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記事 7件
  • 甲斐良治:「しょうゆかけごはん」に感動!

    2006-11-25 11:18  
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    高野さんが帯広で放し飼いの豚と遊び、「北の屋台」で飲んでいるころ、私は銀座で開かれた「卵かけごはんの会」に参加していました。「卵かけごはんの会」といってもB級グルメの会ではなく(「卵かけごはん」は「卵かけごはん楽会」、「B級グルメ」も「B-1グランプリ」というのがあるくらい奥深いものではあるけれど)、米、醤油や豆腐の生産者が集まって、高野さんが10月29日の「極私的情報曼荼羅」でも書かれていた来年度からの「農政改革」について考えようというものです。

    主催は不肖・甲斐も理事に名を連ねている「ローカル・ジャンクション21」というグループで、これまでお茶や豆腐、ハチミツ、お酢、納豆などの生産者を囲んでつづけてきた「食話会」活動の一環。いわば「おとなのための食育」です。

    会場は銀座3丁目の「吉水」という和風旅館で、山形県長井市の遠藤孝太郎さん、横沢芳一さんがつくった「さわのはな」の新米の
  • 甲斐良治:宮崎県知事に「あったまにきた!」

    2006-11-24 11:42  
    「官製談合」疑惑で大揺れの宮崎県庁。だが本日の宮崎日日新聞によれば、昨日、県青少年タウンミーティング(内閣府、青少年育成国民会議など主催)が開催され、「県内の高校生約100人が安藤知事らを囲んで、宮崎の将来について語るパネルディスカッションがあり、農畜産業の展望などについて新鮮で熱い議論が交わされた」とのこと。


    パネルディスカッションのテーマは「知事と語ろう 宮崎の将来について」。パネリストは安藤知事(!)と県立看護大教授ほか、高校生3人。
    高校生たちだって、疑惑の知事とディスカッションしたくはなかっただろうし、疑惑の件について質問もしたかっただろうに、いまこの時期に「知事と語ろう 宮崎の将来」はないだろう。これだって露骨な「やらせのTM」じゃないか!
    蓮舫さんじゃないが、「あったまにきた!」

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  • 甲斐良治:誰が学校を建てたのか その3 「文部官僚の号泣」

    2006-11-14 11:22  
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     今朝の毎日新聞2面「発信箱」で、論説室・玉木研二記者が「文部官僚の号泣」と題して、1947年3月の帝国議会衆議院「教育基本法案委員会」の模様を伝えている。
     教育基本法案はすでに通過し、6・3制を中心とする学校法案がまわってきたとき、校舎や学用品はそろうのかとの委員の質問に対して、答弁に立った文部省学校教育局長が教科書も満足に子どもたちに与えられない窮状を嘆いて5分間言葉を失い、ついには号泣したのだという。
     『よみがえる廃校』(「増刊現代農業」11月号および「ざ・こもんず」10月25日)で追求した「敗戦直後の教育再生」に深くかかわる話でもあるので、「国会会議録検索システム」で調べてみたら、以下引用のように当時の様子がリアルに伝わってきた。
    ○日高第四郎政府委員 (前略)これらの點において、非常に現在の日本の教育内容というものが貧弱であるということは、殘念ながら認めなければならない
  • 甲斐良治:変わらないためには、変わらなければならなかった農家

    2006-11-13 11:24  
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     10月29日の高野さんの「極私的情報曼荼羅」――「今日のサンプロでの“農業論議”について一言!」に触発されて、いますすめられている「戦後最大の農政改革」なるものについて考えていることを少し整理しておきたい。


     今度の農政改革とは、高野さんも書いているように「所得保証の対象となる農家の規模を、都府県の個別経営で4ヘクタール以上、北海道は10ヘクタールとし、また、個別ではその規模に達しない場合に村単位で共同で20ヘクタール以上の『集落営農』を行えば対象とするという具合に、かなり機械的に営農面積だけで線を引いた」ものである。
     そしてその政策が「全国平均で農家数の半分を占める小規模農家やじいちゃん・ばあちゃん農家が切り捨てられる形」になっているのも事実なのだが、それが「『経済=産業政策』として強い農家を育てつつ、『環境=社会政策』『格差是正政策』として弱い農家を維持」することになるかどうか
  • 甲斐良治:誰が学校を建てたのか その2

    2006-11-02 11:34  
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    「京都では明治政府の学制発布より3年も前に、64校もの小学校が町衆によって建てられていた!」――そのことを知ったのは9月15日、思想史家・関曠野氏を中心とするメーリングリスト「時代塾」での関氏の投稿によってだった。『よみがえる廃校』(「増刊現代農業」11月号)の締め切りは目前だったが、農村だけでなく都市部でも「学校は住民が自前で建てた」ことを示す格好の事例だと考え、急遽、関氏に原稿を依頼、大阪在住の元西日本新聞記者・渡邊美穂さんに「京都市学校歴史博物館」の写真を撮ってもらうことにした。


    番組小学校の歴史が展示してある京都市学校歴史博物館。旧開智小学校
     詳細はぜひ、『よみがえる廃校』の「『番組小学校』に結実した町衆の自治の精神」をご参照いただきたいが、ここでは概略を紹介したい。
     幕末動乱のさなか、新時代の到来を予感した京都の画家、書家、香具商など市井の知識人の寄合があり、彼らは福沢諭
  • 甲斐良治:誰が学校を建てたのか その1

    2006-11-01 11:43  
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     前々回の「よみがえる廃校」冒頭で引用した「『戦後の心』を教わった白いペンキの木造校舎」を書いたのは福岡在住のフリー記者・竹島真理さん。昭和27年、村の年寄りから子どもまで、みんなで「地つき」をして建てた大分県日田市の小山小学校は、彼女の母親の母校である。
     校舎に使う用材は、村の山持ちたちが「うちの山の木をどうぞ」と寄付。地元の伐り山(きこり)が山に入って伐採。そして「どんだ引き」という方法で、束ねた木を牛に引かせて山から下ろすのだが、それを請け負ったのは竹島さんの曽祖父だった。校舎の建て替えが始まった昭和27年、竹島さんの母親は5年生で、その弟の叔父は3年生だった。
     竹島さんの祖父は昭和19年にサイパンで戦死していた。そのとき母親は2歳で、叔父はまだ祖母のお腹の中だったという。つまり、曽祖父は、戦死した息子の替わりに、孫たちの通う学校のために「どんだ引きは私がやりましょう」と申
  • 甲斐良治:錦秋の奥会津・只見へ

    2006-11-01 11:37  
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     今年はどういうわけか、福島県に行くことが多い。5月、6月は、「ざ・こもんず」でも既報の「安達太良山麓の奇跡のむら」、8月上旬はいわき市、下旬には会津坂下町に三島町、そして先週は只見町に行ってきた。
     只見へは、上越新幹線浦佐駅から友人の運転する車で行ったのだが、途中の風景がじつにすばらしかった。

     上の写真は、国道252号線の「六十里越」を過ぎたあたりで撮った田子倉湖とその周辺の紅葉の風景。昭和35年完成の田子倉ダムによってできた人造湖である。また下の写真は、国道から上の、1000m級の山のブナ林。同行の森林生態学のT先生によれば、「おそらく炭焼きのために、すべて人の手によって植えられたものであろう」とのことだった。

     ダムに沈んだ田子倉集落の標高は約500m。その差500mの稜線に囲まれた広大な空間が、集落の炭焼き、山菜・キノコ採りなどの生産と生活の空間だったということになる