• このエントリーをはてなブックマークに追加

2014年7月の記事 6件

<ビュロ菊だより>No.33『スキルがありすぎて退屈だよ。なんていうのはバブル世代、ポストモダン=ヘタウマ信仰者の言う迷信に決まってるさ。なあ?ホゼ・ジェイムス』

 暑中お見舞い申し上げます。昔は「お見舞いって」等と言っていた物ですが、今本当に何というか冷房と暑さで倒れちゃった人とか、国情の不安で倒れちゃった人とか、SMAPの27時間テレビに感動して倒れちゃった人とか、「お見舞い」が洒落にならないクソ暑さと雷(いかずち)そしてベーアの仕事ぶりですが、何とワタシも元気一杯で毎日仕事をしながらダイエットに勤しみ、シュラスコ喰いながら4キログラム落とした所ですが、いまさっき(ほんとについさっき)ブルックリンパーラーのDJ用選曲を、床に座ってやっていた所、立ち上がり様に、左の腰の下から背中にかけて電流が走りまして、それでも現在製作中の<TABOO隠し球>のアルバム制作の為にスタジオに行かなければならず、びっこひいて言って来た所です。これがアップされる頃にはDJ終わっていると思われますが、様子がおかしいな(CDを取り替えられず、同じCDから12曲ぐらい連続でプレイした等)、姿勢が変だ、直立不動で動かない、或は来なかった(笑)、等の場合は、「ギックリ半分腰」ですので、どうかご容赦ください。    

「料理店の寝椅子 彼女たちとの普通の会話」4_1 SIMI LABのMariaさんと

昨年の3月にOMSB、大谷能生と一緒にパリに行ったときのこと、どこか行きたいところはないか?と聞くと、レコ屋しかないと言う。ひとつぐらい教会でも見せておいても罰は当たるまい、ということになって、OMSBとサンジェルマンデプレ教会に行った。  彼の様に若く才能に恵まれた人間にとって、“生まれて初めてのパリ”がどの程度驚きと啓示に満ち、重要で刺激的な経験になるのか、自分の“生まれて初めてのパリ”を思い出しながら、そのとき(1980年)とまったく変わらない(唯一懺悔の箱だけが変わった。懺悔の箱は00年代のいつか、ガラス張りのカウンセリングルームになった)サン=ジェルマン=デ=プレ教会の中を2人で歩いた。厳密には、目を輝かせながら動画や静止画を撮りまくるOMSBの後ろについて歩いていたのだが。  私はこれがはっきりと父親の気分であること、そして、気がつけばすっかりその気分が、何の問題もなく、何か素晴らしいことででもあるかの如く認知しかけていたことに軽い動揺を覚え、頭を振って振り払った。本当に尊敬に値する音楽家が、自分の子供に当たる年齢に達しはじめる時、それは間違いなくひとつの通過儀礼になる。実に厄介な話である。  それ以前にもOMSBは、メトロ名物の、さまざまなパフォーマーたちの演奏や、いまだに60年代のSF映画のロボットのような声で駅名を告げる構内アナウンス、通りすがりのパリジャンやアフリカ系移民たちの会話を、目を輝かせて録音していた。そしたたまにこちらを振り返り「これ、次のアルバムに使うんだ」と言った。私は「そうか」と言って、軽く頭を振り払った。  サン=ジェルマン=デ=プレ教会のマリア像の位置と大きさを知っている人は想起していただきたい。あの、奇妙な大きさの、奇妙な位置にあるマリア像を私は指差し「オムス、あれがここのマリア様だ」と言った。OMSBは、口を半開きにして、返事をするでも無視するでもないような状態で数十秒熱中し、幾葉かの静止画を撮影した後、こちらを振り向き「これ、帰ったらマリアに見せてやる」と言った(当時彼は、私に敬語を使うのかどうかも決められていない状態だった。それほど我々は、異物同士だったのである)。私は「うん」と言って軽く笑った。  日本のマリア乃至マリアンヌを、我々は何人知っているだろうか。いやあ、そんなのいっぱいいるでしょ。と思う御仁は信仰心が足りぬと誹りを受けるだろう。あらためて胸前で十字を切り、熟考しなおすなら、実のところ、「マリ」「マリコ」「マリヤ」は山ほど知っている我々の前に「マリア」は意外と少ないことに彼等は気づくだろう。  私の世代だと(3か月前に亡くなったばかりの)安西マリア、森マリア(これは偶然だが、対談中に登場する「妹」は、森マリアの若い頃に酷似している。ちなみにブラッドミックスの形はまったく同じである)といった、“ハーフのアイドル”たちが思い出される。次は山本KIDを子供を儲けた後に離婚したモデルのMARIA、彼女もハーフだ。彼女たちの人生は皆、苛烈であると言っても過言ではない。  一方、純血種でまりあの名を持つ者たちは、最近の似たり寄ったりのモデルか、かなりインチキ臭い自己啓発のセラピスト以外、私は知らない。そして、彼女たちの人生が苛烈だと考えることが、無知や偏見と自覚しつつも、私はどうしてもできない。  対談中にも出てくる、日本の若手ラッパーたちのインタビュー集『街のものがたり――新世代ラッパーたちの証言』(ele-king book)は、ele-king調の無駄なパンク・スピリットと、クラブ世代特有の、興奮するものの、詰めの甘い脱力感によって閉じてしまうというクリシェによって、私は実のところあまり好きではないが、誠実であり、古典的であることを認めるに吝かではない。そこにあるのは、苛烈な人生が音楽を生むという古典性と、自らの出生から幼少時代から現在に至るまでを赤裸々に語るラッパーたちの、これまた古典的ですらある叫びが詰まっている。この対談のサブテキストとしてお読みいただくことをお勧めしたい。  SIMI LABの聖母である彼女について私が知っていることは、サン=ジェルマン=デ=プレ教会の中ではまだほとんどなかった。日本を代表する強烈にスキルフルでオリジナリティ溢れるフィメール・ラッパー、いつも痩せたいと思っている、典型的なハーフの女の子、メールは花文字や顔文字でいっぱい、妹と母親が宝物、そしてやはり、苛烈な人生。そしてそれは、現代ならば、ラッパーの素質のひとつなのだ。いつの日かHIP HOPは、金持ちで家族構成に何不自由なく育った音楽マニアによる歴史的傑作を生み出すのだろうか? 苦境の果てに愛を摑みかけている、現在のところ我が国で最も若い、混血のMARIA様をご紹介したい。   * この連載では統一のテープ起こし担当者がおり、今回も等しく同様にテープ起こしされたのだが、対談相手であるMariaさんの「独特の口調」を生かす必要性を強く感じ、今回のみ菊地がテープ起こしをさらに「Mariaさん口調」にリライトしています。    

<ビュロ菊だより>No.30『中上健次そして7月はDJの月』

  中上健次そして7月はDJの月        先日、恒例の過労と風邪で(高齢の家老と風で)倒れてしまったんですが、恒例っちゅうか、久しぶりですね。非公開用の日記という物をワタシは20年以上書いているのですが(1日5行とかですけれども)、「ここ最近やってねえなあ。ドラムの藤井さんに<50過ぎると熱もでなくなる>と言われたモンだけれども、そういう感じなのかしら」と思っていた矢先で、もう、気持ち良いぐらいですね。39度近い熱がいきなり出るのは。        年季の入ったご贔屓筋であらば「大久保病院」の名前が浮かぶかもしれませんが、歌舞伎町も遠く成りにけりでして(ロイホは変わらず行ってますが)、現在は伊勢丹~新宿御苑~二丁目ライン上におりまして、二丁目、しかもピットインのすぐ近くに夜もやっているお医者さんを見つけまして這いつくばる様に駆け込み、抗生剤、熱冷まし、消炎剤、胃薬という四天王を出して頂き、実質倒れて寝込んだのは半日で、フラフラしながらペン大の授業やって、夜電波(ジャズ・アティテュード)やって、他にも色々やって、「19歳のジェイコブ」を観に行って、6月が終わりました。まあ、5月末のツアー疲れが出たと考えるのが妥当でしょう。まあまあ、大儀見と駒野の件はさすがに応えました。新曲を作るとか、演奏するとかはむしろ身体が整う訳ですが、楽団員の不在というのは、第一にはやはり心労がキツいですね。      

ビュロ菊だより

「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。

著者イメージ

菊地成孔

音楽家/文筆家/音楽講師 ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。

http://www.kikuchinaruyoshi.net/
メール配信:あり更新頻度:不定期※メール配信はチャンネルの月額会員限定です

月別アーカイブ