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記事 3件
  • 「安倍なきあとが見えない人たち」小林よしのりライジング Vol.234

    2017-08-01 21:50  
    150pt

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     常識さえあれば、誰だって嘘は見抜けるものだ。
     安倍晋三が今年の1月20日まで、加計学園が獣医学部の新設を申請していたことを知らなかったなんて、嘘と思わない方がどうかしている。
     安倍は単にお友達に利益供与するために行政を歪めたのであり、釈明の発言は全部嘘だということは、見え見えのバレバレだ。
     時浦のツイッターには、こんな報告が来ている。
      今日、小学生相手にインプリ(※)をやったんですが、休憩時間に親子のこんな会話が聞こえました。
    「こら、嘘言っちゃダメ」
    「総理大臣は、いっつも嘘言っとるよ」
     これに大きなショックを受けました。
     サイコパス安倍は子供に悪影響を与えてます。(T・ハクスリーさん)
    (※インプリ=インタープリテーション。自然公園やミュージアムなどで行う体験型教育活動)
     安倍の嘘など、子供でもわかる。というより、子供こそ容赦なく「王様は裸だ!」と見破るものだ。
     ところが、それでも 「王様は立派な服を着ていらっしゃる!」 と叫び続けている者たちがいる。
     例えば、先週7月26日に発売された月刊WiLL9月号は 「総力特集『加計学園』問題 ウソを吠えたてたメディアの群」 と題して、以下のような記事をずらっと並べている。
    ■百田尚樹×阿比留瑠比『落ちるところまで落ちた朝日新聞』
    ■藤井厳喜×髙山正之『朝日こそ言論の暴力だ』
    ■長谷川幸洋『なぜフェイクニュースが生まれるのか』
    ■屋山太郎×潮匡人『怪しいのは安倍でなく石破!?』
    ■長谷川煕×烏賀陽弘道『「日本会議黒幕」も「安倍政権 言論弾圧」も
    フェイク報道』
    ■長谷川煕『「加計」問題もフェイクでした』
    ■八幡和郎『前川喜平氏の論理は時代の遺物』
    ■山本順三『「加計ありき」とは笑止千万』
    [附]加戸守行『歪められた行政が正された』
    ■百田尚樹×古田博司『韓国化する日本 ここまで平然とウソをつくか』
     一方、同日発売の「月刊Hanada」は、 「総力大特集 常軌を逸した『安倍叩き』」 と題して、以下のラインナップだ。
    ■小川榮太郎『加計学園の“主犯”は石破茂』
    ■阿比留瑠比『朝日新聞は「発狂状態」だ』
    ■長谷川幸洋『言論弾圧は左翼の専売特許』
    ■百田尚樹×有本香『「安倍潰し報道」は犯罪だ!』
    ■高村正彦『日本を託せるのは安倍晋三しかいない』
    ■鈴木宗男『都議選惨敗は、自民党の追い風に』
    ■加藤清隆×末延吉正『ワイドショーの作り方、教えます』
     執筆者もかなりかぶっているし、どっちがどっちの記事だか、全く見分けがつかない。
    「WiLL」の創刊編集長・花田紀凱は版元・ワック出版のワンマン社長と喧嘩になって11年間務めた編集長を解任され、編集部員全員を引き連れて退社。飛鳥新社で昨年、「WiLL」にそっくりな新雑誌「Hanada」を創刊した。
     そんな因縁がある以上、「Hanada」は意地でも少しは「WiLL」とは違いを出すかと思ったのだが、全く一緒で区別がつかないものになっているのだから、みっともないことこの上ない。
     なお編集部員が全員辞めた「WiLL」は、一時は発行が困難かとも囁かれたが、何の支障もなく継続している。要するにネトウヨ雑誌など誰にでも作れるのだ。そして誰が作ろうと、ネトウヨ情報が欲しいのにネットを使えず、金は持ってる年寄りがまだ生きているから、そこそこ売れるのだ。
     それにしても、両誌そろって 「安倍ちゃんは悪くない! 悪いのは朝日新聞だ!石破茂だ!前川喜平だ!これは全部フェイクニュースだ、マスゴミの陰謀だ―――!!」 の大合唱なのだから呆れる。
     あまりにも世間の常識から逸脱している。まるで『新戦争論』で描いた 「ブラジル勝ち組」 みたいだ。
  • 「カネで魂を売る資本主義は無謬ではない」小林よしのりライジング Vol.172

    2016-04-05 21:55  
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     わしは以前『おぼっちゃまくん』で、下唇に輪っかをはめた「マチャイ族の酋長」というのを描いたことがある。
     
     70年代くらいまではこういう、近代人には奇異に映る原住民の姿や風習などをよくテレビでやっていて、その記憶から普通にパロディ化して描いたのだが、今だったら編集者に止められるアイディアだろうか?
     いつの間にかこういう風習をメディアで目にすることはなくなっていたが、朝日新聞3月22日の記事「世界発2016」で、昔ながらの下唇に輪っかをはめた姿の女性の写真が載っているのを目にして、今でもこういう部族がいるのかと驚いてしまった。これはアフリカの「最後の秘境」と呼ばれる、エチオピア南部のオモ川流域に住む「ムルシ民族」の女性だという。
     だが記事によれば、最後まで伝統的な暮らしを守ってきたこの地域にも、変化の波が押し寄せているらしい。
      1990年代にこの地域を訪れた外国人観光客は年間数千人だったが、2000年代に周辺の道路が整備されると激増、現在は年に数十万人が訪れているという。
    「観光地」と化した「最後の秘境」では、着飾った少女たちが外国人観光客を囲んで写真を撮るように催促し、引き換えにお金を要求するようになったという。
     たぶん最初は観光客がチップの感覚で金を渡したのだろう。だが、それで写真を撮らせたら金がもらえるんだと思った少女たちは、自分から進んで観光客に写真を撮れ、金をくれと言うようになってしまったわけだ。
      ムルシ族では人に金や物をねだることは特に卑しい行為とされ、長老がたしなめる光景も見られるそうだが、もう後戻りはできないだろう。
      こうなったら伝統は崩壊である。
     ムルシ族の長老は 「ここの生活は牛が中心。お金を持つと、若者は牛を捨てて集落を出て行ってしまう。お金は恐ろしい」 と嘆いているという。
      その国ごと、その民族ごとの中に、伝統として受け継がれてきた平衡感覚というものがあるのだが、それがお金によって崩されていく。
      お金によって、伝統が破壊されてしまうのだ。
     エチオピアは2014年の実質GDP成長率が10.3%で、世界でもトップクラスの高度経済成長の最中にある。だが、本当にそれがいいことなのだろうか?
     お金を持った若者は牛を捨て、街に出ていく。しかし、お金を使い果たしてしまったら、もう街で働くしかなくなってしまう。それでいい職があるはずもなく、結局は街の最下層に入らざるをえなくなる。その一方で、故郷の村は滅びていくのだ。
     果たして、それが幸福だろうか?
     話が飛ぶようだが、同じ3月22日の朝日新聞には、「ハリウッド映画“中国色”濃く」と題する記事が載っていた。
     火星にたった一人残された男のサバイバルを描いたリドリー・スコット監督のSF大作『オデッセイ』は、中国が主人公を救出する重要な役割を果たすという話になっている。
     こういう傾向はここ数年続いていて、『ゼロ・グラビティ』でも中国製の宇宙船のおかげで主人公が生還できたことになっていたし、『トランスフォーマー/ロストエイジ』『X-MEN:フューチャー&パースト』など、舞台に中国が登場したり、中国人キャストを起用したりする作品は増えている。 ハリウッドが、どんどん中国に媚を売っているのだ。
      これらの映画は作品として見ても、何かというと重要な場面で中国が出てくることに、ものすごい違和感がある。
     それは別にわしだけの感覚ではない。朝日新聞の記事中でも、映画評論家の秋本鉄次氏が『オデッセイ』について、 「『70億人が彼の帰りを待っている』というキャッチフレーズなのに、米国以外は中国ばかり。まるで米中共同救出作戦のようで、違和感を覚えた」 と語っている。
     結局、ハリウッドは金で魂を売っているのだ。
      中国の巨大市場で金儲けするためには、作品の不自然さに目をつぶってでも中国に媚を売っておかないとならない。こうして、金に目がくらんで作品の魂が崩れていくのだ。
     最も原始的なアフリカの原住民族と、最も最先端のハリウッド映画。
     一見、全く無関係のようだが、この両者で同じことが起きている。
     どちらも、金で魂を売っているのである。
      金が、人間の幸福感や、作品の完成度といった、根本的な価値を次から次に壊している。
     これで、本当に資本主義がいいものだなどと言うことができるのだろうか?
     さて、さらに話が飛ぶように思うかもしれないが、同じく3月22日の産経新聞には、1面トップで「パチンコで浪費 国“黙認”」と題する記事が載っていた。
  • 「フランス新聞社襲撃事件:『表現の自由』を原理主義にするな!」小林よしのりライジング号外

    2015-01-13 12:35  
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     フランスの週刊新聞襲撃事件に対しては、朝日から産経まで「 表現・言論の自由を守れ 」の大合唱である。
     世界各国が連帯してアルカイダ系のテロ集団を非難し、新聞社に同情している。
     だがわしはその反応に居心地の悪さを隠せないのである。
      フランスという国が、根本的に日本と価値観が違うということはわかってはいたが、こうも露骨に違うと確信できる日が来るとは!
     一年前にパリに行っていて良かった。今からは危なくてしばらく行けない。
     襲撃された「シャルリー・エブド」は、2006年に物議をかもしたイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載したことで有名な新聞で、その後も「言論の自由」を掲げ「タブーなしの編集方針」を貫くとして、イスラム教をパロディ化する風刺画を載せてきた。
     襲撃犯はそんな同紙の編集会議に押し入り、「預言者のかたきだ」「神は偉大なり」などと叫んで銃を乱射、編集長や編集関係者、風刺画家など12名を殺害したのだった。
      それにしても、宗教のパロディは「表現・言論の自由」の名の下に、無制限に許されるものなのだろうか?
     確かに日本人は宗教のパロディをタブー視する感覚がゆるいようで、イエスとブッダが俗っぽい若者となって下界に現れ、安アパートに住んで日常を送るという、ほとんどナンセンスなギャグ漫画がヒットするほどだ。
     だがそんな日本でも、イスラム教のパロディだけは許されない状態になっている。1991年には、ムハンマドを題材にしたイギリスの小説『悪魔の詩』を翻訳した大学助教授が殺害され、犯人は未だ明らかになっていない。
     上述の漫画でも、様々な宗教をネタにしているにもかかわらず、イスラム教に関しては言及すらしていない。
      怖いからイスラム教に触れるパロディはやらないというだけのことなら、日本人はすでにテロに屈しているということになる!
     フランスでは、「言論の自由」が最高の価値だという。
     1月9日の産経新聞1面コラム「産経抄」は、やたらとフランスを称賛していた。「 フランスといえば、『自由』『平等』『博愛』を国の標語としている 」「 何より3つの標語を守るために、戦いを恐れないのが、フランスである 」とした上で、「 『イスラム国への攻撃に参加すれば、標的になってしまう』。こんな声が識者から上がるような、ヤワな国ではない 」と讃えるのだ。
     一応言っておくが、「博愛」は誤訳であり、正しくは「友愛」、もっと厳密に言えば「同胞愛」である。
      こんな時だけ産経新聞はフランスを賛美するが、イラク戦争にフランスが反対した時には、ボロクソにけなしたことを忘れたのだろうか?  このご都合主義がすさまじい。
      要するに、親米ポチ派にとっては、アメリカと歩調を合わせているフランスは大好き、アメリカに逆らっているフランスは大嫌い、ただそれだけなのだ。
     産経新聞はフランスと同調して、「言論の自由」を最高の価値であるかのように主張しているわけだが、わしはそこに違和感を覚える。
     そもそも「言論の自由」を、最高の価値にしてしまっていいのだろうか?
      ネトウヨに「言論の自由」を許した結果、行き着いたのがヘイト・スピーチではないか。
     ヘイト・スピーチまで「言論の自由」を盾にして守ってはいけない。 やはり公共の福祉に反するような言論は許されないのだ。
     そうすると、イスラムの側の論理もわかる。彼らの公共に関わることまで愚弄してはならないのである。
     日本でも何年か前までは、天皇陛下や皇室を侮辱する作品が発表されると、右翼団体が出版社に圧力をかけたり、襲撃したりしていたものだ。
     もちろんテロは法的には許されないのだが、天皇を敬愛する者からすれば、何も知りもしないで、偏見だけで天皇を侮辱するような行為を許せないと思う。その尊皇心は否定できない。
     皇后陛下を失声症に追い込んだ週刊文春のデマ記事だって、「表現の自由」で許される範疇を超えていた。なにしろ「言論の自由・表現の自由」を持たない皇室に対して、デマで非難していたのだから、「表現の暴力」である!