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記事 6件
  • 「全てのテロは許されないか?」小林よしのりライジング Vol.467

    2023-05-03 14:05  
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     もう何度も何度も言っていることだが、テロにも「公に資するテロ」と、「愚にもつかないテロ」がある。
     ところが、メディアに出てくるのは「あらゆるテロを許すな」というお決まりの文句ばっかりだ。
     そんな意見は人間ではなく、AIに聞いて応えさせればいい。
     先月の岸田首相を狙ったテロと、昨年の安倍元首相を殺害したテロとは本質的に異なるということくらいは、少し考えればわかりそうなものだ。
     最初に断っておくが、厳密にいえばこの両者とも「テロ」と呼ぶには疑問がある。
    「テロ」の定義はVol.447「【テロに屈するな】という標語は無意味」で詳述した。
     https://ch.nicovideo.jp/yoshirin/blomaga/ar2120347
      テロリズムとはある政治的目的を達成するために、敵対する当事者や、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、これによって生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを強いる行為をいう。 だからこそ、テロリストは犯行直後に声明を出し、自らの目的や要求を明らかにするものなのだ。
     ところが、岸田首相襲撃犯は現時点で未だに犯行動機を明らかにしておらず、世間に主張すべき政治的目的など持っていないことは、ほぼ間違いない。
     安倍首相殺害犯の山上徹也に至っては、逮捕直後から「政治的意図はない」と明言し、統一協会をめぐる個人的怨恨が動機であることを明かしている。
     だからこれらは、どちらも本来の「テロ」の定義には当たらないのだ。
     しかしこれもVol.447で書いたが、一般的な「テロ」のイメージはもっと曖昧で、要人が公然と襲われた場合には、実行者の動機や目的と関係なく「テロ」とみなす傾向が世界的にある。
     実際、岸田首相襲撃も安倍元首相暗殺も、どちらも即座に「テロ」の括りに入れられて、その前提で議論が行われてしまっているため、「狭義のテロ」の定義にこだわっていては議論がかみ合わなくなってしまう。
     そこでやむなく、今回はこれらも「広義のテロ」だという認識で話を進めることにする。
      わしは山上徹也のテロには同情を禁じ得ない。統一協会のために家族を破壊され、自らの将来が閉ざされてしまい、絶望と恨みを抱いて生きていたら、なんと自分が支持していた安倍晋三が統一協会シンパだということがわかってしまったのだから。
    「殺人」という犯した罪に対する法的な罰は厳格に下すべきだが、山上が安倍を標的にしたことには理があるというしかない。
     しかも、 このテロは統一協会と権力の中枢がベッタリ癒着している事実を明るみに出した。
      統一協会は「反日・反天皇」の外国勢力のカルトである。日本の権力が最も警戒しなければならない存在である。それを最高権力者が国家の中枢に招き入れていた責任は極めて大きい。 安倍元首相は殺されたこと自体は気の毒だが、死んだからといって、絶対にその責任を水に流すわけにはいかない。
      山上が行ったことはカルトを政権から叩き出すテロであり、公に資する部分があるテロであり、同情する余地のあるテロである。
     一方、岸田首相を狙ったテロは単なる馬鹿でしかない。
     犯人の木村隆二は定職にもつかずに実家で母親と暮らしていた24歳の男だ。引きこもらせてくれる家族がいて、仕事もせずに生きていたのだから、山上に比べれば恵まれ過ぎだといえる。
     そんな木村は昨年夏の参院選に立候補しようとしたが、公職選挙法で定められた参議院議員の被選挙権年齢「30歳以上」に達していなかったので立候補できず、これを不当だとして国に損害賠償を求めて提訴していたという。
     公選法の規定も知らずに立候補しようとして、それができないと不当に扱われたと思い込んで裁判に訴えたというから、相当の馬鹿である。
     今回のテロの動機については、この件によって社会から虐げられているという被害者意識を持ち、その原因が政治家にあると思い込んだのではないかという推測が出ているが、おそらくそんなところだろうとわしも思う。とにかくどこをどう見ても、一点の同情の余地もない。
     こんな自己承認欲求だけの暴徒の犯行などほとんど扱う価値はないのに、マスコミはこの事件の報道を連日連夜繰り返していたから、うるさくて仕方がなかった。
     そんな報道に時間を取るくらいなら、裁判開始に向けて準備が進んでいる山上の方が、もっともっと報じるべきことがある。事件の背後にある統一協会問題がまだ何ひとつ解決していないのに、これに関する報道がすっかりしぼんでしまっているのはどう考えてもおかしいではないか。
      テロにも価値の順列がある。クソとミソの区別くらいつけろ!
     産経新聞に至っては、あらゆるテロを許さないと言い出した。
  • 「男系カルト・阿比留瑠比、論破まつり」小林よしのりライジング Vol.314

    2019-05-14 21:20  
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     新天皇陛下の即位により、現状では皇位継承資格者がたった3人、次世代の者は悠仁さまたった一人という恐るべき事実が誰の目にも明らかになった。
     そしてこれに対処する方法は、女性宮家を創設し、女性・女系天皇を認める以外にないということも、大多数の国民の共通認識となってきた。
     これに対して尋常ではない危機感を抱いているのが、男系男子固執の自称保守陣営だが、追い詰められて主張がどんどんトチ狂っていくのがなかなか見ものではある。
     この問題は、必ず女系(双系)公認の側が勝つ。その時に、逆賊たちが何を言っていたかは確実に歴史に残しておく必要があるので、このライジングの『ゴー宣』も、随時そんな記録の場としたいと思う。
     新天皇ご即位の記事が紙面を賑わした5月2日の産経新聞には、「皇位継承 歴史の重み 女性宮家創設には問題」という記事が載った。
     
     筆者は産経のエース記者・阿比留瑠比だが、どう見ても「問題」なのは阿比留の頭の中の方だ。
     なにしろ、阿比留は 「『女性宮家の創設』には、見逃せない陥穽(かんせい)がある」 として、こんなことを書いているのだ。
     現在、与野党を問わず女性宮家創設や、現在は皇室典範で父方の系統に天皇を持つ男系の男子に限られている皇位継承資格を、女性や女系の皇族の子孫に拡大することを検討すべきだとの意見が根強くある。
     とはいえ、これはあまりに安易に過ぎよう。
     仮に女性宮家を創設しても、一時的に皇族減少を防ぐだけで皇位継承資格者が増えるわけではなく、その場しのぎでしかない。
     何を言ってるのか、全くわからない。
      女性宮家を創設して、皇位継承資格を女性や女系の皇族まで拡大すれば、当然皇位継承資格者は増える。
     それなのに阿比留は、女性宮家を創設しても 「皇位継承資格者が増えるわけではなく、その場しのぎでしかない」 と書いている!
      どうやら阿比留は「女性宮家創設」と「女性・女系皇族への皇位継承資格拡大」を、全く別物と考えているらしい。
      女性宮家とは、皇位継承権がなく公務をするだけのものと、勝手に思っているのだ!
     確かに野田政権下で検討された「一代限りの女性宮家」はそういうもので、「公務の負担軽減」だけを目的とする「その場しのぎ」でしかなかったが、今回は違う。退位特例法の付帯決議は、こう書いているのだ。
     政府は、安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、皇族方のご年齢からしても先延ばしすることはできない重要な課題であることに鑑み、本法施行後速やかに、皇族方のご事情等を踏まえ、全体として整合性が取れるよう検討を行い、その結果を、速やかに国会に報告すること。  つまり、 「安定的な皇位継承を確保するための諸課題」、具体的には「女性宮家の創設等について」 検討するよう政府に求めているのである。
     ところがこの文章を、八木秀次(麗澤大教授)は信じられない解釈で読んだ。
  • 「立憲民主党への警告」小林よしのりライジング Vol.245

    2017-10-24 19:05  
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     選挙戦の最中、辻元清美が街頭で支持者に対して 「やっぱり9条は守らないとね!」 とか言っている場面をテレビで見たが、あれは「あちゃちゃ~~~」と思った。
     テレビの側も、立憲民主党は護憲政党だという思い込みがあるからそういう発言を切り取って使うわけだが、こういうことが繰り返されれば 「リベラル=護憲」「立憲民主=護憲」 という誤解が定着してしまう。
     こんなイメージを広げてはいけない。 あくまでも、立憲民主党は辻元のような護憲派ばかりではなく、改憲派のわしが応援演説をするような、保守の部分もあるという印象をつけておかなければならない。
     もちろん枝野代表も、そのためにわしを応援演説に使ったのだろう。
     そもそも北朝鮮情勢が緊迫しているとか言ってる状況の中で、呑気に選挙なんかやっていられたのは、いざとなったら自衛隊の指揮権が全部米軍に委託されることになっているからだ。
      北朝鮮有事の際にどうするかは、どうせ米軍が決めること。日本は何も考えなくてもいいから、遊んでいられるのだ。
      これは、誰が政権を取っても同じことだ。それなのに、有事の場合には安倍晋三が首相じゃないといけないかのような雰囲気が作られてしまっている。
     福島第一原発事故の際の民主党政権の対応がまずかったから、そんな観念が出来上がってしまったのだが、もしあの当時自民党政権だったとしても、やはり大混乱になっただけのはずだ。あの時は、誰がやったって同じだったのである。
     北朝鮮有事でも同じことで、誰が首相だってダメに決まっている。今度は特に、 有事になれば米軍の指揮下に入ってしまうことが決まっているのだから、日本の首相なんか、いてもいなくてもどうでもいいのである。
     それなのにみんな勘違いして、本当は何もできやしないのに、有事を考えればやっぱりタカ派の安倍の方がいいだろうというイメージだけで、自民党に票を入れてしまうのだ。
     今回の自民圧勝には、そういう隠れた構図も存在している。
     週刊現代10月14・21日号に、米軍が北朝鮮を空爆した場合、北朝鮮の報復攻撃の対象は、日本に対してはまず米軍横須賀基地、次に北朝鮮を攻撃した米軍基地、そしてその次が「日本海側に広がる原発」だと語る、朝鮮労働党幹部の話とされる記事が載った。
     10月17日放送のテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」ではこの記事を基に、実際に北朝鮮が原発を攻撃した場合、どの程度の脅威があるのかという話題を取り上げた。
     日本海側には9カ所25基の原発があり、そのうち福井県の高浜原発2基が稼働中である。
     番組では、元防衛相・森本敏の 「原発の炉の中は大丈夫だと思います。ミサイル攻撃は炉の中を破壊することは出来ないのです」 というコメントを紹介。
     さらにスタジオでは元自衛艦隊司令官・香田洋二が森本のコメントを補足し、北朝鮮が日本を攻撃するとしたらおそらくノドンミサイルを使うだろうが、ノドンの精度は誤差1キロ以上あるので、原発を狙って撃つのには無理があるし、原発の建物は対爆弾構造になっているので、通常弾頭ならある程度の直撃を受けても、原子炉に被害は及ばない設計になっていると説明した。
     ところがこれに対してコメンテーターの玉川徹が、 実際に原子炉の設計をしていた元ジェネラル・エレクトリック社の佐藤暁に取材したところ、原発を作った時点では、もともとミサイル攻撃など想定しておらず、直撃したらもうダメだという回答だった と発言すると、香田はしどろもどろになっていた。
     わしも、森本や香田の話は信用できないと思う。若狭湾には数十キロの範囲に14基もの原発が密集している。北朝鮮はノドンミサイルなら大量に保有しているから、これを何発も若狭湾岸に打ち込めば、多少誤差があってもどれかは原発に当たるだろう。そして、原子炉がミサイル攻撃を受けても無傷で済むとは思えない。
     稼働中の原子炉が破壊されると、ヨウ素、キセノン、クリプトンといった放射性物質を含むガスが流出し、人体にとっては命にかかわる影響が出る。
     停止中の原発の場合は、ガスは出てこないものの、セシウムなどの放射性物質が出て来てゆっくり周囲が汚染される。
     また、さらに懸念されるのは電磁パルス攻撃だ。
  • 「安倍なきあとが見えない人たち」小林よしのりライジング Vol.234

    2017-08-01 21:50  
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     常識さえあれば、誰だって嘘は見抜けるものだ。
     安倍晋三が今年の1月20日まで、加計学園が獣医学部の新設を申請していたことを知らなかったなんて、嘘と思わない方がどうかしている。
     安倍は単にお友達に利益供与するために行政を歪めたのであり、釈明の発言は全部嘘だということは、見え見えのバレバレだ。
     時浦のツイッターには、こんな報告が来ている。
      今日、小学生相手にインプリ(※)をやったんですが、休憩時間に親子のこんな会話が聞こえました。
    「こら、嘘言っちゃダメ」
    「総理大臣は、いっつも嘘言っとるよ」
     これに大きなショックを受けました。
     サイコパス安倍は子供に悪影響を与えてます。(T・ハクスリーさん)
    (※インプリ=インタープリテーション。自然公園やミュージアムなどで行う体験型教育活動)
     安倍の嘘など、子供でもわかる。というより、子供こそ容赦なく「王様は裸だ!」と見破るものだ。
     ところが、それでも 「王様は立派な服を着ていらっしゃる!」 と叫び続けている者たちがいる。
     例えば、先週7月26日に発売された月刊WiLL9月号は 「総力特集『加計学園』問題 ウソを吠えたてたメディアの群」 と題して、以下のような記事をずらっと並べている。
    ■百田尚樹×阿比留瑠比『落ちるところまで落ちた朝日新聞』
    ■藤井厳喜×髙山正之『朝日こそ言論の暴力だ』
    ■長谷川幸洋『なぜフェイクニュースが生まれるのか』
    ■屋山太郎×潮匡人『怪しいのは安倍でなく石破!?』
    ■長谷川煕×烏賀陽弘道『「日本会議黒幕」も「安倍政権 言論弾圧」も
    フェイク報道』
    ■長谷川煕『「加計」問題もフェイクでした』
    ■八幡和郎『前川喜平氏の論理は時代の遺物』
    ■山本順三『「加計ありき」とは笑止千万』
    [附]加戸守行『歪められた行政が正された』
    ■百田尚樹×古田博司『韓国化する日本 ここまで平然とウソをつくか』
     一方、同日発売の「月刊Hanada」は、 「総力大特集 常軌を逸した『安倍叩き』」 と題して、以下のラインナップだ。
    ■小川榮太郎『加計学園の“主犯”は石破茂』
    ■阿比留瑠比『朝日新聞は「発狂状態」だ』
    ■長谷川幸洋『言論弾圧は左翼の専売特許』
    ■百田尚樹×有本香『「安倍潰し報道」は犯罪だ!』
    ■高村正彦『日本を託せるのは安倍晋三しかいない』
    ■鈴木宗男『都議選惨敗は、自民党の追い風に』
    ■加藤清隆×末延吉正『ワイドショーの作り方、教えます』
     執筆者もかなりかぶっているし、どっちがどっちの記事だか、全く見分けがつかない。
    「WiLL」の創刊編集長・花田紀凱は版元・ワック出版のワンマン社長と喧嘩になって11年間務めた編集長を解任され、編集部員全員を引き連れて退社。飛鳥新社で昨年、「WiLL」にそっくりな新雑誌「Hanada」を創刊した。
     そんな因縁がある以上、「Hanada」は意地でも少しは「WiLL」とは違いを出すかと思ったのだが、全く一緒で区別がつかないものになっているのだから、みっともないことこの上ない。
     なお編集部員が全員辞めた「WiLL」は、一時は発行が困難かとも囁かれたが、何の支障もなく継続している。要するにネトウヨ雑誌など誰にでも作れるのだ。そして誰が作ろうと、ネトウヨ情報が欲しいのにネットを使えず、金は持ってる年寄りがまだ生きているから、そこそこ売れるのだ。
     それにしても、両誌そろって 「安倍ちゃんは悪くない! 悪いのは朝日新聞だ!石破茂だ!前川喜平だ!これは全部フェイクニュースだ、マスゴミの陰謀だ―――!!」 の大合唱なのだから呆れる。
     あまりにも世間の常識から逸脱している。まるで『新戦争論』で描いた 「ブラジル勝ち組」 みたいだ。
  • 「カネで魂を売る資本主義は無謬ではない」小林よしのりライジング Vol.172

    2016-04-05 21:55  
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     わしは以前『おぼっちゃまくん』で、下唇に輪っかをはめた「マチャイ族の酋長」というのを描いたことがある。
     
     70年代くらいまではこういう、近代人には奇異に映る原住民の姿や風習などをよくテレビでやっていて、その記憶から普通にパロディ化して描いたのだが、今だったら編集者に止められるアイディアだろうか?
     いつの間にかこういう風習をメディアで目にすることはなくなっていたが、朝日新聞3月22日の記事「世界発2016」で、昔ながらの下唇に輪っかをはめた姿の女性の写真が載っているのを目にして、今でもこういう部族がいるのかと驚いてしまった。これはアフリカの「最後の秘境」と呼ばれる、エチオピア南部のオモ川流域に住む「ムルシ民族」の女性だという。
     だが記事によれば、最後まで伝統的な暮らしを守ってきたこの地域にも、変化の波が押し寄せているらしい。
      1990年代にこの地域を訪れた外国人観光客は年間数千人だったが、2000年代に周辺の道路が整備されると激増、現在は年に数十万人が訪れているという。
    「観光地」と化した「最後の秘境」では、着飾った少女たちが外国人観光客を囲んで写真を撮るように催促し、引き換えにお金を要求するようになったという。
     たぶん最初は観光客がチップの感覚で金を渡したのだろう。だが、それで写真を撮らせたら金がもらえるんだと思った少女たちは、自分から進んで観光客に写真を撮れ、金をくれと言うようになってしまったわけだ。
      ムルシ族では人に金や物をねだることは特に卑しい行為とされ、長老がたしなめる光景も見られるそうだが、もう後戻りはできないだろう。
      こうなったら伝統は崩壊である。
     ムルシ族の長老は 「ここの生活は牛が中心。お金を持つと、若者は牛を捨てて集落を出て行ってしまう。お金は恐ろしい」 と嘆いているという。
      その国ごと、その民族ごとの中に、伝統として受け継がれてきた平衡感覚というものがあるのだが、それがお金によって崩されていく。
      お金によって、伝統が破壊されてしまうのだ。
     エチオピアは2014年の実質GDP成長率が10.3%で、世界でもトップクラスの高度経済成長の最中にある。だが、本当にそれがいいことなのだろうか?
     お金を持った若者は牛を捨て、街に出ていく。しかし、お金を使い果たしてしまったら、もう街で働くしかなくなってしまう。それでいい職があるはずもなく、結局は街の最下層に入らざるをえなくなる。その一方で、故郷の村は滅びていくのだ。
     果たして、それが幸福だろうか?
     話が飛ぶようだが、同じ3月22日の朝日新聞には、「ハリウッド映画“中国色”濃く」と題する記事が載っていた。
     火星にたった一人残された男のサバイバルを描いたリドリー・スコット監督のSF大作『オデッセイ』は、中国が主人公を救出する重要な役割を果たすという話になっている。
     こういう傾向はここ数年続いていて、『ゼロ・グラビティ』でも中国製の宇宙船のおかげで主人公が生還できたことになっていたし、『トランスフォーマー/ロストエイジ』『X-MEN:フューチャー&パースト』など、舞台に中国が登場したり、中国人キャストを起用したりする作品は増えている。 ハリウッドが、どんどん中国に媚を売っているのだ。
      これらの映画は作品として見ても、何かというと重要な場面で中国が出てくることに、ものすごい違和感がある。
     それは別にわしだけの感覚ではない。朝日新聞の記事中でも、映画評論家の秋本鉄次氏が『オデッセイ』について、 「『70億人が彼の帰りを待っている』というキャッチフレーズなのに、米国以外は中国ばかり。まるで米中共同救出作戦のようで、違和感を覚えた」 と語っている。
     結局、ハリウッドは金で魂を売っているのだ。
      中国の巨大市場で金儲けするためには、作品の不自然さに目をつぶってでも中国に媚を売っておかないとならない。こうして、金に目がくらんで作品の魂が崩れていくのだ。
     最も原始的なアフリカの原住民族と、最も最先端のハリウッド映画。
     一見、全く無関係のようだが、この両者で同じことが起きている。
     どちらも、金で魂を売っているのである。
      金が、人間の幸福感や、作品の完成度といった、根本的な価値を次から次に壊している。
     これで、本当に資本主義がいいものだなどと言うことができるのだろうか?
     さて、さらに話が飛ぶように思うかもしれないが、同じく3月22日の産経新聞には、1面トップで「パチンコで浪費 国“黙認”」と題する記事が載っていた。
  • 「フランス新聞社襲撃事件:『表現の自由』を原理主義にするな!」小林よしのりライジング号外

    2015-01-13 12:35  
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     フランスの週刊新聞襲撃事件に対しては、朝日から産経まで「 表現・言論の自由を守れ 」の大合唱である。
     世界各国が連帯してアルカイダ系のテロ集団を非難し、新聞社に同情している。
     だがわしはその反応に居心地の悪さを隠せないのである。
      フランスという国が、根本的に日本と価値観が違うということはわかってはいたが、こうも露骨に違うと確信できる日が来るとは!
     一年前にパリに行っていて良かった。今からは危なくてしばらく行けない。
     襲撃された「シャルリー・エブド」は、2006年に物議をかもしたイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載したことで有名な新聞で、その後も「言論の自由」を掲げ「タブーなしの編集方針」を貫くとして、イスラム教をパロディ化する風刺画を載せてきた。
     襲撃犯はそんな同紙の編集会議に押し入り、「預言者のかたきだ」「神は偉大なり」などと叫んで銃を乱射、編集長や編集関係者、風刺画家など12名を殺害したのだった。
      それにしても、宗教のパロディは「表現・言論の自由」の名の下に、無制限に許されるものなのだろうか?
     確かに日本人は宗教のパロディをタブー視する感覚がゆるいようで、イエスとブッダが俗っぽい若者となって下界に現れ、安アパートに住んで日常を送るという、ほとんどナンセンスなギャグ漫画がヒットするほどだ。
     だがそんな日本でも、イスラム教のパロディだけは許されない状態になっている。1991年には、ムハンマドを題材にしたイギリスの小説『悪魔の詩』を翻訳した大学助教授が殺害され、犯人は未だ明らかになっていない。
     上述の漫画でも、様々な宗教をネタにしているにもかかわらず、イスラム教に関しては言及すらしていない。
      怖いからイスラム教に触れるパロディはやらないというだけのことなら、日本人はすでにテロに屈しているということになる!
     フランスでは、「言論の自由」が最高の価値だという。
     1月9日の産経新聞1面コラム「産経抄」は、やたらとフランスを称賛していた。「 フランスといえば、『自由』『平等』『博愛』を国の標語としている 」「 何より3つの標語を守るために、戦いを恐れないのが、フランスである 」とした上で、「 『イスラム国への攻撃に参加すれば、標的になってしまう』。こんな声が識者から上がるような、ヤワな国ではない 」と讃えるのだ。
     一応言っておくが、「博愛」は誤訳であり、正しくは「友愛」、もっと厳密に言えば「同胞愛」である。
      こんな時だけ産経新聞はフランスを賛美するが、イラク戦争にフランスが反対した時には、ボロクソにけなしたことを忘れたのだろうか?  このご都合主義がすさまじい。
      要するに、親米ポチ派にとっては、アメリカと歩調を合わせているフランスは大好き、アメリカに逆らっているフランスは大嫌い、ただそれだけなのだ。
     産経新聞はフランスと同調して、「言論の自由」を最高の価値であるかのように主張しているわけだが、わしはそこに違和感を覚える。
     そもそも「言論の自由」を、最高の価値にしてしまっていいのだろうか?
      ネトウヨに「言論の自由」を許した結果、行き着いたのがヘイト・スピーチではないか。
     ヘイト・スピーチまで「言論の自由」を盾にして守ってはいけない。 やはり公共の福祉に反するような言論は許されないのだ。
     そうすると、イスラムの側の論理もわかる。彼らの公共に関わることまで愚弄してはならないのである。
     日本でも何年か前までは、天皇陛下や皇室を侮辱する作品が発表されると、右翼団体が出版社に圧力をかけたり、襲撃したりしていたものだ。
     もちろんテロは法的には許されないのだが、天皇を敬愛する者からすれば、何も知りもしないで、偏見だけで天皇を侮辱するような行為を許せないと思う。その尊皇心は否定できない。
     皇后陛下を失声症に追い込んだ週刊文春のデマ記事だって、「表現の自由」で許される範疇を超えていた。なにしろ「言論の自由・表現の自由」を持たない皇室に対して、デマで非難していたのだから、「表現の暴力」である!