• このエントリーをはてなブックマークに追加

今なら、継続入会で月額会員費が1ヶ月分無料!

記事 2件
  • 「弱者の恫喝に負けず、核保有論を堂々と考える」小林よしのりライジング Vol.239

    2017-09-12 18:10  
    150pt

     人は、忘れたいような悲しいこと、苦痛なことほど忘れられないものだという。
     だとすれば、広島・長崎の被爆者は、その体験を忘れることなど決してできないだろう。
     こんなことは二度と繰り返してほしくない、核兵器の被害者は自分たちで最後にしてほしいという訴えもわかるし、こういう人たちが声を上げていないと、記憶の伝承ができなくなってしまう。
     けれども、そういう経験をしてしまったがために「あつものに懲りてなますを吹く」となってしまって、北朝鮮が核兵器を持とうとしているのに、日本の核武装については一切考えてはいけないという強迫観念にとりつかれてはいけない。
     石破茂元防衛大臣が9月3日に石破派の研修会で 「核の傘は破れ傘と言う人もいます。意味が無いと言う人もいます。でもその傘の実効性を高めるということを我々が努力をしていかなければならないことであって、政治レベルにおいても実務レベルにおいても核の傘の実効性というのはきちんと検証していかなければなりません」 と発言し、物議を醸した。
     そこで9月7日放映のテレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』の「そもそも総研」は 「そもそも日本の核武装は許されるのだろうか?」 と題する緊急特集を組み、石破をスタジオ生出演させてその真意を聞いた。
     石破は日本の核武装について、 「日本が核を自分で作る、自分で持つ」という論には立たない としながら、アメリカの「核の傘」についてこう言った。
    「アメリカの核の傘があるから大丈夫だよねってことになってるわけですよね。じゃあその傘って本当に差してくれるんですか、どれっくらいの大きさですか、いつ差してくれていつ差してくれないんですか、傘に穴って空いてませんかってことをきちっと検証も何もしないままに、核の傘があるから大丈夫だよねって言って、そうじゃなかったときに、慌てふためいてどうしますか。私この話って、15年前からずっとしてますよ」
     石破は非核三原則「持たず、作らず、持ち込ませず」のうち 「持ち込ませず」については見直し、冷戦時代にアメリカとNATO諸国が結んでいた 「核シェアリング」 のような形で、アメリカの核による実効的な核武装をするべきだ というのが持論らしい。
     番組にはもう一人、「核の専門家」という共同通信の太田昌克編集委員が出演し、石破の言う核武装論は実際にはできないと批判して議論になった。
     石破は落ち着いて太田の批判に丁寧に反論し、ことごとく論破していった。すると最後に太田はドヤ顔でこんなことを言い出したのだ。
    「被爆国、(核武装を)許してはいけない。議論は確かに重要です。大いにやるべきだと思います。しかし72年間ですよ、どうして核兵器が1発も使われなかったのか。原爆資料館行かれましたか? 先生」
    (石破、「行きました」と答える)
    「ねえ。あれを見て誰が、核のボタンを押しますかって話なんですよ。抑止が崩れたらどうなるか、福島の事故であの大変な被害ですよね。今も数万人が避難されている。核の被害なんですよね。
     いざ抑止が崩れたらどうなるか。72年間使われてこなかった、日本の非核世論、被爆者の皆さんの声、思い、核廃絶への願いですよね。これも実は核を使わない抑止力になってきた。そこも、だから検証の対象とすべきなんです。それをかなぐり捨てて核を持ち込むとか、ましてや日本が核を持つとか、私は許してはいけない。抑止力を保つためにも決して、日本の国民は許さないと思います」
    「議論は確かに大切です」とか言っているが、こんな感情論に訴えられたら議論にならない。これは被爆者を錦の御旗にして、「弱者の恫喝」をする議論封じであり、民主主義の精神に反している。
     論理的な討論で核武装論に太刀打ちできなくなってくると、非核論者は必ず感情論に訴えて、 「被爆者がどれだけの悲惨な思いをしたか。日本人の感情としては、核兵器保有なんて許すわけがない」 という「弱者の恫喝」を行なうのだ。
  • 「石破茂の『軍法会議』案に潜む自衛隊蔑視」小林よしのりライジング Vol.48

    2013-08-06 23:20  
    154pt
    7月16日の東京新聞の見開き特集記事「こちら特報部」は「石破自民幹事長もくろむ『軍法会議』」という見出しで、4月21日にBS-TBSの番組で放送された自民党・石破茂幹事長の発言を批判した。  3カ月近くも前のBS番組の発言を引っ張り出して大きな記事にするという、あまりにも露骨な参院選向けの自民党へのネガキャン記事だったが、この石破の発言は確かに大問題である。  ただし東京新聞記事は「戦前の恐怖支配の足音が聞こえる」なんてカビの生えたセリフで締めくくる紋切りサヨク論調であり、わしが問題視する論点とは全然違う。  自民党の改憲草案9条2の5項は、こう記している。 「 軍人その他の公務員が職務の実施に伴う罪か国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、国防軍に審判所を置く 」  自民党は憲法を改正して自衛隊を「国防軍」にしたがっているわけだが、国防軍が創設された際にはそこに「 審判所 」を置くというのだ。  この「審判所」とは、 軍法会議 (軍事法廷、軍法裁判所などともいう)のことだという。  石破はまず 「『自衛隊が軍でないなによりの証拠は軍法裁判所が無いことである』という説があって… 」と発言している。  これは自称保守派が全員一致でよく言うことだが、例によって自称保守派が全員一致で言うことはまずウソである。   軍法会議は軍隊を構成する「必要条件」というわけではない。実際ドイツには軍法会議はなく、連邦行政裁判所に所属する審判所が審理を行っている。  軍法会議とはあくまでも軍の秩序維持という目的を達成するための装置であり、 なくても軍の秩序が保たれるのなら、なくてもよいのである。   自衛隊の規律正しさは、今や世界的にも評価されている。 それでも改憲してまで軍法会議を設置しなければならないというのなら、なぜ通常裁判所ではだめなのか、その理由を明らかにしなければならない。  よく挙げられるのは、軍事という任務の特殊性による理由である。  例えば軍事作戦の進行中に軍規違反があった場合、迅速に裁判して制裁を加え、一刻も早く軍律を回復しなければならず、通常裁判所で時間をかけて審理するわけにはいかない。  また、軍隊における事件の審理は法律の知識だけでなく、軍事的な専門知識が必要になることもある。医学の専門知識がないと、医療事故の裁判の審理が難しいのと同じである。  さらに、軍の機密保持のため通常裁判所には任せられないという理由もある。  ところが、石破が言う軍法会議が必要な理由はそれとは全く異なるものだった。  石破は、 今の自衛隊員が命令に従わなかった場合、最高刑でも懲役7年 だと指摘した上でこう言った。 「 これは気をつけてモノを言わなければいけないんだけど、人間ってやっぱり死にたくないし、ケガもしたくないし、『これは国家の独立を守るためだ、出動せよ』って言われた時、死ぬかもしれないし、行きたくないなと思う人は、いないという保証はどこにもない 」   そこで軍法会議を設置すれば、命令に従わなかった者にはその国の最高刑を科すことができる。   最高刑が死刑の国は死刑、無期懲役なら無期懲役、懲役300年なら300年であり、そうなれば自衛隊員だって「 そんな目に遭うくらいだったら出動命令に従おうっていう 」と言ったのである!!  わしはこの意見にはかなり呆れてしまった。これって自衛隊員に対して相当侮辱的な発言ではないか?   重罰を科さなければ、自衛隊員は出動命令に従わない可能性があると、石破茂は言っているのだ!  ところが石破は侮辱した自覚など、全然ないようで、さらにこう続けた。 「 『お前は人を信じないのか』って言われるけど、やっぱり人間性の本質ってのから目をそむけちゃいけないと思うんですよ。  今の自衛官たちは服務の宣誓というのをして、『事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる』っていう誓いをして、自衛官になってるんですよ。でも、彼らのその誓いだけがよすがなんですよ。本当にそれでいいですかっていうのは問わねばならない 」  石破は「どうせいざとなったら、国の独立なんかより我が身かわいさで逃げる」というのが「人間性の本質」だと決めつけているが、確かに左翼的な人間はそういう面があるのかもしれない。  だが、自衛隊員にはそういう本質の発露を心配する必要は99%ないのではなかろうか?わしが取材した範囲では考えられない。  これははっきり言って「 石破茂の人間性の本質 」ではないか?石破は全ての日本人が自分と同じ小心な卑怯者だと、勝手に思い込んでいるのではないか?  石破は、自衛隊には「 督戦隊 」が必要だと言っているに等しい。   「督戦隊」とは敵軍ではなく自軍の兵隊に銃を向ける部隊である。 後方で自軍の兵を監視し、命令に背いて退却したり降伏したりする動きがある場合は、味方なのに攻撃を加え、無理やり戦闘を継続させるのだ。  有名なのはシナ事変の南京攻略戦の際のシナ軍の督戦隊で、退却しようと激流のように押し寄せる兵隊に機関銃の猛火を浴びせ、死体の山を築いたという。  日本軍とシナ軍の士気には天と地の差があった。   日本軍は「国軍」である。志願した軍人はもとより、徴兵による兵隊も、国を守る任務を担うことを名誉として戦地に向かったのである。  水木しげるとか、わしの父のような士気の低い者まで兵隊にとられるようになったのは、大東亜戦争も末期、兵隊の数が圧倒的に足りなくなってからのことだ。   これに対してシナ軍は「私軍」である。各地の馬賊・匪賊の類が軍事力を保有して「軍閥」を形成していったのだ。  日本軍と戦った中国国民軍は中国の「国軍」ではなく「中国国民党」の軍であり、事実上国民党の総統・蔣介石の私兵だった。