の下請け組織として地球の裏側まで行って戦争しなければならなくなる。
     しかし、それは今すぐには起こらない。実際にそんな事態となり、自衛官にどんどん戦死者が出てくるようになるまでは、国民は危機感など持たないのだ。
  • 「アイドルはルックス、政治家は能力」小林よしのりライジング Vol.247

    2017-11-21 22:25  
    150pt
    第253回「アイドルはルックス、政治家は能力」  新宿ホスト風ライターの古谷経衡が、「SAPIO(11・12月号)」で『女政治家の通信簿』と題する、愚にもつかない記事を書いている。
     記事そのものに対する批判はブログでトッキーが徹底的にやっているのでそっちに任せるが、今回はそれとは別に、記事から一カ所気になったところを取り上げて、考察をしてみたい。
     古谷は、政治の世界への女性の進出が一向に進まないのは、女性の側にも応分の理由があると責任転嫁し、こう書いている。
      とりわけ女性の政治的自立や自覚が足りない。男性側には、「選抜総選挙」と銘打つ女性アイドルを愛玩動物のように消費する幼稚で後進的な女性観が寡占的で、若手批評家が「アイドルの○○推し」を公言して憚らない時期があった。誰もこれを異常と言わない。女性を個として認識せず、愛玩の対象とする異様性は日本特有のものだが、女性側もそれに異を唱えない。
     言論人で「『アイドルの○○推し』を公言して憚らない」者といえば、まずわしのことだと自負してもいいくらいで、古谷も当然わしのことを念頭に置いて書いたはずだが、わしの名前を出して批判するわけでもなく、そればかりか、「若手批評家が」として、わしのことではないかのようにして書いている。そんなにわしを敵に回すのが怖いのか?
     それはともかく、AKBの総選挙が女性アイドルを 「愛玩動物のように消費する幼稚で後進的な女性観」 による 「日本特有」 の 「異様性」 の産物だというのなら、ミスコンテストは一体どうなるのか?
     あれだって女性をずらっとステージ上に並べて「品定め」して序列をつけているんだから、女性を 「愛玩動物のように消費する幼稚で後進的な女性観」 の産物だと言えてしまうではないか。
      ミスコンは「日本特有」のものではない。むしろ海外から入ってきた文化で、世界中で行われているのだが。
     90年代、堺市の女性市民団体がミスコン反対運動を起こして、話題となったことがある。
     同団体は 「ミスコンは女性差別の集大成」 と主張し、ステージ上にエントリーした女性を並べて審査する方法については、 「昔のアメリカの奴隷制度がまかり通っていた暗黒時代の人身売買のエントリーのしかたと何ら変わりがない」 とまで言っていた。
     同団体の運動のために、一時は各地のミスコンが次々と中止に追い込まれたが、今ではかなり復活して来ている。
      古谷はこの女性団体と同意見で、ミスコン廃止を訴えているのか?
     そもそもこんなこと言い出したら、グラビアアイドルだって成立しない。
     グラドルだって、女性をルックスだけで 「愛玩の対象」 としており、 「個として認識」 していないということになってしまう。
     もちろんグラビア雑誌だって海外にもいくらでもあり、グラドルが 「日本特有」 の 「異常性」 だというわけでは全くない。
     前述の堺の女性団体は、女性をルックスだけで評価するのはけしからんとして、「大切なのは人柄なのよ」と唱えていたが、古谷が言っているのも全く同じことである。
     だが、わしはこれをそんなにイデオロギー化しては捉えられない。