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  • 「大東亜戦争の呼称」小林よしのりライジング Vol.501

    2024-04-16 19:15  
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     ジャニーズに対するキャンセル・カルチャーの火付け役となったイギリスBBCの記者、モビーン・アザーが再び放火をしようと来日し、日本のマスコミはみんなこれに加担した。
     考えてみれば、日本のマスコミは戦後一貫して欧米の手先となり、キャンセル・カルチャーをやってきたともいえる。
     4月5日、陸上自衛隊第32普通科連隊が、公式X(旧ツイッター)に、このような投稿をした。
     
    「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に参加しました」
     ところがその3日後となる8日、朝日新聞が『「大東亜戦争」陸自連隊投稿 Xの公式アカウントに』と題する記事を載せ、左翼マスコミらが騒ぎ出した。
     そして同日午後には、同連隊は「大東亜戦争最大の激戦地」「英霊」などの言葉を削除して再投稿。
     防衛省陸上幕僚監部は削除理由を「本来伝えたい内容が伝わらず、誤解を招いた」と説明したという。だが、いったい何の「誤解」だというのか?
     何の理屈もない。これは、左翼マスコミのキャンセル・カルチャーにあっさり屈しただけである。
     
    「大東亜戦争」という言葉こそが戦後最大のタブーであり、日本最大のキャンセル・カルチャーの標的なのである!
     昭和16年(1941)12月8日に開戦し、昭和20年(1945)まで戦闘が続いた 日本の戦争の名称は「大東亜戦争」である。これは開戦直後に当時の政府が閣議決定した正式名称であり、その当時「太平洋戦争」なんて言葉は存在していなかった。 日本人は全員「大東亜戦争」を戦ったのである。
      日本敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は占領政策で「大東亜戦争」の名称の使用を禁止し、 「太平洋戦争」 に言い換えさせた。
     その指令は占領の解除と同時に無効となり、今年でもう72年も経つのに、マスコミは今なおGHQの占領政策を頑なに守り続け、「大東亜戦争」の名称を執拗に言葉狩りしているのである。
     わしが平成10年(1998)の『戦争論』で、歴史認識を語る際に真っ先に触れたことこそが、日本が戦った戦争は「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」だということだった。
     そこでわしは、こう書いている。
      教科書に載っているように太平洋戦争っていったら アメリカとだけ戦ったような気がするが…
     日本はアジアに大東亜共栄圏を作ろうという とんでもない構想を後づけにせよ掲げて戦ったので大東亜戦争と呼んだほうがわかりやすい。
     中には「大東亜戦争」と聞いただけで右翼とレッテル貼りしてくる人もいるが知ったこっちゃない
    「大東亜」のほうが大・東アジアだから 戦場がわかりやすいのだ
     そして、この戦争について言われる否定的な側面の数々を挙げて、それらのすべてを反省したとしても、
      それでも有色人種を下等なサルとしか思ってなくて 東アジアを植民地にしていた 差別主義欧米列強の白人どもに…
     目にもの見せてくれた日本軍には
     拍手なのである!
    と描いたのだった。

        戦前は東アジアのほとんどが白人欧米列強の植民地とされ、熾烈な人種差別がまかり通っていた。
     それを払拭し、アジア人のためのアジア、「大東亜共栄圏」をつくることを目指したのが「大東亜戦争」である。
     これは、わしが勝手に歴史を捏造して言っていることではない。
     当時の日本人全員の常識だったのだ。
     例えば詩人・彫刻家、高村光太郎は開戦2日後の昭和16年12月10日、次の詩を書いている。