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『朝鮮戦争の正体』への伊藤一彦氏書評。警察予備隊創設は「朝鮮戦争で米軍がいなくなった空白の防衛を埋めるため」(吉田首相の説明)とされているが、著者は「朝鮮戦争に参加させる体制をつくることが目的」とする。法律でなく、政令で→日本の民主主義の崩壊」
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『朝鮮戦争の正体』への伊藤一彦氏書評。警察予備隊創設は「朝鮮戦争で米軍がいなくなった空白の防衛を埋めるため」(吉田首相の説明)とされているが、著者は「朝鮮戦争に参加させる体制をつくることが目的」とする。法律でなく、政令で→日本の民主主義の崩壊」

2021-02-14 09:13
  • 10

私は2020/7/1、朝鮮戦争の正体 なぜ戦争協力の全貌は隠されたのか (単行本)を出版した。
「今、朝鮮戦争を学ぶ意義」として、「(1)日本の政治との関係:戦後日本は新しい憲法を持ち、①戦争をしない、②民主主義、最大の権威は国会、③自由主義―基本的人権の擁護を持っている。しかし、朝鮮戦争の勃発時、これらが侵され、それが今日再度繰り返されようとしている。(2)世界の動向への影響 多くの人は、朝鮮戦争はソ連のスターリンが傀儡政権、金日成を使って韓国に攻め入ったとしている。 これは、米ソ対立の大きい土台となる。⇒この認識は正しくない。 そしてこれを契機に米国は、常に世界のどこでも戦える国として、軍を作り、その地盤の産業を作った。これが「軍産複合体」という機構を作り、今日まで、米国が常に戦争をする国とした。」を意図して書いた。
 増刷にはなっており、一応の目的は達したが、もう少し読まれてもいい本と思

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日本がホンモノの民主的な独立国家へと進むか、その実は封建的な奴隷国で居続けるか━朝鮮戦争を境に後者が決定付けられたことが係るご著書でよく分かった。
しかし、そこでも殆ど無抵抗だった日本の民衆を どう理解すればいいのか。今や大国の植民地主義が国際世論の批判に晒される中、「戦後の世界で植民地主義を許した唯一の国が日本である」との天木直人氏メルマガがあった。

「戦後75年間、政府が公認し、世論があきらめ、従って国際社会の関心が向けらけない唯一の植民地主義が、米国による日本支配なのである。いつまでたっても日本は自由になれないはずである」

これは厳然たる事実だろう。朝鮮戦争以降、上辺はともかく、日本は植民地まっしぐらだったのでないか。それで全て辻褄が合う。

一方、ご著書で紹介された「原爆が使われなかった理由」を示した米国の論評には疑問が残る。
僅か5年前に2発も原爆投下し、直後の現地調査でもその圧倒的破壊力を目の当たりにしている米国だ。
やはり、その破壊力のみならず、終わりのない放射能被曝の恐ろしさ、余りの惨さに怯んだのでないか。
つまり、挙げられていた「ソ連への刺激回避」に加え、「後々世界を敵に回すことになるのは避けたかった」が本音でないか。

No.1 46ヶ月前

孫崎先生の「朝鮮戦争の正体」についての伊藤氏の書評も私の持論である「日本は民主主義国家でないことに加えて独立国家でもない」ことを証言していてくれて私はとてもハッピーです。

私の眼には米国は世界でも数少ないケッタイな国の一つですが、日本も類例が少ないケッタイな国です。とても主権独立国家ではありません。ハワイ、グアムに次ぐ日本列島全体が合衆国の領土だと認識すれば、日本国家の行動様式を理解することが容易に理解出来るからとても不思議です。前にも、言ってますが、この日本国はTHE STATE OF JAPANと呼ぶのがふさわしい。

米国のケッタイ性は、米国が行う戦争は米国民のアジェンダではないということです。1946年のパールハーバー時のルーズベルトの対日宣戦布告は懐かしい過去の出来事になってしまってます。米国民のアジェンダとしての戦争はベトナム戦争の大敗北で終焉しました。でも、米国は盛んに常に広域暴力団顔負けするほど世界中で戦争をしています。

ノウテンキナ米国民は戦争は他人事、それを遂行する戦争犯罪人が同居しても気にしない。可笑しいですよ。彼らは共犯の罪に気が付いてない。コロンビアのコカイン麻薬密売人が大手を振って自国内を闊歩していても他人事。可笑しいです。

世界が平和路線を外さず、脱炭素へ向けて歩くコースを維持するには、米国に居住する戦争犯罪人を封じ込め駆逐することが前提になります。その担い手として、北朝鮮、イラン、中国、ロシアの存在は不可欠だと私は考えてます。戦争屋が米国から追放されば、米国は私にとってはナンバーワンの国だと思います。本当にそう思います。

朝鮮戦争の話になるとすぐに上記のように飛躍しちゃう。私の悪い癖です。ごめんなさい。

No.2 46ヶ月前

物事を見る目が、科学する心が前提の私にとっては,「現象に恒常的なものはない」が物事判断の基準になる。

憲法などは、戦後あわただしい時期に米国と日本の間で制定されたが、制定後一度も改定・改正されていない。自民党は改定するのが悲願であり、野党は護持するのが悲願である。どちらも間違っているのであって、時代が変われば近隣諸国などの環境が全く異なってきているのであり、環境変化に素早く対応していかなければ、日本は孤立するというより、護憲で縛られ他国に対して柔軟な対応が取れず外交的に不利な状況に置かれてしまう。

「護憲」で固定した国家は、中国の共産党独裁国家と同じであり、北朝鮮金正恩独裁国家とおなじで民意が生かされない。
民主主義崩壊どころか、民主主義を否定した国家となってしまう。民意を生かした憲法改正が普通にできる国家になって、初めて民主主義国といえる。憲法改正など当たり前なこととして、若い人たちが新しい感覚で国家の在り方にメスを入れる時代が早く来てほしい。

No.3 46ヶ月前

>>3
中国、北朝鮮の権力の在り方に我々は干渉すべきでは無い。それは中国、北朝鮮の国民に任せるしかない。これは原則ですよ。CHANGEさん、そう考えられませんか?

No.4 46ヶ月前

>>4
干渉をどのように考えているか。通常の解釈は
①他人のことに立ち入って自分の意思に従わせようとすること。
②国際法で一国が他国の内政・外交にその国の意思に反して介入すること。

私は単に国民による選挙がオープンに開かれていない国の例示しただけで、中国・北朝鮮に何らかの意思表示をしていない。
日本は民主主義国であり、国民に憲法改正の賛否を問う機会は作らなければいけないといっているだけです。

No.5 46ヶ月前

>>5
本題から離れて、何かと北朝鮮の独裁と中国の独裁を一つ覚え宜しく連呼するのは何らかの意思表示をしていると考えても不都合はないと思いますよ。特にその一つ覚えの連呼は大日本帝国の復元に向かって忙しい日本の右傾の方々をいたずらに刺激することにつながると思いますがね。CHANGEさんそう思いませんか。

今日のテーマは日本の非独立性の問題であって、憲法改正の賛否の問題ではありません。そういうことを言いたいなら、別の機会で孫崎先生のテーマ提示があるでしょう。それを待つのがこの板のたしなみではないでしょうか。

貴殿の文章を拝見してると、この人焦点の定まらない人だなと驚かざるを得ません。

No.6 46ヶ月前

>>6
中国・北朝鮮の独裁をあなたががどのように解釈しようがあなたの勝手です。私の見解を言っているにすぎません。良いとか悪いの意思表示はしていません。
今日のご投稿は、憲法に関連しています。憲法違反という言葉出ている以上、憲法に関して見解を述べてもテーマと離れているとは言えない。

No.7 46ヶ月前

>>7
論題をずらす手法が貴殿たちのかく乱戦術としての常套手段だと言うことはこれまでの貴殿の文章を見て徹底して批判して来た経過からよく分かってますよ。自民党のずるさとそっくりです。

これからも貴殿の文脈の乱れについては徹底してコメント申し上げます。

No.8 46ヶ月前

>>7
憲法に貴殿は執着しているので私の次の要請に応えて下さいな。

護憲はこの列島の住民の明らかな選択の結果です。護憲のどこが悪いのか説明して下さいな。護憲護憲と連呼するだけで何を変えたいのかはっきり主張しばければ薄気味悪さしか残らないですよ。

No.9 46ヶ月前

憲法理論的には、事実を素直にみるなら米国こそが現行日本国憲法の憲法制定権力であり、憲法制定権力は憲法の上位にあって憲法に縛られないというだけのことだ。この構造を脱するには、(仮に一言一句同じ憲法をふたたびつくることになっても)一度は現行憲法を否定することを通じて憲法制定権力を否定しなければならない。こういう身もふたもない構造から、目をそらしてはいけない。目をそらすから、いつまでもこの構造を脱することができないのだ。

当時の日本人の心情をおもうなら、日本国民は死力を尽くした総力戦をおこない、国際法違反の大殺戮を受けてへとへとになって敗戦し、その結果米国に支配され日本国憲法を与えられたのである。その米国が、日本国憲法に違反した行為を日本に強制したからといって、ようやく終戦をむかえたばかりの当時の日本人に、掃海程度のことを、「日本国憲法を盾に米国にあくまでも抵抗すべきだ、そうしないからダメなんだ」、などと一応今までは安定した生活を送ってきた後世のわたしにはとても言えない。そういうのは、とんだ思い上がりに感じる。

国際政治的にいうなら、戦争は、金日成が野心をもって南へ侵略したのが発端であり、半島の動乱は日本の安全保障にも直ちに結びつくのであり、そこは今でも看過できない。そして当時は金日成の侵略に対して国連軍が組織されて日本は国連軍の一翼として参加したのであり、国連軍参加は現行憲法違反なのかどうかも本当は議論のあるところだし、戦争の結果南は国を維持できて、その後いまのように発展できた。伊藤一彦の議論は、いかにも北朝鮮(および主体思想派が支配している現在の韓国)から見た議論に感じる。まあ、そういうものを、ありがたがってきたのが、日本のアカデミズムなのだろう。

一般論だが、時代がかわったあとで、前時代の議論をみると、役に立つものもある。しかしある種の神学だとか、ある種の儒教だとかの議論は、どう議論しようと結論が決まっていて、特に議論の仕方に興味があるのでなければつまらないものも多い。

No.10 45ヶ月前
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