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記事 3件
  • 「ネットの中の道徳の大崩壊:実名曝しは是か非か?」小林よしのりライジング Vol.157

    2015-12-01 22:10  
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     次回、12月13日のゴー宣道場は 「道徳Revenge」 と題して行われる。
     事前に「これはどう判断するのが道徳的に正しいのか?」と迷うような例題を募集中で、ゴー宣道場ブログでも各師範や門弟たちが様々な例題を挙げている。
     そこで今回は、最近起きた道徳的判断を問われる問題を紹介しておきたい。
     発端は、はすみとしこなるネトウヨ漫画家が、シリア難民を誹謗中傷するイラストを公表した事件だ。
    http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1510/05/news107.html
     これは議論の余地なく不道徳であり、このことが海外にまで報道されたのは、日本の恥さらしとしか言いようがない。
     ところがこれを支持する者がいて、かえってこの騒ぎを期に、はすみとしこのイラスト集が出版されることになったという。版元は「青林堂」だ。
     青林堂は伝説の漫画雑誌「ガロ」を出版していた会社だが、創業者社長が亡くなった後は迷走を重ね、今では「オークラ出版」と一、二を争う最低のネトウヨ出版社になり果てている。
     もう、かつての青林堂とは全くの別物であることは重々承知しているのだが、それでも「青林堂」の名がこうも果てしなく汚されていることには、心が痛むばかりである。
     この難民差別イラストに関して「反安倍 闇のあざらし隊」を名乗る者がツイッターで、次のように宣言した。
    「はすみとしこ」のFBページで下衆な絵をはやし立てている下衆な連中のプロフィールから、居住地、出身校、勤務先をリスト化するドイヒー「はすみしばき」プロジェクト、密かに進行中。320人以上のものが名前と共にまもなく公開されます。  そして実際に、はすみとしこのフェイスブックで問題のイラストに「いいね!」を押した者、400人以上の実名や居住地などをリストにして、ネットに公開したのだ(「ドイヒー」とは「ひどい」の意)。このいわゆる「はすみリスト」は、ネット内で大問題となった。
     すると今度は「はすみリスト」を曝した「反安倍 闇のあざらし隊」が実名を特定され、ネットに曝された。 この人物は「レイシストしばき隊」のメンバーで、しかも ネットセキュリティ会社の社員だった。
     これは情報を保護する立場である会社の社員としてあるまじき行為として問題化し、会社も社内調査に乗り出すとともに関係者に謝罪を表明。
     調査の結果、セキュリティ会社は自社のシステムやデータが使われた事実はなかったとしたが、このしばき隊の男は自主退職した。
     そして「はすみリスト」の騒動は、思わぬところに飛び火してきた。しばき隊シンパと思われる者が、時浦のツイッターにこう質問してきたのだ。
    小林よしのり氏は、「ネットで差別書き込みをする者は、住所と氏名を公開して社会的に抹殺すべき」と、はすみリスト以上の処置を提案していますが、それはいいんですかね。  そんなこと書いたっけ? と思ったが、どうやら2年前のこのブログのことらしい。
    https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=jojxeo458-736
     わしは 「こういう差別野郎どもの住所・氏名を公表して、社会的制裁を加える法律を、自民党は作れ!」 と書いたのであって、あくまでも法的な規制を求めたのである。 決して現在行われているような、野放図な私刑を支持したわけではない。
     しかも、制裁を加えるべきとしたのは差別の言動をしている本人であって、単にフェイスブックで「いいね!」を押した程度の者までは想定していない。
     それでもわしが言ったことは 「はすみリスト以上」 ということになるのだろうか?
     一方、新潟水俣病第3次訴訟の弁護団長を務めている高島章弁護士は、ツイッターで以下のように私見を発表した。
  • 「川崎中1殺害事件:上村くんの道徳心」小林よしのりライジング Vol.124

    2015-03-10 15:05  
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     川崎市の中学1年生、上村遼太君が惨殺された事件では、上村君への同情が全国に広がっている。
     不良グループと付き合ってしまったことが、最大の過ちだった。特に主犯の18歳少年Fの凶暴さは尋常ではないので、この男と知り合ったことは上村くんの不幸だった。
     日頃から酒飲んで酔っ払ってキレてるような不良を、親が野放しにしていたのだから、家庭環境も問題があるし、鑑別所から出てきたばかりで、13歳の少年を惨殺したのだから、こんなのを少年法で保護する必要があるのかと、厳罰を望む声も圧倒的に高まっている。わしも同じ意見だが、ニコニコの規制に引っ掛かる恐れもあるので、イニシャルにしておく。
     Fは強い相手には弱いが、弱い相手にはとことん強く出る。一度キレたら限度を知らず、死ぬんじゃないかと思うほど殴る蹴るを続ける。
     酒を飲んだら手がつけられない。以前から「人殺してぇー」と言っており、通りすがりの中年男性を全く無目的に鉄パイプで殴打、重傷を負わせて鑑別所に送られ、昨年末に出てきたばかりだったという。
     こんな奴がまだ他にもいるかもしれず、同じような事件がまた起きても全くおかしくはない。そんな象徴的な事件なのだから、この事件に対する関心は絶やさない方がいい。
     凶暴な不良グループと交流してしまった子供は、自力でそこから抜け出すことは不可能だろう。
     大人がなんとか事態を把握して、抜けさせてやるしかない。
     上村君自身は、グループを抜けたがっていたようだ。上村君が目の周りに青タン作って、顔中腫らしているのを見て、友達や別のグループがFに抗議もしている。
     だがFのような卑怯な男は、その時だけ平身低頭で謝っておいて、後でそれを逆恨みして、リンチして殺してしまう。
      いくら子供の世界で正義感のある者が守ろうとしても、守り切ることはできない。大人が出ていくしかない。大人が子供をどうやって守るのか、その方法をはっきり確定させなければならないのだ。
     事件発覚直後、ネットでは上村君の母親を責める声が上がり、それに対して被害者の母親を責めるのは酷だという批判が起きた。
     女性週刊誌などは母親に同情的で、5人の子供を抱えたシングルマザーで、働き詰めで余裕がなかったとか、息子の死に憔悴しきっていたとか書いていた。
     また、母親のコメントとして「あの時、もっともっと強く止めていれば、こんなことにはならなかったと、ずっと考えています」などという文書が発表されると、同情の声はさらに高まった。
     だが、わしは違和感をぬぐい切れない。
     5人の子供の世話は大変だろうが、いくらなんでも息子が目の周りにあんな青タン作って顔中腫らして帰ってきたのに、対処しないのはおかしい。深夜に外出する子供を放置するのも、常識ある親とは言えない。子だくさんは言い訳にならない。
     そんな中、週刊文春がこんな地元住民の話を載せた。
  • 「皇后陛下、お言葉に込められたご真意」小林よしのりライジング Vol.106

    2014-10-28 21:30  
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     皇后陛下は10月20日に80歳、傘寿のお誕生日を迎えられた。
     お誕生日には毎年、宮内記者会の質問に対するご回答という形で文書によるおことばが発表されるが、今年は例年にも増して深く、重いおことばであった。
     今回は、その中から特に印象に残ったところを挙げておきたい。
     まず驚いたのは、皇后陛下のおことばの中に「A級戦犯」という語が出てきたことだ。「来年戦後70年を迎えることについて今のお気持ちを」という質問へのご回答の中で、こうおっしゃったのである。
     私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと思います。
     わしはいつも「いわゆるA級戦犯」と表記しているが、それはABC級の別を問わず、かつて「戦犯」とされた人々を犯罪人とする根拠は、もはや国内法にも国際法にも存在せず、日本に「戦犯」はいないという主張を込めているからである。
     しかし皇后という立場におられる方が、殊更にそのような主張をなさるわけにはいかないので、「いわゆる」などはつけられない。
     皇后陛下は、あくまでも中学生当時に感じた思いをそのまま述べられる。戦後になってからの感情を記憶に上書きして、当時から彼らを恨み、憎んでいたかのように言う人もよくいるが、そんな都合のいい態度とは全く違う。
     そして皇后陛下が当時お感じになったことは、「 国と国民という,個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れ 」だったというのだ。
     もちろん、皇后陛下はそれ以上のことはおっしゃらない。しかし、わかる人にははっきりわかるはずだ。
    「国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場」の最も重い位置におられるのが、天皇陛下であるということを。
     皇后陛下は、靖国神社への合祀もしてはならない極悪人扱いまでされている「A級戦犯」を、天皇陛下にも通じる厳粛な立場を引き受けた人々だったのではないかと暗に匂わせておられるとしか思えない。
     終戦70年を前に、あえてこのようなことをおっしゃったことに驚くばかりである。
     さらに凄かったのは、「皇后さまにとって芸術・文化はどのような意味を持ち、これまでどのようなお気持ちで触れて来られたのでしょうか」という質問に対するお答えで、その中でこうおっしゃっている。
     建造物や絵画、彫刻のように目に見える文化がある一方、ふとした折にこれは文化だ、と思わされる現象のようなものにも興味をひかれます。昭和42年の初めての訪伯の折、それより約60年前、ブラジルのサントス港に着いた日本移民の秩序ある行動と、その後に見えて来た勤勉、正直といった資質が、かの地の人々に、日本人の持つ文化の表れとし、驚きをもって受けとめられていたことを度々耳にしました。  先週号の「ゴー宣」でわしが「保守」すべき日本の「公」の実例として挙げた、東北の大震災の際にも秩序ある行動をする日本人に世界が驚嘆したという話と完全に共通するのだが、注目すべきはその続きである。
     当時、遠く海を渡ったこれらの人々への敬意と感謝を覚えるとともに、異国からの移住者を受け入れ、直ちにその資質に着目し、これを評価する文化をすでに有していた大らかなブラジル国民に対しても、深い敬愛の念を抱いたことでした。   異民族に対しても、その資質に着目し評価する文化を有する、寛容なブラジル国民への深い敬愛の念。
     なぜいまこの時期に、日本国民に対してこういうことを説かれたのか?