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2015年11月の記事 10件

マクガイヤーチャンネル 第42号 【遺言 その6】

さて、前回のブロマガの続きです。 去勢、断種、宮刑――もともと、ヒトがヒトに対して行う不妊手術は、刑罰として施行されていました。 およそすべての生物の目的は、自分のコピーをできるだけ世の中に増やすことです。ヒトも生物の一種族である限り、遺伝子が訴える「産めよ、増やせよ」あるいは、「産めよ、殖えよ」というテーゼからは逃れられません。だからこそ生物はセックスに快感を覚え、セックスしたいという欲望が本能として備わっているわけです。 ちなみに、前者の元ネタである後者のスローガンは、その後「地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と続きます。自らのコピーを増やすことが覇権に繋がる。増殖によるヘゲモニー。人口増加が民族の力に繋がり、国民国家の力となるわけです。 だからこそ、コピーの禁止が刑罰となったわけです。 しかし、文明が発達し、社会や価値観が複雑になるに連れて、自ら不妊手術を選ぶ者も出てきました。 たとえば宦官です。 古代オリエントや中国において官僚は特権階級でした。貴族でない庶民が富や権力を得るためには、科挙と呼ばれる競争率の高い採用試験を突破し、官僚になるしかありませんでした。

マクガイヤーチャンネル 第42号 【遺言 その6】

【再掲】遺言 その5

分子時計という概念をご存知でしょうか? ヘモグロビンは血中での酸素運搬に関わる蛋白質です。酸素呼吸をする生物ならどんな生物でも必ずヘモグロビンを持っています。 ヘモグロビンは約140個のアミノ酸が直列に結合した蛋白質で、生物ごとに、アミノ酸配列に若干の違いがあることが知られています。たとえば、ヒトとゴリラは1個、ヒトとウマは19個、ヒトとイモリは63個のアミノ酸が異なります。 一方、化石から、ヒトとゴリラは約650万年前、ヒトとウマは約7000万年前、ヒトとイモリは約3億6000万年前に、種として分岐したことが分かっています。 1962年、ZuckerkandlとPaulingは、ヒトとその他動物とでヘモグロビンのアミノ酸が異なった数を縦軸、分岐した年代を横軸にとった二次元グラフをプロットしました。 すると、なんということでしょう、プロットが一直線上に並ぶではありませんか! 共通祖先の化石が発見されていない生物でも、ヘモグロビンのアミノ酸配列を調べて、このグラフにあてはめれば、いつヒトと分岐したか推測できる――これが分子時計の基本的な考え方です。 アミノ酸配列はDNA配列によってコードされており、こちらを調べる方が簡単で、情報量も多くなります。 その後、DNAシーケンサーと、そこから生み出されるデータを解析するコンピューターの発達・低コスト化により、DNA配列を比較することで種の分岐や起源や移伝播を調べる研究は大規模化・一般化していきました。生物ごと、遺伝子ごと、DNAの部位ごとに突然変異が起こる確立――塩基配列置換速度が異なることや、地域や年代で塩基配列置換速度が異なる可能性があることなどが分かってきましたが、比較する遺伝子をエビデンスのあるものに限定したり、時には染色体まるごと、ゲノムまるごとを比較することで、この種の研究――分子遺伝学や分子系統学と呼ばれる学問は発達していきました。

【再掲】遺言 その5

【再掲】遺言 その4

ヒトが属する分類群である哺乳綱霊長目の動物――霊長類は、一夫多妻制もしくは多夫多妻制をとっている動物が多いです。たとえばゴリラは一夫多妻制、チンパンジーは多夫多妻制、オランウータンは緩やかな多夫多妻制をとっています。テナガザルのように一夫一妻制をとる霊長類は、どちらかといえばマイナーな部類に属します 一夫多妻制と一夫一妻制をとる動物の違いとして真っ先に挙げられるのはオスとメスの体格差です。 昆虫の多くがそうであるように、本来、子供を産む性であるメスの方が、体格が大きくなり易い性質があります。しかし、卵生にしろ胎生にしろ、メスの方が卵子の形成や出産に時間やエネルギーをかける必要があります。なにしろ、卵子は精子の何十倍も大きいのですから。 つまり、メスは卵子や胎児の育成に忙しく、オスはそうでもない。すると、オスの方が繁殖にあぶれ易くなります。 あぶれたオスは何をするか――メスを巡って競争します。この競争が物理的肉体的な闘争、すなわちケンカとして現れた場合、体が大きく力の強いオスが競争に勝ち、体が大きく力の強い形質が子孫に受け継がれ、体が大きく力の強いオスがどんどん増えることになります。結果として、メスよりもオスの方が体格が大きくなります。ライオン、オットセイ、ゾウアザラシ……これらはどれも一夫多妻制をとり、オスの方が体格が大きい動物です。

【再掲】遺言 その4

【再掲】遺言 その3

ソーシャル・ネットワーキング・サービス――SNSが身近なものになるに連れ、我々は「友達」という言葉が持つ意味について考えざるを得なくなりました。 「友達」「ともだち」「トモダチ」……SNSでの人間関係は、そういった言葉で可視化されます。 一度も会ったことないけれど、SNS上で深い話をする相手は「友達」なのか? 毎日家庭や会社で会うけれど、心の奥底を決して明かさない相手は「友達」なのか?タグ付けし、グループ分けし、順位付けする対象は「友達」なのか。それは、脳内で行っている人間関係のプライオリティの可視化に過ぎないのか。自分が友達と思っていた相手は、自分のことを単にSNSでフォローしている人間としか認識していないのではないか。あるいはその逆は? 一人前の社会人として認識される年齢の大人が、フォローする・しないで揉め、「いいね!」や「イイネ!」や「スター」をつける・つけないで悩み、「足あと」があるのにコメントの少なさに落ち込む。まるで女子校生のような人間関係の悩みに、40、50、時には60代のおっさんが直面する……そして、後に待つのは「友達」という言葉のゲシュタルト崩壊です。人間は、生まれる時も死ぬ時も一人。咳をしても一人。そこまで達観して生きられるのなら、そもそもSNSなど利用しないのです。

【再掲】遺言 その3
マクガイヤーチャンネル

Dr.マクガイヤーがニコ生チャンネルを開設!映画・アニメ・おもちゃ等、オタクカルチャーを楽しくわかりやすく解説します。月2回の生放送と毎週メルマガをお送りします。

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Dr.マクガイヤー

「ゲロとレイプがある映画は傑作である」と言い切るアラフォーオタク。 ボンクラ映画をこよなく愛する正体不明の冒険野郎。番組中の白衣は自前だ。 番組が気になった人はブログを訪れてみてもらいたい。きっと目眩がすることでしょう。 「冒険野郎マクガイヤーブログ http://d.hatena.ne.jp/macgyer/

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