戦後、基本的に、自由民主党が日本の政治・社会を牛耳ってきた。だが、この間、日本の全ての社会で、求められる人間像が変化した。
日経新聞のコラムで、1960年代での求められるエコノミスト像を下村治氏を通じて記載した。その資質はエコノミストに限らない。官僚など多くの専門家にも止まられるものであった、今やそれが一変した。求める像の変化で、どちらの社会がより望ましいものであるかは明白であろう。日本社会の劣化が起こっているのである。
転載、16日、日経「エコノミストの資質とは」(大機小機)
・60年前、池田内閣の下で国民所得倍増計画が実行に移された。この長期計画の目標は、1961年から10年以内に実質国民総生産を倍増させる、国民の生活水準を西欧先進国並みにする、完全雇用の達成と福祉国家を実現する、国民各層間の所得格差の是正をはかる――であった。立案の中心人物は、大蔵省(現財務省)内の一室で日本の潜在成長
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「精神のない専門家」。ウェーバーでしたね。
岸田が「第一撃とは違いまして」とわざわざことわっているのに、「相手から殴られる前に殴ろう」という第一撃の問題と、わざと曲解して論じるのもまたまともな態度にみえない。
そして、なにか嘲弄的なコメントをするので、信者がマネをする。これもまた、議論を深める態度にみえない。
孫崎さんは元外交官ですが、岸田もまた、外務大臣を務め数々の外交の場にいた人物です(別に岸田に首相になってもらいたいのではない)。そして国民のもつ不安感、つまり国民の精神をうまくとらえている。
ところで、「全面講和」してたら所得倍増なんてできたのかな。
敵基地攻撃論とは、大きな損害が予想される敵の攻撃を
わざわざ座して待つことはない、その場合はこちらから
先に敵基地を攻撃すべき、との文脈から出てきた敵基地
先制攻撃論である。
これには大きな問題があって敵が攻撃準備をしたからといって
本当に攻撃するとは限らないということ、威嚇だけの
政治行動かもしれないという点である。
そのため敵基地攻撃能力を持つためには、敵がやったら報復する
と言わなければ問題大有りで、だから岸田は第一撃はあちらがする
と言っただけでこれは方便。
曲解が聞いてあきれる。
一体どっちが曲解したのか。
件の「求められる資質」は反論の余地無しであり、下村治氏はこの理想に向けて実践されたのだろう。
> その資質はエコノミストに限らない。官僚など多くの専門家にも求められるものであった、今やそれが一変した。
理想は同じながら、今や能力、努力が下村治氏に遠く及ばない者だらけになってしまった━ではない。本音が「強欲は善だ!」「強欲は合法だ!」に変わってしまったのである。また、建て前として係る「資質」のような立派なことを発する政治家、企業トップも多いが、往々にして「言ってることと やってることが違う」となる。自己に相当厳しくないと実践できないことだからだ。だが、本来、この「厳しい道」への覚悟が無い者には上に立つ資格はない。
> 日本社会の劣化が起こっているのである。
係る理想に向けて実践されていた先人達は立派だが、どの分野でも日本に共通して見られることは、後進の育成には無頓着だったことでないか。「学校じゃないんだ、一々、手取り足取り教えてられるか!自ら学べ!」━それも一理あろうが、次世代を育てることを疎かにした罪は やはり大きいと思う。
科学が絶対権力や宗教によって歪められる或いは弾圧されることが中世の西欧で横行してました。ガリレオやダーウインなんかが代表的な事例です。
現在、巨大製薬会社の科学の弾圧が米国と西欧で猛威を振るってます。超一流の科学者がmRNAの有害性を指摘するデータや発表が各所で行われてますが、有力メデイアは隠しています。ツイッター、フェイスブック、ユーチュウブはその手の発表を徹底して排除しているのです。
古くは、日本に於いてとんでもないことが起こりました。水俣病です。熊本大学の研究室が有機水銀が病原体だということを極めたのですが、東京大学とか権威の学者が企業側について、熊本大学の科学を弾圧しました。
米国のレトロウイルスに関する研究では大手製薬のワクチンの有害性を突き止めるような基礎データは強烈な圧力がかかり壊されてしまうのです。
製薬会社や化学会社の利益を損じるような化学は存立し得ないのです。
経済学は惨めです。私的企業の利益の極大化に寄与しない経済学はあり得ない。経済学は社会科学なのに科学では無いのです。
つらつら考えるに、米国も日本も欧洲の主要国では科学は死んでます。社会科学も自然科学も、私は単なる奔放なアナーキストなんですが、中国での方が健やかに発展するのではないかと思うようになりました。
純粋に科学を極めたいなら、中国で研究したほうがマッチベターだと思いますね。
日経は、アベノミクスの功罪を論じる上で、輸出に依存した高度経済成長自体の所得倍増計画を持ち出している。
日本の置かれた状況が全く異なっており、日本の復古調の論理を振りかざしても世界で通用するとも思えない。
現在の日本の資産は2020年末
①家計金融資産 1948兆円 ②民間企業金融資産 1220兆円 ③対外純資産残高 357兆円
④国債発行残高 1220兆円(日銀保有545兆円 44.7%)
2019輸出 76.9兆円 輸入 78.6兆円 GDP538.7兆円に対し28.9%
日本のGDPは消費が主体になっており、商品は多様性に富んで居る。どのような商品も日本のように豊富な国はない。大企業より中小企業が主役になっており、企業の経営体質は脆弱である。金融が緩和されるか緊縮されるかで企業の生死が左右される。企業が倒産すれば従業員は失業する。
日本の多様化した中小企業を育成していくためには、雇用第一にした金融緩和でバックアップしていく以外はない。アベノミクスを継承する高市氏の経済施策は的を得ている。岸田氏が緊縮財政を封鎖したのは正しい。
アベノミクスで、国民の生活を苦しくしていれば、アベノミクスを転換しなければならないが、そのような傾向は認められない。雇用第一にした金融緩和で2%物価上昇に載せるには、多様化した商品を如何にして海外に輸出していくかが問われている。生産性を挙げて多様化した商品を如何に販売するかが大切であり、販売のスペシャリストの育成が求められているのではないか。