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読売原発の危険報道。でも「本よみうり堂」、鎌田實・文「原発事故の悲しみを描いた絵本」
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読売原発の危険報道。でも「本よみうり堂」、鎌田實・文「原発事故の悲しみを描いた絵本」

2014-05-03 07:30
  • 7

読売新聞と言えば、原発推進の牙城である。社説はどんどん再稼働を訴える。記事もまた、再稼働を支持する記事だけで、原発の危険性を報ずるものはほとんどない。話が突然イランに移って恐縮だが、イランはイスラム宗教国家である。これと相反する報道は弾圧され、本も出版できない。この中に不思議な現象があった。童話の世界だけは、動物等にリベラルな考えを体現した話を出していたのである。
実はそれと類似した現象が起こった。
420日読売新聞の「本 よみうり堂」で 「原発事故の悲しみを描いた絵本」という標題で次の記事が出た。
「新刊絵本の『ほうれんそうは ないています』(鎌田實・文、長谷川義史・絵)=写真=は、原発事故で汚染された ほうれんそうやコメ、カレイなどが登場する。
 「あのひ、ほうしゃのうで、だいちは よごれた」「つちが ないてる」「ぼくらは ちゃんと たべられたかった」という叫びが、見開きの迫力ある絵から

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原発に危険性が伴うことは事実である。その事実は自動車、飛行機、電車、船に乗ることに危険性が伴うことと同じである(危険の性質や度合に差異があることは別として)。子供たちにそれを伝えるためには、例えば自動車事故では毎年5000人を超える人が日本で死んでいることも伝えなければならない。詩のような感情的に訴える文章で伝えようとすることは無責任な行為である。同様に、いわゆる再生可能エネルギーの効用をあたかも世界のエネルギー問題の最終的な解決策であるかのように感情的に伝えることも無責任である。風力、太陽光発電を推進した結果、どのような事態がドイツで発生し、どのような反省が行われているかもバランス良く、感情的でなく論理的に伝えなければならない。論理的に理解できない児童に伝えようとすることは無駄であり、有害な行為である。

No.1 128ヶ月前

現在の社会でほしいものはあるだろうか。
何もありません。
しかし、生活の安心という面では不満足です。
介護施設は十分だろうか。確かにお金を出せば施設はあります。
老々介護など痛ましい現実もあるし、会社を辞めて親の介護をする人もいます。
何故、施設だと人件費が支払われ、何故、家族だと人件費が払われないのか。
介護する場所によって、差別するのは、行政の恣意的過失ではないのだろうか。
電力では不思議な現象が沢山ある。
夜の広告照明は無くして、昼だけの看板宣伝でだめなのか。広告照明のない国もある。
自動販売機がないと生活できないか。ただないよりあったほうが便利というに過ぎない。
細かく見ていけば、無くとも生活できる電力は非常に多い。
原発を、最初から原点に立ち返って議論すれば、必要性がまったくないことがわかるはずなのに、原点に立ち返ることをしない。
敗戦も、原点に立ち返り、議論しないので、終戦でごまかし、靖国参拝が当然のことになってしまう。
全てが有耶無耶処理、責任者なし。議員天国、官僚天国、企業天国なのでしょう。
そういえば、国会議員の歳費が復活したようだ。復活に不満はないが、現在の仕事ぶりを見ていると、議員数はせめて半分でもできるのではないか。片手落ちです。

No.2 128ヶ月前

>>1
自動車の危険性については、環境に与える悪影響その他の問題も含めて、広く問題提起がされている。なにも原発の危険性の引き合いに出す必要はない。また、原発の問題は、事故が起きたときの生命財産などに対する鬼面にとどまらず、だれにも解決できない放射性廃棄物という危険を作り出す問題も重大な危険のひとつである。子どもたちなりに、大事な問題を考えさえることは必要なことである。

No.3 128ヶ月前

米国では投資の対象から完全に外れています。採算が全く取れないからです。日本はもっとヒドイ計算になるのだけどそういう議論にならない。原発推進派は交通事故と比較したり、放射能で死んだ人はいないなんてとんでもない話を持ち出してごまかそうとするのですね。原発はやめなくちゃいけないことは結論が出ている訳です。

にも関わらず、読売みたいな大新聞が大丈夫大丈夫と言ってよいしょするもんだから、読売新聞を信奉する集団はイランみたいな国家内国家を形成してるんでしょうね。そんな中では童話でしか真実を伝えられないなんて悲しいですね。

ただよく考えると推進派がバカだから推進を推し進めるんじゃなくて、きっちした理由があるんです。今保有しているプルトン43トンの保有正当性は原発を稼動させ続けなくちゃ、失くなっちゃうんじゃないですか。43トンに相当する原爆は広島型だと10,000発を超えるというじゃないですか。この潜在核抑止力に推進派は執着していると強く思うのです。元都知事の石原さんはヨーロッパでそんな話をしていたのをヨーロッパの新聞で読みました。それが読売新聞も含めた日本の武闘派の本音じゃないですかね。

No.4 128ヶ月前

原発事故がおきたとき、ムラの住民とおぼしきひとたちは
やたら1000年に1度の津波によって、と強調しておりました。
今後にかんしては無視してよい可能性といいたかったのでしょ
うね。

洪水よきたれ、しかしわれ亡きあとに。

そう考えてこれまでのようにノー天気に暮らそうよ、と。
しかし原発過酷事故の起きる可能性がかりに1000年に1度
てあっても(実際はそれよりはるかにおおきいのは明らか)
人生75年として、自分の存命中に過酷事故の起きる可能性は
13分の1です。

oldjapさん、もしも飛行機が13回のフライトで1度の割合で
墜落するとしたら、あなたなら飛行機に乗りますか。
それくらいなら無視してよい可能性として。

まあ、乗りたくとも乗れないでしょうが。
世界の飛行機はすべて飛行中止になっているはずですから。

No.5 128ヶ月前

実情は知らないけれど、原発でできるプルトニウムは純度65%程度。これでは原爆には使えないレベルかと思います。いまのところもんじゅが動いていないので、何とも使いようのないゴミレベルなのでは?

ただ原発はpayしないという見解には同意です。ウランの原価から換算すれば少し安いのかもしれないけれど、減価償却と廃棄物の処理を考えただけでも、たちどころに割に合わなくなります。まして事故が起こった日には、何のために何をしているのやらわからずに痴呆状態になること間違い無しです。総括原価方式をやめたら、民間で原発に参入する企業はまずいないでしょうね。原子力村がいかに巨大でも、これだけの事故が起こって原発を推進する経産省の考えは測りかねます。本当に核なのでしょうか?だとしたら日本の官僚も結構愚かですね。僕は核燃サイクルの実現を本気で考えているのだと思っていました。でも化石燃料に頼らない道を模索するなら当然自然エネルギーでしょうね。
今のところ何の足しにもならなそうな自然エネルギーですが、これが一番合理的に決まっています。永遠に進まない核燃に税金を注ぐよりは自然エネルギーの研究に投資すべきです。

勝手な思い込みかもしれないけれど、原発の外圧はまだあるのではないかと思います。一つはウラン。もう一つは新規増設に伴うパテントの問題。自国には嫌だから作らなくても、どっかに作ってもらうのはもうかるから、というようなことでは?日本は原発やめてもいいけど、売り込みはして欲しいとか?身勝手ですよね。そんなことを日本もしている。

しかし原発なぜやめないのかよくわかりません。もう未来のビジョンなんて誰も考えない世界なのでしょうか?駄目になるのはわかっていても、今の自分を変えることができずに現状維持という体質が犯人だったりね。

No.6 128ヶ月前

 読売新聞の正力松太郎が原発のフィクサーだったのは周知の事実なので、読売が原発を養護するのは仕方ないとは思います。
 でも、これだけの事故を起こしてしまったのですから「君子豹変す」で行くのが大人というものだと思いますけどね。
「原発は絶対に過酷事故を起こさない。」→「放射能なんて安全。」をまことしやかに言い立てるのはどうかなと思います。
世界5月号にセヴァン・スズキさんのインタビュウ記事が乗ってました。
懐かしかったので1992年地球サミットでまだ12歳だった彼女の伝説のスピーチを聞き直してみました。
「もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えばこの地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけどそのことを知っています。
 学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたたち大人は私たち子どもに、世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、
* 争いをしないこと
* 話しあいで解決すること
* 他人を尊重すること
* ちらかしたら自分でかたづけること
* ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
* わかちあうこと
* そして欲ばらないこと
 ならばなぜ、あなたたちは、私たちにするなということをしているんですか。」
 「親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子どもたちをなぐさめるものです。あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。おききしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。
 父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。しかしあなたたち大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。あなたたちはいつも私たちを愛しているといいます。しかし、いわせてください。もしそのことばがほんとうなら、どうか、ほんとうだということを行動でしめしてください。」
http://www.youtube.com/watch?v=N0GsScywvx0

22年前のスピーチがやけに新鮮に聞こえました。今の彼女は2児の母となりカナダのハイダ島で環境活動家としてに暮らしているそうです。ちなみに、父親の生物学者のデヴィット・スズキ博士は日本政府が電力業界と強く結びつき、放射能汚染についての情報を自国民と世界に対して隠していることをはっきり批判しているそうです。
リオサミット後10年のリオ+10,更に10年後の2012年にもサミットが開かれましたが、残念なことに
リオ+10はリオ-10と皮肉られ、2012年は更に悪化したと言われているそうです。
放射能汚染は遺伝子を傷つけるため代を下るに従ってその被害が大きくなります。我々の世代が良くても孫子の代にそのつけがどんどん大きくなることを覚悟しなければなりません。
22年前の彼女の声を今の大人が聞かなければならないのではないでしょうか。
ちなみに、我が家では食べて応援は一切しておりません、煮炊きには安全地のミネラルウォーターを使用しています。
セシウム137の生物学的半減期は大人で100日子供で40日と言われています。セシウムがあるところにはもれなくストロンチウム90がついてくるとされています。こちらは生物学的半減期30年で体がカルシウムと間違えて骨に取り込みます。こっちは貯まる一方ですねw
自分の家族の身は自分で守らなくてはいけないようですよ。


No.7 128ヶ月前
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