私達は、しばしば怒る。多くの場合、怒る理由がある。かつ、多分怒ることが正当化できる。
私達は一人で生きていない。人々の間に生きている。この中で、人々は人間関係のあり様を決める。時に法律という形をとることもある。組織の掟であることもある。道徳と呼ばれるものもある。こうした規律に従って人は生きている。だが時に、こうした規律に反する行動をとる人に遭遇する。「自分はしっかり規律を守っているのに何だ」という気持ちが出る。そして多くの場合、規律を破る者は、被害を受ける者より強い立場にある。少なくとも規律を守らない者はおおむね、破って関係が壊れても被害はない、少ないとと思っている。
怒りの原点に「自分が“不当に”害を被った」との認識がある。
まず第一に“不当に”がある。この“不当に”は何も法律違反に限らない。親子関係や、夫妻関係でも約束事がある。互いに約束したこともあるだろうし、世間一般に容認され
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怒りには、私憤と公憤があります。公憤は先延ばしできません。今の政治に対する怒りを先延ばしすれば国民は殺されます。皆さん、大いに怒りましょう。失礼しました。
自民党の政治家、韓国の保守系の政治家の言動からは「やられたらやりかえす」つまり「復讐」が元気の源になっているように私には見えますね。米国の政治家も例外なく自民党と同じ性格の持ち主でしょう。
彼らには孫子の火攻編、セリカの方法は馬耳東風でしょうね。孫氏の兵法の場合、儒学と言う体系的な哲学と思想が生き生きとしていただろうし、セリカの場合はローマ法が着々と整備されていたと思われますし、今もそれらは古典的意義を現代に向けて発信しているのですが、米国の政治家、それに完全同調する自民党や韓国の保守系政治家にはこれといった公正たりえる哲学、思想が無いのです。在るのは欲得感情だけですから。
>>1
同感です
『怒らない方法』からの要点は、殊に外交では必須の心得と想像します。であれば、「人々の間に生きている」者なら誰もが留意すべきことに違いない。何より人への怒りは健康に悪い。致命症の誘発すらあり得る。竹中直人氏のように笑いながら怒れば いいかもしれないが、常人には無理な芸当だ。
だが、怒りは免疫反応的側面もあるのでないか。順番待ちの列に割り込まれた、家を放火された、上司に無茶振りされた、等に遭えば怒って当然だ。それでも、相手によっては孫子の言った通り「マイナスが極めて大きくなる」結果に終わるかもしれない。ではどうするか。一人で抱え込まず、「怒りの原因」分子を集団で囲い込むことだ。アベ、スガを怒れる大衆が包囲することだ。
先日の生放送で奥様の声から何となく八千草薫氏を連想してYouTubeを見ていますと、八千草氏は、怒りが湧いてくると直ぐに眠くなって眠ってしまって、それでお終い。夫婦喧嘩も起きようがなくなってしまう━だったそうです。
>>4
怒りの原因分子を集団で囲い込む、いいですね。恐るな若者よ!ジジババも。
>>5
公憤を なあなあで先延ばしした日には命取りになりかねない、本当にそう思います。
思い出すのはトルコがシリア領内でロシア連邦の
戦闘爆撃機を撃墜したときのことです。
あのときプーチンの報復は必至とみられていました。
わたしもそう思いました。
米国ならば即座に当該機の所属基地くらいを猛爆
したでしょう。
それはもう条件反射的に。
あのとき米国は戦争を恐れて現地司令官が、これは
トルコとロシアの限定的なトラブルでNATOが関わる
マターではないと言い放ったのです。
事件が起きてすぐエルドアンはヨーロッパに飛んで
NATOに泣きつきました。
あのときプーチンは経済制裁にとどめ軍事報復はしませんでした。
すごい。
あの事件ははっきりその後のトルコとNATOの関係を変えました。
離反の方向に。
トルコがNATO規格の兵器システムをロシア製の対空ミサイルに
変えるなど、あの事件がなければ決してなかったでしょう。
トランプはそれに怒ってトルコ制裁。
プーチンの大勝利。
怒りをコントロールできたが故に。
彼は第三次世界大戦の芽を摘み全世界から感謝されても
いいはずですが、もちろん西側マスコミはそうはしない。
いつだってブーチンは悪者でなくてはならないから。
ロシア連邦は優れた指導者を持っているようです。
主題から外れますが、あの事件のとき米国NATOがトルコに対して
とった冷酷な態度は日本はぜひ覚えておかねばならない。
ロシアと戦争をする気など加盟国のどれ一つないのです。
イスラム教徒の跳ね返り行動のために。
日米安保など米国にとってNATOよりはるかに重要度は低い。
簡単に破ります。
かつてタイにも破りました。
エルドアンはあのときトルコがロシア連邦にとっての敵対
軍事ブロックに加入するよりもロシアと親しくしたほうが
自国の安全により多く寄与すると学んだのかもしれません。