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  • 甲斐良治:食料自給・地産地消を輸出する――世界に広がる農産物直売所

    2009-07-30 13:20  
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    「高野論説」――「日本の“モノづくり”精神の大元はどこか?」激しく同意しながら拝読。とりわけ「稲作と漁撈を中心とする日本型は、耕地の42%が中山間地にあって、そこでの里山的な森と田畑との循環的な生活技術とそれを担う家族労働 集約的な小規模農家こそが主体と位置づけられるべきである」とのご指摘は、昨今安直な「農業ビジネス論」がマスコミに横溢するなかで(榊原英資氏の『大不 況で世界はこう変わる!』の農業論も残念ながらそうでしたね)、さすがThe Journal!さすが高野塾長!と、膝を打った次第。

     ただ一点、「日本の農業自体もまた他の先進国と同様、輸出産業へと転換することが出来るだろう」との説には「(食料、農産物の場合)無前提に輸出=善としてよいか」との疑問が残った。
     高野さんのいう「家族労働集約的な小規模農家」1億5000万人で構成される世界組織「ビア・カンペシーナ」(「百姓の道」、本部ホンジュラス、 92年設立)は「いかなる国家と人民も彼ら自身の農業を定義する権利を持っている」とする「食料主権」を掲げ、その考え方は、新自由主義と対米従属からの 脱却をすすめるエクアドル、ニカラグア、ベネズエラなどでは新憲法にも盛り込まれるようになっている。政治思想家の関曠野氏はこの食料主権について「農産物を単なる商品として流通させる貿易自由化や現地の自作農の存続を困難にする食料援助などは主権の侵害となろう。さらにこれは食料に関連して国土や食文化 の在り方にも及ぶ自分独自の生活様式を選び守る権利」であると述べている(『自給再考 グローバリゼーションの次は何か』)。要するに国家、地域、家族、 個人レベルでも、食料は「自給」を第一義的に追求すべきであり、その妨げとなるような輸出入や援助はすべきではないという原則である。いま日本の農家は、 たとえば汚染米事件を引き起こしたミニマム・アクセス米のような農産物輸入による価格下落に苦しんでいるけれど、たとえ立場が逆転したとして、輸出で他国 の農家を苦しめてよいはずはない。
     ビア・カンペシーナがそうであるように、世界の「家族労働集約的な小規模農家」は競争ではなく共生・共存をめざし、さまざまな交流活動を行なっているが、わが日本でも、90年代から全国の農山村で自然発生的に立ち上がった「農産物直売所」が国際的な注目を集め、JICAなどを介して交流がすすんでいる。
     たとえば長野県伊那市に年間8億円を売り上げるグリーンファームという直売所がある。
     
  • 高野孟:日本の“モノづくり”精神の大元はどこか? ── 文明の基礎としての超精密農耕技術

    2009-07-29 13:34  
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    前稿(INSIDER No.502)で日本が「“モノづくり資本主義”で世界をリードする」可能性について論じたところ、読者から、資本財の優位性だけで日本全体が食っていけるわけではないし、その優位性もいずれ新興国からキャッチアップされて保てなくなるだろうとの趣旨の指摘があった。

    ●日本の最先端中小企業
     まず1つには、私は資本財供給国としての世界貿易の中での日本のユニークな位置取りを「日本が21世紀の世界を生き抜いていく1つの筋道」として 重視すべきであることを示したのであって、それだけで日本全体がやっていけるとは言っていない。その大きな可能性を、榊原のようなインテリを含めて、日本 人の多くが認識していないことを嘆かわしいとかねがね思ってきたので、力を入れて強調したまでのことである。ひとたびこれが21世紀日本の生き方の柱の1つであるという合意が成り立てば、例えば、
    ▼政府の長期的な研究開発投資のプログラム、 ▼大中小企業の経営力や技術力や製品開発力などソフト面を評価してリスクを賭けて投融資するベンチャーキャピタル型の(ということは土地担保でしか金を貸 せない従来の銀行を脱皮して経営力や技術力や開発力などソフトを評価してリスクを賭けて投融資する)金融機能を重視した金融改革の方策、 ▼小学校からのモノづくり教育、(何人かの読者が指摘したように)ドイツのマイスター制度に倣った「匠制度」、工業高校と理工系大学・大学院の充実などを含む教育改革の方向付け
    ──など、およそすべてのことを“モノづくり日本”の方向に沿って合流させていくような総合施策を組み立てることが可能になるだろう。日本と世界の関わりにおける(全てではなく)最前線をそのようにして形成したい。
     2つには、確かにこの領域においてもキャッチアップの可能性は大いにあって、油断も隙もあったものではないが、前稿で例に出した世界最小歯車メー カーの樹研工業の松浦元男会長にそれを問えば、「なーに、彼らが5年経って追いついてきた時にはウチは10年先まで行っているよ」とのことである。その自 信から、同社の場合は、請われればどの国からも研修生を受け容れて技術を伝授し、3年かそこらで基本を学び終えると、彼を工場長にして本国に合弁工場を出し、その場合にパテント料で縛るという小賢しいことは一切せずに、出資比率50:50で済ませている。もちろん誰もがこんなことが出来るわけではないけれ ども、日本の最先端には、そういう意識を持って事業を成功させていて、毎年、創業以来史上最高の昇給を更新し続けている中小企業があるということは知っておくべきである。それを単なる例外と考えるか、それこそが先進モデルだと考えるかが、思考の1つの分岐点である。
     全国どこへ行っても、商工会議所・商工会・法人会など中小企業団体の会長の挨拶は「日銀短観は景気が下げ止まりつつあると言うが、我々中小企業は そんな実感からはほど遠く、まさに“100年に一度”の大不況の波をもろに被って苦しんでいる」という、「大企業はいいかもしれないが中小企業は大変」パターンに決まっている。それでいて、講演が終わって宴会になって個別に聞けば、確かに大企業の下請け一本でやってきた企業などは大変なことになっている が、独自の技術を磨いて何とか切り抜けていたり、それどころか積極的に海外にまで販路を広げて独り立ちを果たしている企業も決して少なくなく、その割合は 普通の中小企業団体で半々、地方銀行の優良融資先の経営者の会などの場合は7〜8割が後者である。つまり「大企業でも中小企業でも、成熟経済への適合が出 来ている企業とそうでない企業との二極分解が進んでいて、全体としてみれば大小・業種・地域に関わらず“まだら模様”を呈している」というのが本当のとこ ろで、にもかかわらず中小企業団体の建前としては「中小企業は大変」ということにしておかないと運営上差し障りが出るのでそう言い続けている。しかしこれ では、農協が「農家は大変」と“弱者ブリッ子”を演じて補助金漬けに身を沈めている内に本物の弱者になってしまったのと同じ轍を踏むことになる。
     3つには、このような日本的モノづくりの精神は、今現在で言えば精密機械工業やハイテク素材産業や環境、IT、バイオ、医療産業などに典型的に顕 れていて、そのまた突端にあるのが高度資本財輸出企業であるけれども、その精魂込めてモノを作り上げるという心意気の根元は、実は縄文以来1万年に及ぶ日 本の農耕文明にあって、それは農業から製造業、サービス業まで含めたこの国の(サービス業まで含めた広義の意味での)モノづくりに一様に貫かれていること を認識する必要がある。
    ●農耕漁撈文明の特質
     日本は国土の66%を森林が占める世界でも稀なる「森の国」である。その森が林業の衰退によって荒れ果てているという現実的な問題は(天野礼子に委ねて)今は措くとして、なぜ日本にそれだけの森が残っているのかと言えば、それは農業のあり方の特殊性と関わっている。
     梅棹忠夫は『文明の生態史観』で、ユーラシアを中心部の乾燥地帯の遊牧民世界、その外側の準乾燥地帯に起こった4大古代文明世界、そのさらに外側 の湿潤な日本と西欧の近代文明世界という3層の文明モデルを提示した。それに対して、「陸」だけではなく「海」の視点を加味して、その文明モデルの修正・ 増補を図ったのが川勝平太(現静岡県知事)の『文明の海洋史観』で、それによって日本の自己認識の深度は相当に深まったのであるけれども、梅棹も川勝も、 ユーラシアの東西両端の日本と西欧との文明の質の違いを問題にしていない。そこで登場するのが、環境考古学者で縄文学者の代表格の1人である安田喜憲=国 際日本文化研究センター教授で、彼の『文明の環境史観』によって日本の文明史的な独特の位置づけは一層明白になった。
     安田によると、西欧の代表としての英国では「農耕が伝播して以降、カンバやナラの森は一方的に破壊され…17〜18世紀には森の90%以上が消滅 して、完全な森林破壊の段階が現出した」が、日本では「確かに農耕の伝播によってカシやシイの原始林は破壊されるが、その後、アカマツやコナラなどの二次林が拡大してくる。このため英国のような完全な森林破壊の段階が現出しない。…このように英国と日本とでは、森と人間のかかわりのあり方に、根本的な相違が見られる」のであり、それは詰まるところ、英国はじめ欧州の麦作と牧畜を中心とした農業と、日本の水田稲作と漁撈を中心とした農業との違いに帰着する (安田『稲作漁撈文明』)。
     問題の1つは、麦作と牧畜を中心とする西欧型が、限りなく森を伐採して広大な平原を切り拓いて麦畑と牧草地を作るので、大規模な粗放経営がまこと に妥当であるのに対して、稲作と漁撈を中心とする日本型は、耕地の42%が中山間地にあって、そこでの里山的な森と田畑との循環的な生活技術とそれを担う 家族労働集約的な小規模農家こそが主体と位置づけられるべきである。「水田稲作農業を基本とし、肉食用の家畜を欠如した日本の農耕社会では、経営規模をい たずらに拡大して粗放的にするよりも、労働集約的にする方が収量が多かった。急峻な山地に家畜を放牧するよりは、森を保存し、森の資源を水田の肥料として 利用する方が、土地生産性を活用することにつながった。灌漑用水を定常的に確保するためにも……豪雨による災害を防止するためにも森は必要だった。温暖・ 湿潤な気候は森の再生には好都合だった。こうして日本人は森の資源に強く依存する農耕社会を構築した」(安田)。
     東アジアのモンスーン気候帯の下でのこの温暖・湿潤は、農学者の野田公夫=京都大学教授に言わせれば
     

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