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  • 「なぜ安倍政権は欧米から危険視されるのか?」小林よしのりライジング Vol.75

    2014-02-25 20:15  
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    安倍首相の靖国神社参拝は、中国・韓国だけでなく、欧州からも不評で、何と言ってもアメリカから「失望」声明を出されたことが安倍政権には痛かったようだ。
     米大使館のフェイスブックが、ネット右翼たちの攻撃で炎上してしまったことで、米政府に安倍政権の「コアな支持層」の攻撃性・反知性的な獣性が伝わり、益々、アメリカ人の安倍晋三への警戒心が強まっただろう。
     ネット右翼たちは自分たちが日米関係を阻害し、国益を損ねていることにまったく気づかない。
     自称保守派の言論人は、最初のうちは「失望」という言葉はそれほど重い意味合いはないと主張していたが、今頃事態の深刻さに気付き始めたようだ。
     さらに ダボス会議 で安倍首相が、現在の日中間の緊張を、 第一次大戦前の英独関係 に例えたのは最悪だった。
     これで欧州では、安倍首相は「 右翼のルーピー 」と蔑まれるようになり、中国を利することになった。
     日本人はダボス会議での安倍首相の発言の重大性をわかっていない。自称保守派も含めて、「平和ボケ」のサヨクだからだ。
     安倍首相は欧州の報道陣の前で、「 日中間の悪化した関係が100年前の、第一次世界大戦の前の英独関係を思わせる。だがしかし、日中は、大きな経済的相互依存関係にあり、両国の経済的繁栄が地域の平和における防波堤になっている 」と述べたが、無知の知ったかぶりで「第一次世界大戦前夜」の例をわざわざ出したことが大失敗だった。
     さらに「 中国は年間の軍事費を10%のペースで増加させているし、しかも不透明だ 」と中国を非難し、日中の軍事的緊張関係を強調した。
     そして質疑応答で、 日中戦争の可能性を明確に否定しなかった。
      これに欧米の報道機関は驚き、BBCの記者は恐怖を感じたのだ。
     欧州にとって 第一次世界大戦 は第二次世界大戦よりも恐怖を感じさせる非常にセンシティブな問題である。安倍首相が笑みを浮かべながら堂々と持ち出せる話題ではないのだ。
      1914年のオーストリアの大公夫妻が銃撃されるという小規模な事件が、同盟のコミットメントを引き起こして、連鎖的に広範囲な世界大戦に拡大したのが第一次世界大戦である。
     戦争が 国家総力戦 となった始まりであり、ヨーロッパ全土に亘って悲惨な物的・人的被害がもたらされ、足掛け5年に亘って900万人以上の兵士が戦死した。
     欧米の政治家や知識人たちは、この些細な火種から世界大戦に拡大するシナリオを熟知していて、日中関係をまさに世界大戦前夜として捉え、緊張感を持って論じている。例えばハーバード大学のジョセフ・ナイはこう言う。
    「我々の中で1914年の例を引き合いに出して議論した。誰も戦争を望んでないのはわかっているが、それでも我々は日中双方に対してコミュニケーションの失敗やアクシデントについて注意するよう促した。抑止というのは合理的なアクターたちの間では大抵の場合には効くものだ。ところが1914年の時の主なプレイヤーたちも、実は全員が合理的なアクターたちだったことを忘れてはならない」
     ナイ教授の同僚のグラハム・アリソンもこう言う。
    「1914年の時のメカニズムは非常に役立つものだ。セルビア人のテロリストが誰も名前の聞いたことのない大公を殺したことで、最終的には参戦したすべての国々を破壊させてしまった大戦争を引き起こすなんて、一体誰が想像しただろうか?私の見解では、中国の指導部はアメリカに対して軍事的に対抗しようとするつもりはまだないはずです。しかし中国や日本の頭に血が上ったナショナリストたちはどうでしょうか?」
     1914年当時のドイツの支配層も、民衆からの政権批判を逸らすためにナショナリズムを利用した。
     中国共産党も同様の理由でナショナリズムを利用している。そして日本では自称保守のタカ派やネット右翼が、安倍晋三を衝き動かす構図になっているのだ。
     欧米人が大学の国際関係で最初に学ぶのは、古代ギリシャの「 ぺロポネソス戦争 」である。欧米人の感覚を理解するために、思いっきり大雑把にこの戦争についても解説しておく。
     古代ギリシャでは、優れた民主制度を作り上げていた アテネ を中心とする デロス同盟 が覇権を拡大し、支配力を強めていた。これに スパルタ を中心とする ペロポネソス同盟 は危機感を覚えていた。
     多分、現代の欧米人はアテネをアメリカ、スパルタを中国と連想するかもしれない。
     その緊張関係の中で、コリントスの植民地とアテネの小さな紛争が起こり、これがきっかけとなって、紀元前431年~前404年、二つの同盟は大規模な戦争に発展していった。
     このときアテネ内部で多数現れたのが「 デマゴーゴス(扇動政治家) 」である。
     現在の日本で言えば、強硬なタカ派・右傾化した自称保守のようなものだ。
     この「デマゴーゴス」が、先導的な詭弁や嘘を「 デマ 」という起源である。
      民主制の中で台頭したデマに長けた指導者は、民衆を扇動して、アテネは衆愚政治に陥り、ペロポネソス戦争の和平案を次々と潰していき、国力が衰退して、ついにペロポネソス同盟に降伏することになるのである。
     この戦争はギリシャ全体の衰退の原因となった。
      欧米人はこの戦争から、「最終的に戦争が回避できない」という政策決定者の確信が、戦争を招くという教訓を学ぶ。
     戦争を回避できないとなれば、相手を信頼しない、先に裏切った方が安心ということになり、アテネ人もこの選択で戦争に突入し、破滅した。
      政治家は「最終的な戦争が避けられない」というニュアンスを見せてはならない。
     安倍首相の靖国参拝や、ダボス会議での言動は、欧州の知識人層に、戦争をもくろむ危険な指導者、極めつけの馬鹿、「 右翼のルーピー 」の評価を決定づけ、中国ロビーの「日本が中国を挑発している」という宣伝活動を利する結果になった。
     日本の政治家や自称保守の論客たちは、第一次世界大戦が欧米人に与えた教訓を知らない。
     とんでもない安倍首相のミスを、自民党議員や自称保守派は「通訳が悪い」と言って、通訳に責任転嫁していたのだから、もはや手が付けられないアホである。
  • 「『建国記念の日』に反対した三笠宮崇仁殿下の情念」小林よしのりライジング Vol.74

    2014-02-18 13:10  
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     2月11日、わしは 田中卓 氏(皇学館大学名誉教授・古代史学の泰斗)に頼まれて大阪の国民会館で講演したが、そのとき「 建国記念の日 」の成立には、田中卓氏ら尊皇の本物の保守知識人と、左翼勢力のシンボルとしてこの祝日制定に猛反対した 三笠宮崇仁親王殿下 の激しい論争があったことを話した。
     安倍首相はこの日、「建国記念の日」を寿ぐメッセージを出し、産経新聞は社説で未だに政府主催の式典が開かれないことを嘆いていたが、そもそも安倍首相も産経新聞も自称保守派&ネトウヨも、この祝日の成立に最も寄与した人物を知っているのだろうか?
      それは皇統の「女系公認」を主張する田中卓氏である。
      そもそも神武天皇の実在を証明したのは田中卓氏なのだから、この学者がいなければ「建国記念の日」は2月11日に復活することはなかったはずだ。
     現在の「建国記念の日」は、昭和23年(1948)までは「 紀元節 」といった。
     初代天皇・神武天皇が橿原宮に即位した日を『日本書紀』の記述から推定し、日本の建国を祝う日として明治6年(1873)に定めたのである。
      しかし戦後、GHQによって紀元節は廃止されてしまった。
     そこで本土の占領が終了した昭和27年(1952)から「 紀元節復活運動 」が盛り上がりを見せるようになる。
     世論は復活賛成が圧倒的で、昭和32年(1957)に自由民主党の衆議院議員らが「 建国記念日 」制定に関する祝日法改正案を国会に提出。しかし日本社会党の反対によって審議未了となった。
     その後も根強い国民の希望がありながら、左翼政党や「進歩的文化人」らの反対により、「建国記念日」制定の法改正案は9回も提出と廃案を繰り返し、10年近くにも及ぶ攻防が繰り返された。
      その間、左翼側に立って「紀元節復活反対」の運動に大きな役割を果たしたのが、昭和天皇の弟で現在98歳の 三笠宮崇仁(たかひと)殿下 である。
     三笠宮殿下は昭和32年(1957)、日中友好論者(もちろん左翼)の東洋史学者、三島一の還暦を祝う会のあいさつで、次のような発言をした。
    「2月11日を紀元節とすることの是非についてはいろいろ論じられているが、肝心の歴史学者の発言が少ないのはどうしたわけか」
    「先日松永文相に会ったとき、『日本書紀に紀元節は2月11日とは書いてない』といったら驚いていた」
    「このさい、この会をきっかけに世話人が中心となって全国の学者に呼びかけ、2月11日・紀元節反対運動を展開してはどうか」
    「この問題は純粋科学に属することであり、右翼左翼のイデオロギーとは別である」
    「日本書紀に紀元節は2月11日とは書いてない」なんてことを問題視しているのにも驚くが、「純粋科学に属すること」という発言も不可解である。
     紀元節復活論争では、戦前の正史批判によって 左翼に絶大な人気があった 津田左右吉 でさえ「 史 実ではないが、キリストや仏陀の降誕も同様なことだ 」として、儀式としての祝日を是認 したのだが、三笠宮にはこのような見識もなかったのである。
     この三笠宮殿下の発言は毎日新聞同年11月13日付でスクープされ、大きな波紋を巻き起こした。
     これを機に、尊皇派の学者・論客が立ち上がり、翌昭和33年(1958)4月に『 神武天皇紀元論―紀元節の正しい見方― 』という本を刊行。
     この編集・刊行を担当したのが若き日の 田中卓 博士で、企画から出版までわずか1ヶ月半で、 平泉澄・肥後和男・樋口清之・葦津珍彦・小野祖教・田中卓 など、錚々たる25名もの学者が執筆し、「紀元節」賛成の論文集を発行したのだった。
      田中氏はこの本が完成するとすぐに、三笠宮家に献上。これは三笠宮殿下に対する「諫言」だった。
      しかし三笠宮殿下の「紀元節復活反対」はもはや「信念」と化しており、著名な左翼系の学者に電話をかけたり、自筆書簡を郵送したりと、直接の働きかけまでしていた。
     そして昭和33年11月、殿下は歴史学者として所属していた 「史学会」の東京大学における大会総会において、「反対決議をせよ」と強く主張。 坂本太郎理事長がこれを「政治的」だとして拒否すると、脱会を宣言して席を蹴ったのだった。
     三笠宮殿下は「文藝春秋」昭和34年(1959)1月号では、『紀元節についての私の信念』と題して次のように語っている。
    「真理を主張するのがなぜいけないのか」
    「紀元節の問題はすなわち日本の古代史の問題である」
    「(紀元節復活に反対するのは)生き残った旧軍人としての私の、そしてまた今は学者としての、責務である」
    「もし二月十一日が祝日にきまれば、われわれはその廃止運動を展開するであろう」
     この中で 「旧軍人としての」責務 という発言があることに注目してもらいたい。
     三笠宮は戦時中、陸軍大尉として南京の支那派遣軍総司令部に勤務していたが、その時にシナ軍のプロパガンダをすっかり信じ込んでしまったらしく、離任の際には総司令部の全将校を前に、「 軍部が中国に対して反省と謙虚さを欠いて侵略したことを厳しく批判 」する内容の講和を行ない、「 情誼的で人情を重んずる 」中国人の心情を理解せよと説いていた。
     戦後は「 人数は関係なく、南京大虐殺はあった 」とか、「 八路軍の婦女子に対する厳正な軍規と、モラルなき日本陸軍の蛮行 」とかを語り、「 天皇の戦争責任 」まで言及した。
  • 「『明日、ママがいない』と児童養護施設の実態」小林よしのりライジング Vol.73

    2014-02-11 10:30  
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     つい最近、1月30日も東京都葛飾区のマンションで、2歳児が父親(33)に虐待されて死亡した事件があった。2歳児の顔や背中には約30か所のあざが残っており、父親は日常的に虐待していたらしい。
     母親(26)は何をしていたんだと思うが、DVの夫の機嫌を損ねまいと、見てみぬふりをしてたのだろう。こういう事件をニュースで知るたびに、胸がムカムカする。
     子供が好きでも授かることが出来なかったわしのような大人もいれば、よりによって子を授かる資格のない大人のところに生まれてしまった子供がいる。神がいないことの証明だ。
     子供を手離さなければならない悲しい状況の親ならやむを得ない。
     虐待死させるくらいなら「赤ちゃんポスト」もやむを得ないし、あった方がいいとわしは考える。
     親が子を施設に入れることも、やむを得ない境遇もあるだろう。
      2011年度に新たに児童養護施設に入った5485人の入所理由は、親の虐待(33%)、親の放任怠慢(12%)、監護困難(6%)、親の入院(6%)等である。
     馬鹿な親のせいで、施設に入れられた子供が圧倒的多数ではないか。
      自分の快楽のためだけに無責任に子供を捨てる大人や、そのような社会を生み出してしまう大人たちに対して、怒りを表明する資格が、捨てられた子供にはあると思う。
     子供にはその表現力はないから、子どもの代弁をする大人・作家がいれば、それは有り難いとわしなら考えるのだが。
     テレビドラマ 「明日、ママがいない」 は、子どもに感情移入させて、大人たちを告発する構図だから、視聴者にも大人や社会に対する怒りが芽生える番組である。
     子役の演技で泣かされるのが嫌なわしは、この番組を見たくなかったのだが、児童養護施設からの抗議などが殺到して、CMのスポンサーが全部降りてしまったと聞き、第一話から見てみることにした。
     案の定、子役の演技に涙をこらえながらの視聴になり、大人と社会への憤りで血がたぎってしまった。やっぱりわしって単純である。
     もっと取材してリアルに作れと抗議団体は言うが、もしNHKがドキュメンタリーで作れば、何の摩擦も起こらない多くの不遇の一つとして放送され、すぐに忘れられるだろう。
     この世に不遇や不幸は五万とあるのだ。
     優れた脚本家が題材にして、ディレクターや俳優、特に天才子役たちなどのプロが作品を作り上げ、多くの視聴者を獲得できる地上波で放送されるのはチャンスのはずなのに、当事者である施設が潰してしまうとは。
     物語として創作され、子供たちに感情移入が出来てこそ、視聴者は施設の子供や、施設出身者に対する偏見を捨て、応援したくなる気持ちになるのだ。
     逆に悪意が芽生えて、施設の子を「ポスト」と呼んでいじめる児童も出てくるかもしれない。 それは元々持っていた「偏見」が顕在化した現象である。秘かに差別していた証拠である。
    「秘かな差別」がいいか、「顕在化した差別」がいいかと言えば、わしは「顕在化した差別」の方がいいと思う。なぜなら戦うべき相手が明確になるからだ。
    「秘かな差別」の方が性質が悪くて、結婚や就職など、人生の決定的場面で顕在化して、被差別者に重大な衝撃を与える。それが原因で自殺する者だっている。
     部落差別などの取材をして描いたわしの『差別論』では、そういう事例を取り上げている。
    「施設の子供が傷つくから」という理由で、タブーにしてしまうことが、社会の偏見を取り除くことになるのだろうか?
      しょせんは戦わなければならない宿命の子供たちなのだ。普通の子供よりは、はるかに強靭な精神を身につける必要がある。「明日、ママがいない」はそういうことを描こうとしているのではないか?
     わしがブログで「明日、ママ」はテーマのある良い作品だと書いたら、当事者からの投稿があった。
    「明日、ママがいない」への感想を見ました。
     私達、児童養護施設出身者の気持ちを共感して頂いてうれしいです。
     職員や今入所している児童はこのドラマに反対の人が多いみたいですが、施設を退所した出身者はドラマを評価している人が多いそうです。
     私が思うには、良い施設で育った人は施設の悪い面を知らないし、親に虐待された経験者が多いから反対、悪い施設で育った人は施設で酷い事をされた事からドラマ肯定という意味もあると思います。
     職員は、「施設内虐待なんて何十年前の事だ!」と言いますが、今もあります。報道されていますし、「施設内虐待を許さない会」というのもあります。
     児童間暴力を規律が良くなるからと、むしろ良しとしている職員もいます。
    「そんなの例外だ!一部だ!」と言う職員もいますが、私達例外とされた人は支援も何もありません。また、発覚するのはごく一部で、私が毎日受けた暴力は一件も発覚していないはずです。
     大事なのは、施設が虐待をし、今もトラウマをもって苦労している元こどもへの支援を言っている職員を見た事がありません。当事者意識がないと思います。
     親から虐待を受けたこどもを、良い施設が保護し回復していくというドラマなら施設関係者は反対しないでしょうが、施設から虐待をされた人達は暗部を隠す事に傷つきます。
     でもその事をツイッターで施設職員に言ってもたいした反応はしません。
     虐待を受けても今は大人なんだから自分で頑張っていくしかないというなら、そもそも施設なんていらないです。そうした事を考えていないからああした抗議になるのでしょう。
     また、施設間格差は大きく、例えば施設児童の大学・専門合わせた進学率は23%(一般人は77%)ですが、東京の施設だと約5割と高い数字です。
     地方には戦後一例も進学者がいない施設もありますが、施設児童への進学支援は都会程あり、ますます格差は広がる事になります。(里親家庭も進学率は高い)
     よしりんには日本の児童養護施設の貧弱さ、施設内虐待の被害者の支援のなさ等を是非分かってほしいと思います。
     わしは「明日、ママ」の養護施設は、さすがに過剰に描いたものだと思っていたが、どうやら荒唐無稽ではないらしい。そのことにショックを受けた。
     さらに当事者ではないが、こんな投稿もあった。
  • 「団塊世代の成長神話は厄介だ」小林よしのりライジング Vol.72

    2014-02-04 17:50  
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     世代論は意味ないと思っていたが、それはあくまでも例外がいるし、上の世代が下の世代を理解できずに、批判したり、説教し始めるからである。
     だが、やはり世代の経済状況や風潮に、人格が影響されていることはあるようだ。
      最近は「草食系」とか「さとり世代」という批判が若者に向けられているが、物欲・性欲が少ないのが、資本主義にとって不都合だからである。
     トヨタがAKB48に関わりだして、全国・各県からの応募で選出された少女たちで「チーム8」を作り、そのスポンサーになるという企画が発表された。
     これは車離れした若者たちに関心を持たせて、国内市場の開拓に力を注ぐ必要からだろう。
     果たして「 さとり世代 」に物欲が芽生えるか?
     だがわしは「 バブル世代 」よりも、「さとり世代」の方が好感を持っている。
    「バブル世代」の物欲の強さ、ブランド趣味、派手さ、金銭欲の強さ、マニュアル主義にはうんざりさせられたものだ。
     そのような風潮に天罰を下そうと描いた『マル誅天罰研究会』は人気が最下位になって打ち切り、数年後『おぼっちゃまくん』でバブルを皮肉って大ヒット、雪辱を果たした。
     わしが大学生の頃は、上の世代から「 三無主義 」とか「 シラケ世代 」と言われていた。
      学生運動をやっていた「団塊の世代」からは、わしの世代は「無気力・無関心・無責任」の三無主義に見えていたらしい。
     わしは内ゲバで殺し合いまでしていた学生運動の世代を、高校生の頃、テレビや新聞で見ていて、馬鹿にしていた。
    「学問とは何か?」とか、「大学とは何か?産学共同体でいいのか?」とか、教授陣に詰め寄る学生たちの甘えはアホらしくて見てられないと思った。
     自分で考えろ!大学なんかやめちまえ!と思っていた。
     だから大学に行く気はなかったのだが、漫画家になるためにも読書が必要だと担任の先生に説得され、進学することにした。
      大学では政治には一定の距離をとり、漫画家という自分の現場をとることを目指して、個人主義に徹していた。
     すると新聞や雑誌で、「三無主義」と批判されていることを知ったのである。
    「 馬鹿野郎が!無意味に運動ばっかりして、どうせ卒業したら髪を切って体制側に寝返ったくせに! 」それが団塊世代に対するわしの憤りだった。
     ところが同じ学部にマルクス主義にのめり込んでる男がいて、授業料値上げを撤回させる学生運動に誘われ、貧乏な友人のため、実はわしも貧乏だったこともあり、付き合いでデモに加わったり、学生運動の溜まり場に顔を出すようになった。
     そんな場所に可愛い女がいたので、好奇心が湧いたのだ。
     だがどうしてもヘルメットと顔を隠すタオルがダサくて嫌で、顔を出してたら大学のブラックリストに載ってしまうし、体育会の連中に殴られるのもあほらしいと思い、漫画家になるために進学した原点に戻ろうと決意して、運動の仲間とは決別した。
     それからは講義にも出席せず、毎日自宅に籠もって本を読み、カネが無くなったらバイトして、夜は女とデートしていた。
     そのときの読書と恋愛の体験が、プロの漫画家になってからの人生に影響を与え、政治への批判精神は漫画の中で開花してしまった。
    『東大一直線』も『おぼっちゃまくん』も時代風潮への風刺であり、『ゴーマニズム宣言』はもっと政治に直結する作品となった。
     都知事選に立候補した人物で目立っている者の年齢を見ると、宇都宮健児(67)田母神俊雄(65)舛添要一(65)が「団塊の世代」だ。
     細川護煕(76)だけが小泉純一郎(72)と共に戦中生まれで敗戦後の時代に育っている。
     舛添が「 史上最高のオリンピック 」と言った時に気付いたのだが、いかにも高度経済成長のイケイケ感を体現した「団塊世代」の思考パターンなのだ。
     田母神が原発推進で、公共投資絶対でハコモノ推進の東京五輪を唱えるのも、いかにも「団塊世代」の思考である。
     宇都宮は違う雰囲気に見えるかもしれないが、実はマルクス主義的な、徹底的に弱者からの視点のみを重んじるところが、やはり学生運動が盛んだった「団塊世代」の申し子のような人格である。