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  • 「漫画・沖縄、弱者認定の落とし穴」小林よしのりライジング Vol.135

    2015-06-02 21:40  
    153pt
     5月28日の朝日新聞「論壇時評」で、作家・明治学院大学教授の高橋源一郎が自民党の「改憲マンガ」や「嫌韓マンガ」を批判している。
     わしは問題の「改憲マンガ」も「嫌韓マンガ」も読んでいないが、それらのマンガに「 作家の主観がない 」ことを知っている。「改憲マンガ」は自民党の改憲政策のCMだし、「嫌韓マンガ」は2チャンネルの匿名の嫌韓情報の絵解きマンガである。
     高橋はこれらのマンガを批判するとき、どうやら暗に『ゴーマニズム宣言』も射程に入れてるようなので、彼のマンガ文化に対する偏見を指摘しておかねばならない。
     高橋はこう書くのだ。
    マンガは、素晴らしい表現力を持つ文化だ。なのに、これらの作品は、マンガの幼稚な部分ばかりを強調する(たとえば、善人はいい人っぽく、悪人は悪い人っぽく描く、とかね)。マンガへの愛も尊敬も感じられない。そこでは、マンガは、作者の主張(その主張が何であろうと)のために用いられる単なる手段、いや作家の横暴に反抗できない奴隷のようなものにすぎない。何かを奴隷にして苦痛を感じない人間は、他のなにかを奴隷のように扱うことにも無頓着になるんじゃないかって、ぼくには思えるんだ。  何とも気色の悪い文章だ。それは、64歳にもなって新聞で「…、とかね」だの「…って、ぼくには思えるんだ」だのと、カワイコぶった言い回しをしているせいだけではない。
     高橋は明らかに、漫画に対して特別な偏見を持っている。「マンガは、素晴らしい表現力を持つ文化だ」と持ち上げられてもわしは特に嬉しくはない。映画でも、小説でも、音楽でも、素晴らしい表現力を持つ文化であって、漫画が特別というわけではない。
      漫画に限って持ち上げるのは、漫画は相変わらず一段低級な文化のはずだと、高橋自身が思い込んでいる表われだろう。漫画を少数者・弱者の括りに入れ、勝手に美化しているのだ。
     サヨク傾向の知識人が、「アイヌは、素晴らしい文明を持つ民族だ」というのと同じ感覚である。
      そして、「虐げられているアイヌ民族」を捏造して「弱者の味方」になろうとする連中と同様に、高橋も「虐げられている漫画文化」をかばう「弱者の味方」を気どっているのである。 どうしてもサヨクにはこのように、「弱者」に対して特別な偏見を持つ習性があるのだ。
     全てのジャンルの文化には、良質から悪質まで、ピンからキリまである。漫画には幼児性愛マンガだってあるし、映画にはピンク映画もあるし、小説には官能小説だってあるし、低級と思われるそれらの作品群の中でも良質と悪質があるかもしれない。
     文章ならばどう書き、どう読んでもいいが、漫画というものは愛を持って描いて、愛を持って読まなければならないものだなんていう感覚は、完全に差別である。
     善人はいい人っぽく、悪人は悪い人っぽく描くというのは、『ゴーマニズム宣言』に反感を持つ者らから、耳にタコができるほど毎度毎度言われていることだが、わしはそれを「漫画の幼稚な部分」とは思わない。