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記事 8件
  • 「民主制より大きな問題を語るべきか?」小林よしのりライジング Vol.266

    2018-04-17 17:15  
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      森友疑惑なんて小さなことばかり、いつまで国会で問題にしているんだ。もっと論じるべき、大きな問題があるだろう。
     …主に右派の(しかも安倍信者の)知識人たちが、こんなお決まりの物言いを偉そうにやっている。
     
     櫻井よしこは「週刊ダイヤモンド」3月31日号で 「森友文書だけが日本の問題ではない 国の安全への責務を政治家は自覚すべきだ」 と題するコラムを書いている。
     ここで櫻井は、 「急展開する国際情勢を見れば、国会が同問題だけにかまけていてよいはずはない。国会は日本の命運を左右する大きな国際情勢問題に急ぎ取り組むべきだ 」 とした上で、北朝鮮問題に関して 「日本国の安全を確固たるものにする責務を政治家は自覚すべきだろう」 と主張する。
     櫻井よしこがそういうのはわかる。安倍政権を守るためだったら詭弁はおろかフェイクだって言うのだから。
     しかしこれとそっくりなことを、西部邁の弟子筋である佐伯啓思(京大名誉教授)が、よりによって朝日新聞(4月6日付)に書いたのには驚き、呆れ果てた。
     佐伯は、国会やメディアにおける森友問題への追及を 「事実も想像力も、また様々な政治的思惑も推測もごちゃまぜになったマス・センティメント(大衆的情緒)」 でしかないと決めつけたうえで、 「その時その時の不安定なイメージや情緒によって政治が右に左に揺れ動くのが大衆民主政治というものだ」 と冷笑して切り捨て、こう嘆くのだ。
    私がもっとも残念に思うのは、今日、国会で論じるべき重要テーマはいくらでもあるのに、そのことからわれわれの目がそらされてしまうことなのである。トランプ氏の保護主義への対応、アベノミクスの成果(黒田東彦日銀総裁による超金融緩和の継続、財政拡張路線など)、朝鮮半島をめぐる問題、米朝首脳会談と日本の立場、TPP等々。   もっと論じるべき大きな問題があるのに、森友疑惑のような小さな問題をいつまでもやっている場合ではないなどという言い草は、正しいのか?
      櫻井や佐伯は、天下国家の「大文字」の問題さえ議論しておけば、その足元で民主制が崩壊していてもかまわないと言っているようなものだ。
     なぜなら、森友問題は権力者が「妻」や「お友達」のために国有財産をタダ同然で渡そうとして、それをごまかすために公文書の改ざんまで起こしてしまったという、民主制の根幹に関わる問題だからだ。
     さらに言えば、 天下国家の「大文字」の問題があるから国内の「小文字」の問題にこだわるなというのは、「日本は、中国になれ」と言うのに等しい。
      中国では、国内問題は「小文字」の問題として放置されている。民主制もなく、権力さえ握れば利益誘導も縁故主義もやり放題。憲法には美しい理念が書かれているが、何一つ守られていない。
     しかし国外に対する「大文字」の問題では、中国はアメリカやロシアとも対等に渡り合える「世界の超大国」として振る舞っており、そのための戦略は徹底的に考え、実行している。
     足元の国内問題がガタガタになっているのにもかまわず、「天下国家」のことだけ考え、強国の体裁だけを保っているのが中国だ。 国家は国民のことを顧みず、国民も国家を一切信用していない。櫻井や佐伯は、そんな国がいいのか? 日本をそんな国にしたいのか!?
     そしてさらに、問わなければならないことがある。
      そもそも日本には「大文字」の政治課題を語れる資格などあるのか?
     例えば北朝鮮の問題について、日本の国会で何をどう論じられるというのか。
     もし米朝会談が実現したとしても、アメリカは自国のことしか考えていないのだから、テーマに乗せるのは北朝鮮に、アメリカ本土まで到達できる核搭載ICBM(大陸間弾道ミサイル)を放棄させることだけだ。
     もちろん、日本の拉致問題だの、日本を標的にした短距離核ミサイルだのの問題なんか、アメリカの眼中には一切あるわけがない。
     そんな状況で「森友問題なんかより北朝鮮」と主張する櫻井よしこは、具体的には何をするべきだと言っているのか?
  • 「一般常識を敵にする安倍信者」小林よしのりライジング Vol.265

    2018-04-11 11:30  
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     世の中には、一般の常識・良識とは真っ逆さまの理屈を「常識」「良識」だと、大真面目に主張する人たちがいる。
     一般人から見ると「頭がおかしい」としか思えないが、その人たちは自分に都合の悪いことは一切見ようとせず、一般社会の方がおかしいと思っている。
     世の大多数から批判されると、迫害されたと被害妄想を抱き、同じ理屈を共有する者だけで結束を固めて閉ざしていく。時には存在しない「敵」を想定し、それを攻撃することで自己を正当化する。
     そうして主張はどんどん先鋭化し、より一層、一般常識から乖離していく。
     読売新聞社の全国世論調査では、佐川前国税庁長官の国会における証言に75%が「納得できない」と回答している。
     安倍昭恵を国会に呼んで説明を求めるべきだとの意見は60%で、「そうは思わない」の36%を大きく上回っている。
      国有地の8億円値引き、そして公文書の改ざんという前代未聞の不祥事を官僚が勝手にやるわけがなく、もし官僚が忖度して勝手にやったとしても、安倍昭恵の存在なしにこんなことが起きたはずがないというのは、ごく真っ当な一般庶民の常識的感覚だ。
     ところが、無条件に安倍昭恵が「潔白」だと信じ、その証人喚問を求めることは 「人権侵害」 だと主張する、「頭がおかしい」としか思えない人がいる。
     産経新聞の「エース記者」、 阿比留瑠比 だ。
     しかも産経にはこれに賛成する読者がいるようで、阿比留は4月5日の産経新聞コラム「極言御免」で、そんな読者の声を紹介している。
    「昭恵さんの証人喚問が実現すれば日本の社会に大混乱をもたらすだろう。知らぬ間に隣人や知人に犯罪容疑者にされる恐怖が社会全体に疑心暗鬼を生むからです」
     昭恵は「知らぬ間に」疑われたわけじゃないでしょう! 怪しすぎる状況証拠が山積みでしょうよ!!
     安倍昭恵を証人喚問したら、社会全体が恐怖に覆われ、日本社会が大混乱に陥る!? どこのノストラダムスだ!?
    「知らぬ間に犯罪容疑者になる恐怖」だったら「共謀罪」の方が百万倍大きいと思うが、この人は共謀罪に反対したのだろうか?
     阿比留はさらにこんな読者の意見も紹介する。
    「臆測で『裁判』にかけられるようになったら自由に意見も言えなくなる。何とかまっとうな世の中になってほしい」
     あまりの無知に、唖然とする。
      国会の証人喚問は「裁判」ではない!
     時には「公開裁判」のように見られることもあるが、これはあくまでも議院証言法に定められた、国政調査のための証言を求める制度である。証人は「被告」として扱われているわけじゃないし、そこで裁きを受けることもない。
      安倍は「真相究明に全力を挙げる」と言っているのだから、それならば真相究明のために安倍昭恵の証言は必要不可欠だと思うのは、全くの常識である。
     ところがこの読者は、昭恵の証人喚問を求めたら「自由に意見も言えなくなる」、「まっとう」ではない世の中になるという。
     そして阿比留はこれに全面的に賛同し、こう書くのだ。
      日本社会の現状に深い閉塞感を覚え、今後の日本のあり方についても憂慮しているのが伝わってくる。現代の魔女狩りに、おぞけをふるう人は少なくない。
     証人喚問は裁きの場でもリンチの場でもなく、国政調査のための証言の場でしかない。本当に潔白なら、堂々と出てきて潔白だと言えばいいだけのことだ。それに「深い閉塞感を覚え」、「現代の魔女狩り」呼ばわりして「おぞけをふるう」とまで非難する意味が全くわからない。
      ひょっとしたら、阿比留も産経読者も実は内心、昭恵が「真っ黒」だと思っていて、証人喚問に出したらオシマイだと予感しているから、こうもヒステリックになっているのではないか?
     続けて阿比留は、野党やメディアが昭恵の証人喚問を求めることをこう非難する。
  • 「朝日新聞を憎み過ぎるエセ保守は韓国に似ている」小林よしのりライジング Vol.261

    2018-03-06 21:50  
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     自称保守論壇誌「月刊Hanada」の朝日新聞バッシングが、トンデモない状態になっている。
     朝日新聞社は昨年末、安倍政権の太鼓持ち・小川榮太郎が書いた、「モリカケ疑惑」はすべて朝日新聞のでっち上げだと主張するフェイク本 「徹底検証『森友・加計事件』 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」 が名誉棄損に当たるとして、小川と出版元を相手取り、5000万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求める訴訟を起こした。
      実はその出版元が「月刊Hanada」を出している飛鳥新社で、同誌の編集長・花田紀凱自身が本の刊行にも深く携わっているのだ。
     そりゃ負けたら死活問題になるから、必死のキャンペーンも張るだろう。
     先月号では 「総力大特集 朝日新聞の提訴と断固、戦います!」 と題し、今月号では 「総力大特集 赤っ恥、朝日新聞!」 と題して誌面を組んでいる。
     そしてこれを産経新聞の全面広告で大々的に宣伝し、 「朝日新聞と徹底闘争宣言!」 などと謳っているのだ。
      
     わしは裁判に訴えたことも訴えられたこともあるが、その経験から、裁判というものは勝っても負けても、ものすごい費用と労力が必要になるということが身にしみてわかった。
     もちろん裁判で争うことになれば、一個人よりも、資金・人員ともにはるかに体力のある大企業や政治家・政党などの方が圧倒的に有利になる。そのため、大企業や政治家などが個人を名誉棄損で訴えたりすると、それだけで大きな圧力となり、個人の活動を封じ込めることができる。
      そのような、社会的に優位な立場の者が相対的弱者を相手取って訴訟を起こし、それによって恫喝や報復の効果を与えることを「スラップ訴訟」(SLAPP=Strategic Lawsuit Against Public Participation)という。
     Hanadaは 「これはスラップ訴訟だ!」 と主張、小川も 「これは『言論の自由』に対する禁じ手、訴訟自体が業務妨害、圧力だ」 と朝日を非難している。
     確かにスラップ訴訟によって言論が萎縮させられるようなことはあってはならないし、言論には言論で戦い、訴訟には持ち込まないというのが原則であるべきだ。
      実は朝日新聞社もその原則はわきまえていて、これまでどんなデタラメな批判を浴びても、抗議はするものの、実際に裁判に訴えることはほとんどなく、業界内では「弱腰」とまで言われていたらしい。
      一方、逆にスラップ訴訟を何度も起こしているのが読売新聞社だ。
     読売新聞社は、新聞販売店に実際の購読数よりも多くの新聞を押しつけ、その部数の分の金額を請求するという法外な手法で販売部数を水増ししていた 「押し紙」問題を取り上げたジャーナリストを名誉棄損で訴えるなど、自社に都合の悪い記事を書く個人を標的にした訴訟を連発してきた。
     読売側はそのほとんどに敗訴しているのだが、裁判の勝敗など関係なく、裁判を起こすこと自体で相手に負担をかけることができるわけで、これは典型的なスラップ訴訟であり、言論弾圧訴訟である。
     それに比べれば朝日新聞社ははるかに良識的と言ってよく、今回の提訴は朝日としては極めて異例の事態なのだ。
  • 「天皇陛下に公然と叛逆する国賊たち」小林よしのりライジング Vol.188

    2016-08-16 20:15  
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     多くの人が感じたとおり、8月8日に発表された天皇陛下のビデオメッセージは、昭和20年の敗戦時に続く2度目の「玉音放送」というべきものだった。
     天皇陛下が生前退位=譲位を望んでおられることは、もう疑いの余地がない。
      何よりも驚いたのは、陛下が「摂政」の設置に否定的であるというところにまで踏み込まれたことだった。
     先月「生前退位」に関する第一報が流れた後、皇室典範改正に反対する「Y染色体保守派」から 「退位はさせず、摂政を置くべき」 という意見が続出したことを陛下は明らかに知っておられ、それを自らのお言葉で否定されたのである。
     現在、政府は 「一代限りの特別立法」 で対処しようとしているが、それも陛下のご意思に反していることは、このお言葉で明らかである。
    これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。 「一代限りの特別立法」 では、 「皇室がどのような時にも国民と共にあり」「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていく」 ことにはならない。 陛下は間違いなく恒久法である皇室典範の改正を望んでおられるのだ。
     その上で陛下は締めくくりに、 「国民の理解を得られることを、切に願っています」 とおっしゃっている。 畏れ多いことに、天皇陛下が国民にお願いされているのである!
      ここまで言われれば、国民は「承詔必謹」で陛下のご意向に従うのみであろう。
     71年前の玉音放送ではほとんどの国民が粛然として敗戦を受け入れ、陛下のご意思に反しても抗戦を続けようとした者はごくわずかだった。
      ところが今回2度目の「玉音放送」では、徹底して陛下のご意思を無視しようとする者が続出している。
     しかもその多くが「保守」を自称し、自分には「尊皇心」があるという風を装っているのだから、71年間の日本人の堕落もここに極まれりである。
      天皇陛下の「切なる願い」に逆らおうというのだから、これは「国賊」以外の何物でもない。
     そこで今回は、平成28年8月8日の玉音を拝してもなお反逆を続けた「国賊」を列挙し、歴史の記録としたい。
     自称保守・似非尊皇派の牙城、産経新聞の1面コラム 「産経抄」 は、先月第一報が駆け巡った際には 「たとえ公務がかなわなくなっても、天皇陛下のままでいていただきたい」 と、譲位に反対していた。
     だが陛下のビデオメッセージの翌日、8月9日の紙面では 「大いに反省した。なんとも、甘ったるいことを書いたものだ」 と書き、結論でもこう述べている。
    皇室典範に規定がない「生前退位」の実現までには、課題が山積している。陛下はそれを十分承知の上で、心情を打ち明けられた。日本と皇室の未来のために知恵を絞ろう。国民はこれまで両陛下に甘えすぎていた。  珍しいこともあるものだ、産経もついに改心したか? なんて思ったら甘い。
     ページをめくり、2面に載っている社説を見ると、最初こそ天皇陛下を賛美して「国民は感謝と敬意を新たにしたい」などと言っているが、後半に入ると 「皇位継承の根幹に関わるだけに、退位を認める皇室典範改正には慎重な意見がある」 と言い出し、結局は 「恒久法の改正ではなく、今上陛下の一代に限り、可能にする考え方もある」 と主張するのだ!
     そればかりか「摂政」についても、 「重病など極めて限られたときに置かれる摂政の運用を緩和することなども考えられる」 として、なおも摂政を選択肢に入れるのだ!!
     いくら慇懃に天皇を敬愛しているふりをしても、産経新聞は陛下のご意思を尊重するつもりなど一切ないのである。
     そして産経社説は、こう主張して締めくくっている。
    旧宮家の復帰など、皇統を厚くする方策についても考えなくてはならない。  …もう、脱力する以外にない。
      何万回指摘しても、産経は 「旧宮家の復帰」 という間違った言葉を使い続けている。
     旧宮家の男性は生きていれば年齢的には90歳にもなる。「旧宮家系で一般国民になった男性」という場合は、「旧宮家系国民男子」と表記するしかないではないか。
     しかも、百万歩譲って用語の問題は措いたとしても、 現実問題として「復帰」する「旧宮家」の人間など、この世に1人もいないのだ!
     このことだって、何万回指摘したかわからないのに、産経は今なおこの世に存在しない人物を皇統存続の切り札と固く信じて、一切疑わない。宇宙人は地球に来ていると言い張るアホとまったく一緒である。
     同紙の3面には 櫻井よしこ が見解を述べているが、これも社説と全く同じ構造になっている。
  • 「スティグリッツとショーンKと小林よしのりの違い」小林よしのりライジング号外

    2016-03-19 16:50  
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    ゴーマニズム宣言 「スティグリッツ(ノーベル経済学賞)とショーンK(経歴詐称ホラッチョ)と小林よしのり(漫画家)の違い」  ノーベル経済学賞のスティグリッツは、グローバリズムの中ではトリクルダウンはないと言っていた学者だ。
     十数年前にこの人の著作で学んだからこそ、わしは小泉政権時代から一貫して、構造改革、新自由主義路線を批判してきた。
     そのスティグリッツがアベノミクスを評価した時には大きな違和感を覚えた。
     異次元の金融緩和で株価が上がり、為替差益で大企業の収益が伸びるのを見て、誤魔化されたのだろう。
     わしは権威に誤魔化されないから、理論的におかしいと思えば、例えスティグリッツが評価したって、ブレることはない。
      グローバリズムの中でトリクルダウンはないのは絶対だから、一般庶民には全然関係のない経済政策がアベノミクスなのだ。
     そもそも小泉政権下で竹中平蔵が 「供給不足」 と言ってた時から、わしはそうではない、 「需要不足」 だという確信を持っていた。
     その原因は、
    ①耐久消費財の必要性が限界に達している、
    ②少子化・人口減で国内市場が縮小している、
    ③将来不安で個人消費が伸びない、
    という3点である。
     スティグリッツは現在、安倍政権の「消費増税延期」のための権威づけで利用されているが、16日の首相官邸の会合では 世界経済の低迷の理由を「需要不足」と分析したらしい。
     まさにそれが正しい。
     そして 「財政出動で需要を創出するべき」 とも言ったらしいが、問題は需要創出のための公共投資の内容だ。
     公共投資と言えば、道路や橋の建設ばかりではない。
     ましてや東北に海の見えない防潮堤を作ることなどは完全に無駄づかいだ。
     地震対策は必要だし、老朽化した道路や橋やトンネルの修復など、国土強靭化には反対しないが、むしろ人手不足の状態に陥っているし、公共投資と言えばどうしても無駄なハコモノにカネを使ってしまうのが虚しいのだ。
      これはスティグリッツも言っていたが、待機児童のための保育所の増設や、保育士の増員、奨学金の無償化だって、「将来不安を減らすための公共投資」になるのだ。
     さらに少子化対策になるから、将来の個人消費の増大、GDPの増加に繋がる。
      これはボトムアップ型の経済対策で、加藤紘一氏が言っていた「学校区」に予算をつけて共同体の再生を目指すのも、少子化対策になるだろう。
  • 「夫婦別姓訴訟:家名フェティシズム」小林よしのりライジング Vol.160

    2015-12-22 19:10  
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     12月16日、最高裁は民法の「夫婦同姓」の規定は合憲であるという判決を下した。
     この裁判は東京都内の事実婚の夫婦ら5人が「個人の尊厳や両性の平等を保障した憲法に違反している」として提訴していたもので、原告団長の80歳の元高校教師、塚本協子氏は判決に対して悔しさを満面ににじませた表情で
    「判決を聞いたとたん、涙があふれた」
    「違憲判決が当たり前だと思っていた。これで、『塚本協子』で死ぬこともできなくなった」
    と語った。
     しかし、合憲判決が出るのは当然のことで、民法の規定は夫婦が同一の姓にするよう定めているだけで、 男女どちらの姓にしてもいい。制度上は男女平等の規定なのである。
     原告は、実際にはほとんど女性が改姓していると主張したが、それは両者の合意の結果であり、民法の規定のせいではない。
      社会における男女間格差のせいで、女性の方が改姓を強いられているというのであれば、その社会の不平等を正さなければ意味がなく、これまた民法の規定の問題ではない。
     そもそも、この原告団長がなぜそこまで「塚本」の姓にこだわっているのか、わしには一切理解できないのだ。
     塚本協子氏は塚本家の次女として生まれたが、生後2カ月で父親が死亡。
     母親には再婚話もあったが、亡父が長男だったため、その娘に塚本家を継がせなければならないと祖父母が猛反対して実現しなかった。
     塚本家に残った母は、二人の娘のみならず11人の大家族を支えなければならなかったが、仕事で夜遅く帰ると食事も残されておらず、塚本氏は子供心にも「嫁、女のみじめさが分かった」という。
     10歳の時に姉も死亡、塚本家の長男の子は協子氏のみとなり、家を継ぐために祖父母から勝手に決められた婚約者と結婚させられそうになるが、母親に大学進学を許され、逃れる。
     塚本氏は大学で恋愛、25歳で結婚。舅は「嫁取り」で夫の姓にさせようとしたが、 事実婚で「塚本」の姓を通した。
     その後3人の子供をもうけるが、その度に婚姻届と離婚届を繰り返し提出し、 子供は全員夫の姓、家では自分だけが「塚本」である。
     こうして塚本氏は「日本の家父長制に疑問を抱き」「両性の本質的平等」を目指して夫婦別姓を求める運動を続けてきたという。
     …もう、どこから突っ込めばいいのやら、途方に暮れてしまう。
      その「塚本」の家名こそが、「日本の家父長制」に基づいて自分の母親をさんざん苦しめたんじゃないの?
      母親は結婚前は別の姓だったはずなのに、なぜ父親の「塚本」にだけこだわるの??
      自分も「塚本」の姓を継ぐための結婚が嫌で逃げたはずなのに、なぜ結婚したら何が何でも「塚本」じゃなきゃいけないの???
      男の姓にするのが苦しくてたまらないと涙まで流すくらいなら、結婚なんかしなければよかったんじゃないの????
      夫に対する愛情よりも、「塚本」の姓に対する愛情の方がそんなに強いのか?????
      そうまでして「塚本」の姓が大事だったら、「塚本」という男を探して恋愛すればよかったのに、なぜ別の姓の男を選んだんだ??????
      そもそも、家の中で自分だけ別姓であり、「塚本」で死んで「塚本」の墓に入りたいというのは、シナ父系血統主義の感覚であって、これって「男尊女卑」そのものなんですけど???????
  • 「保守がいない保守バブル」小林よしのりライジング Vol.105

    2014-10-21 21:40  
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     いつからか政界も言論空間も「保守」が大ブームで、誰も彼もが「保守」を名乗っている。
     わしは既に10年前の2004年9月発売の「わしズム」で「 最近の保守論壇はバブルなのだ 」「 ステレオタイプの言説のたらい回しは強がりオヤジと保守オタクの癒しにしかならない 」と批判しているから、この「保守バブル」はもう10年以上も続いていることになる。
     わしは2001年9・11の同時多発テロを機にいわゆる保守論壇とは手を切り、親米・従米の保守言論人を「 ポチ保守 」と批判したが、その後も、資本の暴走を規制しないグローバリズムの信奉者や、科学力が自然に勝てると盲信する近代合理主義の原発推進派や、挙句の果てには排外主義や人種差別を公然と唱える極右運動集団までが「保守」を自称するようになってしまった。
     中には「靖国神社参拝が保守の条件」などと言い出す者までいるが、そんな定義が成り立つのなら、確かにどんなレイシストだろうと、グローバリズムに日本を売り渡そうとする者だろうと、どんな者でも靖国参拝さえすれば「保守」になれることになってしまうが、そんな馬鹿げた話はない。
     ともかく、 こんな「自称保守」ばかりが蔓延している世の中だから、わしはあえて「わしこそが保守」という立場を演じるしかないのである。
     ちょうどそんな時に、テレビ朝日のワイドショー「モーニングバード」のコーナー「そもそも総研たまペディア」から「 そもそも保守って何を保ち何を守るんですか? 」というテーマで取材を受けた。
     番組は10月16日に放送されたが、なかなかよく出来ていたので、今回はその内容を紹介しつつ「保守とは何か」を考えてみたい。
     政治の世界では戦後、ずっと「 保守 」と「 革新 」の対立と言われてきた。
     最近では「革新」はすっかり影が薄くなって「死語」に近い観さえあるが、それはともかく、「保守」とは何を保守し、「革新」とは何を革新しようとしているのだろうか?
     憲法に対する態度を見ると、「保守」「革新」の定義の混乱ぶりが端的に表れてくる。自民党は憲法を変える、つまり「革新」を目指しているはずなのに、「保守」を自称している。
     一方で旧社会党、現在の社民党などは憲法を守る、つまり「保守」を唱えているはずなのに、「革新」を自称してきたのである。
     東京大学名誉教授の御厨貴氏は、「 少なくとも日本に関して言えば、保守に明確な定義はありません 」と言い切った。
     例えば アメリカの保守は、「 建国の時点のことを守る 」 ということが基本である。アメリカの保守派が銃規制に反対するのも、建国当時に市民が銃を持ち戦った精神に基づいている。
      イギリスの場合は、王に対して貴族階級が反乱を起こし、近代議会政治を始めた時点のことを守るのが基本。 政治は貴族階級が行なうものであり、貴族の利益を一番反映すること、すなわち「 階級社会を守る 」ということがイギリスの保守である。
     つまり、保守とは歴史上のある時点の体制を守るということなのだ。それでは 日本ではいつの時点の体制を守るのが「保守」なのだろうか?
     御厨氏はそれを、「 戦後の占領体制から受益者として登場してきた人たちの利益 」だと言った。
     要するに アメリカとは仲良くして、安全保障をアメリカに任せて、経済中心でやっていくという人たちが、戦後日本では「保守」と呼ばれたのだ。
     そのために 戦後日本では日米安保体制を守ることが「保守政治」と言われ、吉田茂や池田勇人を源流とする政治集団が「保守本流」と言われてきたのである。
     つまり、わしが「 親米ポチ 」と批判する者たちは、この定義によって「保守」を自称しているわけだ。それにしても「敗戦受益者の利益を守るのが保守」とは、あまりにも情けない定義ではないか。
     ところで、番組では安倍晋三の言う「 戦後レジームからの脱却 」とは戦後体制の「革新」という意味であるから、これは保守ではないのではないかという疑問が出ていた。
      だが、安倍晋三の「戦後レジームからの脱却」などは完全に言葉だけであって、有名無実とはこのことである。
      安倍がやっていることはアメリカ依存で経済中心という戦後レジームそのものだから、実際にはこれこそがまさに「戦後保守」なのである。
     しかも、集団的自衛権行使容認によってどこまでもアメリカの戦争の手助けをするようにまでしてしまうというのは、「 戦後レジームの強化・完成 」と言っていいほどの行為ではないか。
     番組ではもう一人、新右翼・一水会最高顧問の鈴木邦男氏にインタビューして、「右翼」と「保守」の関係について聞いていた。
  • 「ポジショントークに堕す論壇ムラの裏事情」小林よしのりライジング Vol.68

    2014-01-07 16:50  
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    「論壇ムラの『個』のない事情」 「 ポジショントーク 」は、なかなか便利な言葉である。
     国権を強くしたいと考える右派も、民権を強くしたいと考える左派も、双方の論壇ムラの「ポジション」に立つと、そのムラの世間に同調して、まったく同じ定型の主張しかしなくなってしまう。
    「個」が消滅して、「集」に融合してしまうのだ。
    「ポジショントーク」は、その現象を一言で表している言葉である。
     かつて「わしズム」や「ゴー宣道場」において一時は期待した言論人が、自称保守論壇ムラに入るや、たちまち紋切り型のポジショントークしかできなくなってしまうという惨状を、わしは何度も見てきた。
     なぜそんなことになってしまうのか、今回はその構造を解き明かしてみたい。
     世間一般的には馴染みもなければ、価値も権威も認められていないが、「正論大賞」というものがある。フジサンケイグループ主催の言論賞で、同グループの基本理念ということになっている「自由と民主主義のために闘う正論路線」において「特筆すべき言論活動を行ったオピニオンリーダー」に贈られるという賞である。
     要するに「正論路線」(正確には「自称・正論路線」と言うべきだが)なる「 産経新聞 」の論調に合わせた主張でなければ受賞できないということが、最初から決まっている賞なのだ。
      その「正論路線」とは具体的には、外交は「反韓・反中・親米」。
      経済はとにかく「経済界の主張の後押し」。当然ながら「原発は推進」、「TPP賛成」。
      国権の強化が好きで、「特定秘密保護法は賛成」、「集団的自衛権行使は賛成」となる。
      そして皇統は男系絶対ということに決まっている。
     本当に「自由と民主主義のために闘う」というのなら、自由経済から完全に外れている原発を推進しているのはおかしいし、民主主義の根幹に関わる特定秘密保護法には反対しなければ筋が通らないはずだが、彼らはそんなことはいちいち考えない。
    「脱原発」は左翼、「女系公認・直系優先」は左翼、「反米」は左翼、「護憲」は左翼という風に決められている。
     彼らの憲法観はかなり異様で、憲法改正すれば、戦後レジームから脱却したことになり、日本は誇り高く美しい国になると信じているのである。
     断言しておくが、憲法は魔法の呪文ではない。左翼が、現行憲法が戦後の平和を守ったと言い張るのと同じくらい、改正憲法が将来の日本をバラ色にするということもないのだ。
     兎にも角にもムラのお決まりの主張を唱える様子が目立って、産経新聞のお眼鏡にかなえば晴れて正論大賞受賞というわけだ。
     正論大賞の第1回は昭和60年(1985)で、受賞者は渡部昇一。以下、主な受賞者を並べると、曽野綾子、竹村健一、堺屋太一、西部邁、上坂冬子、西尾幹二、岡崎久彦、田久保忠衛、江藤淳、石原慎太郎、小堀桂一郎、屋山太郎、中西輝政、森本敏、藤岡信勝、櫻井よしこ…
    「反米」の主張がある西部や江藤が受賞しているのは、2001年の米国同時多発テロより以前だったからだろう。
    「9・11」以降、自称保守論壇の空気が一気に変わり、米国批判をしたら猛バッシングを食らうようになったというのは、わし自身が体験してきたことだ。
     言論に関する賞なんてものは、どこでも大なり小なり仲間内の論功行賞という性格があるものだが、正論大賞は特に露骨で、やっててよく恥ずかしくないなと思うような、産経御用知識人を「内輪褒め」するためだけに存在する賞である。
     ところが、そんな正論大賞でも欲しがっている自称保守言論人はいるし、その産経の路線に沿った発言をする者は多い。
      日本会議 のような保守系団体や、 神社本庁 なども産経新聞と同じ主張をしているから、産経御用のお墨付きを得られれば、それらの団体の関係であちこちに行って講演ができて、ギャラがもらえて、「先生」「先生」とチヤホヤしてもらえるのだ。
     わしには理解できないが、それはどうやら、すごく気持ちのいいものらしい。
     講演会の後には懇親会などが開かれるから、そこで顔なじみの人がいっぱいできて、コネがどんどん作られていく。
     それでまた別の集会などから講演のお呼びがかかり、そこに出かければまた「先生」「先生」と持ち上げられ、いい気持ちになってギャラがもらえるのだ。
     さらに異様に国権に傾いた「 チャンネル桜 」というものがあって、その世間に入ったら、テレビのキャスターごっこができる。
     ちゃちなものだがテレビスタジオがあって、何台かカメラが回ってて、そこでしゃべればあたかも自分がメジャーなテレビのコメンテーターか何かになれたかのような錯覚に浸ることができるのだ。