日本は本年、戦後70年を迎える。
一つの節目である。
この機会に、歴史を振りかえろうという2つの流れがある。
一つは天皇陛下の提言である。
今一つは安倍首相を中心とする右派の提言である。
先ず、宮内庁は新年に当たり「天皇陛下のご感想」を発表したが、戦争の部分は次のとおりである。
「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。」
第2次大戦で日本はどれ位の被害を被ったのでしょうか。
『資料太平洋戦争被害調査報告』(中村隆英編東大出版)は次のように記述している。
「太平洋戦争におけ
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戦争など歴史的事実は、例えば敗戦、戦犯、従軍慰安婦、侵略などによって卑屈になり、身動きが出来なくなる必要はないが、深く反省し、自戒の念を強くすることは欠かせない。米国から押し付けられたという事実はあるが、その端的な姿勢が憲法に明記され、世界から評価され、現在の平和な社会が維持されていると見るべきでしょう。日本人は忘れやすというか、都合の悪い歴史は、実証困難を支えにして、世界で共有化されている歴史的事実を覆し、ごまかそうという体質を否定できない。私たち日本が犯した罪は極めて重く、簡単に許していただけるものでなく、何世代も謝罪し続けなければならないものではないか。戦後レジームの脱却と言って、「普通の国」とか「NOと言える日本」など様々な言葉が飛び交ってきた。安倍総理は、表面的に米国に従属性を表し、裏面的には日本独自の軍隊構想を描いており、米国など戦勝国には見え見えの政治家と言えます。最近、BS朝日で菅官房長官は憲法9条は封印し、私学の助成とか当たり障りのない憲法改正を先行させると言い出した。安倍総理の憲法改正隠しが始まったと見るべきなのでしょう。中国韓国に対する過激な発言も封印されるのではないか。経済の恩恵が国民に実感されない限り、国際世論の同意が受けられないだけでなく、日本人の同意が得られなければ、9条の改正など困難と理解し始めたということですが、あまりにも国民を馬鹿にした稚拙な憲法改正論議ではないか。
サンフランシスコ講和条約第11条に書かれていることが,極東裁判受諾のことだと思いますが,
その背景まで受諾したことにはならない,という主張がある。
http://kenjya.org/tokyo9.html
問題は「歴史認識」ではなく,「事実」がどうだったか,ということだと思う。
この議論も参考まで
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20100902/p1
いずれにしても,条約内容を否定することは,明確な記録でも裏付けにない限り考えられない。
孫崎先生のご指摘の通り天皇陛下のお言葉とは全く逆のことを安倍首相らは行おうとしていますね。天皇陛下は2013年にも重要な政治的発言をされております。
象徴の天皇陛下が政治に乗り出された背景には憲法をないがしろにする安倍政権に対するけん制の意図があると私は見て居ます。相手がルールを軽視したら自分も相応の対応をすることは道理です。天皇陛下のお言葉は民衆の利益に立脚しています。天皇陛下のお言葉に民衆は応えなくてはなりません。民衆には新しい民衆政治家を早急にプロデウースする義務がありますね。
象徴の天皇陛下だからこそ、全国民の象徴としての感想を述べられた。恐らく「この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。」と言う天皇の感想はその様な戦争の歴史の中で生を受け育った一日本人としての常識的な感想なのではないか。天皇に限らず同年代で戦後の新憲法の下で相応の教育を受けた国民に取ってある意味共通認識とも言える道徳的概念ではないか。一方右派など歴史修正主義者たちの主張は年代には関係なくあくまでも日本の正義と名誉を信じる人々で、いわば、かってのブラジル日系移民のなかにあった「勝ち組」とも言うべき集団であり敗戦やサンフランシスコ条約などの現実を一切認めずあらゆる屁理屈を付けて己の正義を信じる云わばイスラム過激派の様な(世界の共通認識からすれば)邪悪な思想であり一種の病気で死ぬまで治らない。この様な集団が日本にはびこりを無知の人々にその邪悪思想を教育し伝播して政治指導者にさえ影響力を与えている現実を憂慮し常に注意を払わなければならない。
確かに日中戦争は意味が分からないですね。グランドヴィジョンの欠如というか、目的がはっきりしない。植民地にしても売り込むものなど日本には無かったし、資源確保というような目的も希薄だった気がする。軍部の暴走といえばそれまでだが、もう少し歴史に切り込む必要がある気がする。国家予算の大半を軍事費に費やすようなことがどうして可能になったのか?日本人は日露戦争まではそれほど愚かではなかった。アヘンを資金源にするようなクズでもなかった。それがどうしてそんな風になってしまったのか、よく検討する必要がある気がする。今が必ずしも戦前と相似形とは思わない。でもあの時の愚かさや、軍部や民衆をそそのかしたものを克服しているかといえば、それはあきらかにNOだろう。ただいつの時代も庶民は自らの生活のことを考えることで精一杯だ。インテリが社会的役割を果たしていないといえるのではないか?庶民が馬鹿だと言うのはインテリの驕りだ。
「過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる。」
1985年5月8日、ドイツ敗戦40周年にドイツ連邦議会にてヴァイツゼッカー大統領がおこなった伝説的な名演説です。
感動して何度も読み返した覚えがあります。
演説の全文があったので載せておきます。
http://seiji-dangi.blogspot.jp/2014/08/40.html
戦後70年の敗戦記念日に安部総理はどんな感動を与えて下さるんでしょうか。
因みに、積極的平和とは、消極的平和に対するもので、消極的平和主義が戦争をしないこと、ということに対して、
積極的平和とは、戦争を引き起こすような貧困、レイシズム等、戦争の原因になることを国境を越えて無くしていくように不断の努力をしていこうというものです。
安倍さんの「積極的平和主義」とは大分違うような気がしますがどうでしょう。