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記事 4件
  • 「『花魁』も『性奴隷』だったのか?」小林よしのりライジング Vol.42

    2013-06-19 00:20  
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     確か星新一のショート・ショートだったと思うが、地球が滅亡した後に、宇宙人がたった一人の男を救出、宇宙人は地球の滅亡を惜しみ、せめてその歴史を後世に残そうと、男から地球の歴史について聞き取りを始めるのだが、実はこの男はとんでもない大ボラ吹きで、とてもありえないような「歴史」が残ることになってしまう……といった話があった。  この話、今となっては笑うに笑えない感覚にも襲われる。  歴史というものは、後世の人間が、ありえないようなものに書き換えてしまう危険が常にある。 その時代を生きていた人にとっては常識であり、語る必要も感じなかったようなことが、次の時代の人間には全く理解できず、とんでもない解釈をしてしまうということは、いくらでもあるのだ。  いわゆる「 南京大虐殺 」は、戦後になって「東京裁判」で喧伝され、1970年代初頭に朝日新聞が『中国の旅』のキャンペーンで改めて大宣伝したが、その時はそれほど日本社会に浸透しなかった。  1970年代までは、昭和12年(1937)の南京戦を経験した当事者が健在で社会の第一線におり、「 そんなバカげた話はありえない 」と一蹴することができたのである。  ところが80年代に入ってくると、当時を知る人たちがどんどんリタイアしていき、「 戦争を知らない子どもたち 」が社会の中枢に来るようになり、いつしか歴史的検証もないまま「南京大虐殺」は既成事実化され、教科書に載り、「南京大虐殺はなかった」と言おうものなら「右翼」と呼ばれ、大臣の首が飛ぶような事態になってしまったのである。  いわゆる「 従軍慰安婦問題 」も同様の経緯をたどっている。   日本と韓国の「戦後処理」は昭和40年(1965)の 日韓基本条約 で最終的かつ完全に決着している。  この条約締結に当たっては、予備交渉の段階を含めて10年以上の時間を要し、竹島や歴史認識などの問題で度々紛糾した。 ところがこの交渉では 「慰安婦」 は議題にすら上がらなかった。  交渉開始時はまだ終戦から10年も経っておらず、条約締結時でもわずか戦後20年である。当然その頃は、慰安婦本人はもちろん、その親兄弟も多くが健在だったはずなのに、誰一人声を挙げなかったのだ。   さらに昭和58年(1983)、吉田清治なる詐話師が「 慰安婦強制連行をした 」というウソ証言本を出した時も、何の話題にもならなかった。  まだその頃には軍隊経験者が社会におり、慰安婦とはどういうものだったかというのはわざわざ語るまでもない常識であって、戦争映画にも普通に慰安婦が出てきており、そんなヨタ話など誰も相手にしなかったのである。  ところが90年代に入り、当時を知る人たちがどんどんリタイアしていくと、こんなヨタ話を真に受ける者が出始め、「従軍慰安婦問題」がでっち上げられてしまったのである。  吉田清治の証言が虚偽であり、強制連行がなかったことが実証されてからは、「慰安婦」というものは 当時日本に存在した「 公娼制度 」を戦地に持っていったものにすぎない という議論ができるようになった。   昭和33年(1953)までは売春は合法であり、吉原遊郭など全国に売春業が公認された地域があり、これを「 公娼制度 」といったのである。  ところがこの議論も、2000年代に入ると通用しなくなってきた。  公娼制度が廃止されてから時間が経ち、当時を知る人がどんどんリタイアしていって、「公娼制度」というものが全く理解できず、「 公娼制度自体が、女性の人権侵害だったのだ! 」と主張する者がのさばるようになってしまったからである。   現在の感覚で過去を断罪しようというのは、無知であり思い上がりである。  過去を知ろうとせず、たまたまいまこの時代に生まれたということだけで自分を高みに置いて、過去を見降ろそうとする怠惰な人間が多すぎる。  実際には、過去に失われたものの方が、現在よりも優れていたということも多いのではないか? 我々は歴史に対して謙虚でなければならないのだ。  『 吉原はこんな所でございました 』(ちくま文庫)という本がある。吉原の引手茶屋「松葉屋」の女将、福田利子氏の聞き書きである。  引手茶屋とは、吉原での遊興の手引き(案内)をするところで、高級遊女のいる大見世に行くには、必ず引手茶屋の案内が必要だった。客はここで芸者や幇間(ほうかん=太鼓持ち)を呼んで酒席を楽しみ、ここへ遊女を呼んだり、ここの紹介で妓楼へ行ったりしたのである。  松葉屋は公娼制度廃止後、昔の吉原情緒を垣間見ることのできる「花魁ショー」を「はとバス」の「夜のお江戸コース」に乗せて人気となるが、平成10年(1998)惜しまれつつ廃業、福田氏も平成17年(2005)、85歳で亡くなった。  この本の初刊は昭和61年(1986)だが、この時点で福田氏は 「 お若い方の中には、日本のあちこちに国が公認し管理する遊郭があったなんて、不思議に思う方がいらっしゃるのではないでしょうか。まして、男の人たちが公然と出入りし、女の人にもそれを認めるところがあったなんて、男女平等の世の中ではとても考えられないことだと思うんですね 」  と語り、戦前の時代背景を説明している。   当時の男は、家庭は家庭として大事にしつつ、プロの女性を相手にお金で買える恋愛をしていた。 福田氏は「それだけに、この節のようなもめごとにもならなかったのではないでしょうか」と言っており、こういう指摘も興味深いのだが、今回この本から紹介したいのは、「 身売り 」の話である。
  • 「『慰安婦問題』は『性文化摩擦』でもある」小林よしのりライジング Vol.40

    2013-06-04 23:00  
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     橋下徹の「慰安婦」発言は、奇しくも安倍自民党の「内向きタカ派」「外向きへタレ派」の二枚舌の本性をあぶり出した。  日本外国人特派員協会の記者会見で、橋下は自分を守るための詭弁に終始し、もはや訪米も断られるほどの世界のつまはじきにされてしまった。  「 河野談話 」を修正か破棄し、「 慰安婦制度は、当時は必要だった 」と唱えたら、どんな目に合うか橋下徹が身をもって示し、安倍自民党はそれを傍観して震え上がったわけだ。   誰も国のために戦った祖父たちの名誉を守ろうとしない。  日本は「性奴隷」を使用したレイプ国家にされてしまっているのに、安倍政権は何のアクションも起こさない。  橋下徹と一線をひいて、「村山談話」「河野談話」を引き継ぐ歴代政権と何ら変わりがないことを、国際会議の場で必死で強調し、「戦後レジーム」の洞穴に引き籠って出て来なくなった。  国連の拷問禁止委員会は日本政府に対し、「橋下発言に明確に反論せよ」と勧告しているが、「右傾化」レッテルを恐れる安倍自民党が何の抗弁もしないようなら、米韓・国連の連携による慰安婦「性奴隷」運動は今後も益々勢いを増して、日本は謝罪外交に舞い戻っていくことになるだろう。  韓国ロビーと米議会・米国民の連携に反攻するには、まず事態を正しく認識することから始めねばならないのだが、残念ながら自称保守&ネトウヨの「内弁慶保守派」は、根本的に知性が欠けていて、この期に及んでも「 安倍ちゃんだけは批判できないから 」と、河野洋平批判、民主党批判で溜飲を下げてるのだから、まったく幼稚さが度を超している。  ライジング『ゴー宣』では、慰安婦問題をまだまだ徹底的に論じていくつもりである。    橋下発言で問題になった論点は、大きく分けて2つあった。 「 戦時中の慰安婦は、当時は必要だった 」と 「 沖縄の米兵は、もっと合法的な風俗を活用してほしい 」である。  前者については先週、徹底分析した。今週は後者について考える。  橋下は「風俗活用」発言については、早くも発言の3日後に「ここは僕の表現力不足、認識不足でした」と修正。外国人特派員協会の会見でも「米軍や米国民」に対して謝罪を表明し、発言を全面的に撤回した。  わしも、沖縄の米兵レイプ魔の犯罪を防ぐために風俗を利用しろというのは、不愉快な発言だと感じた。   だがそれは、米軍に失礼な発言だったからではない。沖縄に米軍基地が置かれていることを無条件に認め、そのこと自体に何の疑いも持たず、米兵の性欲のために、日本の風俗女性を活用してくれと言っていたからである。   これは、属国民の宗主国への媚びである!  橋下は米軍基地を日本の領土に置いておくことに対する、苦汁の感覚が希薄すぎるのだ。 沖縄県民が橋下発言に怒ったのは当然で、ウチナンチューの方が、ヤマトンチューより誇りを持っているということだ。 ところが橋下はこの発言に関して、「米軍や米国民」に対しては謝ったが、沖縄県民に対しては未だに一切謝罪していない。沖縄タイムスは「われわれを愚弄し、尊厳を傷つけた人間が公的立場に居続けることは、人権侵害を誘発・助長する可能性をも容認することにもつながる。断じて許してはならない」と怒りを顕わにしているが、橋下は気にする様子もない。 沖縄県民がどんなに怒ろうがどーとも思わないが、アメリカ人がちょっとでも気分を害したら即座に謝罪。そこまで卑屈な「内弁慶」が、橋下徹の本性だったのである。  橋下の「風俗活用」発言が沖縄に対する愚弄であったことは大前提である。だがそこに留まらず、さらに考えておかなければならないことがある。それは、橋下の発言が図らずも浮かび上がらせた、 日本人とアメリカ人の「 性意識 」の違いである。  橋下は友人のデーブ・スペクターからのアドバイスで「風俗活用」発言を修正、撤回と謝罪に至ったという。そしてそのアドバイスの内容については、週刊ポスト(6月7日号)でデーブが次のように明かしている。
    「彼には『 日本語の“フーゾク”という表現は英語にはない。性風俗となるとセックス・インダストリーになり、かなり違法性の高いニュアンスになる。米国側にかなり悪く誤解されて伝わる 』と忠告しました。  日本のフーゾクにはノーパンしゃぶしゃぶとか覗き系とか、イメクラとかキャバクラとか幅広い種類があるが、 女の子が横についてお酌する水商売さえないアメリカでは、フーゾクはそのものズバリ『売春』と訳されてしまう。人身売買やヘロイン中毒など、ものすごく薄暗いイメージがある から、そんなのに行きなさいといわれても論外だと、橋下氏にはそう伝えました」
     『開戦前夜 ゴーマニズム宣言RISING』の第3章『 思い邪なる者に災あれ~性意識のグローバル侵略 』で詳述したが、日本人には古代から性に関しては大らかな面がある。  それはポリネシア的な感覚を連綿と受け継いできた独自の文化である。   江戸時代には性のタブーはなかったとまで言われ、日本人にとって男女の営みは素朴な楽しみだった。  その文化が現代まで引き継がれているから、日本には「幅広い種類」の「フーゾク」が成立しているのである。  売春が違法化されているならば、「本番行為」はないけれども射精に至らせる、ピンサロとかヘルスとかいう「グレーゾーン」のフーゾクをつくってしまう。これも、素朴に性を楽しむ感覚のある日本人ならではの発想である。   世界的に見れば売春が合法の国か違法の国かのどちらかしかなく、売春を違法としておきながら、売春との境界線があいまいな「グレーゾーン」の「フーゾク」なんてものを成立させ、繁盛させている国は、日本ぐらいなのである。  橋下は「合法的な風俗」を活用してほしいと言っていたので、売春ではなく「グレーゾーン」の方を推奨していたのだろうが、これは米国人には決して理解のできない発言だった。  しかも 欧米のキリスト教文化においては、性行為は 「嫌悪と恐怖」 の対象なのだ。 これはもう日本文化の感覚とは180度逆である。  一般的に映画やポップカルチャーにおける欧米の性意識は、かなり解放されているように見えるかもしれない。映画では男女が貪るようにセックスに突入するシーンが描かれるし、マドンナもレディーガガも、グラマラスな肉体を誇示して、ダンサー相手にエロ過ぎるセックスアピールをする。  だがそれはメインカルチャーとしてのキリスト教文化に対する、カウンターカルチャーとしての表現であり、性行為に対する罪悪感は欧米人の意識の根底に浸透している。     キリスト教はセックスを嫌悪し、不法なものとして、人が性衝動を持つことに罪悪感を持たせたという点で、世界でも独特な宗教だ。  キリスト教において「性否定」を教義として明確化したのは4世紀頃の神学者、アウグスティヌスらである。  当時はローマ帝国が性的堕落による内部的な頽廃と、ゲルマン人の侵入による外敵圧力で衰退に向かっており、理性による自制によって、この局面を克服しようと神学者たちは考えた。  また、彼らはいずれもキリスト教に回心する前に性的な堕落を体験しており、自らの意識をも統合できるような「理性」を作り上げようとも考えた。   彼らは肉体と魂を分離させて考え、「肉体から解放された魂のことを考えよ」と説いて「肉体」を徹底して否定した。  肉体は神と統一された時には投げ捨てられるべき、汚れてボロボロになった衣服に過ぎないという考えである。   そして、人間はセックスにおいて最も肉体的であり、神から最も遠く離れているとされ、性欲を催させるものとして「女性の肉体」は特別の嫌悪感をもって見られるようになった。  こうして当時の神学者たちは、頭の中に作り上げた「 理性(観念) 」にこだわり、「 肉体・性 」を徹底して否定していく。   そして「 生殖のための性は神聖なるもの 」とする一方、「 肉体の快楽のためだけの性を否定する 」という分裂思考の観念ができ上がる。  しかし、いくら頭の中だけでそんな観念を作ったところで、それにこだわればこだわるほど現実の肉体・性とのギャップは大きくなる。  そしてそのギャップのつじつまを合わせるために、より強力な観念が必要となる。  こうして、次から次にと観念を強化し続けなければならないスパイラル状態に陥っていき、 ついにはアダムとエバの「原罪」の教義を確立し、性と罪とを合体させてしまい、罪である「情欲」とその根源である「女性」を徹底して否定するに至ったのだ。  世界には「男尊女卑」の宗教は多いが、それがセックスへの嫌悪感を原因としているのはキリスト教だけである。  日本は宗教に寛容と言われていながら、キリスト教の信者数は総人口の1%にも届かない100万人未満である。その理由は、実はこんなところにあるのかもしれない。
  • 「『慰安婦問題』橋下徹の主張はどこへ向かう?」小林よしのりライジング Vol.39

    2013-05-29 00:15  
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     橋下徹は5月26日に出演したフジテレビ「新報道2001」で、歴史認識や慰安婦問題について論戦し、自民党国防部会長の中山泰秀衆院議員を前に 「(自民党は)侵略と植民地政策を認めて、周辺諸国に損害と苦痛を与えたことをおわびすると言っているのに、国内向けには(慰安婦の)強制連行はない、自虐史観はだめだと。この二枚舌がだめだ 」と批判した。  中山議員は「そんなことはない!」と語気を荒げたが何の説得力もなく、さらには「自民党が二枚舌なら、あなたたちは4枚舌、5枚舌だ。それだけ国のことに関与するなら、市長を辞めて国(国政)に出たらどうか」と、まるで子供のケンカのような反論をする始末だった。しかもこれでは「自民党は二枚舌」であることは認めたようなものである。  野党時代に「 河野談話の見直し 」だの「 自虐史観の克服 」だのと散々言い立てて政権を奪取しておきながら、橋下の慰安婦を巡る発言が物議を醸すと、アメリカ様が怖い、あるいは選挙で不利になりたくないという理由で、あっさり梯子をはずし、平然と「 女性の人権を傷つけた 」という 河野談話 のとおりの発言をするのだから、「二枚舌」と言われても文句は言えない。  ところがその橋下が、翌27日に日本外国特派員協会で行った記者会見では「 旧日本兵の慰安婦問題を正当化しようという意図は毛頭ない 」だの「 慰安婦を利用した日本は悪かったんです 」だの「 日本は過去の過ちを反省し、慰安婦の方々に謝罪とおわびをしなければならない 」だのと、何度も何度も繰り返すのだから、本当に呆れ果ててしまった。   橋下によれば、当初言っていた「 慰安婦は当時としては必要だった 」というのは、「当時の人はそう思っていた」と言っただけなのに、橋下自身が「当時は必要だった」と思っているかのように「誤報」されたと言うのだ。   つまり橋下自身は最初から、当時の人がどう思っていようと、現在の価値観で断罪して「 慰安婦は女性の権利の蹂躙であり、許されるものではなかった 」という意見だったというのである。完全な自虐史観ではないか!    そもそも、橋下は最初の発言では、 「当時は日本だけじゃなくいろんな軍で慰安婦制度を活用していた。あれだけ銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、そんな猛者集団というか、精神的に高ぶっている集団は、どこかで休息をさせてあげようと思ったら 慰安婦制度は必要なのは、これは誰だってわかる 」と言ったのである。  この発言に「今では許されないが、当時はそうだった」なんてニュアンスはない。「誰だってわかる」と言っているくらいだから、橋下自身ももちろんそう思っていたのである。   明らかに橋下はメディアに責任転嫁して後退したのだ。  橋下は「 反省 」「 謝罪 」を再三再四繰り返した上で、日本も反省するが、日本以外のどの国々にも戦場で女性の人権を蹂躙した事実があるのに、日本だけに「 Sex slaves(性奴隷) 」のレッテルを貼り、あたかもこれが日本だけに特有の現象であったかのように思わせることで、その事実に光が当たらなくなってはいけない、各国ともに戦場における「 女性の人権蹂躙 」の事実に真摯に向き合うべきだと述べた。   要するに、日本も反省するから他の国々も反省しようという「心中作戦」に出たわけだ。  そして、日本の慰安婦だけが特殊と思われているのは、日本が国家意思として女性を拉致・強制連行、人身売買したとする認識が広まっているためだろうが、そのような事実があったという証拠はないし、日本政府としてもその事実は認めていないと強調した。  その上で、国家による強制連行・人身売買がないのであれば、これはどの国の軍隊にもあったことであり、米英ではピューリタニズムのために軍の関与という形はとらなかったものの、現地の売春業者を利用していた事実があるとか、日本占領中の米軍も慰安所を利用していたとか、朝鮮戦争中の韓国軍にも慰安所があったといった具体例を挙げた。   だが、これを聞いて「よし!うちの国でも反省しよう!」なんて思う外国人などいるわけがない。  韓国でも朝鮮戦争中に慰安所があり、そこで働いていた慰安婦は、本当に拉致されて連れてこられた性奴隷だった。だがこの歴史的事実に関連する資料は「閲覧禁止」になっており、その事実を知る韓国人はほとんどいない。   どこの国だって、自分の国にとって都合の悪いことは何が何でも隠蔽し、平然と正義ヅラするのである。   そして「反省」を表明した国だけが、特殊な悪の国にされてしまうのだ。
  • 「安倍政権にとって『河野談話』の見直しは必要か?」小林よしのりライジング Vol.38

    2013-05-21 23:00  
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     橋下徹がなぜ突然「慰安婦問題」に関する発言を始めたのかはわからない。  安倍政権の支持率が高すぎて、自らが率いる「日本維新の会」が埋没気味になっていることから、夏の参院選に向け、安倍が歴史認識問題で後退してきたところに目をつけて「右派」の取り込みを狙ったという見方もあるが、この際、動機は問わない。  橋下の発言には杜撰な部分も多々あるし、そもそも先週の「ライジング」の『ゴー宣』で詳述したように、 慰安婦問題で「強制連行はなかった」という議論は、正論ではあるが国内論壇にしか通用せず、国際政治上はマイナスにしかならない「周回遅れの議論」であることも間違いない。  とはいうものの、橋下の子供じみた「蛮勇」にも見える発言が、思いもよらない効果を発揮しているので、このまま退かずに頑張る限りは援護射撃しようと思っていた。  だが慰安婦問題を語る橋下は、しゃべればしゃべるほど、あちこちで論理の綻びが見え、日曜朝の報道番組を見てたら、「慰安婦問題で政府はきちんと謝罪しなければいけない」とも言っていたから、どこまで理解しているのか怪しいし、危なっかしすぎる。まあ、「蛮勇」とはこういうものかもしれないが。   橋下の「蛮勇」的発言は、安倍政権や産経新聞など自称保守派の卑怯さを、白日の下に晒すことになった。  何しろ、以前は橋下と同じようなことを言っていたはずの安倍晋三や稲田朋美や高市早苗など、自称保守の自民党議員たちがたちまち手のひらを返し、はしごを外し始めたのだから、その恥も外聞もない露骨さにはもう笑ってしまう。   とにかく、アメリカが怒るから、怖いのだ!  結局、自称保守派の歴史認識問題なんて、アメリカの目が届いていないところでこそこそっとしか言えない、内弁慶ボーヤの火遊びでしかなかったのだ。アメリカに一言「こらっ!」と言われたら、血相変えて火を消すのだ。   第1次政権時代と同様、安倍晋三が首相になったがために、またしても歴史認識問題は破滅的に悪化していく。  そんなことなら、最初から何も言わないほうがずっとよかったではないか。ヘタレのくせに口先だけで勇ましいことを言いたがって禍根を残すくらいなら、ヘタレらしく分をわきまえて「寝た子を起こすな」「触らぬ神に祟りなし」をモットーとしてほしかったが、もう手遅れである。  産経新聞も、それまで慰安婦とは「公娼制度」があった時代における「商行為」だと主張していたはずだが、それがなかったかのように橋下発言を非難している。  5月15日の社説では、「 慰安婦問題をめぐっては、宮沢喜一内閣当時に根拠もないまま強制連行を認める河野洋平官房長官談話が発表され、公権力による強制があったとの偽りが国内外で独り歩きする原因となった 」と書いている。  その上で、閣僚の稲田朋美、下村博文が、橋下徹を批判したことについて、こう評価するのだ。  「 稲田、下村両氏は自民党内の保守派として河野談話の問題点を厳しく指摘したこともあるが、橋下氏の考えとは相いれないことを示すものといえる 」  自民党議員の慰安婦問題の認識と、橋下の認識は、それほど違っているのだろうか?  さらに、「 裏付けなく発表された談話が、韓国などの反日宣伝を許す要因となっている状況を安倍政権は見直そうとしている。いわれなき批判を払拭すべきだという点は打倒としても、橋下氏の発言が見直しの努力を否定しかねない 」と、まるで橋下の発言のせいで河野談話の見直しが妨げられるかのような批判までしている。  ここで、わしは呆れ果てる事実に気がついた。   産経新聞、そして自称保守派は誰一人、「河野談話」の全文をきちんと読んでおらず、談話に何が書いてあるのかを、一切理解していないのだ!!  この社説でも書いているように、 自称保守派は 河野談話 を必ず「 慰安婦強制連行を認めた談話 」という。それは間違いとまでは言えないが、正確とは言い難い。むしろミスリードと言ったほうがいいくらいだ。  「強制連行」の問題は、「河野談話」全体の中においては瑣末な一部分と言っていい程度のウェイトしかないのである!  ここに河野談話の全文を掲載する。本文860字しかない短いものだが、時間のない人はざっと読み飛ばしてもらってかまわない。なお、読みやすくするために段落ごとに1行開け、それぞれの段落に番号を振った。      慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話                             平成5年8月4日 ①いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。 ②今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。 ③なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。   ④いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。   ⑤われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。   ⑥なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
     この談話の中で、「 強制連行 」を認めたとされるのは段落②の後半、「慰安婦の募集については」以降の 「強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり」 という部分である。  そして、それを日本の公権力が直接行ったと認めたとされるのは、それに続く 「官憲等が直接これに加担したこともあった」 である。  しかし、こうして解説されて、ようやくこれが「日本国による強制連行」と読めることがわかるといった感じではないか。この部分が修正されたとしても、談話全体の印象はそれほど変わらないはずである。  それよりも、決定的に重大なのは、段落④の最初の部分だ。  「いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」   つまり河野談話では、慰安婦問題の本質とは 「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」 ことにあるとしているのだ。  段落①から③までで述べている、慰安婦の募集、移送、管理等の実態がいかなるものであるにせよ、 「いずれにしても」「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」 ことが問題だと言っているのである!