• このエントリーをはてなブックマークに追加

今なら、継続入会で月額会員費が1ヶ月分無料!

記事 7件
  • 「衝撃!新国立競技場のデザインはオ○ンコだった」小林よしのりライジング Vol.141

    2015-07-28 10:25  
    150pt

    電子書籍の機能を使用するには、記事を購入してください

     2020年の東京オリンピックに向けて新築される新国立競技場の建設計画が白紙に戻された。
     安保法制の衆議院強行採決によって支持率が急降下した安倍政権が、人気取りのためだけに打ち出した行きあたりばったりの政策ではあるが、とにかくあの馬鹿げたデザインの競技場が建たなくなったことだけはよかった。
     イラク出身の女性建築家、ザハ・ハディドによる奇妙で巨大すぎる競技場のデザインに対しては、早くから反対の声が上がっていた。
     平成25年(2013)8月に世界的建築家・槇文彦氏が最初に反対意見を表明、これを受けて当「小林よしのりライジング」でも同年10月1日配信のVol.56で「新国立カブトガニ競技場の異様」と題して徹底批判を行った。
    http://ch.nicovideo.jp/yoshirin/blomaga/ar357454
     それから2年近くを浪費し、オリンピック開幕まであと5年というギリギリのところでようやくの計画見直しとなったわけだが、問題とされるのは建設費がかかりすぎるという点ばかりである。
     わしは、 隣接する明治神宮外苑の歴史的景観が破壊されることを第一に問題視したのだが、そういう意見はほとんど考慮されていない。 これではたとえ計画が見直されても、安価で景観を破壊する競技場ができるだけということになりかねない。
     そこでもう一度、近代建築物と歴史や文化、環境についての問題に立ち返って考えておきたい。
     Vol.56でも書いたが、 最初に反対の声を挙げた槇文彦氏は 「建築物はそれ単体で存在するものではなく、周囲の環境と調和し、人々に愛されるものでなくてはならない」 と主張している。
     今回の場合は、明治神宮が作られた経緯や、人々が守り愛してきた景観に対する理解は不可欠である。
      だがザハ・ハディドのデザインは、歴史や伝統文化といったものとは全く無縁、というよりむしろそれらを敵視している。彼女は明治神宮の歴史的経緯も知らないし、現地を訪れたことすらない。
     ザハ・ハディドは、「現代建築における脱構築主義の旗手の一人」だという。「脱構築主義」とは、特定の形式や先入観(イメージによる把握)等々を解体し、既知と未知の世界のエッジに挑戦するとかいう思想なのだそうで、特定の何かに似ているようなデザインは絶対にしないのだそうだ。だから、たとえそのデザインが「自転車のヘルメット」や「宇宙船」や「カブトガニ」のように見えたとしても、それは「偶然」でしかないという。
     これを聞いてわしは、今どきポスト・モダンか? 今どき「あらゆる意味から逃げろや逃げろ」か!? と思ったものだ。そもそも人間に、全く何にも似ていない、一切の意味がないデザインなんてものが思い浮かぶのだろうか?
      そうしたら案の定、例の新国立競技場のデザインにも、ある特定のモチーフがあるのではないかという話が囁かれ始めた。
      なんと、それは、女性の性器だというのだ。
     デザインは途中で予算を圧縮するために修正されたが、最初のザハ案のデザインは、上空真正面からの図では、こういうものだったのである。

      あわや明治神宮外苑の隣に、おまんこスタジアムを建設するところだったのか!?
     問題になった総工費950億円のキールアーチは、つまり小陰唇だったのか? 950億円の小陰唇……!?
     実は、ザハ・ハディドは以前にも似たようなデザインの問題で物議を醸している。
  • 「団塊世代の成長神話は厄介だ」小林よしのりライジング Vol.72

    2014-02-04 17:50  
    154pt

    電子書籍の機能を使用するには、記事を購入してください

     世代論は意味ないと思っていたが、それはあくまでも例外がいるし、上の世代が下の世代を理解できずに、批判したり、説教し始めるからである。
     だが、やはり世代の経済状況や風潮に、人格が影響されていることはあるようだ。
      最近は「草食系」とか「さとり世代」という批判が若者に向けられているが、物欲・性欲が少ないのが、資本主義にとって不都合だからである。
     トヨタがAKB48に関わりだして、全国・各県からの応募で選出された少女たちで「チーム8」を作り、そのスポンサーになるという企画が発表された。
     これは車離れした若者たちに関心を持たせて、国内市場の開拓に力を注ぐ必要からだろう。
     果たして「 さとり世代 」に物欲が芽生えるか?
     だがわしは「 バブル世代 」よりも、「さとり世代」の方が好感を持っている。
    「バブル世代」の物欲の強さ、ブランド趣味、派手さ、金銭欲の強さ、マニュアル主義にはうんざりさせられたものだ。
     そのような風潮に天罰を下そうと描いた『マル誅天罰研究会』は人気が最下位になって打ち切り、数年後『おぼっちゃまくん』でバブルを皮肉って大ヒット、雪辱を果たした。
     わしが大学生の頃は、上の世代から「 三無主義 」とか「 シラケ世代 」と言われていた。
      学生運動をやっていた「団塊の世代」からは、わしの世代は「無気力・無関心・無責任」の三無主義に見えていたらしい。
     わしは内ゲバで殺し合いまでしていた学生運動の世代を、高校生の頃、テレビや新聞で見ていて、馬鹿にしていた。
    「学問とは何か?」とか、「大学とは何か?産学共同体でいいのか?」とか、教授陣に詰め寄る学生たちの甘えはアホらしくて見てられないと思った。
     自分で考えろ!大学なんかやめちまえ!と思っていた。
     だから大学に行く気はなかったのだが、漫画家になるためにも読書が必要だと担任の先生に説得され、進学することにした。
      大学では政治には一定の距離をとり、漫画家という自分の現場をとることを目指して、個人主義に徹していた。
     すると新聞や雑誌で、「三無主義」と批判されていることを知ったのである。
    「 馬鹿野郎が!無意味に運動ばっかりして、どうせ卒業したら髪を切って体制側に寝返ったくせに! 」それが団塊世代に対するわしの憤りだった。
     ところが同じ学部にマルクス主義にのめり込んでる男がいて、授業料値上げを撤回させる学生運動に誘われ、貧乏な友人のため、実はわしも貧乏だったこともあり、付き合いでデモに加わったり、学生運動の溜まり場に顔を出すようになった。
     そんな場所に可愛い女がいたので、好奇心が湧いたのだ。
     だがどうしてもヘルメットと顔を隠すタオルがダサくて嫌で、顔を出してたら大学のブラックリストに載ってしまうし、体育会の連中に殴られるのもあほらしいと思い、漫画家になるために進学した原点に戻ろうと決意して、運動の仲間とは決別した。
     それからは講義にも出席せず、毎日自宅に籠もって本を読み、カネが無くなったらバイトして、夜は女とデートしていた。
     そのときの読書と恋愛の体験が、プロの漫画家になってからの人生に影響を与え、政治への批判精神は漫画の中で開花してしまった。
    『東大一直線』も『おぼっちゃまくん』も時代風潮への風刺であり、『ゴーマニズム宣言』はもっと政治に直結する作品となった。
     都知事選に立候補した人物で目立っている者の年齢を見ると、宇都宮健児(67)田母神俊雄(65)舛添要一(65)が「団塊の世代」だ。
     細川護煕(76)だけが小泉純一郎(72)と共に戦中生まれで敗戦後の時代に育っている。
     舛添が「 史上最高のオリンピック 」と言った時に気付いたのだが、いかにも高度経済成長のイケイケ感を体現した「団塊世代」の思考パターンなのだ。
     田母神が原発推進で、公共投資絶対でハコモノ推進の東京五輪を唱えるのも、いかにも「団塊世代」の思考である。
     宇都宮は違う雰囲気に見えるかもしれないが、実はマルクス主義的な、徹底的に弱者からの視点のみを重んじるところが、やはり学生運動が盛んだった「団塊世代」の申し子のような人格である。
  • 「新国立カブトガニ競技場の異様」小林よしのりライジング Vol.56

    2013-10-01 19:45  
    154pt

    電子書籍の機能を使用するには、記事を購入してください

    「新国立カブトガニ競技場の異様」
     2020年東京五輪のメイン会場として、現在の国立競技場等を取り壊して建設される新国立競技場のデザインを見た時、即座に「なんじゃこりゃ?」と思った。
     これは自転車のヘルメットか? 宇宙船か?  カブトガニか?
     
     これをデザインしたのは、イラク・バグダッド出身でイギリス在住の女性建築家、ザハ・ハディドである。何でも彼女は「 現代建築における脱構築主義の旗手の一人 」だそうだ。
     で、その「 脱構築主義 」とは何かというと、特定の形式や先入観(イメージによる把握)等々を解体して、既知と未知の世界のエッジに挑戦するとかいう思想なのだそうで、特定の何かに似ているようなデザインは絶対にしないのだそうだ。
     だから、たとえこのデザインが「自転車のヘルメット」や「宇宙船」や「カブトガニ」のように見えたとしても、それは「偶然」でしかないんだそうだ。
      今どきポスト・モダンか? 「あらゆる意味から逃げろや逃げろ」か!?  
     わしは80年代の昔懐かしい感覚がしてしまうのだが、若い人が聞いたって「中二病か?」と揶揄するんじゃなかろうか。
     歴史も文化も破壊し尽くされたイラクからヨーロッパに逃れ、世界を舞台に個人の実力だけを頼りに生きてきた人がそういう思想に嵌るというのもわかりやす過ぎる構図であるが、それはこの際どうでもいい。
      ここでは、このデザインコンセプトは歴史や伝統文化といったものとは全く無縁、というよりむしろ敵視しているということだけ確認しておきたい。
     新国立競技場のデザインは国際的に公募が行われ、コンペの結果決定されたのだが、そもそも公募のあり方自体に問題があったのではないかと指摘されている。 というのも、その応募資格が次のような、とんでもなくハードルの高いものだったからである。
    応募者の代表者若しくは構成員が次のいずれかの実績を有する者であること。 
    ① 次のいずれかの国際的な建築賞の受賞経験を有する者
    1) 高松宮殿下記念世界文化賞(建築部門)
    2) プリツカー賞
    3) RIBA(王立英国建築家協会)ゴールドメダル
    4) AIA(アメリカ建築家協会)ゴールドメダル
    5) UIA(国際建築家連合)ゴールドメダル
    ② 収容定員 1.5 万人以上のスタジアム(ラグビー、サッカー又は陸上競技等)の基本設計又は実施設計の実績を有する者
     ①で挙げられている賞は「建築界のノーベル賞」といわれるプリツカー賞をはじめ、国際的に権威のある賞ばかり。日本人受賞者は槇文彦、磯崎新、谷口吉生、伊東豊雄、安藤忠雄、SANAA(妹島和世+西沢立衛)だけで、安藤忠雄はこのコンペの審査委員長だから、応募資格のある日本人は5組しかいない。
     あとは②に該当する、収容定員 1.5万人以上のスタジアムを設計した実績のある人だが、それもそんなにいるはずないだろう。  最初から応募資格をここまで限っているのに、主催する「独立行政法人日本スポーツ振興センター」は公募の際に新聞全面広告まで出していた。
     ①の賞のうち、高松宮記念、プリツカー、AIA、UIAの4つを受賞し、幕張メッセなどの作品で知られる 槇文彦氏 は、国際コンペは無名に近い建築家が歴史的建造物を作る可能性もあるという夢やロマンがあるべきだという理由から、このコンペには参加しなかったと語っている。
     その槇文彦氏が、決定した新国立競技場建設案に異議を唱えたエッセイが話題を呼んでいる。
     http://www.jia.or.jp/resources/bulletins/000/034/0000034/file/bE2fOwgf.pdf
     槇氏はまずこの決定案を見て、美醜や好悪の問題以前に、この狭い敷地にこんな巨大なものを建てるということ自体に疑問を持ったという。 建築物はそれ単体で存在するものではなく、周囲の環境と調和し、人々に愛されるものでなくてはならないからだ。
     「 巨大建造物は必ずしもそこに住むもの、通過するものにとって親しまれ、愛されるものであるとは言えないのだ 」と槇氏は言う。
     国立競技場は、道路一本を挟んですぐ明治神宮外苑に隣接している。そのためまず明治神宮の説明をしなければならない。
      明治神宮は、未曾有の国難を乗り越えてきた時代の中心にあった明治天皇を永遠に称えたいとの思いから創建された。
     明治天皇の陵墓が遺言によって京都に作られることになったため、それならば御霊をお祀りする神社を建てたいという声が民間の側から澎湃として沸き起こったのである。
     場所については、富士山をはじめ、筑波山、箱根山などの景勝地が名乗りを上げたが、明治を記念するには、明治に首都となった東京に建てるべきだという意見が通り、代々木御料地に決まった。
      しかし当時のその地は「不毛原野」であり、近郊の発電所などの煙害もあり、神聖さに欠けると懸念された。
      そこでこの地を人の手によって神域にふさわしい鎮守の森にしようという、前代未聞の大プロジェクトが行われたのである。
     計画には西欧に留学した林学者たちの最先端の知見が投入された。 全国からは365種類10万本の樹木が寄付され、植樹は全国からのべ11万人の若者が上京し、ボランティアで行なった。そして、今では自然林としか思えないような豊かな森が作り上げられたのである。
     明治神宮はこの鎮守の森や社殿などがある「内苑」と、その東側に位置する「外苑」で構成されている。
       
     外苑はプロ野球ヤクルト・スワローズの本拠地である神宮球場(正式名称は「明治神宮野球場」)などのスポーツ施設で有名だが、ここはれっきとした明治神宮の一部である。
      外苑はスポーツ公園として作られたものではなく、本来の中心施設は明治天皇のご誕生からご葬儀までの人生と、その間の歴史的出来事を描いた80点の絵画を展示する「 聖徳記念絵画館 」(以下「絵画館」)である。
     この絵画館には、『江戸城開城談判』や『憲法発布式』など、誰もが歴史の教科書で見たことがある有名な絵画の実物が常設展示されている。
     そして、そのすぐ隣に今度建て替えられる国立競技場が位置していることを、まず上の地図で確認してもらいたい。
     青山通りから外苑に入ると見事ないちょう並木が続き、その焦点に絵画館が位置している。
        
     槇文彦氏は「 その姿に強い印象を受けないものはないであろう。特に周縁が闇に包まれ、絵画館の灯りだけが夜空に浮かび上がるその光景は、東京の数少ない都市景観の一つに数え上げてよい 」と絶賛する。
     これを見ると、神宮外苑がいちょう並木と絵画館を中心に設計されたことがよくわかる。
      スポーツ施設は当初の計画にはなく、市民憩いの公園として整備していく途中で各スポーツ団体から陳情が相次いだため、「外苑創設の精神」に抵触しない範囲でということで受け入れたら、いつの間にか「軒を貸して母屋を取られる」状態になってしまったのである。
  • 「世界の原発風刺画は被災者を侮辱したのか?」小林よしのりライジング Vol.55

    2013-09-24 19:35  
    154pt

    電子書籍の機能を使用するには、記事を購入してください

    「世界の原発風刺画を断固支持する!」   「漫画に必要なのは、風刺と告発の精神である」  手塚治虫は、そう言った。  特にこの言葉を意識していたわけではないが、わしもデビューして37年、気がついてみれば風刺と告発の漫画ばかり描いてきた。  いよいよ今週・9月26日発売の 『AKB48論』 (幻冬舎)も、ひたすら楽しげにAKB48を紹介しているように見えながら、実は「アイドル」を通して現代人の聖性への感覚や、消費者としての感覚、コミュニケーションや共同性の感覚を浮かび上がらせるように描いている。  これもAKB48を通した現代社会の「風刺と告発」の漫画であって、編集者が考えた帯の文句は 「AKB48から現代の諸問題に照射した画期的日本論」 となっている。  本当に威力のある風刺と告発の漫画を描いたら、それは決して万人受けする作品にはならない。必ず見て不快に思う者がいて、反発を始める。それは、描かれたくないことを描かれたと思った者たちである。  フランスの週刊紙「カナール・アンシェネ」は、2020東京オリンピックと東京電力福島第1原発事故を風刺した漫画を2点掲載した。      防護服を着たレポーターが「フクシマのおかげで相撲が五輪種目になりました」と言っている。そして奥には奇形の力士(?)の姿が。      そしてもう1点は、「五輪のプールはもうフクシマに」というタイトルで、防護服を着た人物が2人プールサイドに立ち、手にした放射線測定器からは警告音が鳴っている。  日本国内では、この風刺画が不快だとして反発が広がっているというが、わしはこれを不快とも思わず反発も感じない。やはりこれも、見たくないもの、言われたくないことを描かれたと思った者が反発しているのだ。  菅義偉官房長官は記者会見で「 東日本大震災の被災者の気持ちを傷つけ、汚染水問題について誤った印象を与える不適切な報道で、大変遺憾だ 」と述べ、在仏日本大使館を通じ、カナール・アンシェネ紙に抗議する意向を示した。そしてこの指示を受け、在仏日本大使館の藤原臨時代理大使が同紙のルイマリ・オロ編集長に電話で抗議したと報じられた。   これは、恥ずかしい!!   菅は、日本政府は誇張やデフォルメが身上である「風刺画」に「不適切な報道」と文句つけるほど、文化に対して無理解・無教養であることを国際的に知らせたのである!   しかもあの漫画の風刺対象は被災者ではない。原発事故を収拾できていない東電や、それなのに五輪を招致して喜んでいる日本政府の方である。   その程度のことも読みとれないほど、日本政府は頭が悪いということも、国際的に知られてしまったのだ!   そして、政府が民間の出版物に対して抗議すれば、当然政府が表現の自由の制限・弾圧を目論んでいると捉えられ、日本はたかがこんな漫画ひとつ表現する自由もない国と思われかねない悪印象まで国際的に広めたのである!  これは国辱的行為である。  カナール・アンシェネ紙の編集長はインタビューに対して「 謝罪するつもりはない 」と明言。 「 日本政府の反応に当惑している。問題の本質は東京電力の(汚染水などの)管理能力のなさにあり、怒りを向けるべき先はそちらだ 」「 風刺画をもう1度見たが、災害の被害者を侮辱するものではないと言える。ただし、日本当局と原発を運営する人たちを侮辱するものではある 」と話している。全くの正論である!  さらに編集長は「 フランスでは悲劇をユーモアによって扱うことができるが、日本ではそうではないようだ 」と言い、紙面でも「 集団ハラキリも考えたが、我々に過ちはないのでやめた 」と皮肉ったという。  気になったのは「 大使館から正式の抗議は来ていない。パリの担当官が、福島がどれだけうまくいっているか説明の電話をかけてきただけ 」と言っていることだ。   どうやら在仏日本大使館は、さすがにこんなことで抗議したら恥をかくと判断したらしく、編集長には一応電話してお茶を濁しておいて、政府には「抗議した」と報告したようだ。  やはり外務官僚は優秀だ。バカは政治家にはなれるが、外交官にはなれないのかもしれない。   本当に日本の国の名誉や尊厳を重んじているなら、安倍政権・菅官房長官をこそ批判しなければならないはずだ。  ところがネトウヨ連中は、風刺画の方を非難している。しかも芸のないことに、言うことが韓国に対するヘイトスピーチと全く同じで、「 死ねよ、フランス人 日本から出て行け、ゴキブリフランス人 」だの、「 このド腐れフランスクズ雑誌が存続できないよう、徹底的に叩きのめせ 」だのといったものばっかりである。  しかしフランスは特に反日というわけではない。パリは2024年のオリンピック招致を目指しているから、2020年がヨーロッパではなく日本で開催されることをむしろ喜んでいるほどだ。  この風刺画は反日で描いたのではなく、 チェルノブイリ事故 を経験したフランス人から見れば、当然の反応にすぎないのである。   チェルノブイリ事故以降、脚や目の数が多い奇形の動物が数多く生まれ、そのショッキングな写真はヨーロッパでは大量に報道されて一般常識になっている。   しかしそういう写真は日本では徹底して封印されたため、その事実を知っている人すらほとんどなく(今ではネットでちょっと探せば見れるが)、両国の感覚の差はあまりにも大きい。  ヨーロッパでは原発事故を風刺する際に腕や足が3本とか、目が3つという描写はごく普通なのだ。逆にこれを見てぎょっとする日本人の方が、現実に目を背けた、平和ボケで「お花畑」の甘すぎる認識だと思った方がいい。  実際、今回話題になったカナール・アンシェネだけではなく、こんな風刺画は山ほどあるのだ。        「ここの水は汚染されてるらしいよ」  「え、何だと?!」   もしもチェルノブイリがあるウクライナで、事故の2年後にオリンピックを招致して浮かれ上がっていたら、どう思っただろうか?   おそらく日本人の多くも「異常だ」と思ったはずだ。   日本の国土面積はウクライナの6割程度しかない。そんな狭い国土にチェルノブイリと同じ「レベル7」の事故を起こした原発を抱え、事故の収束の目途も立たないのにオリンピックを招致して浮かれている日本の現状を異常と見る世界の目は、我々が思っているよりもはるかに多いのだ。  海外の風刺画を見て、少しはそれを自覚した方がいい。      これはフランス、ル・モンドに掲載されたもの。  「 フクシマを忘れるための日本のオリンピック 」と書かれている。       これはドイツの風刺画。防護服を着たオリンピックというネタは、とにかく多い。これらの漫画にも菅官房長官は抗議するのだろうか?  「被災者を傷つけた」という批判に対しカナール・アンシェネ紙の編集長は、そのような意図はないとした一方で、 もしそれで被災者が傷つくのなら、日本での購読者が「51人」しかいない同紙の漫画をわざわざ大々的に日本国内で紹介しなければいいのであって、悪いのは日本のメディアだと言っている。 これまた正論で、反論の余地なしである。
  • 「五輪は経済成長の起爆剤になるのか?」小林よしのりライジング Vol.54

    2013-09-17 22:30  
    154pt

    電子書籍の機能を使用するには、記事を購入してください

    第56回「PART3.五輪を経済成長の起爆剤にという皮算用」  メディアの取材で被災地の人が「 五輪どころではない 」と答えたら、ネットでは「 被災者は一体何様のつもりか! 」と叩かれたそうだ。  「 いつまで同情して欲しいのか?国民が一丸となって招致したオリンピックをけなすとは被災者は非国民か? 」とバッシングされたらしい。  たとえ被災者でも五輪招致の不安や違和感を口にすることは出来ないのだ。「被災地復興」を五輪招致の建て前に利用されたにも関わらず。  「 祝賀ムードに水を差す奴は非国民 」というナショナリズムが7年も前に出来上がってしまったのだから、開催が近くなるにつれて、もっと強烈になるのは確実だろう。  支那事変でも、アメリカとの戦争でも、「 戦勝ムードに水を差す奴は非国民 」という世論は圧倒的だった。  マスコミも戦勝ムードを煽り立て、悲観的な報道をすると新聞は売れなくなるし、政府ににらまれて新聞社の存続も危うくなる有り様だった。  ナショナリズムが異論・少数意見を封殺するのは、戦時中も今も全然変わらない。マスコミが商売でナショナリズムを膨張させるのも、過去の戦争の時代と一緒なのだ。  毎年8月の終戦記念日前後だけ反戦一色の報道になっても、ナショナリズムの負の部分を自覚できないマスコミの体質は何も変わっちゃいない。  「 祝賀ムードに水を差す奴は非国民 」、「 戦勝ムードに水を差す奴は非国民 」、こういう悪質なナショナリズムには絶対に屈してはならない。    それにしても、かつては「 金儲けのためのスポーツ 」、「 金儲けのためのオリンピック 」なんてホンネはもう少し隠していたはずだが、いつの間にこうも誰はばかることなく、堂々と言えるようになってしまったのだろうか?  安倍晋三はオリンピックを「 経済の起爆剤 」にすると大はしゃぎしている。  東京都では経済波及効果を3兆円としているが、経済界では100兆円だとか、150兆円だとか目の色変えて捕らぬ狸の皮算用をしている。  テレビや新聞も歓迎ムード一色で、「経済効果は抜群」「若者に夢を与える」など肯定的な評価ばかりだ。 新聞・テレビのスポンサーはオリンピックで儲ける大企業ばっかりだから、これに疑義を呈する意見など取り上げられやしないというのが実態なのだが。  本来、安倍親衛隊のネトウヨは、メディアのこういう体質を批判して「マスゴミ」と侮蔑していたはずだが、五輪招致の件では安倍晋三が強力に推進したものだから、その「マスゴミ」と手を携え、歩調を揃え、声を合わせてオリンピック・マンセーを叫んでいる。つくづく、くだらない連中である。  五輪招致を祝賀する声の中には、「 被災地に元気を与える 」だの「 オリンピックを被災地復興の足掛かりに 」だのというものもあるが、まずそんなことにはならない。   被災地復興と、東京で行われるオリンピックは何の関係もない。オリンピックの理念を見れば、それは明らかである。   サッカーのワールドカップは「国」単位で開催されるが、オリンピックは「都市」単位での開催である。  これは古代オリンピックがギリシアの都市国家同士による競技大会であったことに由来している。 IOCはあくまでも都市に開催権を与えており、国はあくまでも開催都市を支援するという位置づけである。  そしてオリンピック憲章は「1都市開催」を明記しており、複数都市の共催は認めていない。オリンピックにおいて複数都市で競技が行われるのは、内陸都市で開催される場合のヨット競技とか、あるいはサッカー予選で、一都市内に複数のサッカー場がない場合とか、地理的に競技開催が困難な場合に限られる。  実際に平成21年(2009)、2020オリンピックの国内立候補都市を決める際、広島市長と長崎市長が被爆2都市の共催構想を表明、これに対抗して石原慎太郎都知事(当時)が「東京・広島共催」という意味不明の構想を言い出したが、オリンピック憲章に抵触するとして即刻却下されている。   東京オリンピックは日本のオリンピックではなく、あくまでも東京のオリンピックである。   「オール・ジャパン」で取り組むと言っても、それは「オール・ジャパン」で東京をサポートするという意味であり、開催都市から250キロも離れている被災地など本来、何の関係もないのだ。  1964東京五輪が「戦後復興の象徴」というのは十分に説得力があった。東京自体が空襲で10万人以上の市民を殺害され、焼け野原とされたところから都市を再建させたのである。そして国民は、首都の復興は全国の復興につながると思うこともできた。  しかし、東日本大震災でそれほどの被害もなかった東京でオリンピックを開いたところで、それが「 震災復興の象徴 」になどなるわけがない。本当に「震災復興五輪」をやるのなら、福島で開催する以外にないのである。   2020東京五輪には、開催の大義がない。  IOCにしても、開催の大義だけを考えれば、「イスラム圏初」のイスタンブールの方がふさわしいという判断になったはずだ。  東京に決まったのは、イスタンブールよりも、マドリードよりも、 IOCと協賛企業が確実に儲かりそうだから という程度の理由しか考えられない。そうであれば、金儲けに直接つながらない被災地復興事業など、当然後回しにされるだろう。  宮城県の村井知事は、一応五輪開催に歓迎の意思を示した上で、「 震災の復興に関し、資材高騰やマンパワー不足に拍車がかかるのではないかという心配がある。オリンピックに関わる自治体は人手不足になってくると思うので、被災地に応援を出す余裕が無いとなりかねない 」と懸念を示している。  当然の懸念であり、しかもほぼ確実に心配したとおりになるだろう。現状でさえ復興事業は人材不足が慢性化しているのに、 オリンピックに向けたインフラ整備の方に建設業者が投入されるようになれば、復興は間違いなく大幅に遅れる。 2020東京五輪は「復興五輪」どころか、「復興先送り五輪」になるのだ。  成長戦略、成長戦略と呪文のように唱え続ける安倍政権は、『三丁目の夕日』のような高度経済成長時代の再来を望み、五輪開催がその起爆剤になるものと本気で信じている。   だが、実際には1964年の東京五輪が高度経済成長を起こしたわけではない。 1964東京五輪は確かにインフラ整備の契機となり、高度経済成長の象徴とはなったが、決して東京五輪が高度経済成長を起こしたのではなく、 あくまでも既に高度経済成長期に入っていた時に、東京五輪が開催されたのである。  再び東京五輪をやれば、高度経済成長も再び起こるかのような思い込みは、自分の経験を歪めて記憶し、それを絶対視している「発展途上国的ジジイ」の妄想に、若い世代までが巻き込まれているお馬鹿な現象に過ぎない。柳の下にいつもドジョウはいないし、五輪の下にいつも経済成長はない!
  • 「確実に皇室の政治利用をした安倍政権」小林よしのりライジング号外

    2013-09-13 09:00  
    103pt

    電子書籍の機能を使用するには、記事を購入してください

    東京五輪 PART2.「確実に皇室の政治利用をした安倍政権」  オリンピック東京招致決定の馬鹿騒ぎにすっかり紛れてしまったが、決して見過ごすわけにはいかないことがある。   安倍政権は、五輪招致活動に皇室を平然と利用した。  3月4日には 皇太子殿下 が、開催候補都市視察に訪れたIOC評価委員会メンバーを初めて接見された。   この際、宮内庁は「 皇室は招致活動に参加しない 」という方針から「 ご接見はあくまで国際親善が目的 」との姿勢を貫いていた。  しかしさらに安倍政権は開催都市を決定するIOC総会への 高円宮妃久子殿下 の出席を要請した。皇族がIOC総会に出席するのはもちろん初めてだった。  風岡典之宮内庁長官は記者会見で、下村博文文科相が宮内庁を訪れ「IOC委員がそろった場で震災復興のあいさつをお願いしたい」と要請したことを明かした。  文科省の方から、スピーチ後は壇上を離れるなど、宮内庁側への配慮も示されたことから「 時間もなく、内閣の一員としてぎりぎりやむを得ないと判断した 」と風岡長官は説明している。  また風岡長官は「 招致活動と受け取られる懸念はあったが、苦渋の決断をした 」と言い、さらに 天皇、皇后両陛下に報告した際、これまでの皇室の対応との違いから「両陛下も案じていらっしゃると感じた」と異例の発言をした。  わざわざこの時期に地球の裏側のブエノスアイレスまで出かけて、オリンピック開催地を決定するIOC総会に出席して、プレゼンテーションの壇上でスピーチして、 「でもそれは東日本大震災支援への感謝を表すスピーチだから、五輪招致活動とは無関係」なんて言い訳が通用すると安倍政権は本気で思っているのか!?  そもそも、招致活動に役立つと見て「復興五輪」をアピールしている一方で、震災復興支援への感謝を表すスピーチは五輪招致活動とは無関係ということにしようと思える神経が信じられない。 ここにも、安倍政権は被災地のことなど何も考えておらず、ただ五輪招致の道具として都合よく利用しようとしか考えていないことが露呈している。   これは明らかに、ついに一線を越えてしまった皇室の政治利用であり、風岡長官の異例の発言も当然と言える。   だが菅官房長官は「 宮内庁長官の立場で両陛下の思いを推測して言及したことは非常に違和感を感じている 」と発言。 これを受けて産経新聞は9月6日付のコラム「産経抄」で、次のように風岡長官を批判した。
    菅義偉官房長官の口癖通り、非常に違和感を覚えたのは、風岡典之宮内庁長官の発言だ。「天皇、皇后両陛下もご案じになっているのではないかと拝察している」。「陛下のお気持ち」を持ち出すのは、君側(くんそく)の奸(かん)の常套(じょうとう)手段である。
     じゃあ何か?  天皇陛下は高円宮妃のIOC総会出席を実は喜んでおられたのに、風岡長官が勝手に陛下の思ってもいないことを言ったとでも言うのか? 一体、何のために?   オリンピックは紛れもなく「 政治 」である。  その代表例が、ナチスの威信を内外に誇示するために最大限に利用された ベルリン五輪 や、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して西側諸国がボイコットした モスクワ五輪 である。   そしてオリンピック招致は、多額の予算を湯水のように使い、世論操作を図り、国と国で利権のぶん捕り合いをする、政治闘争以外の何物でもない。   そんな場に皇族が利用されるようなことになれば、天皇陛下が案じられるのは当然である。   これは確信を持って言えることだが、天皇陛下は風岡長官に、事態を懸念する何らかのお言葉をおっしゃったはずである。   だがそれを直接公表するわけにはいかないから、あえて「推測」としているだけだ。   宮内庁長官が天皇陛下のお気持ちを勝手に想像して話すことはありえないと断言していい。   宮内庁長官を「君側の奸」と非難し、その発言を否定するのは、天皇陛下のご意向を無視したい「奸賊」の常套手段である。  さらに奸賊「産経抄」は次のように書いている。
  • 「東京五輪:汚染水問題はコントロールされていない!」小林よしのりライジング Vol.53

    2013-09-10 18:00  
    154pt

    電子書籍の機能を使用するには、記事を購入してください

    第55回「PART1.汚染水問題はコントロールされていない!」  2020年オリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決まった。  スポーツが好きで、お祭りが好きで、取らぬ狸の皮算用が好きな人は、はしゃぎたまえ。  プレゼンテーションとか言うらしいが、日本人のしゃべり方がグローバリズムに合わせて、表情もジェスチャーも異様に感情過多になってる姿が、気味が悪いと思うのは、わしだけだろうか?   高円宮久子さまは自然体でさすがだが。  中でも「汚染水対策」に関する安倍晋三の口から出まかせには、あきれてしまった。あれで説得力があったなどと騙される国際社会も日本人も、相当な馬鹿である。 安倍「 私が安全を保証します。状況はコントロールされています 」 わし(おいおい、コントロールされているのか?) 安倍「 汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされています 」 わし( たった0・3平方キロメートル範囲内で、完全にブロックだと?よくも言ったものだ! ) 安倍「 健康問題は今までも、現在も、将来も、まったく問題ありません 」 わし( まったくないものにするとは、なんという悪魔だ! )   原発事故に関する知識と、人間的な誠実さがひとかけらでもあったら、決して口にできないことを安倍は全世界に向け、笑顔で言ってのけたのである!  安倍は「 ヘッドラインだけではなく事実を見てほしい 」と言った。要するにネトウヨの言う「 マスゴミの言うことを信じるな 」と同じ意味だが、全世界に向かって、公式の場で日本の首相が「 日本のマスコミも、世界のマスコミも信じるな 」と言ったのだから、こんな非常識な発言はない。  だが日本のマスコミはこの侮辱にも抗議一つしない。本当に事実を見れば、安倍の言ったことこそ嘘八百であるにも関わらず。    安倍が言ったように、「福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル」は、確かに堤防や水中カーテンで仕切られている。  だが、たとえ「0.3平方キロメートル」で「完全にブロック」されていたとしても、 地上タンクから漏れた高濃度汚染水の全てが、その「0.3平方キロメートル」のエリア内に流出しているわけではない。  汚染水漏れを起こした地上タンクからの排水路には水の流れた跡があり、高濃度の放射線が観測され、その排水路から水が流れた可能性があることは東電も認めている。   そして、その排水路は「0.3平方キロメートルの港内」ではなく、外の海と直接つながっているのである!   さらに堤防や水中カーテンで汚染水を「完全にブロック」などできるわけがなく、東電も「港湾内と外洋を水が行き来している」と認めている。   福島沖の海底には40カ所の放射能のホットスポットが見つかっている。   「0.3平方キロメートルの港内」では1キロあたりのセシウムが74万ベクレルのアイナメが見つかっているが、その港の外の20キロ先で捕れたアイナメからも2万5800ベクレルが検出されている。 また、東京湾でも原発20キロ圏内と同じレベルの汚染箇所が見つかっている。   汚染水については「打つ手がない」というのが現実で、これほど大量の高濃度汚染水が長期間漏れ続けている事態は過去に例がないのだ。  また、「健康問題は今までも、現在も、将来も、まったく問題ない」という発言も、そう言った後に安倍は「 完全に問題のないものにするために、抜本解決に向けたプログラムを私が責任をもって決定し、すでに着手している 」と続けている。   つまり、今ごろ「完全に問題ないものにするための対策に着手した」に過ぎず、 過去はもちろん現時点でもまだ「まったく問題ない」状態ではない。 発言が完全に矛盾、破綻しているのだ。  そもそも、安倍晋三は9月3日、IOC総会のたった4日前になってやっと原子力災害対策本部会議を開き、汚染水流出に対処するための基本方針と総合的対策を決定したのだ。  安倍はこれまで汚染水問題をほったらかしにしておいて、 開催地決定の直前にこの問題が浮上し、東京の招致に深刻な影響を与えそうになってから、泥縄式に「基本方針と総合的対策」を決め、「政府が全面的に責任を持つ」と見栄を切ったのである。  もともと、誰も本気で被災地のことなんか考えていない。  東京都の招致委員会は当初、開催理念の中心に「東日本大震災からの復興の象徴となる五輪」を掲げていたが、海外コンサルタントから「復興、復興と言うと、放射能問題など不安を思い起こさせ逆効果になる」と助言され、招致活動で「復興」をアピールしなくなり、今年1月の立候補ファイルでは「復興五輪」の文字が消えた。   ところが、6月に公表されたIOCの評価報告書で電力供給の回復や津波対策が肯定的に記されたのを見て、再び「復興五輪」を持ち出したのだ。   結局被災地のことなど、五輪招致に利用できるかできないか以外は何の関心もないのだ。  だからこそ招致委員会理事長「旧皇族詐欺師の父親」こと竹田恒和も「 東京は水、食物、空気についても非常に安全なレベル 」「 東京は福島から250キロも離れているから安全 」と、 東京が安全ならばよい という本音を漏らしたのである。