• このエントリーをはてなブックマークに追加

  • 田中良紹:弱小派閥の政権が最大派閥に打ち勝つ方法

    2022-11-06 17:35
    岸田政権の支持率低下は止まらず、その一方で岸田総理の打つ手がことごとく国民に批判され、一体この総理は何を考えているのだろうと皆が首をかしげている。それが我々の目の前にある日本政治の現状である。

     つい先週28日に発表された物価高に対応するための総合経済対策でも、当初予定されていた25兆1000億円の政府案が、自民党最大派閥の安倍派から反発され、3時間後には岸田総理の指示で4兆円が積み増しされた。中身の積み上げを主張していたはずの岸田総理が、最大派閥の圧力で規模ありきのバラマキになったとメディアは批判している。

     振り返れば生前の安倍元総理も岸田総理の「新しい資本主義」に厳しく注文をつけた。政府の財政運営の指針である「骨太の方針」に財政健全化の目標を盛り込もうとしたところ、「アベノミクスを否定するのか」と猛烈な勢いで文句を言い、その表現は消されてしまった。

     自民党内では財務省をバックに財政健全化を主張する岸田総理のグループと、積極財政を主張する安倍元総理らのグループが対立し、安倍元総理が亡くなった後もそれが尾を引いている。弱小派閥の岸田総理は最大派閥に勝てないことが浮き彫りになった。

    そうしたことからメディアは「瀬戸際岸田政権」とか「政権崩壊前夜」とか「内閣総辞職へ」と見出しを付け、岸田政権が間もなく終わるかのように予測する。しかし私はこれまでもブログに書いてきたようにそれとは異なる見解を持つ。

     私の経験ではこの程度の支持率急落で政権が崩壊することはない。例えば1976年に起きた「三木おろし」は、田中角栄氏が「金脈批判」を受けて総理を辞めた後、椎名悦三郎氏の「裁定」で弱小派閥の三木武夫氏が総理になった。すると三木元総理は選挙を巡る田中元総理への「怨恨」から、権力を使ってロッキード事件を田中潰しに利用しようとした。

     それに自民党議員の大多数が怒り、三木元総理の「生みの親」である椎名悦三郎氏をリーダーに、三木派と中曽根派以外の全ての派閥が三木元総理の退陣を求めた。三木元総理は周囲をことごとく敵に包囲されたが、それでも辞めないと粘り通し、任期満了選挙になるまでの7か月間政権を維持した。

     総理が辞める気にならなければ、辞めさせることは難しいという実例である。では岸田総理が精神的に追い詰められ、辞任する気になっているかと言えばそうは見えない。支持率低下の最大要因は旧統一教会問題だ。これは自民党にとって「底なし沼」の問題だから、まだまだ支持率は下がる。だが岸田総理は旧統一教会と「絶縁宣言」している。それを徹底すれば、政権維持の可能性はある。

    野党やメディアは弱小派閥の岸田総理にその力はないとみて批判する。実際に旧統一教会側は岸田総理の「絶縁宣言」に恐れをなし、次々に自民党議員と旧統一教会の関係をリークして、自民党が妥協的な姿勢に転ずるよう脅しをかけてきているように見える。

    だとするなら岸田総理は、逆に野党やメディアの批判を利用し、腹をくくって「絶縁」を徹底すればよい。そして最終的には2005年の郵政選挙で反対派を選挙で公認せず、分裂選挙を仕掛けた小泉総理のように、「絶縁」を公約しない自民党員を公認せず「刺客」を送る。

    その結果、「絶縁」しない自民党員が多数当選し、岸田総理の意に反すればそれは国民の選択だから仕方がない。そこでは負けを認め、「絶縁」を支持する岸田自民党は他党との連立に打って出る。そちらの数が上回れば政権を獲得できる。旧統一教会問題で政界をガラガラポンするという方法もある。要は腹のくくり方一つだ。

    岸田派は自民党内第4派閥である。弱小派閥であるから政権を維持するには手練手管が必要になる。その手練手管の使い方が見ているとほとんどうまくいっていない。支持率下落の始まりは銃撃されて亡くなった安倍元総理の「国葬」問題だった。

    安倍元総理の死は弱小派閥の岸田総理にとって最大のチャンスとなり得る。しかし大事なことは最大派閥を敵に回さぬようにしながら最大派閥を解体していくことだ。あの場面では安倍派とその岩盤支持層を敵に回さぬようにすることが必要だった。ただそのやり方があまりうまくなかった。

    国民は政治家に本音をストレートに出すよう求める。だが政治の世界はそうはいかない。相手を褒め上げるように見せて打撃を与える。逆に相手を打倒するように見せて生き残らせる。策略に満ちた世界だから、そこに政治の難しさがある。

    弱小派閥の政権がどうやって最大派閥に打ち勝つか。私が見てきた例を紹介する。1982年に誕生した中曽根康弘政権は、最大派閥田中派の支援がなければ1日たりとも継続できない政権だった。だから人事も政策も田中角栄氏の言いなりになった。

    メディアはこれを「田中曽根内閣」と名付けた。中曽根総理にすれば屈辱的なネーミングだが、それを受け入れなければ権力を維持できない。中曽根総理にとって最重要は田中角栄氏が何を考えているかだ。中曽根総理の首席秘書官を務めた上和田氏は、私が田中角栄氏と近い記者であることを知ったのか、ある日、私に接近してきた。

    「他社の記者に気付かれないところで情報交換したい」と言う。「中曽根は田中の真意を知っているはずの政治家、秘書など6人にすべてスパイを張り付けている。ところが田中はその6人全員に違うことを言い、自分の真意を明かさない。だから君の話も聞きたい。その代わり俺は中曽根の考えをすべて話す」と上和田氏は言った。

    こうして2年近く、私と上和田氏は普通の民家で落ちあい、週に1回情報交換を行った。中曽根総理が何を考えているかよく分かったが、私の田中情報がどれほど役に立ったのかは分からない。とにかく弱小派閥の中曽根総理にとって最大派閥の真意を知ることが何よりも重要だったことだけは間違いない。

    そしてもう一つ、これは田中角栄氏が病に倒れ、政界から事実上引退した後で、金丸信氏から聞いた話だ。「角さんが中曽根を総理に担ぐと言った時、派内はみな反対した。おんぼろ神輿を何故担ぐのかと後藤田が言うと、おんぼろだから担ぐのだと角さんは言った。俺は中曽根嫌いで有名だが、親分が担ぐと言うのだから担ぐ、文句のあるやつは派閥を出ろと言ったら収まった。

    すると直後に中曽根から秘かに会いたいと連絡が来た。銀座の料亭吉兆で中曽根は俺を見るなり畳に手を突いて頭をこすりつけ、あなたを幹事長にしますと言った」という。つまり中曽根総理は田中派の中で最も中曽根嫌いで有名な金丸氏と接触し、味方になってくれと頼んだのである。

    これが後に竹下登氏を総理にするための「創政会」の結成につながる。それが田中角栄氏の病の原因となる。中曽根総理は自分を総理に担いで操ろうとした田中角栄氏に対し、最も遠くにいる金丸氏と手を組み、田中氏を倒そうと考えた。金丸氏も中曽根総理は嫌いだが、竹下氏を総理にするにはやはり田中氏を倒す必要があると考えた。

    こうして弱小派閥の中曽根総理は最大派閥の田中角栄氏に対抗し、田中氏が病に倒れて初めて自分の思い通りの政治シナリオを書くことが出来た。こんなことを思い出したのは、岸田総理が政敵であるはずの二階俊博元幹事長と5月31日に会食したからである。

    菅前総理辞任のきっかけは、菅前総理を支えていた二階元幹事長の辞任を岸田文雄氏が要求したことだ。二階元幹事長を権力の座から引きずりおろして岸田氏は総理の座を掴むことができた。従って2人は最も遠い関係にある。その二階元幹事長に岸田総理が面会を求めた。

    仲介したのは元宿仁自民党事務総長である。田中角栄元総理から岸田文雄総理まで日本政治の裏表を50年以上にわたり自民党職員としてつぶさに見てきた稀有な人物だ。民主党政権の誕生で自民党が下野した時いったん退職したが、2012年に第二次安倍政権が誕生すると、安倍元総理に乞われて再び事務総長に復帰した。

    その安倍元総理が銃撃され死亡すると、元宿氏は再び退職の準備をはじめ、岸田総理が慌てて元宿氏を会食に誘い留任するよう懇願した。二階元幹事長は長い幹事長時代に自民党本部に来るときは、幹事長室に入る前に必ず元宿氏の部屋を訪れ、情報を耳に入れてから幹事長室に向かったという。

    おそらく岸田総理は元宿氏に頼んで、二階元幹事長との会食をセットしてもらった。こうして元宿氏も同席して岸田総理と二階前幹事長は2時間ほど会談し、二階元幹事長から「しっかり支える。支持率は気にするな」と言われたと報道されている。

    岸田総理が退席した後、二階氏は森山裕選対委員長を呼んでさらに会談を行ったというから、二階氏は本格的に岸田支援体制を構築していく構えだと私は思った。これまで岸田総理は麻生副総裁と茂木幹事長に自民党の運営を委ねてきたが、それがうまくいかない原因だと私は見てきた。

    特に旧統一教会問題で速やかに調査を行わず、調査結果の公表も不十分で、さらに山際前大臣の辞職を遅らすなどの数々の問題を作ったのは、麻生、茂木両氏の責任が大きいと思う。それを弱小派閥であるが故か岸田総理もはっきりさせなかった。その責任もあるが、ここはまだ総理を退陣に追い込めるような状況ではない。

    岸田総理の足を引っ張れる人間が自民党内に誰かいるのか。国政選挙は3年間ないのだから引きずり降ろしのエネルギーが党内から出てくるとも思えない。国民は岸田政権が国民を見ていないと不満だろうが、自民党総裁選挙が国政選挙より先にあるのだから、まずは自民党内の体制固めを行う必要がある。

    そうなると岸田総理はどこかで人事権を行使する必要が出てくる。そして来週の米中間選挙でバイデン大統領が「死に体」になるかどうかも重大問題だ。そのすぐ後にはG20が控えている。そこで岸田総理は日中首脳会談を実現したいはずで、二階元幹事長とはそのことも相談したと思う。

    状況が目まぐるしく交錯する中で、支持率低下が止まらず、打つ手がことごとく批判を呼ぶ岸田総理が、遠い距離にある二階元幹事長との関係強化という注目すべき一手を打ったので、まずはそのことに注目して今後を見守ることにする。

    * * *

    ■オンライン田中塾開催のお知らせ

     コロナ禍は我々の暮らしを様々な面で変えようとしていますが、田中塾も2020年9月から新しい方式で行うことになりました。これまで水道橋の会議室で塾を開催しましたが、今後はご自宅のパソコンかスマホで私の話を聞き、チャットなどで質問することが出来ます。入会金3000円、年会費3000円の会員制で、年6回、奇数月の日曜日午後の時間帯に開催しています。会員の方だけにURLをお知らせしますが、同時に参加できなくとも、会員は後で録画を見ることも出来ます。

     コロナ後の世界がどう変化していくか皆様と共に考えていきたい。そのようなオンライン田中塾になるよう頑張ります。どうかオンライン田中塾への入会をお待ちします。入会ご希望の方は、下記のフォームからご入力ください。

    【入会申し込みフォーム】

    【関連記事】
    ■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧


    <田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
     1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。

     TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。

  • 田中良紹:ウクライナ戦争が招く核危機の世界

    2022-10-02 21:51
    ウクライナ戦争は新たな段階に入った。ロシアのプーチン大統領が9月30日、ウクライナ東部と南部の4州をロシアに併合すると宣言し、併合のための条約に署名したからだ。

     プーチンは併合された4州を「ノヴォロシア」と呼び、その地域は祖先が命懸けて戦い守ってきた歴史があると言い、「この4州の人々は永遠にロシアの市民である、それを守るためあらゆる手段を講ずる」と宣言した。

    これに対抗してウクライナのゼレンスキー大統領は、国家安全保障・国防会議を開いてNATOへの加盟を申請すると発表した。しかしウクライナは現状でもNATOから全面的支援を受けており、事実上NATOに加盟しているのも同然だ。ただウクライナがNATOに加盟すれば、この戦争はロシア対NATOの戦争になり、第三次世界大戦の様相を帯びてくる。

    かつてゼレンスキーはNATO加盟の方針を見直す姿勢を見せたこともあった。しかし国土面積の15%に当たる領土を奪われた以上、奪還に向けて戦い続けるしかない。同じようにプーチンも併合した地域を奪還されないよう戦い続けるしかない。それもあらゆる手段を講じてだ。

    停戦するための落としどころがなくなった。こうなれば行きつくところまで行くしかないという気になった。西側メディアでは、この併合が国際法違反の犯罪的行為だからロシアは国際的に孤立し、中国やインドからも見放され、さらに動員令に反発する国民にも見放されたプーチンは失脚するという見方にあふれている。

    しかし国連の安全保障理事会は、9月30日に米国などが提出した「ロシアによる併合を非難する決議案」を採決したが、ロシアの拒否権で否決された。15カ国の理事国のうち英米仏など10カ国は賛成したが、中国、インド、ガボン、ブラジルは棄権に回り、すべての国が賛成してロシアだけが孤立する形にならなかった。

    これを総会の場で採決すればどうなるか。反対する国は少ないと思うが、しかし棄権する国の数次第では非難決議を提出した米国の威信にかかわる可能性がある。そして今後の事態は西側メディアの見通しとは逆のケースになる可能性もある。

    これまでは自国領でない他国領の2つの「独立国」を、集団的自衛権で守るという建前で、自国とは距離のある地域での戦争だった。しかし4州が併合されたことで、これからは特別軍事作戦ではなく祖国防衛の戦いになる。

    それにロシア国民がどれほど納得しているのかは分からないが、祖国防衛で総動員体制のウクライナに対してロシアも総動員体制を敷くことになるだろう。

    併合した自国領にNATOが支援する攻撃がかけられれば、この戦争はウクライナとロシアではなくNATOとロシアの戦争になる。ロシアに欧米と直接戦火を交える選択肢が出てくる。

    プーチンは「あらゆる手段」と言っているから、通常戦力ではなく核戦力も覚悟しなければならない。つまり我々は世界が最も核戦争に近づいたと言われる60年前のキューバ危機を思い起こす必要があるのだ。

    1959年、フロリダ半島の目と鼻の先のキューバに親米政権を打倒したカストロ政権が誕生した。米国のCIAはカストロ打倒の作戦を次々に実行する。その作戦はことごとく失敗、そのためキューバはソ連に接近し、フルシチョフ書記長は秘かに核ミサイル基地をキューバに建設しようと考えた。

    狙いは第一に米国のキューバ侵攻を阻止するため、第二はソ連が核ミサイル能力で米国に劣っていたから、それを挽回するためである。1962年10月、建設中の核ミサイル基地が米国の偵察機によって発見された。

    キューバの核ミサイル基地からミサイルが発射されれば、米国は距離の近さから防ぎようがない。ケネディ大統領は核戦争を覚悟してフルシチョフとの交渉に当たった。

    この時、軍部の中には空爆して基地を破壊する考えもあった。しかしケネディはキューバを海上封鎖することでソ連の考えを変えさせとうとする。後になって分かったことは、もし空爆していれば、米国本土に向けて数十発のミサイルが反撃のために発射され、第三次世界大戦が勃発していたということだ。

    一触即発の危機だった。最後は米国がトルコに設置していたミサイル基地を撤去することで、ソ連もキューバ基地建設を断念することになり、世界は核戦争危機を免れた。偵察機の発見から基地建設断念まで緊張の連続となる13日間だった。

    プーチンがウクライナ侵攻に踏み切る前、繰り返し言ったのはこのキューバ危機と同じ状況にロシアが置かれているということだ。ウクライナのNATO加盟を認めれば、目と鼻の先に核ミサイル基地が置かれ、ロシアの安全が守れない。

    それをバイデン大統領に言っても聞く耳を持ってもらえなかった。一方でウクライナ国内の親露派勢力が支配する地域に、ウクライナ軍の攻撃がエスカレートし、親露派勢力を守るために軍事侵攻に踏み切らざるを得なかったとプーチンは主張した。

    だから戦争を終わらせる落としどころがなくなった以上、ロシアは核戦争を覚悟してこれからの戦争を考えることになる。それにしてもなぜこんなことになったのか。停戦の可能性はなぜなくなったのか。

    9月26日に安倍元総理の「国葬」に参列するため来日したトルコのチャブシュオール外務大臣が日本記者クラブで会見した。トルコはウクライナとロシアの停戦交渉を働きかけ、軍事侵攻が始まってから1か月後の3月末にイスタンブールでウクライナとロシアの対面の交渉が行われた。

    停戦交渉がなぜまとまらなかったのかを記者から問われたチャブシュオール外務大臣は、「第三者が停戦交渉がまとまるのを妨害した」と発言した。「第三者」がロシアを弱体化させるため戦争を長引かせようとしているというのである。そしてチャブシュオール外務大臣は「その犠牲になっているのはロシアではなくウクライナだ」と言った。

    「第三者」とは誰か。チャブシュオール外務大臣は名前を明示しなかったが、米国であることは間違いない。これまでもブログで何度も書いてきたように、この戦争はウクライナとロシアの戦争ではなく、ロシアのプーチン大統領を失脚させてロシアを弱体化させようとするバイデン政権が仕掛けた戦争なのだ。

    そしてここからは私の推測だが、それは11月の中間選挙で民主党に不利な状況を少しでも有利にするために考えられた。従って中間選挙の前に停戦に持ち込まれては困るのだ。

    しかもその3月末にゼレンスキーはNATO加盟を断念してウクライナが中立化する考えを表明していた。そのためイスタンブールでの交渉では、それを前提にウクライナの安全保障をどうやって担保するかが焦点になっていた。

    プーチンはウクライナの中立化が確保されればそれで良かったわけで、それまで首都キーウ周辺にいたロシア軍部隊を撤退させた。それが3月30日である。西側メディアは首都キーウを攻撃してゼレンスキー政権を打倒し、傀儡政権を樹立するためだと報道していたが、そうではなくゼレンスキーが中立を宣言すれば、そこで部隊を撤退させたように見えた。

    ウクライナの中立化で停戦交渉がまとまれば、この戦争はそこで終われる可能性があった。しかしトルコの外務大臣が言うように、それでは困る「第三者」がいて戦争は続くことになる。そこで不思議だったのはロシア軍が撤退した何日か後に、ウクライナ軍が行くと虐殺の痕跡が残されていたことだ。それは世界を震撼とさせ、ロシアに対する嫌悪感が沸騰した。あれで戦争は終われなくなった。

    西側メディアはプーチンが悪いという一点張りだが本当にそうなのか。冷戦が終わる頃からワシントンに事務所を置いて米国政治を取材してきた私には、そのように思えないところがある。

    冷戦に勝利した米国は、米国の価値観で世界を統一することを自分たちの使命と考え、世界最強の軍事力を背景に「世界の警察官」の役割を果たそうとした。ソマリア内戦、コソボ内戦への介入などがその例だ。それが世界各地で反発を呼ぶ。反発しなかったのは米国に従属することが身に着いてしまった日本ぐらいだと思う。

    反発は米国の提唱するグローバリズムに反対する運動となり、各地に自国の伝統や歴史を守ろうとする風潮が生まれた。それを主張する先鋭的な政治家がロシアのプーチンである。併合の式典でプーチンは、「ソ連が崩壊した後の米国や西側世界のエリートは、世界を新自由主義文化で植民地支配しようとしている」と痛烈に批判した。

    戦争という手段には賛成できないが、米国が推し進めるグローバリズムには反対だと考える国は少なくないと思う。それが国連の投票行動に現れる。ロシアがウクライナに軍事侵攻した直後に行われた非難決議の採決では、賛成141,反対5、棄権35カ国と賛成が圧倒的だった。

    ところがキーウ周辺での虐殺が分かり、その直後にロシアを国連の人権理事会で資格停止にする決議では、賛成93,反対24,棄権58と賛成が激減したのである。あの虐殺の映像を見せられた後でロシアに厳しくなるのなら分かるが、それとは逆になったのだ。

    それがこの戦争の大きな特徴になっている。西側メディアの報道は情報操作の一環で、そのプロパガンダに西側世界は乗せられているが、アジア、アフリカ、中東などの国々はそれとは異なる見方をしていると言うことだ。

    そしてそこに米国の価値観を押し付けようとする欧米社会に対する反発がある。世界は二つに分断された。だからそう簡単にプーチンは失脚しないように思える。それでも欧米社会がプーチンを負い詰めれば、プーチンはあらゆる手段を講じて抵抗し、西側世界を恐怖に陥れることで目を覚まさせる行動に出るような気がする。

    まもなく核の恐怖が現実になるぎりぎりのところまで世界は行き着くことになるのではないか。そうならないことを祈りたいが。

    * * *

    ■オンライン田中塾開催のお知らせ

     コロナ禍は我々の暮らしを様々な面で変えようとしていますが、田中塾も2020年9月から新しい方式で行うことになりました。これまで水道橋の会議室で塾を開催しましたが、今後はご自宅のパソコンかスマホで私の話を聞き、チャットなどで質問することが出来ます。入会金3000円、年会費3000円の会員制で、年6回、奇数月の日曜日午後の時間帯に開催しています。会員の方だけにURLをお知らせしますが、同時に参加できなくとも、会員は後で録画を見ることも出来ます。

     コロナ後の世界がどう変化していくか皆様と共に考えていきたい。そのようなオンライン田中塾になるよう頑張ります。どうかオンライン田中塾への入会をお待ちします。入会ご希望の方は、下記のフォームからご入力ください。

    【入会申し込みフォーム】

    【関連記事】
    ■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧


    <田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
     1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。

     TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。

  • 田中良紹:岸田総理が「国葬」の第一の理由に挙げる「憲政史上最長在位記録」を追及する

    2022-09-06 08:23
    新型コロナウイルスの療養期間を終えて8月の最終日に公務に復帰した岸田総理は、記者会見を開き、会見冒頭で旧統一教会との関係に言及し、「閣僚をふくむ自民党議員が国民から懸念や疑念を持たれていることを自民党総裁としてお詫び申し上げる」と頭を下げた。

     そのうえで「教会との関係を断つことを党の基本方針にして徹底する。自民党として説明責任を果たし、国民の信頼を回復するため厳正な対応を取る」と述べ、さらに「霊感商法の被害者などの救済に政府を挙げて取り組んでいく」と強調した。

     その一方で安倍元総理と旧統一教会との関りについては「ご本人が亡くなられた今、十分な把握には限界があるのではないか」と消極姿勢を見せた。この姿勢には「死人に口なし」で逃げ切りたい思惑がありありと見える。

    しかしこの部分が今回の旧統一教会問題の核心である。安倍元総理がカルトの広告塔にならなければ銃撃されることはなく、銃撃がなければ旧統一教会と自民党議員との広く深い関係が日の目を見ることもなかった。

     だがこの部分を追及していくと、岸田総理がいち早く安倍元総理の「国葬」を決めた根拠に疑問が出てくる。だから岸田総理は旧統一教会との断絶を宣言しても、安倍元総理と旧統一教会の関係についてだけは、国民の目に触れさせたくない。それで国民は納得するか。そこが問題だ。

     岸田総理は来週開かれるだろう国会の閉会中審査で、自分が出席し安倍元総理を「国葬」にする理由を国民に丁寧に説明すると約束した。そして会見では「国葬」にする理由を4点挙げた。第一とされたのが、憲政史上最長の8年8か月間総理を務めたことである。

     おそらくこれが国民を納得させるのに分かりやすいと思い、第一に挙げているのだろう。しかし私が再三指摘してきたようにこれは理由にならない。少なくも戦前の日本に在位期間を「国葬」の理由にする考えはなかった。

     なぜなら戦前の総理で最も長く総理を務めたのは桂太郎で、在位期間は約8年弱の2886日に及ぶ。その桂と同時期に交互に総理を努めた西園寺公望は、在位期間が桂の半分以下の1400日だが、西園寺は「国葬」され、桂は「国葬」されなかった。

     ちなみに総理経験者で「国葬」されたのは、西園寺以外に伊藤博文、山縣有朋、松方正義の3人がいる。在位期間はそれぞれ2720日、499日、943日である。だから在位期間が考慮されて「国葬」されるわけではない。

     また戦後1例しかない吉田茂元総理についても、国葬を決めた佐藤栄作の頭にあったのは、戦後で最も長く総理を務めたというより、サンフランシスコ講和条約で日本を独立に導いた政治的功績によるものだと思う。

    ただ佐藤が法的根拠が戦後失効したのに吉田の「国葬」を強く願ったのは、吉田内閣時代に起きた造船疑獄事件で、自分が逮捕されそうになったのを法務大臣の指揮権発動で救ってくれた大恩人だったからだと私は思っている。

     岸田総理も法的根拠がないのに「国葬」を強行しようとしている。それは「国葬」にすることで安倍元総理の「岩盤支持層」を自民党に繋ぎ留め、また弔問外交を政治利用しようと考えたからだ。ただ最長在位期間を前面に出すことは危険な効果も生む。

    安倍元総理がなぜ長期政権になったのかという部分に光が当たるからだ。以前のブログにも書いたが、そこに旧統一教会が絡んでくる。かつて旧統一教会と距離を置いていた安倍元総理が第一次政権に失敗すると、そこから旧統一教会との接近が始まったのである。

     第一次安倍政権は参議院選挙で惨敗し、参議院で過半数の議席を失った。衆議院では小泉政権の郵政選挙のおかげで過半数以上を確保していたが、「ねじれ」が生じたため何もできない。ところが安倍元総理は、やみくもに続投を表明して自民党から見放され、ぶざまな退陣劇に追い込まれた。

     「無能な政治家」というのが当時の私の印象だった。それが民主党政権のそれ以上の無能に助けられ、政権を奪還して第二次安倍政権を誕生させてからは、見違えるように力を行使できるようになる。7年8か月の在任期間に6回の選挙で全勝したからである。当たり前の話だが、民主主義では選挙に勝つことがすべての力の源泉になる。

     旧統一教会と安倍元総理の祖父の岸信介氏との関係はあまりにも有名だ。その始まりは、米国CIAと協力関係にあった児玉誉士夫や笹川良一らと旧統一教会の文鮮明教祖が協力し「国際勝共連合」という組織を創立したことだ。つまり旧統一教会と岸信介氏の関係は米国のCIAをバックに始まった。

     安倍元総理の父親の安倍晋太郎氏はそれを引き継ぎ、旧統一教会と自民党議員を結び付けることに熱心だった。自民党議員の秘書に旧統一教会の信者を紹介している話を私も何度か耳にしている。

     しかし安倍元総理は父親のしてきたことから距離を取ろうとしてきた。母親の忠告があったからだという話も聞いている。そして旧統一教会側も安倍元総理との関係が始まったのは2012年からだと言っている。

     だとすると安倍元総理は第一次政権に失敗した反省から、全国8万と言われる神社を束ねる神社本庁と、右派の草の根ネットワークである「日本会議」に加え、旧統一教会という選挙集票マシーンを得て、それらを拠り所に政治的復活を考えた可能性がある。

     一方で話を戻せば、第一次安倍政権後の福田康夫政権、麻生太郎政権は第一次安倍政権の「ねじれ」という負の遺産に苦しみ、満足な政権運営ができなかった。そして2009年の総選挙では小沢一郎氏が民主党の選挙責任者として采配を振るい、農協以外の全ての業界団体を民主党支持に回すことに成功した。

    これに自民党は驚愕する。そこから業界団体より固い組織票を求める考え方が生まれる。小選挙区という政権交代可能な制度の中で、業界団体票は民主党に流れる可能性のあることが分かった。それより宗教団体の思想や主張に自民党が近づけば、固い組織票が得られる。

     こうして宗教票やイデオロギー票を獲得するための「顔」として、安倍元総理を再び担ぐ考えが自民党内に生まれた。自民党が最も恐れる小沢一郎氏は秘書が検察に摘発されて身動きが取れなくなり、それがでっち上げと思われているのに民主党は小沢氏をかばわず、一緒になって小沢氏追放の画策に乗ったから、自民党には好都合だった。

     こうして2012年の総選挙が近づくと、菅義偉氏や麻生太郎氏が安倍元総理に総裁選出馬を促し、最大派閥町村派会長の町村信孝氏や、国民に人気の石破茂氏、森元総理が推す石原伸晃氏らを相手に安倍元総理は出馬を決心する。

    総裁選を前に安倍元総理は2012年4月、後に首席秘書官となる今井尚哉氏らと高尾山に登る。失敗からの再挑戦を期す決意の登山だった。そこには旧統一教会関係者が複数同行していたと「週刊文春」が報じている。つまり旧統一教会との関係が深まるのはこの頃からだと思う。

    そして2012年に安倍元総理は政権を奪還するが、自民党は2009年の選挙の時より比例の獲得票を200万票も減らした。それでも民主党の方が国民の支持をそれ以上に失ったので政権を獲得できた。民主党は1桁違う2000万票以上減らしたのである。

    国民は民主党政権の誕生とその後の無能を見て、選挙に行く気がなくなった。民主党にはこりごりだが自民党にも入れたくない。全国的に投票率の低下が顕著になる。それは固い組織票を狙った自民党の安倍政権にとって追い風だった。

    次の2013年の参議院選挙は安倍元総理にとって「ねじれ」を解消するリベンジの選挙である。その選挙は自民党が政権を奪還した前年の総選挙より、投票率は7ポイント下回り、しかし自民党は民主党の2.6倍に当たる2268万票を獲得して勝利し「ねじれ」を解消した。

    政権は「ねじれ」がなくなれば何でもできる。麻生太郎副総理が右派のパーティで「ナチスを真似たらどうか」と発言したのはこの時である。つまり国民の投票による選挙で独裁権力を行使することは可能だと言ったのだ。

    その裏側には安倍政権が固い組織票を保持している安心感がある。投票率を上げないようにさえすれば、つまり国民が判断に迷うようなテーマを掲げて選挙をやり続ければ、自民党は勝ち続けるのだから何でもできるという意識がある。

    実際にその後の安倍政権は、「消費税先送りについて国民の信を問う」とか、「国難突破解散」とか、与野党が明確な争点を戦う選挙にしない作戦で、参議院選挙の合間に衆議院解散を繰り返し、7年8か月の間に6回の選挙をやり、それに全勝した。これが憲政史上最長の在任期間を可能にしたのである。

    その裏に旧統一教会の力があったことが今回の銃撃事件と、その後の旧統一教会と自民党議員の関係から明るみに出た。だから旧統一教会と安倍元総理の関係を追及することは、日本の民主主義がどのような状況にあるのかを国民に認識させる機会を与えてくれる。

    固い組織票を味方につければ、そして国民の投票率を上げさせない選挙をやれば、民主主義の名のもとに独裁政治をやることができる。民意が政治に不満を持てば、すぐに解散して勝利し、勝利の結果、不満はリセットされる。それが安倍元総理の憲政史上最長在位期間をもたらした。

    それを岸田総理が「国葬」の第一の理由に掲げるのなら、我々はこの問題こそ、徹底的に追及すべきではないか。

    * * *

    ■オンライン田中塾開催のお知らせ

     コロナ禍は我々の暮らしを様々な面で変えようとしていますが、田中塾も2020年9月から新しい方式で行うことになりました。これまで水道橋の会議室で塾を開催しましたが、今後はご自宅のパソコンかスマホで私の話を聞き、チャットなどで質問することが出来ます。入会金3000円、年会費3000円の会員制で、年6回、奇数月の日曜日午後の時間帯に開催しています。会員の方だけにURLをお知らせしますが、同時に参加できなくとも、会員は後で録画を見ることも出来ます。

     コロナ後の世界がどう変化していくか皆様と共に考えていきたい。そのようなオンライン田中塾になるよう頑張ります。どうかオンライン田中塾への入会をお待ちします。入会ご希望の方は、下記のフォームからご入力ください。

    【入会申し込みフォーム】

    【関連記事】
    ■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧


    <田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
     1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。

     TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。