二人は70年代の東映やくざ映画のスターである。そして二人が演じたのは近代化の流れに乗って世渡りする「勝ち組」ではない。近代化で失われていく地縁、血縁を守り通そうとする「負け組」の一人である。それが「勝ち組」の横暴にじっと耐え、最後に意地を貫く。その生き様が全共闘世代の若者たちに熱烈に支持された。
その世代は今や高齢者。日本政治の最大課題である少子高齢化問題の渦中に存在する。そして青春時代に政治の季節を送った世代が政治への興味を失っているとは思えない。日本の政治があらゆる意味で過渡期を迎えている今こそ立ち上がるべきはその世代である。
実は日本の政治はこれまでの見方を変えなければならない転換期にある。それが前回と前々回の投票行動に読み取れる。これまで地方は圧倒的に自民党を支持する保守の牙城、革新勢力は都市部が拠点と思われてきた。また「無党派」は都市部の若者に多いと見られてきた。ところが05年の郵政選挙以来、そうした常識は通用しなくなっている。
小泉総理は自民党内の反対派を切り捨てるため、都市部の若者に迎合する選挙を行って大勝した。風を吹かせて「無党派」を積極的に自民党に引き付けたのである。自民党大勝の結果、小泉構造改革と呼ばれる新自由主義の政策によって、都市と地方の間に格差が生まれ、日本社会は「勝ち組」と「負け組」の二極構造になった。
その反動が09年の選挙に現れる。政権交代を争点とした09年の総選挙の投票率は平均で69.28%と現在の選挙制度が施行されて以来の過去最高を記録するが、その平均をさらに上回ったのはいずれも地方の選挙区である。47都道府県のうち30の道と県が平均を上回り、地方の関心の高さをうかがわせた。それが自民党から民主党への政権交代を実現させたのである。
私はその選挙で、自民党の牙城である福井県を現地取材したが、自民党候補を支援した業界団体は農協しかなかった。民主党がマニフェストにアメリカとの自由貿易協定を盛り込んだからで、他の業界団体はみな自民党への支援を見送った。
そして地方の保守層を動かしていたのは、小沢一郎氏をはじめとする旧自民党議員たちの民主党への合流である。菅、鳩山の二枚看板では民主党に投票する気にはならないが、小沢氏らがいれば支持できる。それが地方保守層の本音だった。自民党から政権を奪うには自民党支持者を自民党から引きはがさなければならない。その可能性が小沢氏らの合流で生まれていた。
ところがマニフェストになかった消費増税を巡って小沢氏らが民主党を離れ、消費増税を実現する三党合意を巡って行われた2年前の総選挙では、有権者が09年の総選挙と全く異なる投票行動に出た。まず投票率が過去最高から過去最低に落ち込んだ。多くの有権者が選挙に背を向けたのである。 投票率の落ち込みは地方ほど、特に自民党の牙城と見られた地方ほど大きかった。反対に都市部の投票率は下がらなかった。東京都の投票率は09年の総選挙では47都道府県中44位。平均より3ポイント低い66.37%だったが、2年前の総選挙では平均より3ポイント高い62.2%で、47都道府県の上から8番目にランクされた。つまり39の地方道府県が東京都より低い投票率になった。 09年に比べて投票率を最も下落させたのは富山県である。次いで北海道、鹿児島県、青森県、福島県、石川県と続くが、これが何を意味しているか極めて興味深い。自民党に政権が戻った選挙で、自民党が強い地方の有権者ほど積極的に選挙に行かなかったのである。ところが結果は自民党が大勝した。公明党と合せて3分の2を超す勢力を確保する。それが低投票率によって達成されたと考えれば、大量議席も砂上の楼閣に思えてくる。
一方、投票率を年代別にみると、最も投票率が高いのは09年も12年も60代である。次いで50代、40代と続くが、要するに「健さん」と「文太」の映画を熱烈に支持した世代が最も政治に関心を抱いている事が分かる。
政党支持構造を研究している埼玉大学の松本正生教授は、今や60代の有権者こそが「無党派」で、彼らの投票行動が政治を左右すると語っている。地方の高齢者イコール自民党支持の時代は終わった。保守支持層イコール自民党支持の時代も終わった。しかしそのような時代は始まってからまだ10年もたっていない。だからまだ過渡期である。しかし日本の政治構造は間違いなく流動化している。
今回の総選挙の最大の特徴は、解散を仕掛けた安倍政権が選挙に風を吹かせないようにし、投票率を下げさせることを目的にしている事である。創価学会の固い組織票に守られた安倍政権はそれで延命を図ろうとしている。
その構造に風穴を開けられるのは誰か。私は「健さん」と「文太」を熱烈に支持した世代にその可能性があると思う。特に地方に根付いて生きてきた高齢者ほど、グローバリズムに乗せられて「勝ち組」になろうとする風潮に対し、意地を貫き通した「健さん」や「文太」の生きざまを理解できるのではないか。私は「健さん」と「文太」を胸に今回の選挙に向かうつもりでいる。
■《甲午田中塾》のお知らせ(1月27日 19時〜)
田中良紹塾長が主宰する《甲午田中塾》が、1月27日(火)に開催されることになりました。詳細は下記の通りとなりますので、ぜひご参加下さい!
【日時】
2015年 1月27日(火) 19時〜 (開場18時30分)
【会場】
第1部:スター貸会議室 四谷第1(19時〜21時)
東京都新宿区四谷1-8-6 ホリナカビル 302号室
http://www.kaigishitsu.jp/room_yotsuya.shtml
※第1部終了後、田中良紹塾長も交えて近隣の居酒屋で懇親会を行います。
【参加費】
第1部:1500円
※セミナー形式。19時〜21時まで。
懇親会:4000円程度
※近隣の居酒屋で田中塾長を交えて行います。
【アクセス】
JR中央線・総武線「四谷駅」四谷口 徒歩1分
東京メトロ「四ツ谷駅」徒歩1分
【申し込み方法】
下記URLから必要事項にご記入の上、お申し込み下さい。21時以降の第2部に参加ご希望の方は、お申し込みの際に「第2部参加希望」とお伝え下さい。
http://bit.ly/129Kwbp
(記入に不足がある場合、正しく受け付けることができない場合がありますので、ご注意下さい)
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■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧
http://ch.nicovideo.jp/search/国会探検?type=article
<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。
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田中さんのご意見には毎回腹に落ちる思いで拝読していますが、こと今回の選挙に関しては自民党(というより安倍首相)の目論見が当たるのではないかと考えています。理由については様々な要因があると思いますが、最大の要因は野党が既に全滅状態にあり、自分たちの投票行動(意見)の受け皿にはなり得ない(特に民主党)とバレてしまったということではないかと考えます。
何より野田政権と現在に続く民主党が行なった消費税増税劇につながる余りにも無邪気な「賢人政治」を気取った「投票民主主義」を否定した行動によって「何を言ってもムダ」というあきらめを国民に植え付けたのではないかと考えます。
さらには今回の自民党の公約にも両翼の公約が混在するなど、ある意味「股裂き」的な要素もあり、よけいに投票意欲を減退させています。
ここ数年の動きをたどると大正デモクラシーから大政翼賛会の成立までの動きに相似形を感じてしまうのは考えすぎでしょうか?
昭和初期の軍部を広義の官僚機構に置き換えるとあまりの相似形に慄然としてしまいます。
ただこれによって「戦争へ一直線」等と無邪気な言説には与できませんが、もっと最悪な「国家破綻」も視野に入るのではないかと思います。「国家の滅亡は財政によって起きるのではなく、その統治機構が民衆から信頼されなくなった時に起こる」との意見もあります。
願わくはこの選挙が現代の大政翼賛会を成立させ、選挙という欲と希望にまみれた崇高な競争と意見のぶつけ合いという選択肢を否定する者達が国家ハイジャックを成立させた選挙と評価されないことを祈るのみです。
今日は投票日、残念ながら、「健さん」、「文太」の時代は終わったのではないか。敢えて、「健さん」、「文太」を選ぼうとすると、生活の党、社会党、共産党しかない。自民党は様々な主張の人が集まっているが、政府の方針に明確に反旗を翻す人はいない。民主党ほかの政党は、自民党的から社会党的まで幅が広いうえ、自民党に対抗する政策を国民に提示することができない。まとまらないのである。政権をとる前から、自民党と競争するのでなく、身内で正当性を争うことのほうが大切なのです。自民党と勝負することに意義があるのでなく、身内で言論で勝負することを好み、国民を度外視しているといえる。勝負するところが間違っているのです。野党が弱いことは、自民党にも良い結果をもたらすことなく、日本にとっても好ましいことではない。残念なことであるが、現実の姿はそのままうけいれざるをえないのでしょう。