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記事 3件
  • 「ニヒリズム蔓延の年だった」小林よしのりライジング Vol.490

    2023-12-26 18:50  
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     2023年最後の配信となるので、一年を振り返っておこう。
     残念ながらこの一年は、ひとことで言えば「ニヒリズム蔓延」の年だった。
     ウクライナ戦争は、まだまだ終わらない。
     侵略されたら国家・国民の消滅を防ぐため、あるいは民族の隷従を防ぐため、徹底的に抵抗するしかない。領土を少しづつ切り売りしながら停戦しても、さらになめられて全土占領を少し遅らせるだけだ。
     だが、あれだけ露骨に国際法を無視して始められた侵略戦争なのだから、世界中がロシアを非難するかと思ったのに、最初から曖昧な態度をとる国々があり、さらにプーチンが居直って長期化したら、ロシア国内にも、国外にも、それを許容する雰囲気すら出てきてしまった。
     国内から厭戦気分が醸成され、良心的な国民が独裁者に反旗をひるがえすなどという希望的観測も、いまや風前の灯火だ。
     もしロシアが侵略で得をしようものなら、もう「国際法」というものの意味が完全になくなってしまう。
     世界の歴史は国際法以前に逆戻りして、力による支配が全ての帝国主義の時代に戻り、特に核を持っている国が何でもできるようになるという結論に達してしまうのだ。
     核は「脅し」において、ものすごい効果を発揮する。
     だからこそウクライナ軍は、ロシアの領土まで踏み込む反転攻勢ができないでいる。
     ロシアの領土が戦場にならなければ、ロシアの国民は自国が戦争をしていることすら実感できず、徐々に関心を失っていく。そのためロシア国内で厭戦感情が高まることもなく、反プーチンの政変が起きて戦争が終結するというシナリオが実現する可能性はなくなってしまった。
     世界中からロシアに向けていくら反戦平和を叫ぼうと、ロシア国民は聞く耳も持たないわけで、平和主義というものは、独裁権威主義の前では、全く空疎な念仏だということが100%証明されてしまう。
     さらにヨーロッパ各国は「支援疲れ」とかいって、支援が続くかどうかわからないという不安感もあり、アメリカも支援の予算が枯渇すると言っている。
     しかもそんな状況の中で、イスラエル・パレスチナ紛争が勃発し、むしろアメリカはそっちに関心が向いてしまった。
     今回の紛争は、もちろんハマスが先に仕掛けたことが発端ではあるのだが、それよりずっと以前からイスラエル・パレスチナは常に戦争状態にあるのだから、今回においてはどちらが先に仕掛けたかなんてことには、そもそも何の意味もない。
     イスラエルの報復攻撃は国際法上非常に問題があり、そのイスラエルを支持する形になったアメリカは、ロシアの「国際法違反」を非難する姿勢との間に、大きな矛盾を抱え込む事態となってしまっている。
     わしはVol.483「パレスチナよりウクライナだ」で書いたとおり、
     https://ch.nicovideo.jp/yoshirin/blomaga/ar2169399
     パレスチナ問題にはもう関心を持っても仕方がないとまで思うところがあるのだが、それにしても今回のパレスチナの被害は規模が違いすぎる。
     戦闘開始から2か月余りでガザ地区の死者数は人口220万人のほぼ1%にあたる2万人を超え、うち4割の8千人が子供だという。しかもその数は病院で死亡が確認された数だけなので、実際にもっと多い可能性があり、攻撃はさらに南部に広がっているため、まだまだ増えていくのは確実。これまでの紛争と比べても、その犠牲者数と殺戮の無差別性では前例のないものになっている。
     それほどまでの状態になっているのに、イスラエル国民はパレスチナ人の不幸に対して、一切関心を持たないことに決めてしまっている。
     イスラエル国民の意識は、パレスチナ人なんかやっちまえ、虐殺すればいいじゃないかというところにまでなっているわけで、それはホロコーストの際に、ユダヤ人がどれだけガス室に送られて殺されていても、関心を持たなかったフランス人などと何ら変わらない。
     このように、とてつもない不幸がありながら完全に放置されるという事態が平然と頻発しており、それに対して「反戦平和」の呪文を唱えても、その最悪の状況を覆したり、食い止めたりすることなど全く不可能であると分かってしまった。
     理想主義的な言葉が、一切何の役にも立たないということが、明白になってしまったのである。
     そしてさらに、中国の問題がある。
  • 「大谷翔平の記者会見を見て」小林よしのりライジング Vol.489

    2023-12-19 17:30  
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     大谷翔平選手のドジャース移籍記者会見を見た。
     野球解説者やスポーツライターにはそれぞれに言いたいことがあるだろうが、わしはそれらとは全く違う視点で、ナショナリストとしての感想を記しておきたい。
     わしが見てまず驚いたのは、大谷ってデカいんだということだった。
     普段の野球中継だと、他の選手に交じった姿しか映らないので気づかなかったが、記者会見やニュース映像でマスコミや球団関係者と並んでいるのを見て、並みのアメリカ人よりもずっと大きいのがわかった。
     あの大谷の体格を、日米で戦争して負けた時の日本の兵隊たちが見たらどう思うんだろうと、まずわしは思ってしまったのである。
     アメリカとの戦争に敗れた時の日本人は、小っちゃかった。
     歩兵はほとんどが百姓で、田畑を耕しているから、背は低いが足腰だけは強くて、重装備を背負ってものすごい距離を徒歩で行軍することができた。
     日本兵にとっては普通の行軍を、米兵の捕虜を護送する際にやらせたらバタバタ倒れて死んでしまって、それが後に「バターン死の行進」と言われたりしたのである。
     日本人が小さいのは人種的な特徴で、そのハンディを克服するような体格の日本人が登場することはないと思っていたのに、それが現れたのだ。これは戦後の経済発展と、それに伴う栄養状況の改善などによることは間違いない。
     ただ、だからといって、敗戦したおかげで戦後こんないい世の中になれたとか、負けてよかったとかいう話ではない。
     戦争はもう否応もないことで、いいとか悪いとかいう判断でやったり、やめたりできるものではない。負けると分かっていても戦わなければならない時だってあるのだ。
     大東亜戦争では、インテリの学生も特攻隊に志願し、死んでいった。『戦争論』で描いたが、彼らは自分が特攻したからといって、それで戦争に勝てるとは思っていなかった。しかし、負けた後に子孫へ残すもののために、自らの若い命を賭けたのである。
     戦艦大和で出撃した秀才たちも、理知的に考えた結果として、未来の日本の礎になるためと思って散っていったのだった。
     そうして彼らが期待をかけた「未来の日本人」が大谷翔平であれば、英霊たちも皆、その雄姿を見て喜ぶだろうなあと思うのである。
     昭和9年(1934)11月、読売新聞の社長・正力松太郎がベーブ・ルースらメジャーリーグ(当時は「大リーグ」といった)のオールスターチームを日本に招請し、「日米野球」を開催した。
     まだ日本にプロ野球チームはなく、読売新聞が「全日本軍」を編成して対戦したが、結果は16戦全敗と散々。伝説の投手・沢村栄治がベーブ・ルースを三振に打ち取るなど、1失点の好投を見せたのが唯一の快挙だった。
     日米野球終了後の12月、読売新聞は「全日本軍」を中心に「大日本東京野球倶楽部」を設立。後に「東京巨人」と改称、これが現在の読売ジャイアンツのルーツである。
     昭和11年(1936)には大阪タイガース(現・阪神タイガース)や名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)などが設立され、プロ野球リーグがスタートする。しかし、戦前は「早慶戦」に代表される学生野球の方が人気だったらしい。
     その後、大東亜戦争が勃発。戦況の悪化に伴い、昭和19年(1944)にプロ野球は休止となり、そして敗戦。
     野球では全くアメリカに歯が立たず、さらに戦争でも圧倒的な国力の差の前に惨憺たる敗北となってしまった。
     まさかその78年後、日本人がアメリカ・メジャーリーグのナンバーワン選手になるなんて、誰も思いもしなかっただろう。しかも、あのベーブ・ルース以来の二刀流で、ルースを上回る記録を残すなんて、ありえないとしか思わないはずだ。
     戦後だってほんの少し前まで、日本のプロ野球はアメリカ・メジャーリーグとは比べ物にならないほどの、レベルの差があると誰もが思っていた。
     一世を風靡した漫画『巨人の星』では、主人公・星飛雄馬は子供時代から元プロ野球選手の父に、「大リーグボール養成ギプス」という児童虐待としか言いようのない装具を付けられ、野球の英才教育を受ける。
     しかし「大リーグボール養成ギプス」と言いながら、親子の目標は大リーグではなく「巨人の星」をつかむこと、つまり日本のプロ野球のジャイアンツのスター選手になることだった。
     飛雄馬は巨人の投手になり、「大リーグボール」という魔球を投げるが、最後まで大リーグに入るという話にはならなかった。
     漫画でしかありえない物理的に不可能な魔球や、漫画でしかありえない不自然な描写が続出して「荒唐無稽」とも思えた『巨人の星』だが、その作品においてさえ日本人がメジャーリーグに入団するという展開は「ありえない」こととされ、描かれなかったのだ。
  • 「男らしさ、女らしさをなくすべきか?」小林よしのりライジング Vol.488

    2023-12-12 16:40  
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     人間、なろうと思えば、必ず何かの「被害者」になることができる。
      現在の自分が不遇なのは自分のせいだと認めることができず、どこかに自分をこんなことにした「加害者」がいると思いたがる、不幸な人は必ずいる。
     そして、そんな人を自分のイデオロギーのために利用しようという人も、必ずいるものだ。

     先月「ゴー宣道場」ホームページで始めた「ゴー宣ジャーナリスト」ブログで知ったのだが、11月19日に「国際男性デー」なんてものがあったらしい。 「『男らしさ』という固定観念や、男性や男の子の健康に目を向け、ジェンダー平等を促す日」 なんだそうだ。
    「国際女性デー」というのがあって「女らしさ」という観念をなくそうとしているというのは聞いていたが、なんとその男性版が出てきたらしい。
     男らしさ・女らしさをなくそうなんて、それでどうしようというのか? わしには、無茶苦茶としか思えない。男がスカートを履いて、両脚を斜めにくっつけて座り、女がズボンを履いて、股開いて座れとでも主張する日なのだろうか?

     少し調べてみたが、「国際女性デー」の源流は20世紀初頭まで遡り、オーストリア、デンマーク、ドイツ、スイスで初の「国際女性デー」の記念行事が行われたのが1911年。現在、3月8日とされている「国際女性デー」は1975年に国連が定め、1977年に国連総会で決議されている。
      もともと「フランス人権宣言」が女性の人権を認めていなかったことに顕著なとおり、世界中で女性の権利は著しく低く抑えられていた。
     そのため歴史の必然として女性の権利・地位向上運動が起こり、その一環として「国際女性デー」の発想が生まれたわけで、「女らしさ」の否定にまで暴走してしまった現在のありようは論外としても、その着想の時点においては十分な必要性があったとはいえるだろう。
      それに対して「国際男性デー」には、何ら歴史的な必然を感じない。単に「『国際女性デー』があるんなら、『国際男性デー』も作らなきゃ、男女平等じゃないやい!」というような、駄々っ子の発想としか思えない。

     実際、「国際男性デー」はカリブ海の小国トリニダード・トバゴで1999年に始まったもので、まだ歴史も浅く、国連も正式に認定していない。
     なんでトリニダード・トバコかというと、たまたまこれを提唱した学者がトリニダード・トバコ人だったからで、「人権真理教」の本場・アメリカの発祥ですらないのだ。今まで知らなかったのも当然としか言いようがない。
     そしてなぜか今年になって、その話題をわずかながら聞くようになったわけだが、 それは、例によって左翼マスコミが煽り立てたからだ。
      朝日新聞は今年初めて「国際男性デー」のイベントを開催、これに併せて11月18日から25日まで(web版)、8回にわたって「らしさって 国際男性デー」と題する連載特集を組んだ。
     では、朝日新聞がこの特集で「国際男性デー」の普及のためにどんな主張をしたのか、見てみよう。

     連載の第1回では64歳の元消防士を取りあげ、次のような身の上話を紹介する。
     何不自由ない家庭に育ち、23歳で子供の時に憧れた消防士になる。
      消防は軍隊を思わせる、厳しい上下関係の男の世界。勤務は苛酷で、同僚は過労で倒れるが、「頑張るのが当然と思っていた」。
     40歳の頃、8歳下の女性と見合いし、結婚を前提に付き合ったが、女性の母親から「顔も見たくない」と言われるほど嫌われ、頭に来て「親を捨てろ」と言い放って別れを切り出され、やり直そうとしたが破局、今も独身。
     55歳の時、部下に声を荒らげて「パワハラ」と訴えられ、処分には至らなかったが、職場では孤立。家でも一人きりで孤独。
     5年前、定年退職して駅ビルの管理会社に再就職するが、周りはほとんど女性で、何を話していいかわからない。上司から「お客様」を迎えるお辞儀の角度を細かく指導されていらつく。「言い方がすごいきつい」などと苦情を言われたこともある。
     初日から辞めたくなった。お金にも困っていない。でも辞めない。 その理由は「男のプライドがあるから」と、記者の目を見つめて真剣な表情で言った。

     こんな男の身の上を延々と読ませて、いったい何が言いたいのかというと、要するに 「この人がこんなにつらい人生になってしまったのは、世の中に『男はこうでなければならない』という、『男らしさ』の観念があるせいだ」 と主張しているのだ!
     男性は認定心理士のセミナーで 「『男はこうあるべきだ』にがんじがらめになっていますね。つらくないですか?」 と言われ、はっとしたという。そして、女性と別れた時や職場で孤立していった時、いつも 「男たるもの強くなければ」と言い聞かせてこなかったかと自問したそうだ。 それで、「あのときこうしていればという後悔ばかり。自分で選んだ人生だけど、孤独ってしんどいな」と言ったそうだ。

     続いて記事には大妻女子大学准教授の田中俊之という「社会学者」が登場。