<菊地成孔の10日間・後編~エッフェル塔の下で大谷君と「エッフェル塔!」ってTIMマナーじゃダメっすかでも必死だったんですよこれでも(まだウィルス性の急性胃腸炎付き)>
*こちら後編です。前編(2/25〜3/2)及び前編のフォトレポートも併せてどうぞ。*
3月3日(dimanche/パリ滞在3日目)
オムスが2時半ホテルピックアップで帰国してしまう、という事で(因みに高見Pは午前中の便で既に空港に向かっていた。日本で火急の用件など無いのにどうしてだ?笑)みんなで市内観光に行く事にした。いくらイルでドープでクール(IDC大塚家具)なヒップホップクルーとはいえ、初めてのパリを前に、お上りさんなんかにゃならないね。という訳には行かない。
昨日、さほど深酒もせず、症状もみな止まったので、意気揚々とガイド役になった。ホテルはビラケム駅前で、少なくとも5年前まではその表示が無かったのだが、メトロの路線図に「ビラケム(トゥール・エッフェル)」と添えてあった。ここからメトロの6番に乗ってモンパルナス・ビエンヴェヌーで4番に乗り換え(例の歩く舗道なんかに乗っちゃったりして)、サンジェルマンデプレで降りる。
オムスがレコ屋に行きたいらしく、そんな事なら小西(陽晴)さんに良いのを50個ぐらい聞いておいてやったのにと思うばかりなのだが、漠然とバスチーユにありそう。といった、いかにもありそうな話で(「東京に行ったら、シモキタザワという街に良いレコ屋があるらしい」といった事だこれは)、さーてどこにあるかなと思ったら、実は昨日もう高見Pと行っていて、今日の目的はレコ屋ではなく、土産が買いたいのだそうだ。
そうかそうか。という事で、コースは一気に「デプレ教会→老舗ビストロでランチ→ラデュレ・ボナパルト(デプレにある支店。本店はマドレーヌ)でマカロン選び放題」と、本当にお上りさんのようになったが、何せオムスと大谷君である。はとバスツアーだろうとイルでドープでクール(IDC大塚家具)にライディングするのである。
あんまり書いてオムスに伝わり、オムスが恥ずかしがったりしたら可哀想なのだが、とにかくオムスの可愛さ(と、大谷君の独特さ・笑)はハンパなく、メトロ名物のストリートミュージシャンを見ればiPhoneで録音して「これ、次のアルバムに入れちゃおう」と嬉しそうにするし、デプレ教会の中で「あれが懺悔の箱だ」と言えば「おおお」と仰け反るし、「あれがマリア様だ。入り口から見ると祭壇の奥に立体的に浮かび上がるようになってるんだぞ」と言えば、iPhoneで写真を撮り「マリア(SIMI LABの女性MC。本名マリアンヌ)に見せてやろう」と言うので、オマエ昨日、高見にマジで養子になれって言われなかった?と確認しそうになる。
大谷君はデプレ教会に入るや否や、奥様もブッチ切って一瞬で姿が見えなくなり、まったく予測の出来ない導線を描いて(笑)そらジローよろしく中を飛び回った。大体ああいうのはコースがあって、デプレ教会は半時計回りに一周するように出来ているのだが、大谷君は斜進行でクロスしたり、一度行って戻ったり、天才の筆先としか言いようがない。
デプレの老舗ビストロといったらポリドールかオー・シャルパンティエかリップだろうが、ここはフィガロの最新パリ特集にピックアップされていた。という40代女子のような根拠で(笑)、オー・シャルパンティエに行く。若干異様な集団なのだが(写真でご確認頂きたい)12時半に入店し、一応フランス語で対応したので、奥壁際の良席に通される(着席後20分でパンパンの満席に成った。セーフ)。
軽く眠かったので全員の全皿を記憶していないのだが、自分はスープグラタンロニョン/仔牛のミルクの煮リ・ブラン(白飯)添え/ラムババと、軽く胃に気を使った3皿にし、リ・ブランはステック・フリット(ビフテキとフライドポテト)を注文したオムスに喰ってもらう事にした。
酒飲みの大谷夫妻はランチからメゾンの白ワインをブテイユで頼み、オリーブとサラミの盛り合わせで昼からゆっくり飲もうという浅草もしくは元町な構えに出たが、ビストロのランチは戦争のようになり、皿はどんどん来てしまうので、飲んだり喰ったりの大騒ぎに成った(笑・とはいえまったく慌てない。大谷君が慌てたのはショコラを喰って血糖値がおかしくなった時以外、一度も見た事が無い)。
別段死ぬほど旨いという訳でもないし、観光食堂だねオワコン。という事も無い。実際にこのランチタイム、我々の日本語(と少々の英語)以外はフランス語しか聴こえなかったし、地元民とおぼしき老人や家族連れが多かった。食材の品質はどれも素晴らしく、ルセットも趣味良く、「うんわー」と驚いたのはデセールのラムババ(ハムババと言わないと通じない)が、もうひたひたのズッパで、シロップ入りのホワイトラム(ほとんど生(き)の状態)がショットグラスにストレートのラムを2杯ぐらい飲んだのと同じぐらいあった事だけだ。驚いた勢いで昼間から全部飲んだ(これが後の悲劇を呼ぶ・笑)。
しかし、20代で初めて行ったときの感動はもうまったく無い。これは今回のテーマである。ヒトラーが何度電話をかけようと、パリはもう萌えていないのである。これは自分が黄昏れたとか、何度か来て飽きたとかいった話しではなく、東京の水準が上がりすぎたのである(正直、「上がり過ぎ」だと思う。あのミシュランさえもハイになって花咲か爺さんの様に木に登って星をバンバン振りまいているのである)。
一番新鮮で旨かったのは日本ではなかなかお目にかかれないトレイニャック(ガス無し鉱水)で、昼過ぎからデプレで、ラムでかっかした喉と胃に、冷たいトレイニャックを流し込んでボヤーっとする。等という事は今まで一度も経験が無かったのでとても良い気分だった。
その後、ラデュレ・ボナパルトでマカロンをどかっと買い(奇麗な日本人女性スタッフがいます)、大谷夫妻は残して自分がタクシーでオムスをホテルまで送った。「オムスー、妙な現場に呼んじゃって悪かったな」と言うと、マジ顔で「とんでもないっす。超楽しかったっす」と言ってニッコリ笑った。「3月の渋谷もよろしく頼むわー」「はい、よろしくお願いします」。ああ、オムスのような才能と奇麗な心を持った息子が欲しい。そして「親父ざけんじゃねえ」とか言われてバットで襲撃されたい。
オムスをホテルで見送り、大谷君とは夜の8時からポンピドゥーに行く事にしたので(かなり気合いの入ったダリ展をやっていて、連日満員なのである。我々が行かずして誰が行くというのだ)、一人で散歩がてらオルセーに行く事にした。ご存知プルミエのディマンシュは美術館がタダである。外には名物の行列ができていてディズニーランドのようだったが、滞在中、この列が最も日本語と韓国語の聞こえる場で、お洒落フランス人(フランス人はお洒落とお洒落じゃないのがきっちり半分ずつぐらいいて、完璧な格差を見せるのだが、お洒落じゃない方が卑屈、とかいった事が全くない。というかお洒落の方がビクビクしているように見える)が、もっとも沢山いた。日本人はみんなオタクさんの喋り方で、韓国人はみんな死ぬほど図々しかった(数メートル先に韓国人がいるのを見つけると、5〜6人がそこまで全速力で、手にドリンクとフードを持ったまま駆けつけて自己紹介する。とかは、まあ当たり前ですね)。つまり平均的である。
とはいえ5時に閉まるので30分もいられない。オルセーに行ったら必ず逢う事にしている6点(写真参照。ドガとかマネとかじゃないんですねー)に逢って、「久しぶり。変わらないね君。奇麗だ」とか何とか、辻人成さんのような事を語りかけ、、、あれ?、、、なんかピーゴロゴロとかいう音が聞こえるんですけど。誰か昔のパソコンで通信でもしているのでしょうかピーゴロゴロ。えーっとあのう、吐き気の様なあ、ものがあ(笑)、してきた気がするんですね(笑)。
やばいやばいやばい。走ってオルセーを飛び出し、急いでタクシーに乗り、部屋に突入し、コートのまま下を脱いで(以下自粛)。
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