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  • <ビュロ菊だより>No.112「 私の好きな水の味を日本人は好まないらしい+」

    2016-08-15 10:00  
    220pt

    <浜崎容子さんのライブのリハーサルに行った。私の劣等感にこれほど着火する女性はいない> 

     

     私が短躯コンプレックス一般名チビコンである事はどなたも御存知であろう。同症者(インフェリオリティ・コンプレックスは、はっきりと症名である)にマイルス・デイヴィスがおり、アドルフ・ヒトラーがおり、佐山聡がいる、私は先達から多くを学ばなくてはならない。 

     

     気がついたら「どうせママゴトだ」と思いながら会社の代表取締役になっていた事に気がついた時は、大袈裟でなく、失神するかと思った。「会社の社長や、大きな仕事をする人、人の上に立つリーダーには背の小さい人が多い」という一般論があり、明言してこそいないが、これは短躯コンプレックスの症状を一覧しているのである。 

     

     浜崎さんはクラシック・バレエを習っていたそうで、原理的には現在、誰でもクラシックバレエを習う事は出来るが、浜崎さんはカリカチュアライズの世界を生きており、つまり、「絵に描いた様な」クラシックバレリーナ中座派、のスタイルを持っている、神田うのである(因に、米倉涼子もそうなのだが、彼女は「絵に描いた様」ではない。喫煙経験も早く、バレエ修業時代にも友人にヤンキーが多かった等々、変わり種だ)。 

     

     写真をご覧頂ければお解りの通り、スタジオはガラス張りで、二人並んだとき、私は彼女が飼っている、スーツを来たチンパンジーではないかと思った。とても狭い社会で噂になっている「サード・スパンクハッピーが、浜崎容子ヴォーカルで結成されるかも知れない」という噂が実現するとして(あくまで仮定である旨、強調させて頂く)、音楽を完全に抜いたとしても相当に良いと思う。短躯クールというのは、少なくともポップミュージックの世界では滅多に見られる美学ではないからだ(ウディ・アレン映画の様に、映画界では昔からあったものだが)。 

     

     岩澤さんは私よりも小さかったのは御存知であろうし、現在共演する機会の多い吉田沙良さんは実寸的には私よりも大きいが、フラットシューズで、前のめりのフォーム、つまりファンキースタッフであり、大きい事がちょっと嫌であるかのような雰囲気さえある。I.C.Iはすらっとしているけれども、実のところ、私よりは若干小さい。小田朋美さんは私より小さく、これで私が「でっかいバンドのリーダーが一番背が小さい」という、症状を緩和してくれている。dCprGがナチス美を持たないのは、第一にはヴァイブスも音楽の内容も違うからだが、「集団スポーツの監督が、選手より小さい」という図が一般性を持つからであろう。 

     

     ハイヒールを履いて、背筋をぴしっと延ばした、実寸的にも私より大きく、(少なくともステージでは)威圧的でS的な浜崎さんは、私のチビコンを刺激するという事以上に、ある可能性を秘めている。集合的劣等感を刺激されるのは確かに嫌な物ではあるし、私はマゾヒストではないので、ひーひー喜ぶ事も出来ないが、ファインデザインにする事は出来る。
     

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  • <ビュロ菊だより>No.111「刺青を入れさせてくれマドゥモアゼル+」

    2016-08-07 10:00  
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    <刺青を入れさせてくれマドゥモアゼル。君の傷の話を聞く事は出来ないが> 

     

     タトゥーを入れると書いたら、微弱な反応があった(盛大な反応を見せた「捨てる服の件」は少々お待ち頂きたい。応募が多すぎてなかなか決められないが、必ずクリーリングの後にお送りします)。 

     

     タトゥー入りの方2名から、まあ「ようこそ」といった旨のご挨拶を頂いた、うちお一人は、首筋に筆記体で「pepe」と入っていると聞き、汎用性のある単語を使って良かったと思った(「ペペ」は、「ペペロンチーノ」に代表される様に「唐辛子」の事でもあるが、スラングで「色男/色悪」といった意味である。御存知の方がどれぐらいいらっしゃるか相像もつかないが、セックス用のローションとして、追随メーカーのそれの猛攻を逃げ切って今でもトップを走っている製品の名前でもある)。 

     

     一方で、これまた綺麗に2名の方から「絶対反対」という、反応を頂き、特にお一方はものすごい長文で、読めば読むほど、完全に主客が転倒し、その方が嫌々刺青を入れられている主観になってしまっている。何らかのトラウマがあるのであろう。針や痛み、といった具体的な事なのか、描いた絵が一生消えない、もう充分なのに、更にエスカレートしてしまう、といった象徴的な意味なのか解らないが、ほとんど泣かんばかりの勢いだったので、かえって説得力が真空化してしまう。文章は面白かった。 

     

     もう1人の方も併せて「せっかく親御さんに貰った大事な体を」といった紋切り型のラインが出て来たけれども、せっかく親御さんに貰った大事な体にはもう、結構なゲージ数のピアスが三つ入っているし、後頭部の毛髪を皮膚ごと頭頂部に移植しているので(どちらか一方はウソです)、今更まっさらな体ではない。せっかく親御さんに貰ったまっさらな体で何もしない、もしくはろくでもない事しか出来ない、という宝の持ち腐れはクソほどいる。彼等よりは幾分、頑張っているほうだという自負はあるのだが、まあ、そういう議論ではない。 

     

     タトゥーが人類にとってどれだけ自然で有意義な行為なのかは、人類学の本を一冊読めばすぐ解る。近代の、少なくとも日本では、タトゥーの持つ永遠性という側面を悪用し、犯罪を含むあらゆる反社会性のイメージと結びつけたが、そんなもんはとっくに無くなっている。永遠性の悪用なら、インターネットのが数兆倍上だ。現在、インターネットを使用している人類は全員、島流しや少年院入りの証に掘られる刺青を入れて暮らしている。それらは隠さなければいけない、美的な有意義さが皆無のタトゥーである。ネットにハンドルネームがあるのは、楽しくペンネームを考えるという側面もあるだろうが、「少年A」「山村佳代子さん(仮名)」といった行為と同義の側面も含まれている。前科者なので名前が出せないのである。 

     

     問題は美しいか美しくないかだけであって、何度も書いたが私は子供が出来ない体であるけれども、もし娘が出来たとして、何もしなくても(化粧さえしなくても)物凄く可愛いと思っているとする。その娘がある日、美容整形とタトゥーとピアスと、カットタン(舌先に切れ目を入れて蛇の様に二股にすること)がしたい、と言って来たら、「一生使えるほど美しければいくらでもやれ」と言うと思う。というか、一番重要な事を忘れていた。美容整形と同じく、タトゥーは現在、消そうと思えば消せる(上書きしないといけないが)。
     

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