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記事 4件
  • 【第201号】藤子不二雄Ⓐと映画と童貞 その13 『まんが道』その1

    2018-12-26 07:00  
    220pt
    さて、今回のブロマガですが、藤子不二雄Ⓐの『まんが道』について書かせて下さい。
    ●『まんが道』とは
    「童貞」と「映画」を共通点として藤子不二雄Ⓐの作品について語る本シリーズですが、いよいよ『まんが道』について語る回になりました。
    いわゆる「漫画家漫画」というジャンルがあります。漫画家を目指す過程や道程をテーマとした漫画のことです。『かくかくしかじか』『そしてボクは外道マンになる』や『激マン!』のようなフィクションが多分に混じったノンフィクション、『燃えよペン』や『Rin』や『バクマン。』のような明らかにフィクションですが漫画家の「真実」が含まれている作品まで、多岐にわたります。
    そして、どの作品もヒットすると「女性版『まんが道』」とか「21世紀の『まんが道』?」とかいったコピーが電車内広告や単行本の帯に踊ることとなります。『まんが道』以前にも、永島慎二の『漫画家残酷物語』や川崎のぼるの『男の条件』といった「漫画家漫画」が存在していたにも関わらず、です。
    つまり現在、『まんが道』は「漫画家漫画」のマスターピースであり、ジャンルの原点であり、名作として評価されているのです。
    ●「藤子不二雄」にとっての長編・大河ドラマ
    Ⓐにとっての『まんが道』は、様々な意味で特別な作品です。
  • 【第200号】『ボヘミアン・ラプソディ』=『仮面ライダーディケイド』説

    2018-12-19 07:00  
    220pt
    さて、今回のブロマガですが、映画『ボヘミアン・ラプソディ』について書かせて下さい。なんかニコ生では上手く伝わらなかった気がするので。
    ●おれとクイーン
    43歳になる現在まで、音楽を聴くという習慣を身に着けずに生活してきた自分ですが、クイーンは比較的よく聴いていました。クイーンを認識したきっかけは『オウガバトル』です。
    『伝説のオウガバトル』は1993年にスーパーファミコンで発売されたシミュレーションRPGですが、メチャクチャハマったのです。続編である『タクティクスオウガ』には『オウガバトル』以上にハマり、2年以上プレイしていた記憶があります。
  • マクガイヤーチャンネル 第199号 【藤子不二雄Ⓐと映画と童貞 その12 「『劇画 毛沢東伝』から『プロジェクトPOS』まで――Ⓐのドキュメンタリータッチ作品群】

    2018-12-12 07:00  
    220pt
    さて、今回のブロマガですが、ちょっと趣向を変えて、藤子不二雄Ⓐが描いてきたドキュメンタリータッチの作品群について紹介させて下さい。
    ●Ⓐによるドキュメンタリータッチ
    『シルバークロス』の回で少し触れましたが、Ⓐには「ドキュメンタリータッチ」とでも呼ぶべき作風の作品群があります。また、そのような作風を様々な作品で部分的に使っています。
    最初にこれが用いられたのは『シルバークロス』の冒頭です。「悪の組織」である、スケルトン帝国の説明が、ナレーションと印象的な画が組み合わさったコマ割りを徹底し、ニュース映像を模した形式で行われるのです。この部分が描かれたのは1960~63年の連載時ではなく、後年になって単行本にまとまる際に描き足された可能性もあるのですが、キャリアの早い段階からこのような作風を部分的に取り入れていたわけです。
  • マクガイヤーチャンネル 第198号 【藤子不二雄Ⓐと映画と童貞 その11 『少年時代』その2】

    2018-12-05 07:00  
    220pt
    さて、今回のブロマガですが、先々週に引き続き藤子不二雄Ⓐの『少年時代』について書かせて下さい。
    ●『少年時代』と当時の少年漫画誌
    当時の「マガジン」は、『釣りキチ三平』や『おれは鉄兵』が人気を博していたものの、発行部数で「ジャンプ」はおろか「サンデー」や「チャンピオン」に負ける長い低迷の時期にありました。60年代後半~70年代前半にヒットし、部数を押し上げる要因となった『巨人の星』や『あしたのジョー』といったスポ根マンガに代わるヒット作を見出せなかったのです。
    『少年時代』が連載されたのと同じ78年には、『翔んだカップル』『1・2の三四郎』などの連載がはじまり、これらが少年漫画誌界において「マガジン」が復権するきっかけとなります。
    一方、当時のジャンプは『東大一直線』『すすめ!!パイレーツ』『ドーベルマン刑事』『リングにかけろ』などがヒットし、公称発行部数が200万部を突破しました。少年漫画誌のトップランナーの位置を確固としたものにしていたわけです。現在も描き継がれる『キン肉マン』の連載がはじまるのは翌1979年だったりします。