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記事 4件
  • 「皇室消滅をもたらす謀反が起こっている」小林よしのりライジング Vol.43

    2013-06-26 00:50  
    157pt
     皇位継承問題は、極めて重大な局面に突入している。   以前から「女性宮家創設」を宮内庁長官と前侍従長が共に訴えている以上、これが天皇陛下のご意思であることは明らかだった。  そして男系に固執する自称保守派はそれが決定的に都合の悪いものなので、口を揃えて「陛下のご意思を忖度してはいけない」などと頓珍漢なことを言っていた。  ところがいつの間にやら最近の女性週刊誌等では、女性宮家創設が天皇陛下のご希望であることを当然の前提として書いている。「週刊新潮」も「 女性宮家の創設は両陛下の強いご意向 」と宮内庁の風岡長官が安倍首相に伝えたと報じた。  宮内庁は週刊新潮が報じた風岡長官の発言について「事実無根」と抗議しているが、それは当然である。憲法の制約で皇位継承問題が国会案件とされ、天皇陛下がご意見できないことになっている以上、宮内庁長官が「両陛下の強いご意向」とストレートに言うわけがなく、こんな記事が出たら「事実無根」と言うしかない。  だがそれは「女性宮家創設は陛下のご意思ではない」ということを意味するものではない。風岡長官はストレートな表現は決してしないが、聞けば誰でも「陛下のご意思」と推察できるような官僚一流の言い回しをしたはずである。わしには100%の確信がある。  今や尊皇心のある国民には 「女性宮家創設は両陛下の強いご意向」 という暗黙の了解が進んできた。そしてこれに焦った男系固執派の人物が、無知な一部週刊誌を騙して異常な世論操作を進めている。  その第一弾が週刊新潮6月20日号の「 『雅子妃』不適格で『悠仁親王』即位への道 」という、巻頭7ページにも及ぶ極悪記事だ。  宮内庁が皇室典範改正を安倍内閣に申し入れており、その内容は、皇太子殿下がご即位後、比較的早い時期に退位し、継承順位第2位の秋篠宮殿下も即位を辞退、悠仁親王殿下が即位できるようにするものだというのだ。   これは、雅子妃殿下が皇后になるには「不適格」なので、一足飛びに悠仁さまを天皇にしようというプランであり、しかも天皇陛下はじめ皇太子殿下や秋篠宮殿下もご了承しているとまで、その記事は書いている。   絶対に、ありえない。  本当にこのプラン通り、 本人の意思で「退位」や「即位の辞退」が認められる制度になったら、もし悠仁さまが「即位を辞退する」と言ってしまえばもうオシマイ、日本から天皇が消滅してしまう!!   天皇の存在を極めて不安定にしてしまうようなバカげたプランを宮内庁が提案し、天皇陛下はじめ皇族方が賛成されるなんてことは、1万%ありえないのである!   このヨタ記事には案の定、宮内庁が内閣官房と連名で、文書で正式に「事実無根」として厳重抗議し、訂正を要請した。  風岡宮内庁長官は「 このようなことは一切なく、強い憤りを感じている 」とまで表明し、菅官房長官も「 皇位継承という極めて重要なことがらで国民に重大な誤解を与える恐れがあり、極めて遺憾 」としている。  記事で「提案した」とされた側と「提案を受けた」とされた側の双方が揃って否定したのだから、よほどの証拠を出さない限りデマ確定である。  ところが週刊新潮は翌週6月27日号で、抗議を完全に無視し、記事が真実であるという証明も一切しないまま、前週のヨタ記事の内容をあたかも既成事実のように繰り返す「続報」を載せた。新たな証明がない時点でデマ確定なのに、無視して居直るのだから悪辣この上ない。  一方「週刊ポスト」6月28日号には「 宮内庁内でも議論噴出!『秋篠宮を摂政に』は是か非か 」なる記事が載った。  将来、皇太子殿下が天皇になられる際、皇后となる雅子妃の公務負担を軽減するため、 秋篠宮殿下に摂政に就任していただくべきとする意見が「宮内庁内部や一部の宮家関係者」などの間で出ているというのだ。   これも、絶対にありえない。   これは「 摂政 」とは何なのかを全く知らない不見識者の暴論としか言いようがない。  古代、推古天皇の補佐のために聖徳太子が摂政になったとされるが、それはここで問題となる皇室典範に定められた摂政とは異なる。   摂政とは、天皇陛下が未成年か、もしくは憲法に定められた天皇の国事行為を行えないような心身の状態が長く続く場合に限って置かれる、天皇の代行のことである。  わかりやすい例では、 大正天皇のご病気が重篤になられた際に、皇太子(後の昭和天皇)が摂政に立たれている。   天皇に成り代わり、天皇の役割をほぼ100%代行するのが摂政であり、天皇が健康なのに、皇后が病気だからその負担軽減のために摂政を置くなんてことは絶対にないのだ。  ところがこの記事中で、こんな愚にもつかない意見に対して「いま考えられる最も現実的な選択肢だ」と大賛成のコメントをしている無知な知識人がいる。「神武天皇のY染色体」の信仰を広めた宣教師、八木秀次だ。  八木は秋篠宮・同妃両殿下が海外をご訪問する際も「摂政宮とその妃という立場ならば重みが生まれ」るなんて発言をしているが、 摂政とは「箔をつける」程度のために立てられるものではない!  繰り返すが、摂政を立てるのは、その時の天皇が天皇の役割を果たせない場合に限られる。 皇 太子殿下が天皇に即位したら摂政を立てようというのは、皇太子殿下には天皇の役割を果たす能力がないと言っているのと全く同じであり、これほど不敬な発言はないのである!!  新潮の記事もポストの記事も、皇太子殿下を完全に蔑ろにしているという点で共通している。   皇太子殿下が次代の天皇になられても、ご在位を短期に終わらせるか、形骸化させようと意図しているのである。  高森明勅氏は、これを「 皇位の尊厳に挑む、まさに万死に値する『謀反』 」と断じている。   以前から「天皇陛下のご学友」による「廃太子論」とか、山折哲雄の「退位」勧告とか、その他自称保守・自称尊皇の言論人による「皇太子バッシング」が続いているが、これらもその一環である。   「皇太子バッシング」をやっている者たちは、要するに「 自分は皇太子よりも秋篠宮の方が好きだから、秋篠宮を天皇にしたい 」と言いたいのだ。 自分の好き嫌いで皇位継承者までも決められると思い込んでいる、「国民主権病」の極致である。  今回の週刊新潮のヨタ記事に書かれたような皇室典範改正がもし実現し、本人のご意思で退位や即位辞退が可能になったら、皇太子殿下に「即位辞退」を求める署名活動やデモが起こりかねない。あるいは「皇太子派」と「秋篠宮派」に国民が分断され、激しい対立が起こることだってありうる。  大衆は常に無責任で、小泉構造改革を熱烈に支持した者が、次に民主党への政権交代を支持し、その次に安倍政権を支持し、どんどん社会を不安定にしてしまう。   天皇はそんなポピュリズムを超越した権威を持っていることに決定的な意味がある。これは社会を安定化させ、民主主義の暴走を抑止する、伝統に育まれた大切な智慧なのだ。   ところが今や、保守を自称する者が天皇を自分の好みで決めたいと主張し、天皇の存在までポピュリズムにさらして、歴史に培われた天皇の存在意義を破壊しようとしているのである!  しかも今回は秋篠宮殿下も飛び越して、一気に悠仁親王殿下を即位させようというのだ。わしはそこにもう一つの魂胆を感じる。
  • 「『花魁』も『性奴隷』だったのか?」小林よしのりライジング Vol.42

    2013-06-19 00:20  
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     確か星新一のショート・ショートだったと思うが、地球が滅亡した後に、宇宙人がたった一人の男を救出、宇宙人は地球の滅亡を惜しみ、せめてその歴史を後世に残そうと、男から地球の歴史について聞き取りを始めるのだが、実はこの男はとんでもない大ボラ吹きで、とてもありえないような「歴史」が残ることになってしまう……といった話があった。  この話、今となっては笑うに笑えない感覚にも襲われる。  歴史というものは、後世の人間が、ありえないようなものに書き換えてしまう危険が常にある。 その時代を生きていた人にとっては常識であり、語る必要も感じなかったようなことが、次の時代の人間には全く理解できず、とんでもない解釈をしてしまうということは、いくらでもあるのだ。  いわゆる「 南京大虐殺 」は、戦後になって「東京裁判」で喧伝され、1970年代初頭に朝日新聞が『中国の旅』のキャンペーンで改めて大宣伝したが、その時はそれほど日本社会に浸透しなかった。  1970年代までは、昭和12年(1937)の南京戦を経験した当事者が健在で社会の第一線におり、「 そんなバカげた話はありえない 」と一蹴することができたのである。  ところが80年代に入ってくると、当時を知る人たちがどんどんリタイアしていき、「 戦争を知らない子どもたち 」が社会の中枢に来るようになり、いつしか歴史的検証もないまま「南京大虐殺」は既成事実化され、教科書に載り、「南京大虐殺はなかった」と言おうものなら「右翼」と呼ばれ、大臣の首が飛ぶような事態になってしまったのである。  いわゆる「 従軍慰安婦問題 」も同様の経緯をたどっている。   日本と韓国の「戦後処理」は昭和40年(1965)の 日韓基本条約 で最終的かつ完全に決着している。  この条約締結に当たっては、予備交渉の段階を含めて10年以上の時間を要し、竹島や歴史認識などの問題で度々紛糾した。 ところがこの交渉では 「慰安婦」 は議題にすら上がらなかった。  交渉開始時はまだ終戦から10年も経っておらず、条約締結時でもわずか戦後20年である。当然その頃は、慰安婦本人はもちろん、その親兄弟も多くが健在だったはずなのに、誰一人声を挙げなかったのだ。   さらに昭和58年(1983)、吉田清治なる詐話師が「 慰安婦強制連行をした 」というウソ証言本を出した時も、何の話題にもならなかった。  まだその頃には軍隊経験者が社会におり、慰安婦とはどういうものだったかというのはわざわざ語るまでもない常識であって、戦争映画にも普通に慰安婦が出てきており、そんなヨタ話など誰も相手にしなかったのである。  ところが90年代に入り、当時を知る人たちがどんどんリタイアしていくと、こんなヨタ話を真に受ける者が出始め、「従軍慰安婦問題」がでっち上げられてしまったのである。  吉田清治の証言が虚偽であり、強制連行がなかったことが実証されてからは、「慰安婦」というものは 当時日本に存在した「 公娼制度 」を戦地に持っていったものにすぎない という議論ができるようになった。   昭和33年(1953)までは売春は合法であり、吉原遊郭など全国に売春業が公認された地域があり、これを「 公娼制度 」といったのである。  ところがこの議論も、2000年代に入ると通用しなくなってきた。  公娼制度が廃止されてから時間が経ち、当時を知る人がどんどんリタイアしていって、「公娼制度」というものが全く理解できず、「 公娼制度自体が、女性の人権侵害だったのだ! 」と主張する者がのさばるようになってしまったからである。   現在の感覚で過去を断罪しようというのは、無知であり思い上がりである。  過去を知ろうとせず、たまたまいまこの時代に生まれたということだけで自分を高みに置いて、過去を見降ろそうとする怠惰な人間が多すぎる。  実際には、過去に失われたものの方が、現在よりも優れていたということも多いのではないか? 我々は歴史に対して謙虚でなければならないのだ。  『 吉原はこんな所でございました 』(ちくま文庫)という本がある。吉原の引手茶屋「松葉屋」の女将、福田利子氏の聞き書きである。  引手茶屋とは、吉原での遊興の手引き(案内)をするところで、高級遊女のいる大見世に行くには、必ず引手茶屋の案内が必要だった。客はここで芸者や幇間(ほうかん=太鼓持ち)を呼んで酒席を楽しみ、ここへ遊女を呼んだり、ここの紹介で妓楼へ行ったりしたのである。  松葉屋は公娼制度廃止後、昔の吉原情緒を垣間見ることのできる「花魁ショー」を「はとバス」の「夜のお江戸コース」に乗せて人気となるが、平成10年(1998)惜しまれつつ廃業、福田氏も平成17年(2005)、85歳で亡くなった。  この本の初刊は昭和61年(1986)だが、この時点で福田氏は 「 お若い方の中には、日本のあちこちに国が公認し管理する遊郭があったなんて、不思議に思う方がいらっしゃるのではないでしょうか。まして、男の人たちが公然と出入りし、女の人にもそれを認めるところがあったなんて、男女平等の世の中ではとても考えられないことだと思うんですね 」  と語り、戦前の時代背景を説明している。   当時の男は、家庭は家庭として大事にしつつ、プロの女性を相手にお金で買える恋愛をしていた。 福田氏は「それだけに、この節のようなもめごとにもならなかったのではないでしょうか」と言っており、こういう指摘も興味深いのだが、今回この本から紹介したいのは、「 身売り 」の話である。
  • 「AKB48の『本気(マジ)』を崩壊させたもの」小林よしのりライジング Vol.41

    2013-06-11 22:40  
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     わしは 指原莉乃 のアンチを自認している。  だがなかなか信じてもらえなくて、中森明夫はわしのアンチを「 饅頭こわい 」だと言う。  秘書から聞いたが、小林よしのりは本当は指原が好きなんだと、一部ネット住民も言ってるらしい。  フジテレビの特番で、指原に「ばかやろー」発言をしても、まだ指原との絡みが微笑ましいと言ってる者がいる。  その一方で、アイドルに「ばかやろー」とは何ごとだと怒ってる指原のヲタもいるという。  笑ったのは「 地上波で女の子に暴言を吐いたからもう小林は終わりだ 」とか、「 他局の番組名を出すほど、頭に血が上っていたのか 」などと非難してるネット住民もいるらしい。   申し訳ないが、わしは「テレビの世間」や「新聞の世間」や「ネットの世間」を気にして発言するようなへタレではない!  普段、テレビを目の敵にして、ネットこそが規制のかからない真のメディアだと言っているネット住民が、「 テレビの世間・空気を読めない小林よしのりは終わった 」と非難してるのは滑稽だ。   わしはテレビだろうが、ネットだろうが、本音を言う!   世間の非難など気にしないし、悪人上等である!  フジテレビの特番のコメントのために、会場に居残りさせられている間、小さなモニターでテレビの様子を見ると、どうやらスタジオでは 総選挙の会場に漂う白けた空気を無視して、「 これはお祭りですからね 」という合意形成が行われ、「 おめでとう 」を連発している様子が伝わってきた。  やっと司会者から、会場でぼけ~~~~っと待たされているAKB評論家の面々(わしってそんな変な肩書じゃないけど)に声がかかり、各人が建て前の祝福コメントの態度を崩さず、テレビの世間体に合わせて発言している。  そんなおためごかしを、ぶち壊してやりたくなるのが、わしの性分なのだ。  そして実際に、指原莉乃の謙虚ぶる態度の中にも、嘘が潜んでいることをわしは見抜いていた。  だからわしの不満表明に対して、指原の「 1位は1位なんですいません 」の本音の反論が出現したのだ。  「 1位は1位なんですいません 」という言葉に、どんな本音が隠されているのか?
  • 「『慰安婦問題』は『性文化摩擦』でもある」小林よしのりライジング Vol.40

    2013-06-04 23:00  
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     橋下徹の「慰安婦」発言は、奇しくも安倍自民党の「内向きタカ派」「外向きへタレ派」の二枚舌の本性をあぶり出した。  日本外国人特派員協会の記者会見で、橋下は自分を守るための詭弁に終始し、もはや訪米も断られるほどの世界のつまはじきにされてしまった。  「 河野談話 」を修正か破棄し、「 慰安婦制度は、当時は必要だった 」と唱えたら、どんな目に合うか橋下徹が身をもって示し、安倍自民党はそれを傍観して震え上がったわけだ。   誰も国のために戦った祖父たちの名誉を守ろうとしない。  日本は「性奴隷」を使用したレイプ国家にされてしまっているのに、安倍政権は何のアクションも起こさない。  橋下徹と一線をひいて、「村山談話」「河野談話」を引き継ぐ歴代政権と何ら変わりがないことを、国際会議の場で必死で強調し、「戦後レジーム」の洞穴に引き籠って出て来なくなった。  国連の拷問禁止委員会は日本政府に対し、「橋下発言に明確に反論せよ」と勧告しているが、「右傾化」レッテルを恐れる安倍自民党が何の抗弁もしないようなら、米韓・国連の連携による慰安婦「性奴隷」運動は今後も益々勢いを増して、日本は謝罪外交に舞い戻っていくことになるだろう。  韓国ロビーと米議会・米国民の連携に反攻するには、まず事態を正しく認識することから始めねばならないのだが、残念ながら自称保守&ネトウヨの「内弁慶保守派」は、根本的に知性が欠けていて、この期に及んでも「 安倍ちゃんだけは批判できないから 」と、河野洋平批判、民主党批判で溜飲を下げてるのだから、まったく幼稚さが度を超している。  ライジング『ゴー宣』では、慰安婦問題をまだまだ徹底的に論じていくつもりである。    橋下発言で問題になった論点は、大きく分けて2つあった。 「 戦時中の慰安婦は、当時は必要だった 」と 「 沖縄の米兵は、もっと合法的な風俗を活用してほしい 」である。  前者については先週、徹底分析した。今週は後者について考える。  橋下は「風俗活用」発言については、早くも発言の3日後に「ここは僕の表現力不足、認識不足でした」と修正。外国人特派員協会の会見でも「米軍や米国民」に対して謝罪を表明し、発言を全面的に撤回した。  わしも、沖縄の米兵レイプ魔の犯罪を防ぐために風俗を利用しろというのは、不愉快な発言だと感じた。   だがそれは、米軍に失礼な発言だったからではない。沖縄に米軍基地が置かれていることを無条件に認め、そのこと自体に何の疑いも持たず、米兵の性欲のために、日本の風俗女性を活用してくれと言っていたからである。   これは、属国民の宗主国への媚びである!  橋下は米軍基地を日本の領土に置いておくことに対する、苦汁の感覚が希薄すぎるのだ。 沖縄県民が橋下発言に怒ったのは当然で、ウチナンチューの方が、ヤマトンチューより誇りを持っているということだ。 ところが橋下はこの発言に関して、「米軍や米国民」に対しては謝ったが、沖縄県民に対しては未だに一切謝罪していない。沖縄タイムスは「われわれを愚弄し、尊厳を傷つけた人間が公的立場に居続けることは、人権侵害を誘発・助長する可能性をも容認することにもつながる。断じて許してはならない」と怒りを顕わにしているが、橋下は気にする様子もない。 沖縄県民がどんなに怒ろうがどーとも思わないが、アメリカ人がちょっとでも気分を害したら即座に謝罪。そこまで卑屈な「内弁慶」が、橋下徹の本性だったのである。  橋下の「風俗活用」発言が沖縄に対する愚弄であったことは大前提である。だがそこに留まらず、さらに考えておかなければならないことがある。それは、橋下の発言が図らずも浮かび上がらせた、 日本人とアメリカ人の「 性意識 」の違いである。  橋下は友人のデーブ・スペクターからのアドバイスで「風俗活用」発言を修正、撤回と謝罪に至ったという。そしてそのアドバイスの内容については、週刊ポスト(6月7日号)でデーブが次のように明かしている。
    「彼には『 日本語の“フーゾク”という表現は英語にはない。性風俗となるとセックス・インダストリーになり、かなり違法性の高いニュアンスになる。米国側にかなり悪く誤解されて伝わる 』と忠告しました。  日本のフーゾクにはノーパンしゃぶしゃぶとか覗き系とか、イメクラとかキャバクラとか幅広い種類があるが、 女の子が横についてお酌する水商売さえないアメリカでは、フーゾクはそのものズバリ『売春』と訳されてしまう。人身売買やヘロイン中毒など、ものすごく薄暗いイメージがある から、そんなのに行きなさいといわれても論外だと、橋下氏にはそう伝えました」
     『開戦前夜 ゴーマニズム宣言RISING』の第3章『 思い邪なる者に災あれ~性意識のグローバル侵略 』で詳述したが、日本人には古代から性に関しては大らかな面がある。  それはポリネシア的な感覚を連綿と受け継いできた独自の文化である。   江戸時代には性のタブーはなかったとまで言われ、日本人にとって男女の営みは素朴な楽しみだった。  その文化が現代まで引き継がれているから、日本には「幅広い種類」の「フーゾク」が成立しているのである。  売春が違法化されているならば、「本番行為」はないけれども射精に至らせる、ピンサロとかヘルスとかいう「グレーゾーン」のフーゾクをつくってしまう。これも、素朴に性を楽しむ感覚のある日本人ならではの発想である。   世界的に見れば売春が合法の国か違法の国かのどちらかしかなく、売春を違法としておきながら、売春との境界線があいまいな「グレーゾーン」の「フーゾク」なんてものを成立させ、繁盛させている国は、日本ぐらいなのである。  橋下は「合法的な風俗」を活用してほしいと言っていたので、売春ではなく「グレーゾーン」の方を推奨していたのだろうが、これは米国人には決して理解のできない発言だった。  しかも 欧米のキリスト教文化においては、性行為は 「嫌悪と恐怖」 の対象なのだ。 これはもう日本文化の感覚とは180度逆である。  一般的に映画やポップカルチャーにおける欧米の性意識は、かなり解放されているように見えるかもしれない。映画では男女が貪るようにセックスに突入するシーンが描かれるし、マドンナもレディーガガも、グラマラスな肉体を誇示して、ダンサー相手にエロ過ぎるセックスアピールをする。  だがそれはメインカルチャーとしてのキリスト教文化に対する、カウンターカルチャーとしての表現であり、性行為に対する罪悪感は欧米人の意識の根底に浸透している。     キリスト教はセックスを嫌悪し、不法なものとして、人が性衝動を持つことに罪悪感を持たせたという点で、世界でも独特な宗教だ。  キリスト教において「性否定」を教義として明確化したのは4世紀頃の神学者、アウグスティヌスらである。  当時はローマ帝国が性的堕落による内部的な頽廃と、ゲルマン人の侵入による外敵圧力で衰退に向かっており、理性による自制によって、この局面を克服しようと神学者たちは考えた。  また、彼らはいずれもキリスト教に回心する前に性的な堕落を体験しており、自らの意識をも統合できるような「理性」を作り上げようとも考えた。   彼らは肉体と魂を分離させて考え、「肉体から解放された魂のことを考えよ」と説いて「肉体」を徹底して否定した。  肉体は神と統一された時には投げ捨てられるべき、汚れてボロボロになった衣服に過ぎないという考えである。   そして、人間はセックスにおいて最も肉体的であり、神から最も遠く離れているとされ、性欲を催させるものとして「女性の肉体」は特別の嫌悪感をもって見られるようになった。  こうして当時の神学者たちは、頭の中に作り上げた「 理性(観念) 」にこだわり、「 肉体・性 」を徹底して否定していく。   そして「 生殖のための性は神聖なるもの 」とする一方、「 肉体の快楽のためだけの性を否定する 」という分裂思考の観念ができ上がる。  しかし、いくら頭の中だけでそんな観念を作ったところで、それにこだわればこだわるほど現実の肉体・性とのギャップは大きくなる。  そしてそのギャップのつじつまを合わせるために、より強力な観念が必要となる。  こうして、次から次にと観念を強化し続けなければならないスパイラル状態に陥っていき、 ついにはアダムとエバの「原罪」の教義を確立し、性と罪とを合体させてしまい、罪である「情欲」とその根源である「女性」を徹底して否定するに至ったのだ。  世界には「男尊女卑」の宗教は多いが、それがセックスへの嫌悪感を原因としているのはキリスト教だけである。  日本は宗教に寛容と言われていながら、キリスト教の信者数は総人口の1%にも届かない100万人未満である。その理由は、実はこんなところにあるのかもしれない。