• このエントリーをはてなブックマークに追加

今なら、継続入会で月額会員費が1ヶ月分無料!

記事 4件
  • 「大阪万博はスカスカのリピート経済でしかない」小林よしのりライジング Vol.294

    2018-12-04 19:50  
    150pt
     2025年の大阪万国博覧会(万博、EXPO)が決まってしまった。
     2020年の東京オリンピックが終わればお祭り馬鹿騒ぎから解放されると思っていたのに、それがさらに5年続くのかと思うと、本当にうんざりだ。それで次は札幌で二度目のオリンピック開催を目指す動きが加速するのだろう。
    「高度経済成長の夢よもう一度」というノスタルジーでお祭りをリピートしようとする「ノスタル爺」のバカバカしさは、「FLASH(11月27日号)の『よしりん辻説法』でも描いた。
     二度目の大阪万博に湧きたっている者など、年寄りばっかりだ。中には70年万博の時に子供だった、わしより年下の者もいるが、ガキの頃のおぼろな記憶だけでノスタルジーに嵌っているのだから、わしより脳が老いているのではないか?
     若者にしてみれば、オリンピックならまだわかるけれども、「万博って、何?」って感じだろう。
     そもそも70年大阪の後も、日本で万博は75年沖縄海洋博、85年つくば博、90年花の万博、2005年愛・地球博と行われている。「大阪で55年ぶりの万博!」とか騒いでいるが、大阪では90年に「花博」をやっている。だから注意して聞くと、「大阪で55年ぶりの大規模な万博」と言っていたりする。
     万博とは「国際博覧会条約」に基づいて行われる博覧会で、5年に1度開かれる大規模な「登録博」(旧名称は「一般博」)と、比較的小規模な「認定博」(旧名称は「特別博」)に分類される。
     70年万博は「一般博(大規模)」、90年花博は「特別博(小規模)」で、2025年万博は「登録博(大規模)」だから、大阪で「大規模な」万博は「55年ぶり」だというのだ。
      しかし、2005年の愛知万博は「登録博(大規模)」だったから、「大阪では55年ぶり」といっても、「日本では20年ぶり」である。
     自分でも説明しながらよくわからなくなってきたが、要するに、2025年大阪万博の何がめでたいのか、さっぱりわからない。
      結局は70年万博を知っている世代が、ノスタルジーで当時を過剰に美化して、再び大阪万博さえやれば、ありもしない美化された過去が現代に出現するものと妄信しているだけなのだ。 当時を知らない若い世代にとってみれば、何が何だかわからなくて当たり前である。
      70年大阪万博の時わしは高校生の修学旅行で会場にも行ったが、わしの記憶に残っているのは岡本太郎の「太陽の塔」だけだ。
     そして、70年大阪万博の建築物で現存しているのも太陽の塔だけで、今となっては70年万博=太陽の塔というイメージになっている。
      だが、岡本太郎は太陽の塔を「反・万博」の象徴として建てたのだ。
     そのいきさつは、岡本敏子著『岡本太郎に乾杯』(新潮文庫)に詳しい。
     そもそも、岡本は万博に何の興味も持っていなかった。
     70年万博はアジア初の万博で、1965年に開催が決定して日本万国博覧会協会が発足したものの、全く未経験の巨大プロジェクトで、開催のためのノウハウも何もなく、手探り状態のスタートだった。
     そんな中、東京都庁舎や東京オリンピックの代々木競技場第一・第二体育館などの実績を持つ建築家の丹下健三は早くから会場計画の中心となり、素人集団の万博協会をリードしていた。
     丹下と岡本は盟友といえる間柄だったが、それでも岡本は万博についてはひとごととして傍観していたという。
     ところがそんな岡本に、万博テーマ館のプロデューサー就任の依頼が来る。その際、万博協会事務総長の新井真一が言った言葉がすごい。
    「先生以外には誰もほかに考えていません。70年3月15日からと会期も決定し、間もなく世界中に参加招請状を発送します。その中心となるテーマ館です。
     いま10億の予算があります。この予算を全部お渡しして、お任せしますから、どのようにお使い下さっても、口は出しません。もし絵を一枚描いて、これがテーマだよとおっしゃれば、それでも結構です」
     真剣にそう言うので、さすがの岡本太郎も唖然としたという。
  • 「移民政策の行く末」小林よしのりライジング Vol.293

    2018-11-27 16:40  
    150pt
     ドイツは、 全人口の約14%にあたる1200万人が移民 という超移民大国だ。2015年のヨーロッパにおける難民・移民危機では、メルケル首相が移民受け入れを主導し、約110万人を受け入れた。
     しかしその年末、大事件が起きた。2015年12月31日から翌1月1日にかけて、ケルンの駅前広場に集まった新年を祝う群衆のなかで、外国人男性らによる集団レイプ事件が発生したのだ。判明しているだけで1000人以上の女性が大勢の男性らに取り囲まれ、その場で強姦・強盗の被害に遭った。被害者は10代~20代の女性たち、容疑者の多くは北アフリカやアラブ諸国からの難民希望者や不法移民だった。
     ドイツでも特に西側のケルンは、治安が良く安全と言われていたが、この事件によってドイツ社会は震撼。以降、反移民デモが続発し、極右政党の支持が勢いを増した。結果、メルケル首相は地方選挙で連敗し、与党党首と首相の座を「今期限りで退任」と表明するに至った。
    ■ドイツの教訓「ガストアルバイター」
     2015年の移民危機以前から、 ドイツはもともと「移民受け入れに失敗した国」という教訓を持つ国 だった。失敗の原因は、1950年代、戦後復興のために南欧から受け入れられてきた外国人労働者たちの存在だ。
     多くの肉体労働者が必要だった西ドイツは、送り出し国へドイツ人医師を出向かせ、現地の男女の身体検査・能力検査を行い、「合格」と判断した者に就労を許可していった。裸の労働者たちが並んで身体検査を受ける古い映像が残っているが、さながら「奴隷市場」である。
     イタリア、スペイン、ギリシャなどから多くの労働者が西ドイツを訪れたが、それでも人手が不足すると、大勢のトルコ人が国境を渡った。
     当時のドイツ政府は 「就労期限が過ぎたら帰国させる便利な低賃金労働力者で目下の人手不足が補える」 と考え、送り出す側の国は 「ドイツで外貨を稼ぎつつ、最新技術を母国に移転できる」 と考えていた。そして外国人労働者たちは 「短期間で高収入を得られる」 と考え、ドイツ国民たちは 「きつい・汚い・危険な肉体労働を外国人にやってもらえる」 と考えていた。
      ドイツの経済発展が見えていた時代、それぞれの “目先の期待” が一致していたのだ。
     彼ら外国人労働者は、 「ガストアルバイター」 と呼ばれた。「ガスト」はドイツ語で「客(ゲスト)」という意味だ。 当初は「労働契約満了後には母国に帰る人々」と認識されており、あくまでも短期の出稼ぎ労働者とみなされていた。
  • 「徴用工問題、個人請求権について」小林よしのりライジング Vol.292

    2018-11-20 21:30  
    150pt
     戦時中、日本に動員された元徴用工とされる韓国人4人が新日鉄住金に損害賠償を求めた訴訟で、韓国の大法院(最高裁)において1人あたり約1千万円を支払うよう命じた判決が確定した。
     安倍首相は 「1965年の日韓請求権・経済協力協定によって完全かつ最終的に解決している」「判決は国際法に照らしてありえない判断だ」 と、珍しく真っ当なコメントをした。
     また、原告となった元工員4人についても 「政府としては『徴用工』という表現ではなく、『旧朝鮮半島出身の労働者』と言っている。4人はいずれも『募集』に応じたものだ」 と指摘した。
     この判決に対する反応で、わしが特に注目していたのは朝日新聞の社説である。これまでの所業からすれば、こんなデタラメな判決にでも理解を示すようなことを書きかねないと思ったのだ。
     ところが判決翌日・10月31日の社説では、冒頭から
     植民地支配の過去を抱えながらも、日本と韓国は経済協力を含め多くの友好を育んできた。だが、そんな関係の根幹を揺るがしかねない判決を、韓国大法院(最高裁)が出した。
     と、一方的に判決を批判する論調となっていた。
     朝日社説は 「日本政府や企業側は、1965年の国交正常化に伴う請求権協定で元徴用工への補償問題は解決済みとし、日本の司法判断もその考えを踏襲してきた」 とした上で、 「政府が協定をめぐる見解を維持するのは当然」 と主張する。
     もっとも、その後に 「としても、多くの人々に暴力的な動員や過酷な労働を強いた史実を認めることに及び腰であってはならない」 と付け加えているところがいかにも朝日的なのだが、それでも明らかに日本政府の方を支持しているのだ。
     その上、さらに朝日社説はこう書いている。
     原告側は、賠償に応じなければ資産の差し押さえを検討するという。一方の日本政府は、協定に基づいて韓国政府が補償などの手当てをしない場合、国際司法裁判所への提訴を含む対抗策も辞さない構えだ。
     そんなことになれば政府間の関係悪化にとどまらず、今日まで築き上げてきた隣国関係が台無しになりかねない。韓国政府は、事態の悪化を食い止めるよう適切な行動をとるべきだ。
      朝日は韓国政府にのみ「適切な行動」を求めている。かつての朝日を考えれば、隔世の感を覚える。
     11月11日に開催されたゴー宣道場「『戦争論』以後の日本と憲法9条」終了後の控室トーク『語らいタイム』では高森明勅氏が、 この朝日の論調が『戦争論』によって日本が変わった実例であり、20年前だったらこうは書かなかったはずだと指摘した。
     道場では、『戦争論』出版から20年経っても、日本の現状はちっとも変わらないという面ばかり強調されてしまったが、やはり目に見えて変わっているところもあるようだ。
     だがそれでも往生際悪く、1965年の国交正常化の際の日韓基本条約・請求権協定で「完全かつ最終的に解決」したといっても、 「個人請求権」は存在していると言っている者もいる。
     衆院外務委員会で共産党の穀田恵二が、日本政府も個人請求権の存在を認めて来たのではないかと質問、これに河野太郎外相が 「個人請求権が消滅したと申し上げるわけではございません」 と答弁したら、それを韓国・ハンギョレ新聞が鬼の首でも取ったかのように書いていた。
      だが、個人請求権は消滅していないというのは以前からの政府見解で、別に「不都合な真実」ではない。
      請求権協定によって、日本は韓国に「経済協力金」の名目で、無償で3億ドル、有償で2億ドル、民間借款で3億ドル、合計8億ドルを支払っている。当時の韓国の国家予算の2.3倍、今の貨幣価値では1兆800億円 に相当する額である。そして、この経済協力金には個人に対する補償も含まれている。
     韓国政府は個人に対する補償金も一括して日本から受け取り、それを国内で分配するとしていた。 ところが韓国政府はその経済協力金を産業育成に投じ、個人への補償に十分回さなかったために不満が沸いていたのだ。
      つまり、個人請求権は消滅していないが、その請求先は日本政府ではなく、韓国政府なのである。
     しかも、経済協力金に個人への補償が含まれていることは、かつて韓国政府も認めており、 さらに現大統領の文在寅はその政府見解のとりまとめに深く関わった張本人なのである。
  • 「優雅なる巴里の情景」小林よしのりライジング Vol.87

    2014-06-03 18:40  
    150pt
     近頃は羽田空港から巴里に一気に飛べるから実に楽になった。
     わしはファーストクラス、秘書みなぼんはエコノミークラス、ファーストは横になって寝ることもできるが、一睡もせずにフランス革命の本とか、フランス語の旅行会話の本などをむさぼり読んでいた。
     巴里までの飛行時間は、行きは11時間半位で予定より早く到着。
     降下を始めるときに、スチュワーデスから「準備万端ですね」なんて声をかけられ、苦笑いしてたら、そのスチュワーデスが日本語・英語・フランス語で流暢に到着アナウンスをしたので、なんかムカついた。
     出口で「ご活躍ください」と言われたので、わしを知っていたらしい。
    (秘書みなぼんの感想)
     飛行機が降下を始め、窓から下を見ると、広大な田園風景が広がっていて、思わず魅入ってしまった。
    「フランスに来た!」という先入観から、ただの田園風景でも感動してしまうのかな?
     日本も北海道とかは上空から見れば、こんな感じだったかな?と思いながら見ていたけれど、でも一つの田圃の大きさが大きいし、色も濃いような気がするし、日本のようなキッチリしたマス目になっている田圃とも違うなぁ…と感じた。
     シャルル・ド・ゴール空港に到着。
     秘書みなぼんは『レ・ミゼラブル』の3巻目を読んだらしく、わしと合流して、
    「ちょうどフランス革命の頃の話で、大衆のあまりの貧困っぷりに革命が起きることも納得してしまいましたよ。」と感想を漏らす。
     単なる旅行ではなく、何かを学ぼうとする意欲が感心だ。
    (みなぼんの感想)
     フランス、しかも「シャルル・ド・ゴール空港」という名前から、もっと華やかな空港を予想していたら、内装は簡素だし「空港の機能だけ!」という感じ。羽田空港の方が有名店が入っていたり、レストランも多く派手なのではないかと思った。
     時間のせいか人も少なく静かで、少し拍子抜けした。
     でも空港スタッフに黒人が多くて「やっぱり移民の国だ!」と感じた。
     周りも外国人だし、案内表示も広告もフランス語で、「いよいよ来たぞ~」と実感。
     空港からタクシーでパリ市内に向かう途中、巴里の中心地に入るまでは、雑然とした殺風景が続くのだが、秘書みなぼんは早くも感動している。
    「先生、さすがフランスですね!」
    「なにが?」と聞き返すと、横を走っていく車の運転手が黒人やアラブ系、アジア系、もちろんも白人もいて、「さすが移民の国・巴里だ!」と感動したそうだ。
     あんまり感動するポイントではないような気がするが・・・。
     ハイウェイを降りて、いよいよ巴里市内に入ると、「これぞ巴里!」という街並みが目に入ってくる。
     歴史を感じさせる重厚な石造りの建物がずらっと並び、石畳になった道路をタクシーは振動しながらガタガタ走っていく。
     モノトーンでシックな服装のパリジャンが風景に溶け込み、目に心地良い。
     学生はジーンズにパーカーやシャツ、スニーカーを合わせていて、シンプルで年相応の格好をしている。
     足が長くスタイルが良いからジーンズも格好良く履きこなせるし、AKB48や美少女アニメを生んだ日本のセーラー服や学生服の文化より、垢抜けてお洒落に見える。
    「どうね、みなぼん?これが巴里だよ。」
    「本当だ!これが巴里なんですね!おしゃれですね~~~~!」
     ようやく感動すべき風景を感動してくれて安心した。
     移民が多いのが巴里だなんて感動してたら、極右政党・国民戦線のマリーヌ・ルペンが怒ってしまう。
     わしが30年くらい前に巴里に行った頃は、英語なんか誰も使ってなくて、外国人に白い目を向ける冷たい国民という印象だった。
     わしが高級ブランド店でフランス語をしゃべったら、店員がぎょっとして全員でわしを凝視したものだ。サルが言葉をしゃべったという空気だった。
     元々はそういう排外的な国民なんだから、EU統合なんかやったら、極右が伸びてくることは見えていた。
     もっとも、わしはフランスが本来、母国語に誇りを持っていて、しかも反米的で、イラク戦争にも参加しないような国だから好きなんだが。
     街並みに見惚れているうちに、ホテル「パークハイアット」に着いた。
     わしがハイアット系のホテルの会員なので、まずはこのホテルを選んだのだが、有名な宝石店が並ぶヴァンドーム広場の近くにあり、フランス政府がPalaceの称号を与えたホテルだ。
     部屋に入ると、ウェルカム・シャンパンとチョコがセットされている。早速、部屋着に着替えて、乾杯し、チョコを食べた。
     
    (みなぼんの感想)
     私がホテルに着いて最初に受けたショックは、部屋のトイレに座ったら、便座の位置が高く、足が下に付かなかったこと。
     単に造りが雑で高過ぎてしまったのか?
     それとも欧米人の平均に合わせてこうなったのか?
     私の足が短いってこと!?
     いや…身長が低いだけだ…きっと…、そう自分を慰めた。
     時間を確認すると17時半。機内で一睡もしてないし、日本時間では24時半なのだから、そのまま寝てしまう予定だったのだが、外が明るすぎる。
     せっかく巴里に着いたのだから…ということで、もう一度着替えて少し散歩することに。
     ホテルの外に出ると、まず目に入ってくるのがヴァンドーム広場に立っている巨大な柱。てっぺんにはローマ時代の格好をしたナポレオンの銅像が立っている。
     ナポレオン、好きだな~~~~、ちくしょう!
     ナポレオンのように英雄を意識して生きたいものだ。
       
     巴里の街並みはどこを撮っても絵になる。
     高級ブティックが多く建ち並ぶ区域だったのだが、チョコレート屋やお菓子屋、パン屋も多い。
     そして街のあちこちに、カフェやブラッセリー、ビストロがあり、外のテラス席で食べている人が多いのが、巴里ならではだ。
    「RESTAURANT JAPONAIS」と書かれ、「寿司」と書いた赤提灯をぶら下げながら、その店名は「金(KiM)」という店を発見。
     まともな日本食を出しているわけがない!怪し過ぎる!