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記事 7件
  • 「被害者側に立たない言論は許されないのか?」小林よしのりライジング Vol.495

    2024-02-20 19:15  
    300pt
     言論は社会的に正しいと(現時点では思われている)意見しか許されないのだろうか?週刊誌がスキャンダル記事を書いた時点で、加害者・被害者が決定し、社会から「キャンセル(排除)」されることが正しいのだろうか?
     その社会的正しさが間違っていた時は、誰が責任を取るのだろうか?
    「地球は丸い」という言論が罰せられていた時代もあったのだ。
     ジャニー喜多川や松本人志や伊藤純也が加害者で、被害を訴えた者たちは、間違いなく被害者であり、疑問を呈したら「セカンドレイプ」とする判断は、正しいのか?
     草津町長を性加害者として糾弾していた者たちは、自称被害者が嘘をついていたと判明したのち、反省したのだろうか?

     わしは月に1回「週刊エコノミスト」の巻頭エッセイ『闘論席』を担当しているが、ここでも「キャンセルカルチャー」に対する批判を書き、「自称・被害者側に立たない」文章を書いた。
     ところがこれに編集部から異議が唱えられ、担当編集者や編集長と何度も協議を重ねたものの、書き直しを余儀なくされてしまった。『闘論席』を担当して5年以上になるが、そんなケースは今回が初めてである。
     まずは、わしが最初に書き、ボツになった原稿を読んでもらおう。

      ジャニー喜多川という人物が存在した痕跡まで抹消せよとする「キャンセルカルチャー」は、次の標的にお笑い芸人・松本人志やプロサッカー選手・伊東純也を選んだ。
     しかし、これを煽動している週刊文春や週刊新潮の記事を熟読しても、彼らのやったことは絶対にレイプではなく、何の犯罪行為でもない。
     週刊誌は「レイプ」とも「性犯罪」とも書かず、「性加害」としきりに書いているが、それは何なのかが問題なのだ。
     どうやら、それはセックスを目的とした合コンのことらしいが、合コンで出会って気に入った男女が即ホテルに行くことなど、膨大にあることだろう。同意があるなら、それを非難できない。
     松本人志ほどの有名人なら、スキャンダル記事を恐れるのは当たり前で、女遊びも難しいのだろう。「性接待」などと表現しているが、拉致したわけでもなく、女性が拒否できたのなら、犯罪性はない。
     人間の下半身の話は醜悪になるのは当たり前で、週刊誌は何ら犯罪にも当たらない、単なる不良の行儀の悪い遊びを、レトリックで嫌悪感を催す記事に料理しているだけである。
     男だろうと、女だろうと、遊びでセックスしている者は多いし、異性を道具扱いしている女性だって普通にいる。遊びの性的関係から、ロマンチックな恋愛に発展することもあれば、怨恨が残る関係になることもある。
     たとえ遊びの性的関係から怨恨が残ろうと、あくまでも私的な問題であり、それを週刊誌が社会正義を背負ったかのように書き立てて、才能ある人物を抹殺するのは社会の損失である。
     キャンセルカルチャーを正義とする風潮には、決して与してはならない。

     これのどこが悪いのか未だにわからないのだが、とにかく「被害者」の言い分に配慮していないのがいけないらしい。
     締め切りの翌日、担当編集者が仕事場に来てスタッフと協議、それをもとに、上の文章を書き直した原稿を送った。
     だがそれでも納得してもらえなかったので、わしが直接電話して、まず週刊文春の記事中から、「レイプ」に該当する記事を送ってくれと頼んだ。わしは毎回週刊文春の記事を赤線引っ張りながら読んでいて、文春が一度も「レイプ」という言葉も、「性犯罪」という言葉も使っていないということを確認していたのだ。
     担当氏は誠実な女性で、全部の記事を読んでくれて、最初の一回だけ「性的被害」と見られる記述を見つけたと報告をくれた。松本が無理矢理、フェラチオをさせたという証言だが、そのことを「レイプ」と表現されてはいない。この証言が真実なら、「性被害」とは言えるかもしれないが、なにぶん「証言」しかないので「犯罪」と立証することが難しいだろう。
     担当氏はわしの言い分を分かってくれて、自ら「修正案」を考えてくれた。それは、この編集者は相当に有能だとわしが確信するほどの文案だった。

     その議論の最中に、もしそれが性犯罪ならば、なぜ被害者が「刑事告訴」しないのかと言ったのだが、編集部側が言うには、昔はレイプは「親告罪」だったから、被害者側が「刑事告訴」しなければならなかったが、 現在は法律が変更されて、レイプは 「非親告罪」 になったから、被害者の刑事告訴の有無は問題ではないという見解 だった。
     
     レイプは2017年の刑法改正までは「親告罪」で、それまでは確かに被害者が自ら「刑事告訴」をしなければ事件とはならなかったが、 法改正によって現在は「非親告罪」になっており、被害者による告訴がなくても事件化できる というのだ。
     じゃあ、被害者が何も訴え出ていなくても、警察が週刊文春の記事を読んで自主的に捜査に入り、松本人志を逮捕する可能性があるというのか? もしそんなことがあったら、恐るべき警察国家だということになる。
     実はこの時点で、わしは「親告罪」「非親告罪」についてよく理解していないところがあったため、その先の議論はうまくかみ合っていなかった。
     そこで、後で調べてわかったことをここに書いておく。
  • 「サブカルしか勝たん!」小林よしのりライジング Vol.491

    2024-01-09 18:25  
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     2024年、とんでもない年明けになってしまったが、今年最初のライジングなので一応言っておこう。明けましておめでとう。
     とにかく正月から暗くなりがちだったが、わしはこの1年、とことん人を楽しませる、人の心を明るくする作品やイベントを創作していこうという意欲で、走り抜ける決意である!

     前回は2023年を「ニヒリズム蔓延の年だった」と、あえてネガティブに総括した。最後に少しだけ希望をほのめかしておいて、続く今回で一気に反転攻勢に出るものを書くつもりでいたら、いきなり出鼻をくじかれたような形になってしまったのだが、だからといって立ち止まってはいられない。
     確かに、日本の現状にはちっともいい材料が見当たらない。国際社会において、政治力では全く勝てない。そもそも国家としての軍事力の点で勝てないのだから、どうにもならない。「話し合い」による解決のためにこそ日本が力を発揮すべきだとか言ったって、現実には何もできない。ロシアを見ても、中国を見ても、イスラエルを見てもわかるとおり、話し合うにもその背景には基本的に軍事力が要るのだ。
     このままでは何が起こるかわかったものではない。ウクライナ戦争の結果次第では、ロシアが北海道から上陸して侵略してくる可能性だって、もうないとは言えなくなってしまった。

     そんな状況にあるというのに国内政治はガタガタで、遠心力だけが働いて、ひたすらバラバラになろうとしていくばかりである。
     かといって、政治に求心力を働かせようとしたらどうなるかといえば、ロシアや北朝鮮や中国のような独裁国家になるか、安倍政権時代のような忖度社会になるかしかないということもわかった。アメリカでも求心力を欲したら、またもトランプが出てくるという有様だ。これでは、いくら政治に求心力が生まれても、国は全く豊かにならない。
     そこで、どうすれば国の結束力を高めながら、権力の持つ拘束性や忖度といった負の部分をなくし、国家を強くすることができるのかということが課題となる。
     これは、まだ世界のどこでも答えの出せていない課題である。

     そして、ある意味でわしがやろうとしているのは、実験室レベルの小さなサイズではあるが、この課題への挑戦でもある。
      わしが『ゴー宣DOJO』でやろうとしていることは、結束力を高めるけれども、ひとりひとりが強制されたり忖度したりすることなく行動して、そうして新しい世代の息吹を自由に開放してあげるという方法を作り出す実験である。
     ひとつの集団性の実験を、ここで行っているのである。
     そしてこれは、漫画家であるわしがやっているというところに意味があるのだ。
     これは、『おぼっちゃまくん』の「茶魔語」の時に顕著だった、漫画の作品を通じて全国の読者が共同体的な感覚を持ち、さらに作品を盛り上げていくという手法の応用である。この手法が『ゴー宣』にも持ち込まれ、さらに『ゴー宣道場』で発展していったのである。
     つまりこれは、漫画家・小林よしのりというサブカル作家が始めた、サブカルから派生した作品の一種であり、だからこそ強いとも言えるのである!

      今の日本が世界に向かって勝てるのは、サブカルだけだ。「サブカルしか勝たん!」という時代がやって来た。他に希望はない!
     ハリウッドで続々映画化されたアメコミのスーパーヒーローものは、一時期は凄かったが、最近では「何これ?」と思うようなヘンなものが多く、堕落していっているように見える。もう出し尽くした感があり、新しい知恵があまりないのである。
      そんな中で、日本の『ゴジラ-1.0』の成功は痛快だった。
     一時は『ゴジラ』もアメリカにすべて取られてしまって、もうハリウッドじゃないと作れないのではないかと思わされたりもしていたから、見事に巻き返してくれたのが嬉しかったのである。

     あと、やっぱり『シン・ゴジラ』は違ったということが証明されたのも嬉しいことだった。
  • 「いるいる詐欺を殲滅せよ」小林よしのりライジング Vol.416

    2021-11-16 18:25  
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     わしが出演したYouTube松田政策研究所チャンネルの動画「特番『男系維持はできないのか?皇位継承問題を小林よしのり氏に問う』」が5日に配信され、4万1千回以上再生されている。
     https://www.youtube.com/watch?v=--PB81TIPj8
     もともと松田政策研究所代表・松田学氏の持論は「男系維持」であり、動画の説明欄でも
    「男系継承を守っていくためには、女系天皇容認論者の主張をよく把握した上で、十分な理論武装をしておく必要があると考えられます。今回、女系天皇容認論者として知られる小林よしのり氏との対談番組を配信するのは、そのような趣旨も踏まえてのものであり、当チャンネルとして女系天皇論を推進することを意味するものではありません」
    と断り書きをしている。支持者が男系論者ばかりだから、わしを出すにはあらかじめそう釈明しておかなければいけないのだろう。
     だがそれでも、議論のためには反対意見もよく聞かなければならないと、反発も承知でわしを呼び、あえて自分の主張はせずに聞き役に徹した松田氏の姿勢を評価しておこう。
     動画の前半は小室眞子さん・圭さんバッシングの批判で、17分30秒あたりから25分ほど皇位継承問題を話しているが、わしはここで徹底して「リアリティ」にこだわっている。
     今の皇室には、次世代の皇位継承資格者は悠仁さまだけで、このまま女性皇族が結婚して民間人になっていけば、将来の皇室は悠仁さまたったおひとりになってしまう。
     悠仁さまが結婚され、男の子が何人も出来るという「神風」が吹かない限り皇室は存続できないが、 「神風頼み」など絶対にできない!大東亜戦争も最後は「神風頼み」で負けたのだから。
     そもそも、男子が産まれなかったがために適応障害になってしまわれた雅子さまのケースを知りながら、それでも自分が男子を産まなければ皇室が消滅するというとんでもない重圧を負うことを覚悟して、悠仁さまと結婚する女性が現れるだろうか?
      もともと「男系継承」は「側室」とセットで、これが両翼となって維持されていた。側室が欠けて片翼になったら墜落するしかないのだ。
     男系が伝統というなら側室も伝統であり、大正天皇が事実上側室をやめ、昭和天皇が制度上も側室を廃止した時点で、男系の伝統も終わったのである。
      男系派は、旧宮家系の男系男子国民を皇族にするよう主張しているが、そうするには皇室典範改正が必要で、それには対象となる当事者が必要だ。
     いない人のために法律を変えることなどできないのだから、 まずは新たに皇族となるべき旧宮家系の男系男子とはどういう人か、国民に紹介して典範改正を訴えなければならない。
     それをせずに、ただ「当事者はいる」と言うだけでは 「いるいる詐欺」 である。ネッシーやビッグフットや宇宙人が「いるいる」と言っているのと同じだ。
     しかも、男系男子は1人では足りない。確率的には4つの宮家が必要だというから、それなら4人必要となる。
      今までの国民としての身分、職業、家族、人間関係の全てを捨てて、皇族になる人が4人もいるだろうか?
     さすがにそんな人はいないとわかってくると、櫻井よしこらは旧宮家系の「子供」を宮家の養子にするという案を言い出した。
     だが、自分の子供を養子に差し出す親がいるわけがないし、子供も親から離れて自由も人権もない所に行きたくもなかろうし、もし強制などしたら完全な人権侵害で、憲法違反になる。
      しかも養子を受け入れる宮家もなくて、養子になる側、養子をとる側、両側からいないのだ。
     すると今度は、櫻井らは廃絶した宮家に「家族ごと」入ってもらうという案を言い出したが、これはかつて竹田恒泰が言っていた説である。
  • 「自称保守派こそ、皇室を破壊する【勢力】である」小林よしのりライジング Vol.415

    2021-11-09 20:15  
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     小室眞子さん、圭さんが2021年10月26日に結婚された。
     圭さんの母親の金銭トラブルが報じられて以降、週刊誌は毎号のようにバッシング記事を掲載し、ネット配信記事のコメント欄には読むに堪えない罵詈雑言がこれでもかと書きこまれた。一方、尊皇心があると自認する自称保守派もまた、バッシングを繰り返している。ここ数ヵ月、彼らは何を言ってきたか? 果たしてそれは本当に尊皇心の発露なのか? 自称保守派の人々の発言を徹底的に見ていきたい。
    ■上から目線をやめられない男たち
    「自称保守論壇ムラ」に生息する典型的なタイプが、「歴史」「伝統」を持ち出して皇室のことに口出しする人々だ。圧倒的に男性が多く、ほとんど例外なく「上から目線」である。何を根拠にそう思っているのかは不明だが、自分は皇族の誰よりも皇室のことがわかっていると信じて疑わない。
     こういう根拠なき上から目線タイプは、「皇室を敬愛しているからこそ、あえて言うのだ」というスタンスを崩さない。
     かつて評論家の加瀬英明は、「皇太子殿下に敢えて諫言申し上げます」と題して、皇太子殿下(当時)の「人格否定発言」を 、「御皇室を尊崇する一人として、殿下の御発言はその御位にふさわしいものではなかった、と思う」 と批判している(『WiLL』2005年2月号)。尊崇すると書いておきながら、 「御皇室のありかたは、御皇室の方々が考えられるべきものではない。(中略)国民が決めることである」「天皇、皇后両陛下は、なるべく静かになさっていらしていただきたい」 とのたまうのだから、開いた口が塞がらない。
     このタイプで最近の典型例は、著作家の宇山卓栄だ。彼は次のように書いている。
    (眞子さま、圭さんの)結婚に反対すると、皇族のなさることに口を出すとは、不敬ではないかと言う人がいます。このような人は 皇室の御意向に黙って従うのが忠義であると勘違いしている のです。 「ならぬものはならぬ」と諫言することが真の忠義 です。
    (『WiLL』2021年11月号)
     呆れてものも言えない。「ならぬものはならぬ」とは、会津藩の「什の掟」に使われていた言葉だ。「年長者を敬え」「嘘をつくな」「卑怯な振る舞いをするな」などと、年長者が藩士の子供たちにあるべき姿を説いて、最後に「ならぬものはならぬものです」と、言い訳やごまかしを許さない強い言葉で締めくくられる。
     つまり宇山は、自分こそが敬われるべき年長者であり、道理のわからない子供(=皇族)に正しいことを教え諭すぞと言っているに等しい。何という思い上がりか。不敬以前に不遜である。
     そのくせ、眞子さまの結婚に際して、天皇皇后両陛下にごあいさつをされる「朝見の儀」、一般の結納にあたる「納采の儀」が行われなかったことに対し、 「天皇陛下も秋篠宮殿下も、この結婚を認めていない。これこそが正式な皇室の御意」 だとして、結婚に祝意を述べる人々を 「皇室の意に逆らってもよいと考えているのか。それこそが不忠・不敬ではありませんか」 と述べている。
     言っていることがムチャクチャだ。自分にとって都合のいいことは「御意」で、都合が悪いことに対しては諫言の士を気取るのだからタチが悪い。我こそが真の忠義、我こそが真の尊皇派。でもそれって突き詰めると、結局は自分勝手、自己満足でしかない。
     もう一つ見逃せないのは、宇山は、 「こんな不当な結婚を認めないということを、 結婚後も言い続けなければなりません 」 と記していることだ。それが 「国民にできる、せめてもの良識の表明」 だと言い切っている。
     本気か!!! 結婚して皇籍を離れた眞子さんは一般人だ。その人に向かって、生涯「結婚は認めない」と言い続けるのか? 良識なんてとんでもない、狂気の沙汰だ。「ストーカーは犯罪です!」とムラの仲間は必死で教えてやるべきだ。
     この粘着気質は、「御忠言シリーズ」を書いた評論家の西尾幹二を彷彿とさせる。西尾は13年前、「これが最後」と言いながら、5回にわたって皇太子殿下(当時)の「人格否定発言」への批判と雅子さまの悪口を雑誌に書き続けた。タイトルだけ列記しておこう。
    「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」 (『WiLL』2008年5月号)
    「皇太子さまへの御忠言 第2弾! 皇族としての御自覚を」 (同6月号)
    「これが最後の皇太子さまへの御忠言」 (同8月号)
    「もう一度だけ皇太子さまへの御忠言」 (同9月号)
    「皇太子さまへの御忠言 言い残したこと」 (同10月号)
    ……しつこい!!
    ■勉強不足を思い込みでカバーする女たち
  • 「山口敬之氏手記『私を訴えた伊藤詩織さんへ』を再読する」小林よしのりライジング Vol.305

    2019-02-26 21:15  
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     いささか旧聞に属するが、2017年12月号の月刊「Hanada」で、フリージャーナリストの山口敬之氏の独占手記が掲載された。タイトルは「私を訴えた伊藤詩織さんへ」。
     掲載された当時、一読して「なんだ、この被害者ヅラは!」と、ものすごい違和感を覚えた。何しろ本論に入る前にこう書いているのだ。
    事実と異なる女性の主張によって私は名誉を著しく傷つけられ、また記者活動の中断を余儀なくされて、社会的経済的に大きなダメージを負った。  名誉? 記者活動の中断? 社会的経済的に大きなダメージ? 
     え。なに。被害者のつもりなの? 
     もう最初からこんな調子なので、少しも頷くところがない。レイプ被害に遭った女性は、名誉とか経済的ダメージなどとは次元が全く違う苦しみの中にいるんですけど? 
     この記事は、レイプ被害に遭った伊藤詩織さんが記者会見を開き、民事訴訟を起こすことを知ったため、 「自らの見解を『当該女性への書簡』という形で申し述べる」 として書かれた手記である。けれど最後まで気分の悪い違和感だけが残り、熱心にもう一度読み直すという気持ちにはなれなかった。
     ところが今回、小林先生が山口氏から名誉棄損で訴えられた。私も詩織さんの『Black Box』を読み、さらには違和感ありまくりの山口氏の手記(以下、山口手記)を再び読み返すことになった。まったく不愉快だけど、こうなったらいろいろツッコミを入れながら読んでやろう。以下に記すのは、そんな私のツッコミの記録である。
     詩織さんと山口氏は当然のことながら事実認識が異なる(性暴力の有無だけでなく、たとえば山口氏のTシャツの貸し借りの認識の相違やトイレの回数など)。今回は、その事実認識の真偽を明らかにすることが目的ではなく(そもそもそんなことはできない)、あくまでも山口手記の文章に対する私の見解を記していることを最初にお断りしておきたい。ただし、私は詩織さんが書いた『Black Box』の内容を全面的に信用している。彼女が顔と名前をさらして性暴力を告発した勇気こそ、信頼に足るものだと思うからだ。
     山口手記を読んだことがない人もいると思うので、まずはこの記事について概観しておこう。
     山口氏は、詩織さんの性暴力に対する訴えが、検察審査会の「不起訴処分は妥当」とする結論によって刑事事件としては完全に終結したこと、しかし詩織さんが民事訴訟に打って出たので、自分も主張の一部を示すとして、書簡風にそれを綴っている。その主張は、【1】「デートレイプドラッグ」、【2】「ブラックアウト」(アルコール性健忘)、【3】詩織氏特有の性質、【4】あとから作られた「魂の殺人」、【5】ワシントンでの仕事への強い執着、という5つの項目に分けられている。このうち【1】と【2】では、事件当日に飲食店2軒をハシゴしたこと、自分はデートレイプドラッグなど「聞いたことも見たこともない」こと、詩織さんはアルコールの影響で記憶を失うブラックアウトであったのではないかと主張している。その上で、酒に強く、この程度の酒量で記憶をなくしたことはないという詩織さんに対し、【3】詩織氏特有の性質がある、つまり思い込みが激しいのだと記す。また【4】では、「レイプは魂の殺人です」と訴えた詩織さんに対し、その怒りは最初から一貫していないことをあれこれと具体的な事例を挙げて説明している。続く【5】では、詩織さんが仕事を斡旋するよう執拗にメールを送ってきたと困惑気味に記し、挙句に野党議員がこの問題を取り上げ、自分が誹謗中傷にさらされていると被害者ヅラしている。
     以上が、記事の概略である。
    「なぜか」を多用するイヤらしさ
     山口手記で最初に気になったのは、「なぜか~~した」という記述が4か所もあるということ。ほかに似たようなニュアンスで「不思議なことに~~になった」とも書いている。細かいことだけど、こうした言葉の使い方には、書いた本人の意識が透けて見える。
     詩織さんの会見に先立ち、 なぜか 『週刊新潮』がセンセーショナルに報じ、 なぜか 複数の野党政治家が詩織さんの側に立って質問するようになった。そして なぜか 、こうした野党政治家の主張に共鳴する集団(共謀罪反対や反原発を唱える組織)が自分を糾弾するようになった。で、山口氏は言う。 「これはまったくの偶然なのでしょうか?」
     要するに、詩織さんがマスコミと結託し、野党政治家を巻き込み、ある特定の政治信条を持つ人々とつながり、私(と、私が支える安倍政権)を追い込もうとしているのではないか、と言いたいのである。こうした陰謀論めいた書き方は「Hanada」読者の大好物なのだろう。筆が滑ったのか、あるいはあえて書いたのか、 「 どういう思惑と連携があったかは知りませんが 、複数の野党の国会議員や支援者があなたを支援し」 云々と、陰謀が前提になっているかのような記述もある。
  • 「徴用工問題、個人請求権について」小林よしのりライジング Vol.292

    2018-11-20 21:30  
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     戦時中、日本に動員された元徴用工とされる韓国人4人が新日鉄住金に損害賠償を求めた訴訟で、韓国の大法院(最高裁)において1人あたり約1千万円を支払うよう命じた判決が確定した。
     安倍首相は 「1965年の日韓請求権・経済協力協定によって完全かつ最終的に解決している」「判決は国際法に照らしてありえない判断だ」 と、珍しく真っ当なコメントをした。
     また、原告となった元工員4人についても 「政府としては『徴用工』という表現ではなく、『旧朝鮮半島出身の労働者』と言っている。4人はいずれも『募集』に応じたものだ」 と指摘した。
     この判決に対する反応で、わしが特に注目していたのは朝日新聞の社説である。これまでの所業からすれば、こんなデタラメな判決にでも理解を示すようなことを書きかねないと思ったのだ。
     ところが判決翌日・10月31日の社説では、冒頭から
     植民地支配の過去を抱えながらも、日本と韓国は経済協力を含め多くの友好を育んできた。だが、そんな関係の根幹を揺るがしかねない判決を、韓国大法院(最高裁)が出した。
     と、一方的に判決を批判する論調となっていた。
     朝日社説は 「日本政府や企業側は、1965年の国交正常化に伴う請求権協定で元徴用工への補償問題は解決済みとし、日本の司法判断もその考えを踏襲してきた」 とした上で、 「政府が協定をめぐる見解を維持するのは当然」 と主張する。
     もっとも、その後に 「としても、多くの人々に暴力的な動員や過酷な労働を強いた史実を認めることに及び腰であってはならない」 と付け加えているところがいかにも朝日的なのだが、それでも明らかに日本政府の方を支持しているのだ。
     その上、さらに朝日社説はこう書いている。
     原告側は、賠償に応じなければ資産の差し押さえを検討するという。一方の日本政府は、協定に基づいて韓国政府が補償などの手当てをしない場合、国際司法裁判所への提訴を含む対抗策も辞さない構えだ。
     そんなことになれば政府間の関係悪化にとどまらず、今日まで築き上げてきた隣国関係が台無しになりかねない。韓国政府は、事態の悪化を食い止めるよう適切な行動をとるべきだ。
      朝日は韓国政府にのみ「適切な行動」を求めている。かつての朝日を考えれば、隔世の感を覚える。
     11月11日に開催されたゴー宣道場「『戦争論』以後の日本と憲法9条」終了後の控室トーク『語らいタイム』では高森明勅氏が、 この朝日の論調が『戦争論』によって日本が変わった実例であり、20年前だったらこうは書かなかったはずだと指摘した。
     道場では、『戦争論』出版から20年経っても、日本の現状はちっとも変わらないという面ばかり強調されてしまったが、やはり目に見えて変わっているところもあるようだ。
     だがそれでも往生際悪く、1965年の国交正常化の際の日韓基本条約・請求権協定で「完全かつ最終的に解決」したといっても、 「個人請求権」は存在していると言っている者もいる。
     衆院外務委員会で共産党の穀田恵二が、日本政府も個人請求権の存在を認めて来たのではないかと質問、これに河野太郎外相が 「個人請求権が消滅したと申し上げるわけではございません」 と答弁したら、それを韓国・ハンギョレ新聞が鬼の首でも取ったかのように書いていた。
      だが、個人請求権は消滅していないというのは以前からの政府見解で、別に「不都合な真実」ではない。
      請求権協定によって、日本は韓国に「経済協力金」の名目で、無償で3億ドル、有償で2億ドル、民間借款で3億ドル、合計8億ドルを支払っている。当時の韓国の国家予算の2.3倍、今の貨幣価値では1兆800億円 に相当する額である。そして、この経済協力金には個人に対する補償も含まれている。
     韓国政府は個人に対する補償金も一括して日本から受け取り、それを国内で分配するとしていた。 ところが韓国政府はその経済協力金を産業育成に投じ、個人への補償に十分回さなかったために不満が沸いていたのだ。
      つまり、個人請求権は消滅していないが、その請求先は日本政府ではなく、韓国政府なのである。
     しかも、経済協力金に個人への補償が含まれていることは、かつて韓国政府も認めており、 さらに現大統領の文在寅はその政府見解のとりまとめに深く関わった張本人なのである。
  • 「国民は本当に『騙されていた』のか?」小林よしのりライジング Vol.100

    2014-09-09 17:40  
    153pt
     突然ですが、 『飛べ!ダコタ』 という映画をご存じでしょうか。2013年に公開された映画なのですが、私は全然知りませんでした。HPを見ると、都内でもわずか数ヵ所で公開されたのみ。先日、ある航空会社の方と食事をしていたとき、この映画のことが話題になりました。
     昭和21年、日本の敗戦からわずか5ヵ月後のこと。
     佐渡島の高千(たかち)という村の海岸に、イギリス空軍の要人機『ダコタ』が悪天候で不時着しました。日本人もイギリス人も、互いに恐る恐るの対面。それはそうです。ついこの間まで、敵同士だったのですから。しかし村長をはじめとする村人たちは「困っている人がいるなら助けなければ」と、イギリス人たちの世話をするようになりました。そして『ダコタ』が再び飛べるよう、村をあげて石を運び、それを海岸に敷き詰めて滑走路をつくったのです。
     村の中には、ビルマ戦線で息子を失った母がいました。また『ダコタ』には、同じくビルマ戦線で兄弟が戦死し、日本人に憎しみを抱いているイギリスの若者が乗っていました。しかし『ダコタ』を通じ、日英の交流が生まれてきます。そして4ヵ月後、ついに手づくりの滑走路から『ダコタ』は飛び立っていく――。
     これは実話をもとにした映画です(でも監督によると、佐渡の人でも知っている人は少ないとか)。
     ちょっと感動的な話ではありませんか!
     さっそくDVDを買って観てみました。
     ちなみに海軍兵学校在学中に事故で足を失って帰郷した一本気な青年役を、窪田正孝(「花子とアン」にも出てますね)が演じています。思わず「あさいち!」と叫んでしまいました。
     いい話でした。
     いい映画でした。
     でもこの映画のすごいところは、その感動秘話じゃないんです!!!
      柄本明 です。
     いえ、正確には 柄本明演じる、高千村の村長さんです!
     村人たちが滑走路づくりに励んでいるときのこと。村のおばちゃん二人が、村長さんと話をはじめます。イギリス人はいい人たちなのに、なんで戦争なんかしてたのかなあと、おばちゃんたち。
    「イギリス人が鬼だなんて、誰が言うとんら」
    「軍部に騙されとっただっちゃ」
    「軍の人間が勝手に戦争はじめたっち、陛下もおらたちも悪い軍人に騙されとっただっちゃ」
     私はそのセリフを聞いて思いました。
     オイオイ、感動の日英交流秘話の結論がそれかよ……と。
     しかし、それを黙って聞いていた村長さん(柄本明)は、「うんにゃ」と言って、こう続けるのです。