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記事 84件
  • 「醜い国・日本の権威主義と忖度」小林よしのりライジング Vol.252

    2017-12-26 15:35  
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     先週は 「政治体制としての権威主義に堕した国民」 と題して書いたが、この問題は現在の日本にかなり根深く浸透してしまっているので、今回も引き続いて掘り下げていこう。
     先日、松本人志が「ワイドナショー」(フジテレビ)で共演している指原莉乃、古市憲寿、東野幸治と共に、安倍晋三と焼肉会食をしたことが報じられ、話題になった。
     古市はツイッターで、 「単純に安倍さん出演回の番組出演者で打ち上げに行きましょうという話が、今月まで延び延びになっていただけ」 と苦しい言い訳をしたが、安倍がワイドナショーに出演したのは昨年5月1日で、もう1年7か月も前のことだ。
     たった1度安倍が出た回の「打ち上げ」の話など、実現しないまま1年半も経ったら立ち消えになるのが普通だろう。それをわざわざ実行したこと自体、安倍と松本・古市らの関係が普通じゃないほどズブズブベッタリだということの証明以外の何者でもない。
     そもそも安倍が出たワイドナショーは露骨な安倍ヨイショ番組だったし、松本はその後、安倍政権を擁護する発言を繰り返しており、完全に安倍シンパの感覚になっているではないか。
     こんなふうに、芸能人などが権力にすり寄っていくことこそが、 「政治体制としての権威主義に堕した国民」 の醜態そのものなのである。
     以前は、著名人がここまであからさまに権力にすり寄る姿を見せることなど、まずなかった。これは第二次安倍政権発足以降の現象だ。
     毎年4月に行われている首相主催の「桜を見る会」は今年で62回を数える恒例行事だが、ここ数年は芸能人が多数招待されて、嬉々として参加する様子がかつてないほど大きく報道されるようになっている。
     天皇皇后両陛下が主催する園遊会ならわかるけれども、安倍なんかに呼ばれて、よく行く気がするなあとわしは思う。
     ちなみに園遊会の招待基準は「産業・文化・芸術・社会事業などの分野で功労のあった人」などと宮内庁が厳格に定めているのに対して、桜を見る会は政府与党推薦で決めていて、基準はユルユルだという。
     元衆院議員の中田宏はブログにこう記している。
    「この桜を見る会は与党の党勢と支持拡大の面が多分にあります。
     招待者は基本的には政府・与党の推薦なので、国会議員は自分の招待枠に後援会の人を招待することもあります。
     総理主催であることや多彩な顔ぶれの人たちに会えるかもしれないという意味で、ファンサービスの側面があるのです」
     やっぱりこれは政権のPRイベント以外の何者でもなく、メディア戦略に長けた安倍政権は完全に意図的に、政権の好感度アップに利用するために芸能人を招待しているのだ。
     わざわざこんなところにでかけて、はしゃいで安倍と記念撮影なんかして、まんまと権力に利用されている芸能人を見ると、キモいとさえ感じてしまう。
     いまは首相に対する感情が、すごく憎むか、すごく好きかのどちらかに極端に二分化されているが、「すごく好き」の有様は、明らかに尋常ではない状態になっている。
     月刊Hanada2月号など、安倍首相のインタビューを大々的にトップにして誌面を組み、産経新聞に全面広告まで打った。
  • 「政治体制としての権威主義に堕した国民」小林よしのりライジング Vol.251

    2017-12-19 20:00  
    150pt
     朝日新聞13日夕刊に載った、塩倉裕編集委員による論壇時評「(回顧2017)論壇 忍び寄る権威主義に危機感」は、興味深い記事だった。
    「忍び寄る権威主義」とは何か?
     そもそも「権威主義」とは、わしが『ゴーマニズム宣言』のスタート時から一貫して批判してきたものである。
      権威と権威主義は違う。天皇のように、本当の権威(普遍的な秩序と信頼の要)は必要である。
      それに対して権威主義とは、権威とされたもの(普遍性がなく信頼性も怪しい)を絶対視し、盲従することをいう。
     形骸化した権威や、単なる権力に対しては「王様は裸だ!」と言わなければならないのだ。
     最初の『ゴー宣』の単行本の帯には「権威よ死ね!!」と書かれていた。編集者が考えたコピーだが、これはあくまでも「権威主義」はダメだという意味で使ったのである。
     記事ではまず、「世界」2月号に掲載されたロベルト・ステファン・フォアらの論考を紹介する。
     北米や西欧の成熟した民主主義国で、民主主義に代わる政治体制としての「権威主義」の支持に前向きな市民が増え、「軍による統治がよい」「議会や選挙を顧みない強いリーダーが望ましい」と考える人も増加している。フォアらはそう主張した。 「民主主義に代わる政治体制としての『権威主義』」 とは、どういうものか。
      政治の場における「権威主義」 とは、 「支配関係を価値の優越者 (上級者) と下級者との縦の関係において構成していこうとする秩序原理および行動様式」 (ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)のことをいう。
     記事には 「軍による統治がよい」「議会や選挙を顧みない強いリーダーが望ましい」 と考える人が増加しているとあるが、このような、上からの権威の支配に対して下の者たちが服従するという構造が、まさに 政治体制としての「権威主義」 である。
     要するに 政治体制としての「権威主義」 とは「非自由主義」「非民主主義」であり、「独裁主義」「専制主義」「全体主義」などはこれに含まれるのだ。
     塩倉編集委員は、こう感想を述べる。
     どれだけ政治への不信が強まっても「民主主義の国で暮らすこと」の価値までが否定されることはないだろう――そうした楽観を揺さぶる論考だった。  もうお気づきだろうが、これは北米や西欧に限った話ではない。
      日本でも、安倍政権が議会も民主主義も憲法も全て無視して好き勝手やっているが、そのことに対して強い批判も上がらなくなっている。
      むしろ「議会や選挙を顧みない強いリーダーが望ましい」とでも言わんばかりに、政権に高支持率を与えているという状況ではないか。
     日本もすでに権威主義になっており、強いリーダーにただ付き従っていた方がいい、民主主義でなくてもいいという感覚が確実に広がっているのだ。
     一方、「権威主義」とよく似たものに 「パターナリズム(paternalism)」 がある。これは強い立場の者が、弱い立場の者の利益になるとして当人の意思を問わずにその行動に介入したり、干渉したりすることをいう。「paternal」は「父の、父らしい」という意味。念のため言っとくが、「パターン化(patterning)」とは全く関係ない。
      パターナリズムは、日本語では「父権主義」などと訳される。もともとは 、未熟な 子供の ため にいろいろ世話を焼く父親に由来する言葉だ。
     こういう父権主義的傾向というのは、ある意味『ゴーマニズム宣言』にずっとあったものともいえる。
  • 「譲位を巡り、天皇を侮辱する安倍晋三」小林よしのりライジング Vol.249

    2017-12-05 20:10  
    150pt
     天皇陛下の退位が再来年4月30日、新天皇の即位が5月1日と決まった。
     日付が違うことで、「空位」の時間が生じるのではないかという懸念もあったが、これは退位が「4月30日が終わる瞬間」、即位が「5月1日が始まる瞬間」に行われる、つまり同時であるため問題はないらしい。
     だが問題は、「5月1日」という即位の日程だ。
     当初、政府は「1月1日」とする方針を示した。
     これは政府が宮内庁にも相談せず、天皇陛下のご意向など一切無視して勝手に決めたもので、宮内庁の西村泰彦次長は定例記者会見で「1月1日は皇室にとり極めて重要な日。譲位、即位に関する行事を設定するのは難しい」と難色を示した。
     宮内庁が退位を巡って公の場で言及するのは異例の事態であり、しかもこれを表明したのが、官邸が宮内庁をコントロールするために送り込んだ人材だったはずの西村というのも、実に皮肉な話だった。
     再来年の1月7日は、昭和天皇の崩御から30年の式年祭が行われる。今上陛下は父親である昭和天皇の三十年祭を自ら執り行いたい意向であることは明らかで、その1週間前に退位させるというのは非常識としか言いようがない。
      宮内庁もこの点には特にこだわりを見せ、年度替わりの節目でもある「4月1日即位」案を提示、官邸側に年末年始と3~4月の皇室行事を示し、どちらが皇位継承に伴う陛下と皇太子殿下の負担が少ないか説明したという。
      ところが、官邸は1月1日即位案を撤回したものの、宮内庁、つまりは天皇陛下のご要望である4月1日即位案にも乗ろうとしなかった。
     理由は「メンツ」、ただそれだけである。
      天皇退位特例法 には、退位の期日を「政令」で決めるとしている。 政令は閣議決定によって定められ、その主体は内閣であり、トップは首相ということになっている。 官邸幹部は 「最後は政治が決めるんだ」 と言い放ったという。
      つまり完全に「国民主権」の意識で、政治のトップが天皇よりも上だと信じ切っているのである。
     しかも官邸は、もともとは天皇の退位すら認めず「摂政」で済まそうとしており、しぶしぶ退位を認めることになっても「一代限りの特例」にするつもりだった。それが事実上の恒久制度化まで妥協を強いられたため、ここでも「メンツを潰された」という恨みの念を抱いていた。
     さらには、4月1日即位案の一報を朝日新聞が報じたことから、安倍晋三が 「朝日が報じたとおりにはさせない」 と思ったのではないかという推測まである。
     官邸は秘かに「1月1日」「4月1日」以外の日程案を探り、9月には5案になっていたという。
     この作業は宮内庁には全く知らされずに行われた。そして、退位・即位の日程を決める皇室会議が12月1日に行われることが宮内庁に知らされたのが、わずか10日前の21日夜。 しかも宮内庁の山本信一郎長官はこの日の報道で初めて「5月1日即位案」を知り、「まったく知らない。分からない」と記者団に硬い表情で繰り返した。
     5月1日案が表に出てから、皇室会議による決定までたったの10日。これでは報道各社の世論調査も間に合わず、4月1日と5月1日のどちらがいいかを国民に問うこともできない。もちろん、政府はこのタイミングも計算していたはずだ。
      そして12月1日の皇室会議には、どういうつもりかメンバーではない菅官房長官が本来宮内庁長官の据わる位置に陣取ってにらみを利かせており、そんな異常な状況の中で4月30日退位・5月1日即位という日程が決められてしまった。
     安倍政権の本音はこうだろう。
    「天皇よりも政治の方が上なんだ! さんざん安倍政権に楯突きやがって、これ以上天皇の言うことなんか、聞いてたまるか! 何の意味もない5月1日即位という日程にしてやったぞ! ザマー見やがれ!!」
     何の意味もない5月1日即位という日程を正当化するために、予算案審議や統一地方選が終わった後で静かな環境で迎えられるだの、連休が増えるだのということまで報道されているが、そんなものは全く理由にならない。
     そもそもこの日程では、高森明勅氏が指摘しているように、新天皇即位の行事の集大成であり、最も重要である 大嘗祭に新穀を献上する田んぼを選定する際に大きな支障が起こる ことが懸念されている。
     https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=jo6zp5n4s-14#_14
     安倍晋三は、大嘗祭の重みを全く理解していないのだろう。
     というか、安倍は「大嘗祭」が読めるかどうかも分かったものではない。
  • 「安倍改憲を止める唯一の方法」小林よしのりライジング Vol.248

    2017-11-28 19:35  
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     安倍政権が目指している憲法改正は、発議されたらもう阻止できない。
     国民投票で否決することは不可能である。
     この重大な事実について、立憲民主党にさえ理解していない者がいるのではないかと、わしは非常に危惧している。
     憲法改正の発議が行われれば、規定によりその後2カ月から6カ月の間に国民投票が行われ、有効票の過半数の賛成で憲法改正が成立する。現在考えられる最短のスケジュールは、来年4月発議、6月国民投票だ。
      発議されれば、読売新聞、産経新聞ら安倍政権の御用メディアは、賛成票を投じるべきだという論調を連日大々的に展開させるだろう。
      それに加えて、国民投票に関する広告・宣伝費を制限する法律はないから、政府は電通でも博報堂でも使って、ありとあらゆる媒体を通して賛成票を投じようという巨大キャンペーンを繰り広げるはずだ。
     現在のところ、自衛隊明記の改憲案に対する世論調査の結果は、朝日新聞が賛成36%、反対45%。読売新聞が賛成35%、反対42%。共同通信は賛成38.3%、反対52.6%。以上3社は反対が上回っている。
     これに対して、日経新聞が賛成44%、反対41%。毎日新聞は賛成33%、反対29%で、賛成がわずかに上回る。
     そして産経新聞・FNN合同調査だけは、なぜか賛成59%、反対29.1%と、賛成が圧倒している。
     これだったら、圧倒的な物量でキャンペーンを仕掛ければ、国民投票で過半数の賛成を獲得することなど造作もないだろう。
     そもそも、憲法9条の1項・2項をそのまま残し、自衛隊の存在だけを明記するという改憲(加憲)案に対しては、朝日新聞や東京新聞でも、反対論は主張しづらいはずだ。
     反対する理由を挙げるとしたら、 自衛隊のままで集団的自衛権を行使させてはいけない ということくらいだが、その理屈は一度、安保法制で戦って敗れており、その繰り返しになってしまう。
     いくらその手段や議論に問題があったといっても、もうすでに憲法解釈の変更で、集団的自衛権は憲法上認められることになってしまっているのだから、反対の理由としては弱いと言わざるを得ない。これは、反対を唱えるための理論づけが非常に難しいのだ。
     それに対して、賛成を訴える側は簡単だ。情緒に訴えりゃイチコロなのだ。
      災害救助などで、自衛隊はこれだけ我々の役に立ってくれているのに、長年憲法上の位置づけが明確でないために、差別にさらされてきた。 この差別をなくすため合憲にすべきだ…と言われれば、間違いなく国民感情は情緒的に賛成の方向になびくだろう。
     改憲が発議されて国民投票になったら、その時点で安倍の勝ちだ。
      国民投票で否決するためには、国民感情の中に、これを通したら大変なことになるという相当の危機感が巻き起こらなければならない。
      しかし、現行の9条はそのまま残して、自衛隊を明記するだけと言われれば、そこまでの危機感が湧くことはないだろう。
     実際には、安倍改憲が実現すれば、今まで以上に米国追従になり、危険なことになる。
      自衛隊は現状の「軍隊未満」のまま、集団的自衛権の行使で米軍の下請け組織として地球の裏側まで行って戦争しなければならなくなる。
     しかし、それは今すぐには起こらない。実際にそんな事態となり、自衛官にどんどん戦死者が出てくるようになるまでは、国民は危機感など持たないのだ。
  • 「伊藤詩織『Black Box』と三浦瑠麗」小林よしのりライジング Vol.246

    2017-11-07 20:55  
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     元TBS記者で安倍首相と親交の深い山口敬之氏からのレイプ被害を告発した伊藤詩織さんの著書『Black Box』(文藝春秋)を読んだ。
     
     これまで『週刊新潮』の取材記事と、ご本人の記者会見によって、逮捕状が発布されていた山口氏による性犯罪が警察トップによって握りつぶされていたこと、さらに、山口氏本人が内閣情報調査室の人間に“事後処理”を依頼していたことなど、権力者と性犯罪者の卑劣すぎる共謀関係が報じられてきた。
     この本では、被害を受けた詩織さんが、心の傷を負ってボロボロになりながらも、ジャーナリストとして、自身の身に降りかかったことから逃げることなく、世に問題提起しなければならないという使命感から必死の思いで行動し、書き上げたものだ。
    「伝える」ことが強い目的になっており、事件の全容とその後の山口とのメールのやりとり全文、独自の調査、浮上する疑問点、デートレイプドラッグの実態、性犯罪被害者をめぐる現状、被害にあった時の対処法などが全体としてかなり精細に、丁寧に、冷静に、そして抑制的な筆致でつづられている。
     被害者としての本音を吐露した部分は、本当はもっと痛々しく息苦しいほど濃密な表現を選んでもおかしくなかっただろう。けれど、自己憐憫に陥らないよう踏みとどまり、この事件を“公の問題”としてスポットを当てようとする姿勢は本当に立派だし、並みの勇気ではないと思う。
     なかでも、詩織さんが一番かわいがり、この子の将来を守りたいと思い、記者会見の動機のひとつにもなった、年の離れた妹さんが、その記者会見とその後のネット上の中傷などによって傷つき、拒絶反応を示して連絡をとることすらできなくなったこと、そして、詩織さん本人が事件後の一連の経過のなかで、自死を思わせる心理状態を何度も何度も体験していたことは、読み手としてつらく、胸のつまる思いをした。
     警察の捜査を経て裁判所から発布された逮捕状が、警察トップからの電話一本で執行中止になり、加害者は安倍政権の御用コメンテーターとして各局ワイドショーで大活躍、被害者本人が顔出しで記者会見を行って不公正を訴えているという大事件。
     しかし、なぜメディアはほとんど後追い報道をしなかったのか? 八つ墓村の因習で、女性政治家のスキャンダルには執拗に食いつくのに、なぜ?
    「忖度という空気」の蔓延かと思っていたら、本の中で、 政府から明らかな報道自粛要請があった と明かされており、驚愕した。
      翌日、知人のジャーナリストからも連絡があった。
    「政府サイドが各メディアに対し、あれは筋の悪いネタだから触れないほうが良いなどと、報道自粛を勧めている。各社がもともと及び腰なのは想像がつくが、これでは会見を報道する社があるかどうか……。
     でも、会見はやるべきで、ただ、工夫が必要ですね。しかし、なぜ政府サイドがここまで本件に介入する必要があるのか、不可解」
     矢継ぎ早の連絡に、気持ちが混乱した。
     そんな時、「週刊新潮」の記者に、メディアに対して私の会見に関する報道自粛を求める動きが、水面下で拡がっているらしいと話すと、彼は軽い調子で、
    「ああ、知ってますよ」
     と言った。「だから何?」というようなその姿勢に、私はとても勇気づけられた。
    (伊藤詩織『Black Box』より)
     圧力に負けず、取材を断行したのは、「週刊新潮」の記者だけだったのだ。
     メディア関係者のなかには 「タクシーでホテルに到着した詩織さんには意識があり、自分で嘔吐物を処理しており、歩いてホテルに入っていった。だから合意のもとでの行為なんだ」 というデマをばらまく者もいたという。
     意識不明になった詩織さん(デートレイプドラッグを盛られた可能性がある)が、ぐらぐらのまま山口氏に担がれ、床に足もつかないままホテルに連れ込まれていく様子が防犯カメラの映像として残っており、タクシー運転手、ベルボーイにも目撃されているという事実があるのに、である。
     証拠があるのに確かめもせず、デマを鵜呑みにして言いふらすなど、どこのメディアだ? 職務上もっともやってはならないことだろう。
    ■政府によるあきらかな被害者弾圧
     記者会見を行うと、詩織さんが「共謀罪の審議が長引いて、刑法改正案の審議が遅れている」と発言したのを取り沙汰して、 「共謀罪に言及した政治的な会見だ。バックには民進党がいるらしい」 という憶測がネット上に流れた。その後は、詩織さんのもとに嫌がらせや脅し、誹謗中傷の嵐がやってきたという。
     既に連載第40回「内閣ぐるみ!強姦犯・山口敬之の無罪放免を許すな」で書いたが、詩織さんに対するネットの憶測と誹謗中傷の元凶は、内閣情報調査室が作り上げ、ばら撒いたデマだということが発覚している。政府は「民進党が党利党略のために告発を仕組んだ」というデマをでっち上げ、チャート図を作ってマスコミに配布していたのだ。
  • 「立憲民主党への警告」小林よしのりライジング Vol.245

    2017-10-24 19:05  
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     選挙戦の最中、辻元清美が街頭で支持者に対して 「やっぱり9条は守らないとね!」 とか言っている場面をテレビで見たが、あれは「あちゃちゃ~~~」と思った。
     テレビの側も、立憲民主党は護憲政党だという思い込みがあるからそういう発言を切り取って使うわけだが、こういうことが繰り返されれば 「リベラル=護憲」「立憲民主=護憲」 という誤解が定着してしまう。
     こんなイメージを広げてはいけない。 あくまでも、立憲民主党は辻元のような護憲派ばかりではなく、改憲派のわしが応援演説をするような、保守の部分もあるという印象をつけておかなければならない。
     もちろん枝野代表も、そのためにわしを応援演説に使ったのだろう。
     そもそも北朝鮮情勢が緊迫しているとか言ってる状況の中で、呑気に選挙なんかやっていられたのは、いざとなったら自衛隊の指揮権が全部米軍に委託されることになっているからだ。
      北朝鮮有事の際にどうするかは、どうせ米軍が決めること。日本は何も考えなくてもいいから、遊んでいられるのだ。
      これは、誰が政権を取っても同じことだ。それなのに、有事の場合には安倍晋三が首相じゃないといけないかのような雰囲気が作られてしまっている。
     福島第一原発事故の際の民主党政権の対応がまずかったから、そんな観念が出来上がってしまったのだが、もしあの当時自民党政権だったとしても、やはり大混乱になっただけのはずだ。あの時は、誰がやったって同じだったのである。
     北朝鮮有事でも同じことで、誰が首相だってダメに決まっている。今度は特に、 有事になれば米軍の指揮下に入ってしまうことが決まっているのだから、日本の首相なんか、いてもいなくてもどうでもいいのである。
     それなのにみんな勘違いして、本当は何もできやしないのに、有事を考えればやっぱりタカ派の安倍の方がいいだろうというイメージだけで、自民党に票を入れてしまうのだ。
     今回の自民圧勝には、そういう隠れた構図も存在している。
     週刊現代10月14・21日号に、米軍が北朝鮮を空爆した場合、北朝鮮の報復攻撃の対象は、日本に対してはまず米軍横須賀基地、次に北朝鮮を攻撃した米軍基地、そしてその次が「日本海側に広がる原発」だと語る、朝鮮労働党幹部の話とされる記事が載った。
     10月17日放送のテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」ではこの記事を基に、実際に北朝鮮が原発を攻撃した場合、どの程度の脅威があるのかという話題を取り上げた。
     日本海側には9カ所25基の原発があり、そのうち福井県の高浜原発2基が稼働中である。
     番組では、元防衛相・森本敏の 「原発の炉の中は大丈夫だと思います。ミサイル攻撃は炉の中を破壊することは出来ないのです」 というコメントを紹介。
     さらにスタジオでは元自衛艦隊司令官・香田洋二が森本のコメントを補足し、北朝鮮が日本を攻撃するとしたらおそらくノドンミサイルを使うだろうが、ノドンの精度は誤差1キロ以上あるので、原発を狙って撃つのには無理があるし、原発の建物は対爆弾構造になっているので、通常弾頭ならある程度の直撃を受けても、原子炉に被害は及ばない設計になっていると説明した。
     ところがこれに対してコメンテーターの玉川徹が、 実際に原子炉の設計をしていた元ジェネラル・エレクトリック社の佐藤暁に取材したところ、原発を作った時点では、もともとミサイル攻撃など想定しておらず、直撃したらもうダメだという回答だった と発言すると、香田はしどろもどろになっていた。
     わしも、森本や香田の話は信用できないと思う。若狭湾には数十キロの範囲に14基もの原発が密集している。北朝鮮はノドンミサイルなら大量に保有しているから、これを何発も若狭湾岸に打ち込めば、多少誤差があってもどれかは原発に当たるだろう。そして、原子炉がミサイル攻撃を受けても無傷で済むとは思えない。
     稼働中の原子炉が破壊されると、ヨウ素、キセノン、クリプトンといった放射性物質を含むガスが流出し、人体にとっては命にかかわる影響が出る。
     停止中の原発の場合は、ガスは出てこないものの、セシウムなどの放射性物質が出て来てゆっくり周囲が汚染される。
     また、さらに懸念されるのは電磁パルス攻撃だ。
  • 「『戦争論』再考」小林よしのりライジング Vol.244

    2017-10-17 21:20  
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     来年で『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』の出版から20年になるらしい。トッキーが言っていた。
     20年も経つと、もう若い世代で読んでいる人は相当少なくなっているだろうし、読んだ人も、その記憶はかなり薄れているだろう。
     そんな状況に乗じて、「『戦争論』がネトウヨを生んだ!」というデマの流布にいそしむ悪質なライターもいるようで、トッキーに袋叩きにあっている。
     トッキーから「ロックオン」された獲物は気の毒だ。絶対に逃げられないし、油汗かいて静まり返るしかない。最後は毒牙にかかって狂い死ぬのがオチだ。
     来年は20周年を機に、『戦争論』の意義を再確認する連載を某雑誌でやることになった。面白いことになろう。
     わしの子供時代、寺の住職をしていたわしの祖父や、そこに集まって来る祖父の戦友たちは誰も、俺たちは戦争に行って悪いことをしたなどとは言っていなかった。
     ただ、死んでしまった戦友たちのことは心のどこかに澱のように残しつつ、生き残った戦友同士が集まって、あの時は大変だったなあ、こんなこともあったなあと笑いながら話していて、そんな様子をわしは幼少時に見ていたのだ。
     当時は、祖父の戦友で俳優の加東大介氏が書いた『南の島に雪が降る』が大ヒットして、ブームになっていた。
     戦争末期、ニューギニア・マノクワリで、補給も絶えて戦闘どころか生きるのがやっとという状況の中、加東氏が率い、祖父がその一員を務めていた演劇部隊の芝居が、兵隊たちの唯一の生きる支えとなっていた。
    『南の島に雪が降る』はその体験記で、加東氏自らの主演で映画化され、舞台にもなり、舞台中継をテレビで放映していたので、わしはそれを何度も見た記憶がある。
     
     舞台に冬の情景が作られ、一面の銀世界に雪が降り、それを見た東北の兵隊たちがみんな泣いているシーンは、テレビで見てものすごく感激した覚えがある。それで後に『戦争論』で描いたその場面は、当時感じたインパクトをそのまま再現したようなものになった。
     トッキーによると、小説ではもっと淡白らしいが、わしの印象が強烈だったので、漫画の方がインパクトが強いらしい。
     わしはそんな祖父たちを子供の頃に見て、思い入れを持って育ってきた。ところがそれにもかかわらず、中学・高校に進んだ頃にはマスコミが旧日本軍の「加害」だの「暴虐」だのを責め立てる論調一色になっていたものだから、つい流されてしまい、うちの祖父も悪いことをしたのかな、中国人を斬り殺してきたんだろうかとも思っていた。
     そしてさらに時間が経つと、あの時は若かったなあ、祖父たちは戦争で悪いことをしたなんて何も言っていなかったのに、疑って済まなかったなあという気持ちが湧いてきた。
     90年代に入ると、戦時中の日本人を単に悪人にしてしまう「自虐史観」は極みに達した。従軍慰安婦問題は、祖父虐待に等しいと感じた。
     わしはそんな当時の風潮に対し、大して戦略的に重要でもない南の島に送られて、補給も途絶え、月に一度の芝居見物を楽しみにしながら、無残に餓死してしまった人だっている若者もいたのに、彼らを無視して、日本兵はすべて悪とするのはおかしいと感じた。それで『戦争論』を描こうと決意したのだ。
  • 「男の人ってやっぱり恐い…と思った日のこと」小林よしのりライジング Vol.238

    2017-09-05 21:30  
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     今回は、前回の牛乳石鹸CM炎上事件の考察から、「男尊女卑とはなにか?」を思い巡らせたとき、頭の中に浮かんだ光景を、ちょっと素直に自分の目線から綴ってみたいとおもう。
     こういうことを“創作”でなく“体験エッセイ”として書くと、「やっぱり水商売の女だな」と思われそうで嫌だし、特に女性からは白い眼で見られたりするかもしれないけれど、しょうがない。まずは私の立ち位置から見える男女の姿を、そのまま書いてみたい。
    ***
     私は水商売の経験がとても長い。若い時に借金を作ったからだ。ライターの仕事だけでは何十年かかるかわからないと不安だったので、とにかく夜でも時間給のつく場所にいたかった。
     水商売と言っても、いろいろ。新宿歌舞伎町、銀座、東中野、門前中町……高級会員制バーで、色気もないのに無理してドレスを着て厚化粧して、 「女なのに女装」 のようなトンマな状態になっていたこともあるし、四畳半ぐらいの店をひとりで切盛りして、生活保護のおやじに飲み逃げされたこともあるし、大きなキャバクラのキッチンで、着飾ったキャバ嬢たちに命令されてお酒を作ったり、吸い殻の入った灰皿を投げつけられたりして、 「クソ女どもぶっ殺す」 と本気で思っていたこともある。
     今は執筆や編集の仕事がメインなので、新宿二丁目にある家族経営の音楽バーで週末にちょっと手伝うぐらい。時給はコンビニの深夜給と変わらないし、別に高額のお酒を売っている店でもない。酔った客の乱闘にたびたび巻き込まれるので、服装はいつもTシャツ、ジーンズ、スニーカー。
     LGBTの町なのもあって、一般的に想像される「女が男に媚びてキャイキャイ」とか「男性を気持ちよくさせて、カネを吸い上げる」ような、『黒革の手帖』的世界とはかなり違って、どちらかと言うと、女尊男卑な空気があると思う。
     ちなみに私は、男性よりも女性に誘われることのほうが多い。そういうちょっと特殊な環境にいる。
    ●背中に矢の刺さった男性たち
     もともと飲み歩く習慣のない人間だったので、最初のうちはどうしてこんなに人が外で酒を飲むのかわからないほどだった。けれど、いろんな場所から、いろんな男女を見てきた中で、ずっと気になっていることがある。
     それは、どんな店でも、 飲み屋の扉を開いて入ってくる男性のなかには、背中に折れた矢が刺さっているように見える人がいる ということだ。
     すごく変な言い方をしていると思うし、私が勝手になにかを投影しているだけで、気分よく働くための偏見なのかもしれない。でも、たしかに刺さっている。
     もちろん、なにも刺さっておらず、身軽そうで楽しそうな空気の人もたくさんいる。
     そのなかで、“まるで戦から帰ってきたかのような”疲労困憊した雰囲気や、押し詰められた感情、敗北感、やせ我慢のようなものが入り混じった空気を無意識のうちにまとっている人が男性には少なからずいて、そして、 そういう人は、飲み屋には決して楽しむためにワクワクした様子でやってくるわけではない ということだ。
     パーソナリティもさまざま。楽しい話だけをする人もいれば、ちょっとだけ愚痴をこぼす人もいるし、威張って得意気になる人もいれば、話しかけると「ごめん、ちょっと放っておいてくれる?」と突き放したきり寡黙な人もいる。酔うとやたら横柄になってきて、やっぱり優しくできないなと思えてくる人も、もちろんいる。
     で、この矢は酒を飲んだところで抜けない。まとった空気は多少軽くなったり、気分が良くなったりはするようだけど、帰っていくときも矢は刺さっていて、ちょっと足元をふらつかせながら、夜の街を歩いて去ってゆくその背中は、本当に哀しく見えるのだ。
     あの哀しみは、いったいなんだろう?
    ***
     私にはきっと好みの男性を色眼鏡で見る部分があるから、そういう人を都合よく武士のように見立てて、もてなそうとしているだけかもしれないと考えてみた。
     でも、好みでもなく、人となりをよく知らなくても、やっぱり第一印象でそのような空気を帯びている人はいる。何年も何年も飲み屋で人を迎えてきて、なんだか見えてしまうんだからしょうがない。
     それに、不思議なことに、女性にはそのような矢の刺さった人はいない。
  • 「牛乳石鹸CM炎上事件~情緒の欠落した日本人」小林よしのりライジング Vol.237

    2017-08-23 11:35  
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      牛乳石鹸 のWEB用CMが炎上しているそうだ。
     牛のマークの牛乳石鹸、子供のころ、おいしそうに感じでかじってしまったことがあるなあ。私の世代のCMと言えば、 「♪ぎゅ~にゅ~せっけん、よいせっけん」と いうフレーズが印象に残っている。最近は、流行にのってストーリー仕立てのムービーを制作しているようだ。3分弱の動画、URLを記載しておくから、興味のある人はまず見てみてほしい。
     
      牛乳石鹸 WEBムービー「与えるもの」篇 フルVer.
     https://www.youtube.com/watch?v=CkYHlvzW3IM
     30代後半ぐらいと思われるサラリーマンの男。妻と小学生ぐらいの息子がいて、そこそこきれいなマンション暮らし。朝は両手にゴミ袋を持って、出掛けのゴミ出しをしたあと、バス通勤。ぼんやりとして、冴えない顔つきは、ハキハキした感じの妻とは対照的だ。だが、結婚して子供がいて、それなりのマンションに住んでいるようだから、かつてなら中間層、いまなら富裕層とすら言えるのかもしれない。妻は、朝のシーンで襟付きのジャケットを着ているから、共働きだろう。
     この日は息子の誕生日。出掛けに妻から「帰りにケーキお願い!」と頼まれる。会社でも妻からLINEが来て、野球グローブの画像と「プレゼントもお願い!」のメッセージ。妻も妻で忙しい仕事なのだろう。一方、社内では、後輩の社員がミスをしたようで、上司にひどく叱られていた。
       仕事帰り、小走りで息子のための買い物に向かう男は、野球グローブを選び、誕生日ケーキを買う。朝は両手にゴミ袋、夕方は両手に息子の誕生日プレゼント、見るからに“家族思いのやさしい夫”という姿だ。しかし、その脳裏には自分の子供時代が思い出されていた。
     自分の親父は、こんな風に家族サービスをする男じゃなかった。記憶に残るのは、作業着を着て振り返りもせず仕事に出ていく後ろ姿。そして小学生だった自分は、グローブを手に、いつもひとりぼっちで壁に向かってボールを投げていたな……と。
     
     そこにナレーションが入る。
    「あの頃の親父とは、かけ離れた自分がいる。
     家族思いの優しいパパ。時代なのかもしれない。でも、それって正しいのか」
  • 「核廃絶運動の先頭に立て!」小林よしのりライジング Vol.236

    2017-08-15 22:35  
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     今年7月7日、国連加盟国の6割以上となる122か国の賛成によって、 「核兵器禁止条約」 が採択された。
      国際法上、核兵器は違法とされ、禁止されたのである。
      ところが日本は、この条約の交渉会議にすら参加しなかった。
     わしはこれにものすごい違和感を覚え、罪悪感がこみあげてきた。
     8月9日、長崎の原爆の日の式典において、田上富久長崎市長は平和宣言で次のように日本政府を強く非難した。
      日本政府に訴えます。
     核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。
     8月6日の広島市長平和宣言が、例年通り被爆の悲惨さを訴えることに大半を費やし、核兵器禁止条約については最後に少し触れた程度で、政府批判にまでは踏み込まなかったのに対し、長崎平和宣言では、毎年最初に語っていた被爆の惨状を後回しにして、 冒頭から半分を核兵器禁止条約に関する言葉に割き、政府を批判したのである。
     これは原爆の日の平和宣言としては全く異例のことであり、市長自身が特に強くこだわって決めたものだった。
     また式典後には、毎年恒例となっている首相と被爆者団体の面会で、団体側が冒頭、 「総理、あなたはどこの国の総理ですか」 と、用意していた文書にはない言葉で政府へのいらだちを表した。
     これらの気持ちは、全く理解できる。
     だが結局、安倍は条約への参加は明言せず、被爆者団体の議長は 「条約に賛成する気は全くないという政権の姿勢が明確になった」 と憤ったという。
     国連では核兵器禁止条約の採択に向け、カナダなどに住んでいる日本人被爆者やその子孫が運動をしていたらしい。わしだって、もし自分がその立場だったら、絶対に運動に加わっていたと思う。
     それを日本政府が一切支援せず、条約の交渉会議にすら参加しなかったなんて、全くおかしい。
      しかも国連において、核不拡散、核廃絶について被爆国じゃない国々が必死に考えているのに、唯一の戦争被爆国である日本がそれに加わろうともしないというのは、どう考えても理が通らない。
     あまりにも欺瞞に満ちており、わしはこんな理不尽には耐えられない。
      安倍は、日本はアメリカの核の傘に守られているのだから、核兵器禁止条約になど参加できないと思っているのだろうし、自称保守・ネトウヨ連中もみんなそんな考えなのだろう。
      確かに、核の傘に守られておきながら、核廃絶を訴えるというのは矛盾がある。
      だが、それよりもはるかに酷い欺瞞は、歴史上唯一の被爆国でありながら、核廃絶に全く同意しないことである。 これほど理に反することはなく、これ以上の欺瞞はない。
     
     8月12日の「朝まで生テレビ」でこの話題が出た際、元防衛大臣の森本敏氏が、核兵器禁止条約の交渉会議に対して日本政府がどう対応したのかを説明していた。