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記事 4件
  • 「過去の発言を探して来る馬鹿」小林よしのりライジング Vol.240

    2017-09-19 18:55  
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     山尾志桜里衆院議員と倉持麟太郎弁護士の「不倫疑惑スキャンダル」に対する世間の異様なバッシングの火を消すべく、9月10日に生放送した緊急特番 『山尾志桜里議員叩きは民主主義の破壊だ!』 は8000人の来場者を数え、翌日に配信したYouTubeの動画版も、再生数が1万5000を超えた。
     これには相当の効果があったようだし、そもそも不倫の証拠となる決定的写真もなく、文春の「続報」が完全にショボかったこともあり、他の不倫スキャンダルに比べれば、急速に鎮火に向かっているようだ。
     わしは、男女の関係はなかったという山尾氏と倉持氏の言葉を信じるが、たとえ不倫関係があったとしても許すべきだという旨の発言をした。
     ところがそうすると、わしの過去の発言を探してきて、「路チュー」の中川郁子や「育休不倫」の宮崎謙介の時には「議員辞職しろ」と書いていたじゃないかと言ってきた奴がいる。
     毎度のことだが、わしが何かを発言すれば、それと食い違う過去の発言を必死になって探してきて、 「以前と言ってることが違う!」 と非難してくる者がいるものだ。
     だがこういう馬鹿は、わしを非難しているつもりでいながら、実はわしのことを「全知全能の神」であらねばならぬと思っているのである。
     小林よしのりは、森羅万象のあらゆることについて「全知」し、先々までを見通せる「全能」の存在であり、全てを悟り尽くし、百年先の事象まで見抜いて、徹頭徹尾何一つ間違いのない、完璧なことしか言わないものだとでも認識していなければ、こんな文句は出てこない。
     わしは神として降臨した存在で、わしの言葉は「聖書」だと思い込んでいるから、少しでも以前と異なる発言があると、目の色を変えてその発言を探し出してきて、「違うじゃないか!」と息巻くのである。
     こういう馬鹿は結構いるもので、皇統男系固執派で「Y染色体」を信奉する皇學館大学教授・新田均もその一人だ。
     新田は事あるごとに、「高森明勅は過去にこう書いていた」、「小林よしのりは過去にこう言っていた」と言い続けている。
     新田はわしや高森氏の過去の著作や発言をほとんど全て収集して、読み込んで検証しているのだ。
     こんな作業を実際にやったら、大変な労力と時間を必要とする。何しろ好きでもない人物の、膨大にある過去の発言をことごとく読破しなければならないのだ。よくわざわざそんな苦労をするなあとか、ものすごい勉強熱心だなあとは思うが、学者の能力をどこに無駄遣いしてるんだ?大学教授って、そんなにヒマなのか?というのが結論である。
     そもそも、いくら人の過去の発言を一生懸命になって探して来て、現在と言ってることが違うと指摘したところで、そんなことは全く無意味だ。
      なぜなら、真理とは、常に更新していかなければ到達できないものだからである。
     状況が変われば、そのたびにアップデートしなければ、不確実性の強い時代には適応できなくなる。 「原理主義」に嵌らず、「思想」をし続ければ、意見というものは変わることだってあるし、修正することだってあるし、さらに複雑なバージョンに変化していくこともあるのだ。
     思考はどんどん深化し、複雑になっていく。一次方程式から二次方程式、三次方程式と、どんどん複雑になっていくのと同じようなものだ。
      ところが世の中には、足し算と引き算しかわからない単純な人間がいて、「足し算・引き算では、国会議員の不倫はすべてダメという答えしか出ないぞ!」と叫びまわっているのである。
     なんという哀れな馬鹿か。
  • 「『言論の自由』が委縮した社会で生きたいか?」小林よしのりライジング Vol.180

    2016-06-14 15:50  
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     6月5日、第55回ゴー宣道場を『言論の自由と潔癖王国』というテーマで開催した。
     オバマの広島訪問とその後の賛美一色の報道、北海道の大和君置き去り行方不明事件と父親に対するバッシング、杉並区の保育所建設に対する住民の反対運動、西尾幹二・加地伸行の皇室バッシング対談とそれに抗議する右翼青年の「WiLL」編集部襲撃など、話題は多岐にわたり、あっという間に3時間半が過ぎた。実にテンポよく、有意義な議論ができたと思う。
     ただし、今回の参加者の応募数はいつもより少なかった。
     どうやら一般的には、「言論の自由」と聞いても身近な問題とは感じない人が多いようだ。「言論の自由」とはメディアに携わる者や言論人・表現者だけの専門的な問題で、一般の市井の民には無縁のことだという感覚なのかもしれない。
     あるいは、一般人にとってみては「言論の自由」はあるに決まっていることで、大いに好き勝手言わせてもらってるというくらいに思い込んでいるのだろう。
     メディアにおける「言論の自由」、市民における「言論の自由」、どんな違いがるのか?
    まずは「言論の自由」とは誰にとっても身近で、重要な問題であると理解してもらうことを目標として「ゴー宣道場」の議論を進めた。
    【メディアにおける「言論の自由」】
     そもそもメディアの役割は、権力と国民の間に立って、政府の政策を分かりやすく伝えたり、欠陥がないかチェックしたりするものである。メディアがなければ国民は政府の意図がまったく分からなくなる。選挙の際に何を判断基準にすればいいのかも分からないだろう。
      民主制を機能させるために、メディア・ジャーナリスト・言論人がいる。
     戦争の時代のように、メディアが権力の手先になって、大本営発表だけになってしまえば、国を破滅にだって導くことは証明されているのだから、 メディアが基本的に「権力チェック」になることは常識なのだ。
      そして権力をチェックするには、権力から自由に言論を行使できるという意味での「言論の自由」が絶対に必要になる。
      したがって「言論の自由」を守る「義務」があるのは、権力の側なのである。
     国民には「言論の自由」を行使する「権利」があるのであって、義務はない。これが立憲主義である。
     中国や北朝鮮を見れば、権力に操作された言論の無意味さが、誰だってわかるだろう。
      だが、この日本においても、「言論の自由」は、実はいつの間にか委縮させられているかもしれない。
      実は「言論の自由」がなくなったからといって、日常の生活に目立った支障が出るわけではないのだ。
  • 「武士の個人主義で付き合った堀辺正史氏」小林よしのりライジング Vol.173

    2016-04-12 21:25  
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     第54回ゴー宣道場が 『追悼 堀辺正史 武士道と現代日本』 と題して4月10日に行われた。
     ゴー宣道場を一緒に立ち上げた骨法の堀辺正史創始師範は、昨年12月26日に亡くなった。亡くなる前日は、雑誌の取材を受けてしっかり話をするなど全く普段通りの生活を送り、特に調子が悪い様子もなく就寝し、そのまま眠るように亡くなっていたという。
     東中野の骨法道場で第1回ゴー宣道場が開催されたのは、平成22年4月11日。それからまる6年となる道場が、堀辺氏を偲ぶ場となった。
     ただし追悼と銘打っているとはいえ、決してしんみりと故人を偲ぶことには終始せず、あくまでも公論に結びつけつつ、我々が堀辺氏から何を学んだのかを語っていくようにした。
     わしは堀辺氏の死を知った時、大変驚きはしたが、涙は出てこなかった。
     堀辺氏の奥さんや骨法の門弟たちの悲しみは想像に余りあるし、わし自身堀辺氏とは長年親交があり、その人柄も好きで、男と長電話するのは堀辺氏だけだった。
     わしが単行本を出すたびに、堀辺氏から電話があって、感想を語ってくれた。長電話するのは女とだけだと思っていたので、男と恋人同士みたいに長電話すること自体が自分でも不思議だった。
     なのに、堀辺氏の死を知ったとき、「惜しい。残念」と感じたものの、なぜか泣くことができなかった。
     その時に思い浮かんだのは、堀辺氏が語っていた 「武士の個人主義、足軽の集団主義」 という言葉だった。
     人にはそれぞれ関係性がある。そして、 わしと堀辺氏との関係性は完全に 「武士の個人主義」 で成立していたのだった。
     例えばわしは堀辺氏について、格闘技界における勢力争いやら裏切りやらといった、ドロドロした経験を散々してこられたということは仄聞していたが、そういうことには立ち入らなかったし、堀辺氏もわしの個人的なことまで、あえて触れようとはしなかった。
     恋人同士のように長電話していたのだから、相手の人生に踏み込むことも可能だっただろうが、それは「私的」な領分まで情を沸かせることになり、お互いにそれは望まなかった。 喪失感を感じたときに泣くのだろうから、そこまでの情愛は共に生きる「物語」を共有していなければならない。
     だがわしと堀辺氏は、あくまでも「ゴー宣道場」における「公論」をつくるという構えの中でだけ関わっていたのである。
     わしは最近、NHK朝ドラの『あさが来た』でも『とと姉ちゃん』でも、キャラクターが死ぬとすぐ涙がボロボロ出てきてしまい、ホントに歳をとったと思ってしまう。
     ところが不思議なことに、堀辺氏の死には涙が出ない。それどころか、わしは父が死んだ時も、母が死んだ時も全然泣けなかったのだ。
     ドラマを見ている時は、登場人物が紡ぐ「物語」に没入してしまい、個人主義などなくなっている。油断して「私的」な情愛を沸かせているから、こんないい人が死んでしまうのかと泣いてしまうのだ。
    「五代さまロス」とか「新次郎ロス」とか「あさロス」とか言われたが、それはあくまでもドラマの中の「役」に対する私情なのだ。
     ドラマで泣くくせに、実在の自分の両親の死で泣かないのは非情ではないかと思うかもしれないが、もうわしの家族のドラマは「最終回」を終えていたからである。喪失感がないから「父ロス」にも「母ロス」にもならない。
     両親は福岡に住み、わしは東京に住んで、年に1度か2度しか会うこともなく、もう「小林家」のドラマはずっと前に終わっていたのだ。これが、わしが自立する前で、まだ家族のドラマが続いていたら、もしかしたら泣いたかもしれない。
     むしろ「堀辺ロス」の方がわしには重要で、『大東亜論』の感想を緻密に言ってくれる目利きを失ったのが一番痛い。
     もう一つ言うと、ドラマの『とと姉ちゃん』では、父親が死んだ時に長女だけが涙を見せず、妹たちから非情じゃないかと責められる場面があった。
  • 「中東への介入、戦争へ突き進む日本」小林よしのりライジング Vol.120

    2015-02-10 21:55  
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     第46回ゴー宣道場 「『新戦争論1』と戦後70年」 が2月8日に開催された。
     参加者の応募締め切りが『新戦争論1』の発売日当日で、地域によってはまだ発売前だったにもかかわらず、いつも以上の応募があり、会場は満員となった。みんな、参加応募をしてから当日までに『新戦争論1』を読んで、道場に臨んでくれたようだ。
     タイトルには「戦後70年」とつけたが、今回は特に現在の戦争、すなわちイスラム国を相手に行われている「対テロ戦争」にほぼテーマを絞った。
     わしとしては、人々に、 戦後70年を経て、現在の空気は「戦前」に戻っているということを自覚してほしかった。
     今回の邦人人質殺害を受け、自民党総裁特別補佐の萩生田光一は、 いま安倍政権を批判することは「 政府と国民を離隔させたい相手の思うつぼ 」であり、「 ここは国民が一丸となって政府の取り組みを支援すべき 」だ と発言した。
     つまり「 政府批判はテロ集団の思うつぼ 」と言っている。
    「 この非常時に政権の批判をする者は非国民だ 」と言っていることになる。
     国民は「 思考停止 」せよと政府が言っているのだ。
     本来なら、権力の側がこんなことを言い出したら、真っ先に警戒するのがジャーナリズムの使命であるはずだ。
     ところが、読売新聞特別編集委員の橋本五郎は、「 目の前の敵がいる時に、政権批判はすべきではない 」といった発言をした。
     現政権の判断が、中長期的にどんな影響をもたらすのかということなど考えてはいけない、目の前の敵だけを見て、「 近視眼的 」になれと言っているのである。
    「思考停止せよ」と「近視眼的になれ」が政府の国民への要望である。
     驚くべきことに、大マスコミ・ジャーナリストは、このお達しに従って、政府批判を自粛し、権力に迎合してしまっているのだ。
     しかも、たとえジャーナリストが権力のチェックという本来の機能を果たそうとしたとしても、 新聞も雑誌も、いまは政権批判をしたら売れないという事態に陥っている。
     まるで「戦前」である。支那事変の頃も、ジャーナリズムが権力に迎合し、国民も戦争に反対する新聞など読まないという状態だった。商売上、新聞・ジャーナリズムは、政府・軍部の広報紙にならざるを得ない状態だったのだ。
     
      今わしが伝えたいメッセージは政府の意図とは反対、「思考停止するな」「近視眼的になるな」である。
     実は、今回のケースで人質の救助の問題には、わしは関心を持っていない。国家はどんな理由であれ、邦人を守る義務があるが、さりとて「自己責任」が前提のプロフェッショナルがテロリストに人質に取られた場合に「身代金」を払うのは正しくない。 
      それよりもわしが憂慮するのは、中東に踏み込むのはリスクが高すぎるということを、未だに日本人が十分認識していない危うさである。
     
     テロ組織が「イスラム国」という「国」を名乗るというのは、かつてない画期的な出来事だった。
     イスラム国は、イラク戦争の結果誕生した。
     崩壊させられたフセイン政権にいたバース党幹部が、イスラム過激派と手を組んだのがイスラム国であり、実際にかつて国家を動かしていた者たちが官僚機構を整えたから、「国家」の体裁をとれるのである。
      イラク戦争がなければ、イスラム国が登場することは決してなかったのだ!
     そもそも