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篠塚恭一:高齢者大国の最前線から(11) ── たった一杯のコーヒー
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篠塚恭一:高齢者大国の最前線から(11) ── たった一杯のコーヒー

2014-05-16 09:00
    たった一枚の絵を見にパリまで来たという人の話をはじめは理解できなかった。当時の私は、時間などいくらでもあると信じていたから、その老婦人の言葉を少し大げさと感じていたように思う。添乗で外国との行き来を頻繁にしていた頃、私はツアーの早い段階に客のもとを回り、参加目的やツアー中にしたいことを一人一人から尋ねるように心がけていた。そこで知らされたのが「私はこの海に沈む夕陽を見に来た」「私はこの街に流れる音楽と一杯のコーヒーを楽しみにきた」という話だった。なんともロマンチックだが、たった一杯のコーヒーを飲むために半日も飛行機に揺られて来るのだろうかと、若輩にはその言葉の重さがわからなかった。

    先日、障がいを持つ人の絵画展を開催したいと美術館から相談を受けたので担当者を連れ、ある企業の障がい者アーティスト支援の取組みを紹介してもらうことにした。開放的なロビーには畑があって、社員食堂に使われる本物野菜が育てられていた。以前は田んぼだったという池の上には打合せスペースがあり、足元には鯉が泳いでいる。震災前は照明の光を利用して米を作っていたが、今は電力使用への配慮で止めているという。流れる水音が心地良く、その遊び心が都心にいることを忘れさせてくれた。

    その企業では障がいを持つ人の作業スペースがロビー売店の中にあって、毎日3名のスタッフが手作り製品を担当していた。支援学校の先生も指導についてフォローするそうだが、そのほとんどが本人たちの力で仕上げられている。訪ねたのがクリスマスシーズンだったので、リースや正月の飾りつけに良さそうなかわいい商品がたくさん飾られていた。中でもポプリ入りのシューキーパーは生産が追いつかないほどのヒット商品になり、手作りお菓子は美味しく、どれも立派な商品として扱われていた。さらにユニークだったのが芸術的な才能のある人にアーティスト社員という制度を設け、認められると勤務中の決められた時間を作品作りに充てられるようになっている。

    その作品が各フロアのディスプレイとして活かされており、すぐれたものは常設展示のスペースもあって、ちょっとした美術館の雰囲気になっていた。人気作家になれば他の企業や展示会の出展を求められるそうで、企業社員でありながら立派なプロ作家への道も開いてくれている。評価として大事なことは作品としてのクオリティが高く、障がいがあるからとって妥協はないことだった。また、企業人としての責任も厳しく問われ、仕事もしっかりしないと会社は応援できないことを採用の際によく理解してもらうようにしているそうだ。私は説明を聞きながら、こうした取り組みを知ること自体が人を集める魅力的な要素であり、まるで観光ガイドに案内されて小さな美術館を巡り、あわせて企業の視察ツアーを味わっているような気分になった。

    高齢化が進み地域の病院など人が集まるところには、駐車場の空きスペースを利用して中山間地の農村野菜などを販売する病院マルシェのような試みを興す動きもある。人を集める方法は時代とともに変化し続けると思うが、いつの時代でも本物には人を引き寄せる魅力がある。障がいを持つ人は、高齢者社会の道標と思うが、今回、作家の職場を訪問し日ごろの働きぶりを知り、またその作品を鑑賞させてもらい、あらためてその才能に感動した。彼らの作品を一目見に地球の裏側からツアー客がやってくる日も遠くないのかもしれないと思えた。


    【篠塚恭一(しのづか・きょういち )プロフィール】
    1961年、千葉市生れ。91年(株)SPI設立[代表取締役]観光を中心としたホスピタリティ人材の育成・派遣に携わる。95年に超高齢者時代のサービス人材としてトラベルヘルパーの育成をはじめ、介護旅行の「あ・える倶楽部」として全国普及に取り組む。06年、内閣府認証NPO法人日本トラベルヘルパー(外出支援専門員)協会設立[理事長]。行動に不自由のある人への外出支援ノウハウを公開し、都市高齢者と地方の健康資源を結ぶ、超高齢社会のサービス事業創造に奮闘の日々。現在は、温泉・食など地域資源の活用による認知症予防から市民後見人養成支援など福祉人材の多能工化と社会的起業家支援をおこなう。



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