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記事 4件
  • 「不謹慎狩りする幼稚な人々」小林よしのりライジング Vol.175

    2016-04-26 22:05  
    153pt
     熊本地震の発生後、 「不謹慎狩り」 と呼ばれる震災パニックの一現象が起こっている。
     とにかく何をやってもバッシングされる、特に人気商売の芸能人はその対象になりやすい。ネットの中で罵詈雑言を吐き散らすのはリスクがないから、いくらでも言える。面と向かっては言えないのだから卑怯なんだが、卑怯は弱虫の特技なんだからどうしようもない。
     以下、報じられているものを列挙しておこう。
    ◆井上晴美 (女優・熊本在住)
     自宅全壊の被害に遭い、自身のブログで現地情報などを発信したところ、ネット上で 「愚痴りたいのはお前だけではない」「可哀想な私アピールがイラつく」 といった批判を受け、 「ただ私が感じてること書いてることがなぜそんな風になるのかよくわかりません残念です」「これで発信やめます これ以上の辛さは今はごめんなさい 必死です」 として、ブログを閉鎖。
    ◆長澤まさみ (女優)
     女優・りょうらと一緒に撮った写真をインスタグラムに掲載、満面の笑顔で本来なら何気ないショットだが、投稿時刻がたまたま地震発生直後だったということだけで 「え?不謹慎すぎ」「ニュース見てますか?」「タイミングが悪い、テレビ見よう」 などとコメント欄に書き込まれ、投稿を削除。
    ◆西内まりや (女優・歌手)
     福岡出身で、被災地を気遣うツイートを頻繁に投稿。その中で、非常持ち出し袋の内容一覧のイラストに自撮り写真を添えて 「頑張ろう。支え合おう。♡」 とコメントしたところ、 「自分に酔ってるだけ」「災害をアピールに使うな」「その自撮りいります?」 などと批判が寄せられ、ツイートを削除。 「今の状況で私が発する言葉、行動によって不快な気持ちにさせてしまっている方々ごめんなさい」 と謝罪。その上で 「私なりに、1人でも多くの方と共有したい。見守ってるよ。という気持ちで更新させてもらっています」 として情報発信は継続。
    ◆市川海老蔵 (歌舞伎俳優)
     地震で電話がつながらない人のために、自身のブログのコメント欄を伝言板として解放。個人の安否連絡や具体的に足りない物資、現在利用可能なバスの運行状況など、2000件以上の伝言が書き込まれ活用されたが、これに対してネットに 「自分のブログの閲覧数をアップさせれば収入になるもんな」「海老蔵は震災伝言詐欺だろ?」 といった非難多数。
     海老蔵は 「ちなみにアクセス数見てるのかしら、日常と変わってないのに」 と、閲覧数がこのことで増加したわけではないと説明し、 「しかも緊急を要していたので、詐欺か…残念です」「まぁそんなもんだよね最近の世の中、涙」 とコメント。
    ◆ダレノガレ明美 (タレント)
     ツイッターを被災者支援情報掲載に活用、必要な支援物資や給水できるポイント、義援金の受付機関など、さまざまな関連情報を拡散したところ、 「ダレノガレの震災関連のリツイートすごいんだけどさ、指で操作するだけじゃなくてなんか行動すればいいのに」 といった批判を受ける。
     ダレノガレは 「熊本に行きたくても、問い合わせをしたところ今は立ち入ることができません!っと言われました。なので記事を載せる事しかできません」 と説明し、 「なにを言われても私は発信していくので!」 と表明。
    ◆紗栄子 (タレント)
     500万2000円(自身が500万円、二人の子供が1000円ずつ)の義援金を寄付、インスタグラムなどに金額入りの振込受付書を掲載したところ、 「いちいち出すな」「好感度上げたいのか」「(前夫の)ダルビッシュ有からむしり取った養育費の一部だろ」 などの非難を受ける。
     紗栄子は 「批判も覚悟の上、実名での振り込み明細を掲載しました」「信念を持っての行動なので、私は何を言われても大丈夫です」 と表明。
    ◆川谷絵音 (「ゲスの極み乙女。」ボーカル)
     長崎県出身で、ツイッターに 「九州にいる家族は無事でした。良かった」 と報告しただけで 「熊本っぽく言うな」「またゲス発言か」 と批判される。
    ◆矢口真里 (タレント)
     ブログで 「熊本の皆さん!! 大変心配です。。。 大丈夫なのでしょうか?  どうかご無事で。。。」 などと書いたところ、 「でしゃばるな」 などの非難を受け、 「不快や偽善に思われた方。申し訳ありません」 と謝罪。その上で 「私は発信することは、ダメなことではないと思うのでこれからも発信し続けていきたいと思っています」 と表明。
    ◆藤原紀香 (女優)
     ブログに 「火の国の神様、どうかどうか もうやめてください。お願いします」 と書いたところ、 「なぜこんな時まで自分に酔ってるのか」「災害まで舞台ですか?」「いちいちカッコつけるな!」「地震は天罰だと言いたいのか」 と非難殺到、当該箇所を削除。
    ◆堀江貴文 (実業家)
     出演予定だったインターネットテレビのバラエティ番組が放送延期になり、ツイッターで 「熊本の地震への支援は粛々とすべきだが、バラエティ番組の放送延期は全く関係無い馬鹿げた行為。人のスケジュールを押さえといて勝手に何も言わずキャンセルするとはね。アホな放送局だ」「おめーらが自粛した所で被災者が助かる訳では無いんだがね」「俺たち地震の被害を受けてないものは出来るだけ普段通りの生活をしながら無理せず被災者支援を行うのが災害時の対応だろう」 と発言し、批判を受ける。
     大地震、大災害の直後や期間中は、人の気持ちが毛羽立つから炎上の危険性が高い。ゴー宣道場のブログでは、地震発生の直後、テレビを見ておらず地震発生を知らなかった笹幸恵さんが 「たんたんめんうめえーーー」 というブログを上げたものだから、わしは危ないんじゃないかと心配したほどである。
     これを教訓にして、次に震災が起こった時にはまず、「不謹慎狩り、来るぞ――!」と警告ブログを上げたらどうだろう?「不謹慎狩り」を狩る「不謹慎狩り狩り」を流行させればいい。「狩り狩り君」(ガリガリ君)とか呼んで流行らす手もある。
     とにかく、何が叩かれるか分かったものじゃないから、熊本出身の歌手・水前寺清子は、いま直ちに現地入りしない理由をテレビで釈明し、被災した友人から 「今じゃないよ来るのは。大丈夫だよっていう時に来て」 と言われているからだと涙ぐんでいたし、テレビ引退を宣言したタレントの岡本夏生は100万円を寄付しながら、ブログでは 「売名上等!!」 と題した上に、現在無収入で老後の貯えもないことまで示唆していたし、どうにも過剰反応としか言いようのないおかしな現象も起こっている。
  • 「熊本地震とヘイトスピーチと読書せぬ人々」小林よしのりライジング Vol.174

    2016-04-19 10:40  
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     東日本大地震では「津波」の度肝をぬく脅威を見せられ、「原発」のメルトダウンという最悪の事態まで目撃させられたが、熊本大地震では本震と思った揺れが前震に過ぎず、さらにデカい本震でダメ押しされて、その後も強い地震が何度も続くという恐ろしさを知ることになった。
     改めて日本は心もとない地盤の上に成立する、危険列島であることを思い知らされた。
     全国に2000もの活断層を抱え、次にどこが被災地になってもおかしくなく、そしてその予測は誰にもできないのが日本である。
     被災地の方々には、心よりお見舞い申し上げる。
     その熊本地震に便乗して、ネットで悪質なデマが飛び交っていると、東京新聞が4月16日付特集「こちら特報部」で書いている。
     地震発生直後から、ツイッターに 「熊本の朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだぞ」 だの 「熊本では朝鮮人の暴動に気をつけてください」 だのといった、関東大震災の時を思わせる書き込みが相次いだというのだ。
     記事は 「災害時にデマはつきものだが、今回のケースは、在日コリアンらを排斥するヘイトスピーチ(差別扇動表現)にほかならない」 と断じている。確かに井戸もないのに「井戸に毒」なんて言っても誰も信じるわけがないから、 これはデマを飛ばすことよりも、差別そのものの方が目的であると見て間違いない。
     だが一体、何を考えてこんな書き込みをするのか、全く感覚がわからない。
      ただただ面白がって、関東大震災の時のマネをしてやろうと悪ふざけして、それで何ひとつ良心が痛まないのだろう。
     常識が一切通じないバカはいる。どうしようもない最低の人間はいるのだと認識しておくしかない。
     最近は、駅の便所がずいぶんきれいになったとスタッフが言う。
     昔は駅の便所に入ると、目を覆うような落書きがされていたものだ。「この女はヤリマン」として実名と電話番号まで書いてあったりするようなひどい有様で、その中に在日や部落差別の落書きもあった。そして部落解放同盟が落書きの主を特定して、糾弾することも行われていた。
     その頃は差別落書きをする場所など公衆便所くらいしかなかったが、ネットの出現で状況が一変した。「ネットの書き込みは便所の落書き」とは、もう聞き飽きるほど言われたことだが、実際にそれはその通りとしか言いようのないところがあるのだ。
      しかも便所の落書きなら見る人もごく限られたのに、ネットではいくらでも拡散させられる。便所の落書きなら消すことができるけれど、ネットでは消すことができない。その悪質さは比較にならない。
     その一方で、もう駅の便所に落書きする必要がなくなったので、きれいになってしまったわけだ。ネットが普及して恩恵を受けた人は、駅の便所の清掃員だけじゃなかろうか?
     こういうネットのバカにはついつい腹を立ててしまうのだが、だからといって批判したところで、こんな連中が反省などするわけがない。
     東京新聞は今回の差別ツイッターを見開き2ページの大特集にしていたが、大きな記事で批判すればするほど、連中は自分のやったことが注目されていると思って図に乗るだけで、かえって逆効果である。バカにつける薬はないから、どうにも対処のしようがないのだ。
  • 「武士の個人主義で付き合った堀辺正史氏」小林よしのりライジング Vol.173

    2016-04-12 21:25  
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     第54回ゴー宣道場が 『追悼 堀辺正史 武士道と現代日本』 と題して4月10日に行われた。
     ゴー宣道場を一緒に立ち上げた骨法の堀辺正史創始師範は、昨年12月26日に亡くなった。亡くなる前日は、雑誌の取材を受けてしっかり話をするなど全く普段通りの生活を送り、特に調子が悪い様子もなく就寝し、そのまま眠るように亡くなっていたという。
     東中野の骨法道場で第1回ゴー宣道場が開催されたのは、平成22年4月11日。それからまる6年となる道場が、堀辺氏を偲ぶ場となった。
     ただし追悼と銘打っているとはいえ、決してしんみりと故人を偲ぶことには終始せず、あくまでも公論に結びつけつつ、我々が堀辺氏から何を学んだのかを語っていくようにした。
     わしは堀辺氏の死を知った時、大変驚きはしたが、涙は出てこなかった。
     堀辺氏の奥さんや骨法の門弟たちの悲しみは想像に余りあるし、わし自身堀辺氏とは長年親交があり、その人柄も好きで、男と長電話するのは堀辺氏だけだった。
     わしが単行本を出すたびに、堀辺氏から電話があって、感想を語ってくれた。長電話するのは女とだけだと思っていたので、男と恋人同士みたいに長電話すること自体が自分でも不思議だった。
     なのに、堀辺氏の死を知ったとき、「惜しい。残念」と感じたものの、なぜか泣くことができなかった。
     その時に思い浮かんだのは、堀辺氏が語っていた 「武士の個人主義、足軽の集団主義」 という言葉だった。
     人にはそれぞれ関係性がある。そして、 わしと堀辺氏との関係性は完全に 「武士の個人主義」 で成立していたのだった。
     例えばわしは堀辺氏について、格闘技界における勢力争いやら裏切りやらといった、ドロドロした経験を散々してこられたということは仄聞していたが、そういうことには立ち入らなかったし、堀辺氏もわしの個人的なことまで、あえて触れようとはしなかった。
     恋人同士のように長電話していたのだから、相手の人生に踏み込むことも可能だっただろうが、それは「私的」な領分まで情を沸かせることになり、お互いにそれは望まなかった。 喪失感を感じたときに泣くのだろうから、そこまでの情愛は共に生きる「物語」を共有していなければならない。
     だがわしと堀辺氏は、あくまでも「ゴー宣道場」における「公論」をつくるという構えの中でだけ関わっていたのである。
     わしは最近、NHK朝ドラの『あさが来た』でも『とと姉ちゃん』でも、キャラクターが死ぬとすぐ涙がボロボロ出てきてしまい、ホントに歳をとったと思ってしまう。
     ところが不思議なことに、堀辺氏の死には涙が出ない。それどころか、わしは父が死んだ時も、母が死んだ時も全然泣けなかったのだ。
     ドラマを見ている時は、登場人物が紡ぐ「物語」に没入してしまい、個人主義などなくなっている。油断して「私的」な情愛を沸かせているから、こんないい人が死んでしまうのかと泣いてしまうのだ。
    「五代さまロス」とか「新次郎ロス」とか「あさロス」とか言われたが、それはあくまでもドラマの中の「役」に対する私情なのだ。
     ドラマで泣くくせに、実在の自分の両親の死で泣かないのは非情ではないかと思うかもしれないが、もうわしの家族のドラマは「最終回」を終えていたからである。喪失感がないから「父ロス」にも「母ロス」にもならない。
     両親は福岡に住み、わしは東京に住んで、年に1度か2度しか会うこともなく、もう「小林家」のドラマはずっと前に終わっていたのだ。これが、わしが自立する前で、まだ家族のドラマが続いていたら、もしかしたら泣いたかもしれない。
     むしろ「堀辺ロス」の方がわしには重要で、『大東亜論』の感想を緻密に言ってくれる目利きを失ったのが一番痛い。
     もう一つ言うと、ドラマの『とと姉ちゃん』では、父親が死んだ時に長女だけが涙を見せず、妹たちから非情じゃないかと責められる場面があった。
  • 「カネで魂を売る資本主義は無謬ではない」小林よしのりライジング Vol.172

    2016-04-05 21:55  
    153pt

     わしは以前『おぼっちゃまくん』で、下唇に輪っかをはめた「マチャイ族の酋長」というのを描いたことがある。
     
     70年代くらいまではこういう、近代人には奇異に映る原住民の姿や風習などをよくテレビでやっていて、その記憶から普通にパロディ化して描いたのだが、今だったら編集者に止められるアイディアだろうか?
     いつの間にかこういう風習をメディアで目にすることはなくなっていたが、朝日新聞3月22日の記事「世界発2016」で、昔ながらの下唇に輪っかをはめた姿の女性の写真が載っているのを目にして、今でもこういう部族がいるのかと驚いてしまった。これはアフリカの「最後の秘境」と呼ばれる、エチオピア南部のオモ川流域に住む「ムルシ民族」の女性だという。
     だが記事によれば、最後まで伝統的な暮らしを守ってきたこの地域にも、変化の波が押し寄せているらしい。
      1990年代にこの地域を訪れた外国人観光客は年間数千人だったが、2000年代に周辺の道路が整備されると激増、現在は年に数十万人が訪れているという。
    「観光地」と化した「最後の秘境」では、着飾った少女たちが外国人観光客を囲んで写真を撮るように催促し、引き換えにお金を要求するようになったという。
     たぶん最初は観光客がチップの感覚で金を渡したのだろう。だが、それで写真を撮らせたら金がもらえるんだと思った少女たちは、自分から進んで観光客に写真を撮れ、金をくれと言うようになってしまったわけだ。
      ムルシ族では人に金や物をねだることは特に卑しい行為とされ、長老がたしなめる光景も見られるそうだが、もう後戻りはできないだろう。
      こうなったら伝統は崩壊である。
     ムルシ族の長老は 「ここの生活は牛が中心。お金を持つと、若者は牛を捨てて集落を出て行ってしまう。お金は恐ろしい」 と嘆いているという。
      その国ごと、その民族ごとの中に、伝統として受け継がれてきた平衡感覚というものがあるのだが、それがお金によって崩されていく。
      お金によって、伝統が破壊されてしまうのだ。
     エチオピアは2014年の実質GDP成長率が10.3%で、世界でもトップクラスの高度経済成長の最中にある。だが、本当にそれがいいことなのだろうか?
     お金を持った若者は牛を捨て、街に出ていく。しかし、お金を使い果たしてしまったら、もう街で働くしかなくなってしまう。それでいい職があるはずもなく、結局は街の最下層に入らざるをえなくなる。その一方で、故郷の村は滅びていくのだ。
     果たして、それが幸福だろうか?
     話が飛ぶようだが、同じ3月22日の朝日新聞には、「ハリウッド映画“中国色”濃く」と題する記事が載っていた。
     火星にたった一人残された男のサバイバルを描いたリドリー・スコット監督のSF大作『オデッセイ』は、中国が主人公を救出する重要な役割を果たすという話になっている。
     こういう傾向はここ数年続いていて、『ゼロ・グラビティ』でも中国製の宇宙船のおかげで主人公が生還できたことになっていたし、『トランスフォーマー/ロストエイジ』『X-MEN:フューチャー&パースト』など、舞台に中国が登場したり、中国人キャストを起用したりする作品は増えている。 ハリウッドが、どんどん中国に媚を売っているのだ。
      これらの映画は作品として見ても、何かというと重要な場面で中国が出てくることに、ものすごい違和感がある。
     それは別にわしだけの感覚ではない。朝日新聞の記事中でも、映画評論家の秋本鉄次氏が『オデッセイ』について、 「『70億人が彼の帰りを待っている』というキャッチフレーズなのに、米国以外は中国ばかり。まるで米中共同救出作戦のようで、違和感を覚えた」 と語っている。
     結局、ハリウッドは金で魂を売っているのだ。
      中国の巨大市場で金儲けするためには、作品の不自然さに目をつぶってでも中国に媚を売っておかないとならない。こうして、金に目がくらんで作品の魂が崩れていくのだ。
     最も原始的なアフリカの原住民族と、最も最先端のハリウッド映画。
     一見、全く無関係のようだが、この両者で同じことが起きている。
     どちらも、金で魂を売っているのである。
      金が、人間の幸福感や、作品の完成度といった、根本的な価値を次から次に壊している。
     これで、本当に資本主義がいいものだなどと言うことができるのだろうか?
     さて、さらに話が飛ぶように思うかもしれないが、同じく3月22日の産経新聞には、1面トップで「パチンコで浪費 国“黙認”」と題する記事が載っていた。