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佐藤藤三郎(農民作家):私が「山びこ学校」で学んだこと
2013-02-16 09:1784pt農民であり、作家としても活躍する佐藤藤三郎さんは現在77歳。山形県山元村(現上山市)で育った佐藤さんは「山びこ学校」の舞台である山元中学校の卒業生であり、無着成恭氏の教え子の一人です。今回は山形の家にお邪魔し、新著「ずぶん(自分)のあだま(頭)で考えろ─私が『山びこ学校」で学んだこと」(本の泉社)に込められた思いや、現在の教育現場の問題について話を伺いました。 -
結城登美雄:日本農政への代替案「CSA」─参加と負担が担い手をつくる
2013-02-01 12:0784pt
作り手は食べものを作りながら、自分で価格を設定できない。テレビやカメラと同じようにメーカーでありながら、メーカー希望小売価格は存在しない。市場に出してみなければ値段が決まらない。
そんな農業の世界で、どうして後継者が育つのだろうか。
21世紀を目前にした2000年、我が国にはまだ389万人の農業者がいた。そのうちの66%が60歳以上の高齢世代で占められていたとはいえ、 懸命に田園に立ち国民食料を支えていた。しかし、その後も毎年
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結城登美雄:地域が「ぐずぐずと変わる」ための「地元学」
2013-02-01 11:4984pt自分が暮らす地域をよくしたいと思うのは、誰もが抱く願いのひとつだが、この国ではそれがなかなかうまくいかなかった。
都市であれ地方であれ、そこに住む人びとがいつのまにかバラバラになっていて、地域づくりの役割を行政に丸投げしてしまっていて、そのクセから抜け出せないでいる。 一方、住民から託された地域づくりの専従者である行政も、そこに暮らす人びとの声に耳を傾けることは少なく、有識者や霞が関などの暮らしの現場からもっとも遠い人びとの考えや思惑に支配され、画一的なものを押しつける結果になっているような気がする。
私は近頃つくづく思うのだが、
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結城登美雄:「ないものねだり」から「あるもの探し」へ
2013-02-01 11:1884pt人間というものは身近にあるものよりは、遠くに隔ってあるものを価値の対象にしてしまう心性をもっているという。隣の芝生がいつも青く見えてしまったり、幸せは山のあなたの空遠くにあると思い込んでしまう不思議な心理。「近代化」とは、そうした人間心理の上に成り立ってきた。先進地は西欧で日本は遅れている。だから日本をよくするためには西欧化しなければならぬと、舶来品や外来思想をありがたがり、在来の文化を低くみた。とりわけ戦後はアメリカ一辺倒のモダニズムの嵐が吹き荒れ、気がつけば合衆国日本州になってしまっていた。
人びとが生き暮らす地域のとらえ方も同じで、農山漁村は閉鎖的で非効率的で、もっと近代化し都市化しなければならぬと、村の暮らしと営みをゆさぶり続けた。その結果、
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