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記事 3件
  • <菊地成孔の一週間/スパンクハッピー活動再開に向けて/4月第1週~4週>

    2018-04-23 13:00  
    220pt

    「もう<写真撮り飽き>の話はいいよ」とおっしゃられるだろうが、今回とうとう、ローストビーフの写真以外、全て自分で撮っていない、まあ、実際のインスタグラムもそんなものかもしれないが。

     

     とうとう、「今週の」とか言いながら4週ぶち抜きになったが(予想通り、、、、申し訳ない)今、私が何をしているかというと、圧倒的にスパンクハッピー活動再開の準備で、余った時間で仕事をしているにすぎない。

     

     もちろん、手を抜いているというわけではない、そのぐらスパンクハッピーの活動再開は大仕事で、我ながら、いつもながらだが海苔でやってしまい、失礼、ノリでやってしまい、これはDC/PRGの活動再開も同じである。私の人生は完全な、完膚なきまでの受動性(周囲からの期待や外圧)と、完全な、完膚なきまでの直感、この両輪で動いている。

     

     今、スパンクハッピーの活動を再開する必要性がどのぐらいあるのか全くわからない。だがそれはDC/PRGの活動再開(嵐の野音)と同じで、初めてしまうと、物凄い運命の求心力がでっかい工業用ドリルみたいに動き出して、あらゆる事を生み出し続け、正当化してしまう。活動再開を決め、まだラジオでしか発表していない段階で、ラジオを聴いたわけではない企業から、いきなりタイアップキャンペーンソングの話が来た。

     

     今、1曲録り終えたところだ(もう商品として売れる状態)。情報解禁まであと数週間だが、そういう訳で、デビュー曲がいきなりキャンペーンソングになる。楽曲は相方と作っており、これが一期、二期と、今回の三期にして最終期を大きく分ける部分だ。相方はアレンジも打ち込みもできる。

     

     つまり、作曲とアレンジは全曲相方との共作、作詞はほとんど私、そしてスタイリングとステージアクトは全て私がやる(相方は、もう1流の音楽家だが、ファッションセンスとステージアクティングにちと弱い、特に後者)。

     

     今は、随分と久しぶりでコレオグラフを構築中である。コレオグラフを構築するための身体に作り変えないといけないので、指の第一関節から全身のストレッチをやり直し、体重を落としながら筋力、特に下半身の筋力を作り直している。今期からは、コンテンポラリーダンスの動きがスパイス程度に入ってくる。ゆっくりとすごく無理な姿勢をとるのは55にはキツい。

     

     とまれ、4曲ともかなり踊れるダンスミュージックで、さっと嵐のようにやって引っ込んでしまうので、スパンクハッピーのときはダンスタイムだと思っていただいて良い。ものんくるだとかオーニソロジーを聴くときはじっくり耳を傾けてほしいが。一番どうして良いか困るのがJAZZDOMMUNISTERSだと思う。予告しておくが、ビートのインプロビゼーションしかしない。暴動を起こすのが最適であろう。

     

     時効というかなんというか、二期の時も私は結構しっかり全身分のコレオグラフを作ったのだが、岩澤ひとみさんが、ボックスを踏むだけでぐるぐるバットのようにドサッと床に倒れて泡を吹いてしまう人だったので、足の止まったフラダンスかパラパラみたいな、例の手踊りになった。今期、相方がどのぐらい踊れるのか全く未知数で、これからスタジオに入る。ちょっと怖いが楽しみである。

     

     デビューステージは5/13の「GREAT HOLIDAY」になるが、前述の新曲を含めて4曲だけ出演する。2曲は旧レパートリー(二期より)である。ここんとこラジオで毎週言っているが、スパンクスと言わずどこと言わず、「GREAT HOLIDAY」では応援ボードを作って欲しい。バンドが変わるたびにワッと変わったりするとぶち上がり感がハンパないと思う。

     

     枕詞はなんでも良い、「LOVE(愛)」「VOTE(投票)」「BET(博打で、賭け金を置くこと)」「SUPPORT(支持)」「FUCK(愛)」「BUY(買う)」「PISS OFF(とっとと引っ込めバカ)などなど、例えばFUCK DC/PRG」とか「LOVE SARA LOVE」とか、でもなんでも良い。アイドル産業のボードなんかものすごいことになっているだろうから、何語でどう作っていただいても構わないが、例えば「推しメン」の「推す」は「RECOMMEND」「NOMINATE」あたりが正しいような気がする。私がファンなら「VOTE KEMONO」「BOYCOTT 谷王」の2点張りである。「谷王不買運動」のボードが上がったりしたら、谷王が喜びすぎて何をしだすかわからない。
     

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  • ペンギン音楽大学生徒募集のお知らせ

    2018-04-13 18:00  
    菊地成孔です。長らく新入生(正規入学、短期ワークショップ共に)の募集を行わなかった、ワタシの私塾「ペンギン音楽大学」ですが、以下の3つのクラスを4年ぶりに生徒募集いたしますので、応募される方は
    pendai1804@gmail.com
    まで、タイトル「ペン大入学希望」として、メールをお送りください。詳細に書いた要綱をお送りいたします。(稀に、こちらから送信した要綱が、迷惑メールに振り分けられることがありますので、メールをいただいた後は、迷惑メールもチェックしてください。基本的には、入学希望メールを頂戴してから、要綱の送信は数日以内には必ずお送りいたします)

    <ペンギン音楽大学2018年度新規募集>
    すべてのクラス、曜日内でのスケジュール変更、入学時、手続料、初回から6回分(←これは入学金ではなく、最初の6回分の前払いです、以後、授業ごとのお支払いと成ります)を支払うことを了承いただける方

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  • <菊地成孔の一週間/2018年3月第4週>

    2018-04-13 10:00  
    220pt

    3月23&24日

     

     

     一週間の出来事のうち、たった二日しか写真が撮れていないというのは、いよいよもう「ノンフォト・インスタグラム=一番最初の頃のウエブ日記」に向かうしか無いのか、と思う訳だが、もし脱会者が急激に増えたら、もうしょうがないので、カメラマンを雇い、常にスマホで写真を撮って貰う事にする。スマホの自撮り機能に対するアゲインストである(ウソ)。私は長い間、いわゆる自撮りは鏡に映してやって来た。その頃から、「左右反転は面白いけど(ブログの写真を見てライブに来た人等が違和感を感じるだろうから)、なんかこう、ビデオカメラみたいに、自分でモニターが見れるデジタルカメラが出ないかな?」と思っていたら、出た(まあ、スマホの自撮り機能に押されてくっ付けただけ)。即購入してみたら使いづらいわ特に良い事もないわ、すぐ使わなくなってしまった。スマホの自撮り機能はもう便利過ぎて凄過ぎて、逆にもうアップアップである。竹槍で良いし、最近は竹槍も尽きた。

     

     昔日人々は、まず言葉を発し、そこから誘導的に連想される写真やイラストを添えて来た。それが逆転しているのが現在である。この点だけとれば、一見現代は非常に良い時代になったと思われる。言葉=屁理屈=男性的=無力、よりも写真=感覚的=女性的=有力という、80年代が盛んに夢見ていたユートピアである。当時はこの理念を、テクノロジーの整備ないまま強行し、つまり、いたずらに言語的な意味の繋がりを疎かにし、図像のインパクトで何かを語ろうという、よくわからないモダンアートもどきの現象(作品ではない。具体的な作品も遭ったけど)がメディアに横溢した。一言で言えばエリートの時代である。エリートは理念を試験的に実行する権利を持つ。

     

     現在、その「整備」は、エリートから大衆の手に渡った。彼等はまず「良い写真」を撮ってしまい、そこから誘導的に連想されるテキストを添えている。いま、インスタグラムに小説を連載し、その挿絵としての写真を自分で撮影して添える者がいたらかなり斬新だろう。

     

     しかし、では現在は、80年代が夢見た事が女子中学生にまで定着した、素晴らしい時代の実現した姿なのだろうか?答えはギリギリで否である。言葉優位から、写真優位へ、というのは発達ではなく単なる変化である。つまり、何も変わっていない。写真家は変わらず言葉が不自由であり、小説家は変わらず写真に不自由である。求められるのは常に越境者しか無い。この事は現在、当サイトの動画コンテンツ「ポップアナリーゼ・リローデット」で、「教養主義と無教養主義の融合」として追求されている事や、過去、私と大谷能生と慶応義塾大学で展開した、後に「アフロディズニー」にまとめられる視聴覚の追求とほぼ同じだ。

     

     写真(視覚情報)中心主義には、社会的に盲者を排除するという構造的な欠陥がある。「いや、それは液晶画面上の言葉も一緒でしょう?」という反駁はあるだろうか?無いと思いたい。言葉は音声に容易く変換出来るが、写真を言葉に変換する事はできない。私はさっき、最終スパンクハッピーの歌詞を書いていた、その中に「目の見えないお洒落なアタシはインスタグラムが出来ない」というフレーズを入れたばかりである。当初の案では「目の見えないアタシはお洒落が出来ない」としていたが、どうも釈然とせず、切り替えた瞬間に総てが納まった。
     

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