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ビュロ菊だより 第十一号 「菊地成孔の一週間」フォトレポート
2012-12-30 23:00220pt -
ビュロ菊だより 第十一号 菊地成孔の一週間
2012-12-30 23:00220pt1
菊地成孔の一週間〜インフルエンザによって暦がショートカットされ、実際には10日間という、今年もお世話になりました〜
12月19日(水曜)
肺炎は収まっているし、熱も無いし、どこかが痛いといった事も無く、あるとしたら、何かの拍子に咳が出ると30秒位とまらなくなる。という事があって、しかしそれも、どうやらマイコプラズマ肺炎の後遺症として、「咳喘息」といったちょっと怖い名前ではあるが、1~2ヶ月ぐらいそうやって後を引くものなのだ、と言われ、様子を見ながらも放っておいた。喘息とは縁が無く、これが軽いものなのか、なかなかエグイものなのか、全く解らない。
そしてそれも、最初は1日に10回だったのが5回になり、4回になり、2ヶ月弱かけて1日に3回位になって、まあしかしコレ結構なスローダウンだよなあ気が長げえ話。しかし自分は基本せっかちだからこんなんも人生経験のうち、なんだって自然治癒自然治癒などと思いながら普通に暮らしていた(当連載過去参照。無茶遊びとか無茶仕事をしていた訳ではない。いつもの通りにしていた)。
とはいえ、仕事量的には確かに普通とはいえ、<そもそもメルマガとは何だろう?これライブ動員に役立ってるんだろうか??とか、2Sを3Sにしなければ。。。とか、「1人称を僕にしようかわたしにしようか」などといったまったく新種の悩みや、自分のライブをドワンゴでストリーミングする等といった新しい試みとともに40代最後の年越しに向けて普通に暮らしていた>。というのがより正しいだろう。
演奏は常に素晴らしく、毎夜の食事も旨く、吉事も多く、特に山崎邦正が月亭邦正になった事の喜びと活気は、正月を大阪のホテルで過ごす計画(ローカル局の番組や寄席で月亭邦正を見れる限りすべて見るためだけに)を夢想するに充分のものだった。
ところが、いかに喜びに満ちた上方落語のファンとはいえ、この日の朝起きるととにかく身体が重く、喉が異様に痛いので「あっれ?何かおかしいな、っつうか、なんか懐かしいぞコレ。何れにしても悪化だ」と思いつつ、とにかく滅多にやらぬインターネット検索で「評判の良いお医者さん 耳鼻咽喉科 新宿」を一生懸命に探し、誰もが褒め称えている若松河田町の耳鼻咽喉科に行った(耳鼻咽喉科でいいのか?という一瞬の躊躇はあったのだが、何かそれは、映画に於ける伏線のような物で、登場人物というものは複線を引き、踏むものなのである)。
10月からの経緯を丁寧に話すと、非常に若く、非常に知的で、非常に会話の技術が卓越している医師は、胃のそれと同じ位の長さ(ひょっとしたらまったく同じ物かもしれない)の内視鏡を出して来て、それを巧みに操り、メディカルコント等によくある、かなり非日常的な格好(お辞儀をしたまま顔だけ前に突き出し、自分で自分の舌を掴んで、途切れ途切れに「エッエッエッ」等と言ったり)を患者に要求し、ほとんど気管支の当たりまでキャメラアイが到達した状態で、何枚も静止画の撮影した。ちょっとした人間ドックである。
結果、非常に知的な医師は、実に冷静に、そして「こいつは話の分からぬ馬鹿ではない」とこっちを見切ったオーラ満々で、淡々と言った
「よろしいですか、これが声帯です。奇麗に発色しています。周囲と同じ色ですね。が、普通、声帯は白く映る。あなたのは腫れているわけです。声帯の奥、気道。ここも白いシマシマが映る筈なんです。が、あなたのは奇麗に発色して他の部位と区別がつきません。これも腫れを意味しています。とはいえ症状はこの腫れのみです。腫瘍の類い、糜爛の類いは一切ありません。ご覧の通り、一切ありませんし、出来ていたが消えた。という痕跡も一切ありません。怖い病気はない。ということです。その点はご心配ありません。ではなぜこんなに腫れているのか。考えられるのは、声の出し過ぎと、乾燥、冷たいものの飲み過ぎ、あとは気管支炎の芯が治っていないまま、治療を止めてしまったせいですね。前の内科は何と?」
「もう肺炎は収まったので、後は自然に治ると」
「うんそれは半分は正しいですね。喫煙は?」
「一切しません」
「お仕事は?」
「管楽器の演奏と、歌と、ラジオのパースナリティーです」
「声を使うお仕事という訳ですね」
「漫才師や舞台俳優や魚河岸ほどではありませんが」
「はい。今、発熱は?」
この瞬間、非常に知的である若い医師(と知的でも若くもない患者)は、非常に知的であるが故に陥りやすい愚かさで、ミスを犯したと思われる。
「無い、、、、、のです。が、これから出る気がするんですね」
「今は、無い。ですか?出そうな気がすると?」
「はい、その通りです。今は無いですね。さっき計りました」
「(初めての長考)。。。。解りました。では、検査と診察の結果としてはですね、やはりこの腫れが、治って来ていたんだけれども、何らかのきっかけで今朝から悪化したと。それしか考えられません。そして、それへの、というよりも、患部への根本的な治療として、先ず炎症を根本から治してしまう事。そして、その過程で、咳を止めておく事ですね。あなたの場合、肺活量のせいかどうか、おそらく咳の勢いが強く、それで声帯と気道を痛めつけています。もう、これではほとんど閉じなくなっています気道が。これは逆流性食道炎などに似た」
「やったことあります」
「ではお分かりですね。唾液や痰が入って気道を痛めてしまう。これは咳さえ収まれば自然と治ります。また、あなたは免疫が強過ぎて、自己免疫病とまでは行きませんが、内部の異常に免疫が過剰に働きます」
「角膜潰瘍を何度もやっています」
「はいそれでしたら原理はお分かりですね」
「はい」
「これを納めるには、ステロイド治療が最も適していると思います。風邪などの感染症の可能性のために抗生剤、消炎剤、去痰、咳止め、アレルギーはありますか?」
「猫と花粉ですね」
「抗アレルギー剤も入れておきましょう。これを全部飲んで頂いて、全く良くならないか、むしろ悪化したらすぐにまた来てください」
完璧だ。一手のミス以外は。それが、若く知的な者が犯しがちな一手違いの大破産である事を、知的でもなく若くもない患者は、しかし経験則的に良くわかっていた。こういうのを老獪さというのであろう。一手違いで失敗することを許して、老獪さもないものだが。
投薬を受け、(以後、酷い状態ではありますが宣伝)来年の2・22に恵比寿リキッドで行う、2013年のHOT HOUSE第一回である<HOT HOUSE恵比寿/サヴォイ・ボール「リキッド」ルーム>の打ち合わせを兼ねた忘年会に行き(新宿/台湾料理「青葉」)、アモーレ&ルル、大谷能生、高見P、日向さやか、IZUMI等、ホットハウスオールスターズと焼き鴨などに舌鼓を打ち、台湾の老酒にレモンを入れて飲んだり喋ったりしていたら、急激に悪寒がして、つまり開始の空砲が撃ち上げられて、突如発熱が始まったのである。
数時間前「先生、7年前にインフルエンザA型やった時と感じが似てるんで、いまチェックしてもらえませんでしょうか?」と、一言添えるのを躊躇してしまっていたのは、そこに至る話が長くドラマティックで、しかも最後のその一瞬(「何と今朝からインフルかも?」)で「長い話が総てがブチ壊し」になるような気がしてしまっていたから。つまり、話の構成美に引きずられたのである。美意識と運命のいたずらに翻弄される醜く咳の止まらぬ中年紳士。バルザックの小説のようだ。
12月20日(木曜)
早朝9時は就寝時間であるからして、「お休みなさいの前に(診察開始したばかりの)病院に行ける」。という事で、それがどれほど得な事なのかまったく判断がつかない。思考力の急速な低下。既に菌の繁殖が行われているのである。得でも損でもなんでも良いのでとにかくタミフルが欲しい。と思いながら、今度は検索なしで(出来た状態ではない)適当に近所の内科に行く。
ガラっぱちで年老いた(「歌舞伎町で医者やって30年目よ」風な)医師は、こちらの話を雑に聞き流し、生ゴミの塊でも覗き込むような目つきで患者の喉を見ると、「うっわ腫れてらあ。あんまりでかい声張り上げちゃダメだよ」といった台詞を笑いながら言った(ここら辺から記憶が定かでない。以下は夢かもしれない)。
「いやあでもラジオで喋る仕事してるんですよ」
「静かに喋りゃあ良いじゃない。夜中なんかアナウンサーも静かでしょ」
「いやあアタシがやってる番組は、はいどうもー!今夜もやって参りましたー!みたいな、張り上げないとダメな奴なんすよ」
「頭おかしいねあの騒ぎね。はい検査します」
鼻の中に綿棒を突っ込まれるのは7年ぶりである。「突っ込まれたけどインフルエンザじゃなかった」という経験も2~3度したが、どちらも歌舞伎町に来る前だった。
前の奴は所謂<胃にも来る類いの奴>で、39度で起き上がれないまま嘔吐し、つまり真上に吹き上げるようにゲロを噴射し、越したばかりの歌舞伎町の、お洒落なフローリングをもんじゃ焼きのようにしてしまったりしたのだが(良く憶えているのだが、その瞬間最初にした事は爆笑だった。誰も観ていないエクソシストのパロディ演劇である。記憶では3分間位笑い続け、そのまま寝た)、今回はオーセンティックな局所集中型で、とにかく耳鼻咽喉にのみ激痛、そして悪寒、関節痛、で、それらの威力、特に一晩で2度近く体温が上昇する、という定番の症状によって、それがインフルエンザであることは検査結果など待たなくても明確だった。
しかし看護婦は律儀に検査室に退場し、5分後に再登場し、検査結果を書いた紙を内科医に見せる。内科医は田舎のシェイクスピア劇といったような驚愕の表情で、検査結果を所謂「二度見」して、患者ではなく、看護婦に向かって「こんなに?」と言い、看護婦は非常に小さな声で「はい、、、」と言った。
内科医は「はいA型。間違いなし。タミフル出します」と、腰を引かせながら言い、マスクをひとつ患者に放り投げた。
「これを?」
と言うと「いやだから、それをして!早く!」と言い、更に数センチ後ろに下がった。
「外でないでね。熱が下がっても3日は休む事」
コンビニでランチパックを買い、最初のタミフルを流し込んだところまでは、曖昧ながら記憶がある。後のサイケデリクスはとてつもない。故・立川談志は「マリファナなんざいらねえ、二日も徹夜してセブンスター吸やあ、十分飛べる(だから、マリファナ解禁論者なんて、想像力に欠けた馬鹿だ)」という、至言のようなみみっちいような事を言ったが、まあ似たような物だ。50近くなってインフルエンザで発熱し、タミフルを飲めば、アレもコレも要らないだろう。認識能力が何とか回復するのは3日後である。
12月21日(金曜)
12月22日(土曜)
換算すれば約70時間のあいだ、記憶しているのは着替えた事、体温が最高で39・8度に達した事、目が見えなくなった事(光を失う、全盲的な感覚ではなく、文字は見えるが全く読めない。という感じで、これは経験するとひっじょうに面白く、とにかくメールを読んでも書いても、何をしているか解らない。7年ぶりで、またしても最初にした事は爆笑である)、壁に体当たりしたこと(ソフトに。何度も)、出前を大量に取って、喰い散らかした事(パエリアとタパスを1万円位買った。配達員には「わたしいまインフルエンザでね、あなたにうつすとね、大変だから。パエリアは入り口においてね。お金は1万円おくから、おつりは床に置いて、わたしに触らないで帰ってね。触ったらあなたクビになっちゃうと悪いから。クビになったら困るでしょこのご時世さ」と、超人的な交渉術を披露してみせた。何故人間とはこんなにも病中に超人化するのだろうか)、マネージャーと、公演の延期並びにラジオの在宅電話出演の打ち合わせをしたこと(内容は一切憶えていない)、あとは天啓をかなり受けた。というだけで、要するに熱病体験に還元するならば、中の中、といった所だろう。
15年前の熱病の話は、あちこちに書きなぐったので書かないが、42度が2ヶ月続いた。諧謔ではなくリアルで書くが、このときが「超気持ち良い(何せ臨死したので)」だとすれば、今回は「なんかちょっと気持ちよくね?」といったレベルである。天啓とは別に(天啓は文章化できない)、発熱で瞭然と解る事は、「どこが疲れていたか(どこを酷使していたか)」で、これは発熱の大きな恩恵の一つである。今回は目と腕が際立っていた。
メルマガによって、習慣的に大量の文章を書くようになったからだ。「うそー、いつも書いてるじゃん長文」というファンの方も居ると思う。ファンの方に言う言葉ではないが、その方はウスラである。「ゲッツって一発屋いたねー」というのと同じだ。少なくともダンディ坂野は現在5本以上のCMに出ている筈である。
こちらはウスラ以下だ。我ながら健康に気を使っていると思って行動した結果がコレである。しかも、さほど悔恨感が無い(公演延期だけを除く。公演中止は1998年、前の熱病以来である。これだけはド痛恨の極地で、これはマジだが、スネで涙を拭きながら泣いた。が、年の功、しばらくして気丈にも泣き止み、エイハブ船長並みのリベンジを誓う)。身体が殺生を嫌うのだと思う事にする。
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<ビュロ菊だより>号外No.7
2012-12-21 16:3053pt12(聴こえるか聴こえないかぐらいの声で)どうもどうも菊地です。お恥ずかしいやら与太郎すぎるやら現在ワタクシ「インフルエンザA型」に罹患しておりまして、外に出る事は愚か、人とも会えませんで、22日に行われる予定だった町田でのダブセプテット公演を「延期」にさせて頂いたところです(「中止」だったら、こんな「どうもどうも」ナンつってられません、頭を丸め、土下座したまま、額でキーパンチしないと行けませんが)。 本公演を楽しみされていた町田の皆様に於かれましては、不肖ワタクシの体調管理を含めました、不徳の致すところでありまして、本当に申し訳ありませんでした。そもそもワタシが「自分のバンド」の公演を延期にする、というのは、30年に及ばんとするワタシのキャリアの中でも、1998年以来、今回が2度目。という大ポカ。ましてやこの公演、2012年のワタシの公演の掉尾を飾る物として、我ながら気合いを入れて臨んでまいりましたので、腹立たしいやら、情けないやら、やるせないとはこのことであります。 とはいえ人間、不謹慎ながら、余りにもキツい症状を前にすると笑う物ですが、この歳で体温40度っちゅうのはエグいですね。何せ、字が読めなくなって、送信したメールがみんな、コンピューターがバグったか、文字化けしてるみたいなメールで、「うっわ、発熱で字が読めねえって新しい!うはははははははは」などと声なき声で笑っております。 ワタシ「マイコプラズマ肺炎」をやったのが5年前、インフルエンザのA型をやったのが7年前でして、まあ、丁度どっちも、免疫が切れとったんで、と、言うは容易しですが、何も君たち方、寄りにもよって同じ歳に一緒に、しかも微妙に二月置きなんかに来なさんなよ、怖い方々の集金じゃあねえんだからさと笑うばかりですが、それにしても体温40度越えしたのは1998年の壊死性リンパ結節炎(このときワタシ臨死しましして・笑・「野生の思考」のライナーに詳しいですけど)の時以来で、今度はインフルで一発だけですけど「ああ、なんか懐かしいやね」なんつって、懐古にひたったりなんかして。 それにしても49歳で1発食らうのと、35歳で60発ぐらい(入院中、毎日体温が42度超えしたので)食らうのでは、まあ、さすがに「今のがキツい」、とまでは言いませんけど(もっかい書きますけど、前は何せ臨死したんでね・笑・見舞いに来た友達が廊下で泣いている声が聞こえたという。こっちはそれにハープとフルートの音が伴奏に聞こえていたという片足あの世に踏み込んでいたと思いますね)、それでもコレだいぶキツイもんで、ただただ横たわっております。これはマネージャーが代筆しております。 と言う訳で、今年の掉尾を飾る予定だったダブセプテットの公演が延期と成りまして(日程は未定ですが必ずやります)、今年最後のギグは結果として先日のDCPRG&SIMI LABとなりましたが、こちらはコレこの通り、大丈夫ですので大変ご心配おかけしまして申し訳ありませんでした。関係各位にもご迷惑をおかけ致しまして誠に申し訳ありません。深くお詫び申し上げます。 -
ビュロ菊だより 第十号 「菊地成孔の一週間」フォトレポート
2012-12-21 16:00220pt -
ビュロ菊だより 第十号 菊地成孔の一週間
2012-12-21 16:00220pt菊地成孔の一週間~1人称そしてポーションに関する哲学者のごとき探究を終え、なんかもう適当にやれば良いやたかが日記なんだからと開き直るそろそろ今年ももう終わりですね~12月11日(火曜) 「ポップアナリーゼ(当メルマガの動画コンテンツ)」の収録。来年の1月分(2013年の最初の4回分)という事に成る。カメラに向かって「あけましておめでとうございます」とか言って、テレビタレントにでも成った気分である。 ネタバレ、という程ではないが、12月の女学生である(大変な才媛であり、秘密結社鷹の爪の吉田君にそこはかとなく似ている)小田朋美さんに<今月の女学生>ではなく、分析チームのメンバーになって貰い、プレ・シーズン2の特別月間として「新春転調ショー」というタイトルの遊びをやった。 全員に「オレの好きな転調ベスト5」を持ってきてもらい、順番に一人ずつプレゼンしてああだこうだ言い合うという、一種の正月番組なので、楽理の話はキツいなあというビュロ菊会員の方にもお楽しみ頂けるのではないかと思う。 田中ちゃんと小田さんが5時でタイムアウトなので、収録後に原稿を書いたりして、選曲家の中村くんを待つ。既にオンエア後だが、12月16日のスペシャルウイーク(「粋な夜電波」を、というかそもそもAMラジオを聴かない、という会員の皆様の為に説明すると、聴取率調査の週間というのがラジオ界では決まっており、まあまあ、そこに力を入れるのである)用に、オノ・ヨーコさんのソロ音源ゲットを頼んでおいたのと、中村君の「仕入れ」もいくつか聴いてみる。どれも良かったのだが、オノ・ヨーコがあらゆる意味で桁違いだ。いつか特集を組もうと決心。 その後ブリッコラへ。中村君は前シェフ&スムリエ独立後の新生になってから一度も行っていないので、その違いに驚いていた。 前菜6種ミスト(金時豆のヴィシソワーズ、赤ピーマンのブルスケッタ、姫帆立のジェノベーゼグラタン、大麦を使ったイナダの手鞠寿司風、小ミートローフ、スプーン乗せのフォワグのムース)は、赤ピーマンのブルスケッタが飛び抜けて旨く、甘みも香りも歯ごたえデザインもハンパ無い。点心のような集中力。 その後も白トリュフのリゾット、太打ち麺のジェノベーゼ、低温熟成の和牛肉を何とサルスイッチャに(「熱いサラミ」みたいな。焼いてサラミ喰う人には夢の一皿)。という絶品が並ぶが、一番驚いたのは、スムリエの村上さんが合わせた一本目だった。 そもそも前任の原品さん(現、神谷町「ダ・オルモ」)と村上さんは先後輩の関係で、お師匠さんは一緒である。このお師匠さん(ルックスが伊藤俊治先生とソックリ。旨そうでしょう)は今は地元で料理店をやっているが、とにかくこのお師匠さんの必殺技だったのだと思う。「濃いめでワイルドな、誰も飲んだ事のないような白、によって、うるさがたの客をひーひー言わせる」が。 「DINAVOLO」は、聴いた事の無い土着品種を使って、若手の精鋭が好きなように作った07。という説明しか覚えていないのだが(味にビックリしてみんな忘れてしまったのだ)、色的にはもうロザートであり、味はかなりワイルドで、人肌やチーズ蔵の白カビ感、唾液や涙等、澄んだ分泌物の香りと、深い酸味、とんでもない所に位置している糖と熟成感、と、けっこうワイルド&アクロバティックなのだが、料理と合わせると、これがもうとんでもなく旨いので、中村君と二人で大笑いしてしまった(まだあると思うので好事家の方は菊地のメルマガで見たと言ってオーダーして下さい。合うのは肉)。 確かにこの技は原品さん時代からのブリッコラの必殺技だったのだが、北村さんの女性的で繊細な料理に、ともすれば勝ってしまう事があり、現シェフのクラシコでウオモな料理には、クロスカウンターのようにバッチバチである。ひーひー。 更に我々の世代には懐かしい「オッソブッコ(牛テールの煮込み)」が復古しているのも超嬉しい。「オッソブッコとコトレッタディロマーニャ出してくれたら2万払う」とか、この10年位半ば本気で言い続けてきたが、少なくとも日本では出てこなかった。メニューの栄枯盛衰というのはある(卵丼は消えたし、きつね丼も消えた、沢蟹料理も、少なくとも街からは消えた)。 しかし、オッソブッコなんて、韓国料理によって「牛テール」がここまで浸透した今こそ(昔オッソブッコが街のトラットリアに普通にあった頃には、牛の尻尾と思わずに、スネか何かだと思って喰っている客がたくさんいたと思う)オッソブッコの文字通り復古を!と思っていたら、ブリッコラがやってくれたという訳である、ここのところブリッコラがGJ連発。さすがにオッソブッコは赤にするという事でグラスでアリアニコを。12月12日(水曜) DCPRGとSIMI LABで新宿BLAZE(日比谷野音の追加公演)。この日ばかりは、それこそ当地ニコ動で生中継をしたので、追い打ち詳細は要らないだろう。 6000名が観て、大谷君のガイドに従って入会ボタンを押した方が100人という、どう考えれば良いか全く解らない数字が出た(ニコ動の人からは、視聴者数も入会者数も凄く多いと言われ感謝されたが)。先ずはビュロー菊地チャンネルの、二回目の生放送のリベンジを果たせたようなので一安心である(本番前は中継が乱れたようだが、まあアレはオマケなので)。 大谷君に「本番のステージ上で入会の案内をさせる」というのは、リハーサルの最中に突如思いついてやってもらった。世界一の大谷ファンとしては、もうこれが出来ただけで満足である。 それにしても、ここんところ「音楽それ自体の充実感」が単体で存在する。という目線の設定自体がもう無理なんではないか?と思うほどのご時世になった。あれを6000人が観た&(先が観たくて?)100人入会した。と言われても、おとぼけではなく、ほとんどピンと来ない。物凄く多い様な気もするし、そこそこな気もするし、物凄く少ない様な気がする。鉱水を一気に4リットル飲めば、かなり多い。とはっきり解る。 「開始15分で課金(今回は「入会」)にしてしまうのが一番良いんですよ。今回、ハノイとサークルラインが丸々タダ聴き出来たんで、あれで40分ぐらいでしょう?もう充分喰った感があって、先は取りあえず良いや。ってなったんですよ。有り難過ぎですよDCPRG」とお客さんに言われたが、でも15分は1曲目であるハノイのクライマックス地点だ。そこで「はい、ここから先はカキーン」というのは、金属バットの打球音だとしてもあざとすぎる。 「いやあ、だって、どうせ15分後か40分後かの違いで、全部ただで聴かせる訳じゃない、という意味では同じでしょうが」と言われそうだが、しかしそれは「1人殺すも2人殺すも」と言っているのと同じである。グダグダはいけない。この発想の果てに「人生というゲームのプレーヤー」という馬鹿みたいな思想に行き着く。プレイは一部の人間がやったり休んだりする物で、人生は全員が休まずにやる物だ。鬱病はプレイオフか。 というよりもそもそも、<相手の欲望を読んで、先回りして先回りして上手くコントロールする>という事を、一対一(セックスとかチェスか対談とか)ならまだしも、一気に大多数を出来るなんて才能が無い。そういう人も世の中にいないといけないのだろうが、人間には「搾取されたい。コントロールされたい。そして、その事に苛立ちや絶望を感じて、ずっとイライラうじうじしていたい」という凄まじいマゾヒズムもあるので、両者が上手くグルーヴしてしまったりする。「オマエラ勝手にやってろや」というは易し、恐ろしいのは汚染である。 音楽はそもそも一対一では出来ないし、一対一でも売れない。童話としては良いと思う「客席がたった一つしか無いコンサートホール」は(「広い客席に、一人しかいないコンサートホール」ではない。これは少なくとも童話としてはさほど良くない)。音楽はそもそもアコースティック時代からPA(パブリックアナウンスメント)である。音楽はセックスやチェスのように、相手の欲望を読んだりコントロールしたりしなくて良いので(というか、出来ないので。「音楽の<相手>」というのは何だ?)ので気が楽だ。 打ち上げに「魚民」に行ったが、菱田さんの酒乱に怖れを成して、来たのはケンタと田中ちゃんとアリガスと高見Pだけだった。ケンタも終電で帰り、残りで朝まで飲む。
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ビュロ菊だより 第九号 グルメエッセイ第五回
2012-12-21 14:21220pt
グルメエッセイ「もしあなたの腹が減ったら、ファミレスの店員を呼ぶ丸くて小さなボタンを押して私を呼んでほしい」
第五回 <ドイツをもう一度最初から>
06/11/14
本日もペペ・トルメント・アスカラールのリハーサルでした。本日は業界用語で言うところの「ゲネプロ」でありまして、本番と同じ形で全曲を通して演奏する日なのですね。
今やアイドルの方々でさえも「明日はゲネだぁ~」等という程に業界に定着しているこの言葉ですが、ワタシの推測を申し上げれば、これ「和製ドイツ語」ですね。
高い確率でゲネラル(「総合/全体」)とプローベ(「練習/稽古」)をくっつけたもので、恐らく、クラシック関係者が最初に使ったと思われます(ドイツ語に多くの基礎用語を持つ業界と言えばクラシック界と医学界と登山界ですが、手術や登山にゲネプロ。つまり「総合的な練習」を行うという可能性は、まあゼロとは言わないまでも、かなり低いと思いますので)。
これまた推測になりますが、ヨーロッパのオーケストラでは「ゲネプロ」という略語、というよりも、そもそも略語など使わないのではないか。特にドイツ人いうのは、全部しっかり言おうとするが余り、単語がとんでもない長さになる人々。でして、ワタクシ昔日はかなり頻繁にドイツに行きましたが、「エビ蒸し餃子」をゲデンプファー・ガルネーレン・クネーデルン・・・もう忘れてしまったな。何にせよとんでもない長さの言葉で注文したのを覚えております(その、すさまじい不味さと共に。私感では世界中で最も中華料理を独自に咀嚼してしまっているのがゲルマン文化です)。
とまあ、例によって例の如く、「何だってググったら仕舞い」という世界の中で、少ない教養から推測や妄想をたくましくして生きる。という方法を採用しておりますが、「最近のドイツ人はそうでもないんですよ。アメリカ人みたいな言葉の使い方になってます。フランス人のように」といった声がドイツから届いたとしたら楽しいな。というような話でもあります。
06/11/16
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菊地成孔様
今でも、ドイツでは短縮されずに言われています。
ドイツの日本食レストランで働いていますが、毎日長い長いセリフ(メニュー)を言っています。
たかだかエビ天ぷらを言うのにも「ゲバッケネ ガルネーレン イム テンプラタイヒ イン ライヒター レティッヒ サケ ソヤゾーセ」だのとにかく長い。そしてドイツ人はきちっとすべてを言っている。私は面倒くさくて全ては言わないんですが。
はい、中華が不味いのもそのまんまです。
世界中での、安くて美味しいものが食べたければ中華に行け!というお約束を、きっちり裏切ってくれるのがドイツの中華。持ち帰りさえも不味くて買いません。
彼らにとって、食事とは栄養的にあるいはお腹が減るので食べるというだけのもので、それ以上の何物でもないです。悦びも追求心も、食事にお金を使うこともない。
現状を変えたくない国民性のためか、何十年経っても、あんまり変わらないと思いますよ。
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うわすぐ翌日にこんなお便りが届きました。有り難うございます。何と、ドイチェランドでは少なくとも略語に関する文化と中華料理に関する文化は健在の模様です。素晴らしいガンコさですねー。どうやったらあれほど不味い中華料理が出来るのか、厨房に潜入して、一挙一動を見つめる欲望に駆られるほどですが、とはいえ、南北極とオセアニア以外、ほとんどの地域に伺った身として申し上げるならば、朝食に関してはドイツ(とオーストリア等のゲルマン圏)に悪い思い出はありません。
特に、カタカナでは表記が難しいブラート・ブリュスト、つまり「焼いたソーセージ」ですが、これに関しては、サラミやソーセージに限らず、世界中の肉保存食の中で一番旨いと思っております。「ソーセージは茹でるのが通だ(粒マスタードをつけてね)」みたいな風潮がありますが、焼いたものを何も付けずにそのまま食べるのが最高でした(特にニュールンベルクでは。因に「ニュールンベルガー」は、日本では使われませんが、ソーセージの種類の名称になります。小振りの奴ですね。南米料理の「チョリソ」という鉄板焼きの辛いアレは、明らかにニュールンベルガーの影響下にありますね。そっくりだもの)。
とはいえ「晩飯の楽しみがない」というのは困ったことでありまして、勢い、朝食と昼食(大抵、ブラート・ブリュストか、有名なヴィーナー・シュニッチェルか、ホッペルポッペルとかいった剽軽な名前がついた、所謂「ジャーマンポテト」と、食後には名前は忘れてしまいましたが、カルトフェル何とか、ええとこれは、ジャガイモのパンケーキですが、それにアプフェル・ゾーセ、つまり擦りリンゴのソースがかかったものを食べます)を食べておなかを一杯にし、夜はトローテ・イン・ブラウ(鱒を酢とバターで炊いた奴)か、レバー・クネーデルン・ズッペを半分(レバーを肉団子にしたものをコンソメに浮かべたもの。それでも日本人には食べきれないほどのポーションなので)と発酵生地の堅くて酸味のあるパンひと齧り。食後はナーハ・シュパイゼ(スイーツ)を何か一つ。といった感じで、ひっそり終わったものです。
夜が軽いので健康的ですね、イタリアやフランスに行くと、貧相なワタシでも立派な食デカダンになります。朝から晩から深夜から早朝まで食べ続けてしまう。
* * * * *
これがまだ、私が酒を嗜む前(直前ですが)に書かれていたという事実に、我が事ながら圧倒されるほどです。私が今のように葡萄酒をがぶがぶ飲むようになるのは07年に入ってからでして、それまではグラス一杯で、いやさ一口だけで顔真っ赤っかといった有様。味は好きだし、下戸の癖にちょっとした知識があったりして、最初の一口のためにグラスワインの一番高いのを頼んで、後は残す。という、貴族的なんだか貧乏臭いのか意味がわからない感じだったんですね。
まあまあ、人生いつ飲み始めるか、死ぬ前日に。という人だっていると思いますし、誰にもわからない。わからないのが人生で、日記を紐解くというのはそういう愉しみもあるわけですが、もしわたしが、高校生から。とまでは言いませんが、30代で飲み始めていたりなんかしたら、少なくとも90年代(27~37歳までの10年間。この時期私は、最も数多くの欧州ツアーをこなしていました)のヨーロッパ体験は大変なことになっていたなと思います。
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ビュロ菊だより 第九号「菊地成孔の一週間」フォトレポート
2012-12-13 19:00220pt -
ビュロ菊だより 第九号 菊地成孔の一週間
2012-12-13 19:00220pt8「菊地成孔の一週間」第9回<(笑)からwwwwへの自己更新。それはとりあえずどうでも良い。それよりも先に一人称が変わってわたしの登場12月上旬> はじめに
<一人称とは何か?/キャラ小論>
僕は僕などと言わない。僕が僕というのはこの日記でだけである。日常生活は言うまでもなく、沈思黙考している時の内言でも、僕は僕を使わないし、著作を始めとした、総ての文筆活動に於いても(調べた訳ではないので、厳密ではないが)06年以来一切使っていないと思う。
今、僕が使う一人称は、筆記では「ワタシ」が95%、「私」が5%。そして、発話ではフォーマル部門とカジュアル部門とに分けるとして、フォーマル部門は「わたし」「アタシ」が25%ずつ、カジュアル部門では「オレ」がほぼ100%であって、僕の生活上、僕はこの日記以外どこにもいない。
「小生」「拙者」「オイラ」「自分」「アチ」「ワイ」「おいどん」等々は、人生いくら先の事は解らないとは言え、現在の心境に正直に言う限りにおいて、おそらく一生使わないと思う。「紳士淑女の皆様、今夜はおいどんの公演に起こし頂きありがとうございます」はかなりヤバい。5回も続ければ誰も笑わなくなるだろう。
言うまでもなく、一人称は人格全体の突端であると同時に、使う事で人格を召還する。だから逆に、突如として、あるいはだんだんと時間をかけて、僕の人格がまったく変わったら(誰でも変わり得る)僕は日々自分の事を「ミー」とか言い出すかもしれない(「ユー、ミーにもそのワインを頂戴」「ミーがスパンクハッピーをやってた当時の話でおますか?」)し、人格が変わっていないまま、無理矢理この日記の一人称を、例えば「拙者」に設定すれば、音楽理論に関する自分の考えも行動も、随分変わると思う(「拙者、調性なる同一性の曖昧さを、人の心に照らし、人の心こそが曖昧なのであると思ひ至るに、音楽とは如何に、教育とは如何にと、夜を徹し、杯を酌み交わしては徒弟共と無性に語り明かしたく思い候」)。
「オマエの人格が不安定なんだよ。ヒステリーだろ」と言われそうである。そしてそれは正しい。しかし、それを言ったら人類全員がそうだ。僕が言いたいのは、「たかが」一人称の変更で、人は単なるギャグを超えた(さっきからギャグしか言ってないが)、様々な味わい深い経験をするという事だ。
例えば僕は、随分と長い間、僕だったので、僕が今いま自分を僕というのは、近過去にタイムスリップした気分でもあり、そして、その気分は実はさほど良くない(もうクソ最悪。とは言わない。懐かしい甘さはあるが、が、あまり良くない甘さだ)。
これについては後述するとして、僕についてもうひとこと。それは、同じ僕という文字と発音でも、意味(ニュアンスと言った方が手っ取り早いかもしれない)が全く違う場合がある。余り一般的なものではないので説明が必要かも知れない。
僕の知人と言わず、知己なき有名人と言わず、僕が採用したいなと思う、「僕」そして「○○君」の使い方がある。
ニコニコ動画ユーザー(というか、「ビュロ菊だより」の購買者)に上手く伝えられるか自信が無いのだが、非常にシンプルに言って、それはB系が使う「僕」と「○○君」の事だ。以下「B僕」とする。
例えば、パーカッションの大儀見元は「オレ」と「菊地(或は外山。等々)」という時もあるが「僕」と「菊地君(或は外山君。等々)という時がある。また、ジ・アウトサイダーの幾人の主要選手も同じで「オレ最高の状態に仕上げてくるから、幕(大輔。という選手がいる)、オマエもそれだけの覚悟でこいよ。まあ、どっちにしたって、オレがオマエを潰すだけだけどな」という時と「幕君、僕も頑張るんで、幕君も頑張って。まあ、潰すけど」という時がある。
B系で解りずらかったら、チーマー系と言えばニュアンスがより明確に成るかも知れない。「オレ」と「○○(呼び捨て)」というのは、荒い言葉というより、カジュアルな一般性であり、実のところ荒さはない。敢えての「僕」と「○○君」によって醸し出されるBムードがあるのだ。
このニュアンスが通じるなら「僕が4拍子をキープするからさあ、坪口くんはさあ、それを7で割ってね」というのはとても良い。何か大儀見が言ってるようだ(とういうか、最初に大儀見を凡例であるかの如く紹介したが、実は大儀見は、僕の共演者の中では、この使い方をする唯一者なのである)。
とはいえ「B僕」は、少年性と癒着しており、今や50にならんとする大儀見が使うのは、僕と大儀見と同い年で、20代からの知り合いであるという特性によるものだし、ジ・アウトサイダーの選手を始めとするB系一般は、実際に少年である(妻子持ちだったりするが)。
しかし「無味無臭の僕」を使っていて、改めて「B僕」を使いはじめるというのは物凄く渡りづらい。
今最も近い感じは、キラースメルズ菱田エイジ氏(因に彼は一人称に「B僕」を使う)が僕を「先生」と呼び、僕が彼を「菱田さん」と呼ぶ事であるが、この絶妙なニュアンスが通じているかどうかはなはだ疑問だ。先生呼ばわりも、さん付けも、ともに極めて一般的だからである。僕が「菱田さん」と呼ばれるとき、他の生徒さんを「○○さん」と呼ぶのとはまったくニュアンスが違う(音はまったく同じだが)。これを「Bさん」とするならば、だから菱田さんが年中ビーサンを(大変失礼しました)。
僕が僕を使う上で、どうしようかな、止めよっうかなーと思っている理由は二つある。ひとつ目は、前述の「久しぶりの僕」の居心地の悪さで、とはいえ「僕の帰還」は致し方ない、久しぶりで日記を公開で書く様になったからであって、「ワタシ」で書くと、そもそも対人的になる。こういう感じだ。
○月○日(○曜日)
いやあどうもどうも。この日はめっきり寒くなりまして、起きて最初にした事が「あ、さぶ」と口走るという。そんな感じでですね、その後ワタシ、ジャズジャパンのインタビューに行きました(寒いまま)。この雑誌、ほとんどの読者の方がご存じないと思うのですが、要するに「元スイングジャーナル」でして、こっれがですなあ、
と、要するに「いつもの調子」なのだが、この調子で日記を毎日毎日2000文字。というのは無理だ。
という訳で、公開用の日記というアイテムが文体や一人称を召還する形で「僕」となったが、何か内向的な青年みたいな感じに成ってきて、自分で決めたくせに、あちゃー、なーんか違うな。と思い始めてしまったのである。49にもなって「○月○日。僕はこう思った。そして僕は」もないモンだろう。所謂「キャラが違う」という奴だ。
ふたつ目は、派生的な問題なのだが、過去にしがみつく人々にとってウエルカムだからである。端的に言うと「スペインの宇宙食」の一人称の80%が僕で、スパンクハッピーの頃、僕は僕を僕としていた。
「しがみつき(つかれる)」問題も、ジョン・レノンあたりでとどまっていれば良かったと思う。彼が子育て休暇を終え、セントラルパークを歩いていると、、、、という、有名な動画(テレビ番組)がある。
もう、若者がわーっと寄ってきて、金網にしがみつき(金網の外を歩いている)全員が同じことを言うのである「なあ、ビートルズはいつ活動再開するんだ?」。余りに同じ事ばかり言うので(ビートルズの曲を歌い出す者もいた)最初は「しないよ」と苦笑していたジョン・レノンが、やがて苦渋に満ちた顔で「いつかわからない」と答え始める。あの映像はせつない。その後すぐ、射殺されるから。ではない。
あれから幾星霜、この現象は急激に一般化し(言うまでもなく、ブログや動画サイトの発達によって)、僕のような者にでさえ降り掛かってくる。
明日ダブセクステットのライブだ。と曲順を決め、意気を上げていると、「菊地様、スパンクハッピーのファンです」と、以下延々とスパンクスが好きだと書いてあって「これからも頑張ってください。いつかスパンクハッピーのライブに行きます」と締めてある。ビートルズの類例に出来る訳が無い。ビートルズは凄過ぎた。スパンクハッピーは特に凄過ぎない。
つまり、一般化したのである。これほどあらゆる人々が、「過去へのしがみつき(つかれる)」を億劫に思っている時代は無いと思う。そのうち、自分の赤子の頃の写真を見る時のメンタリティは、微笑みから苦悩に変わるだろう(「ああ、なんで自分は、育ってしまったのだろう」)。「ブリキの太鼓」である。
それよりも何よりも、「僕」を使うと「僕ら」を使わないといけなくなる。「僕ら」はまずい。どれぐらまずいかと言うと、「僕らはまずい」という歌を作っても良い程である。
とはいえ「僕」といっておきながら「オレたち」「私たち」と連結するのは斬新過ぎる(「僕は思う。オレたちは獲物だ」「僕は思った。私たちはある意味で幸福なのです」。斬新過ぎてちょっとカッコ良いが)。
という訳で、これは完全にトライなのだが、今回、一人称を「わたし」としてみる。僕が野良犬を見つめているのと、わたしが野良犬を見つめているのは、全く別の事である。
くだくだと書いていたら止まらなくなってきたので、更に前置きが続く。
僕は「キャラ設定」という、恐らく源流は小説や演劇の用語で、アニメーションやマンガで完成したであろう言葉と概念が、業界用語/特殊語としてではなく、一般化されているのが余り好きではない(この言葉は、実際に録音してカウントしてみると解るが、思っているよりも遥かに多く、一般の会話に出てくる。居酒屋で録音しっぱなしにしたら、1時間で1000個は採れるだろう)。
おそらくそれは、それはこうして、「キャラ」が、言語情報に圧倒的に偏っているからだ。
コスチュームや(仕草を含む)外見は、実は「キャラ設定」にとって、言葉の従属物に過ぎない。過去、一緒に仕事をした事があるのに(モトローラが出して、大失敗に終わった「ブログが書けるーー何か、爪楊枝みたいなスティックを使ってーー携帯」の宣伝イベントで対談をした)ディスるように見えたら(ディスではないのだが、以下、誤解されやすいと思うので念のため)申し訳ないのだが、昔日、タレントの真鍋かをり氏は、一人称を「オイラ」とする事だけで、「キャラ設定」を更新し、大成功を納めた。
しかしその後(いわゆる「芸能人として、行き詰まって」)キャラ設定を更新しないといけなくなった時、彼女は再びブログの一人称を変化させる事(「わらわ」にするとか)を良しとせず、キャラ設定のリセットをある日から「酒豪」にした。
しかしこの「キャラ設定」は、余程の真鍋ウォッチャーでない限り知らない。という程度には、有効性を発揮していない。
僕とて偶然見たのだ。海外に旅する番組で、彼女はスイスの鉱山鉄道に乗り込む際、ワインを3本買った。「うっわ、真鍋かをりって今、酒豪キャラなのね。ワイン3本無理でしょ。だってこの電車、終点まで2時間ぐらいよ」と思って見ていたら、結局彼女が飲んだのは、ハードとほほ。1本半なのだった。
(因に、今ではマラソンによるストイシズムをキャラ設定に組み込んだ安田美沙子氏も、一時期「酒豪」をキャラ設定にし、運行できずに破棄した。「酒豪」はキャラ設定に向かない。酒豪の言葉遣い、というのが「うい〜ヒック」以外無いからである。じゃあマラソンランナーにあるかと言えば、無い―
全員、ドーパミンの出し方が同じなので、ハイで気が狂った感じがある。という程度である―フィジカル/視覚的なメッセージだけである。なので、採用はしているが、弱いのである)。
僕は、例えばこうした(悲しさが止まらなくなるような)理由によっても「キャラ設定」という言葉が好きではない。何故それが、一般的な必要性でもあるかのように捉えられるのだろうか?アニメーションや漫画の世界のテクニカルタームに過ぎないのではないだろうか(音楽の世界に於ける「キー設定(後に転調)」に似て<予め設定しないと、そもそも動き出せない>ものとしての)。
真鍋氏は絵に描いた餅ではない。僕は彼女とかなり近距離で、少々の時間を共にしたが、物凄いリアルを感じたものである(ああ、思ったより背が低いのだな。とか、従順な感じなのだな。とか)。それが真鍋氏のリアルな魅力に直結すれば良いのに。と、思うのである。とはいえもし頑張って2時間で3本飲んだとしても、特に嬉しくない。と思うのである。キャラ設定の為に飲まれるワインも、飲むタレントも、共に気の毒である。
それに引き換え、たった今、蜷川実花氏が綾瀬はるか氏の写真を撮っている態のTVCMが眼前で流れている。これは凄い。いたずらに前書きを延ばして遊んでいたら、マジで偶然目に入った。「呼んだ」という奴である。
ここでの蜷川氏は、普段の蜷川氏と、余りにも顔が違う(整形しているとか、修正しているとか言っているのではない。実際に整形したり、修正したりしているのかもしれないけれども、そこはこのCMを論じるに際し、問題ではない)。これはもう完全な「別キャラ」である。
そして、このCMで蜷川氏はほとんど発言していないし、音量をゼロにしても「別キャラであること」は微塵も揺るぎない。つまり、ここでの蜷川氏の別人ぶりは顔面(表情含む)のみに依拠しており、そしてそれは前述の通り、整形とか修正といった話ではなく、また、単にメイクが濃くなったとか、メイクの仕方が変わったといった、「(コスプレの一部としての)化粧」のレベルを遥かに超えているのである。
ここでの蜷川氏の類例が平均的にまかり通るのであれば「キャラ設定」という言葉とニュアンスに対する僕の抵抗感は無くなるだろう。
つまり「キャラ設定」という語の一般化への抵抗感は、漫画やアニメが好きだとか嫌いだとか言う以前に、アニメの概念が人間概念に援用される事に抵抗があるからであり、その理由は、アニヲタがキモいとかいった話ではない(論理的に言って、狂信者は対象が何であろうと一律キモい。チャーリーパーカーだって狂信者はキモい。問題は、キモさ=狂信に対する過敏さが、昨今どんどん高まっている事である。おおらかさゼロの、相互差別社会に向けて、我々は追いつめられている)。
アニメーションに於ける「キャラ設定」が、あたかも総合的であるかのようなそぶりで、実は音声情報に95%ぐらい偏っているという詐称もしくは誤謬(発声と言葉遣いでキャラは設定される=アニメに絵は要らない。のに、そうは言わない/思っていない)と、詐欺もしくは誤謬であるからこそ、ジャンルを超え、人間理解一般へと拡大されてゆく、といった強いパワーに抵抗を感じているのである。
こんな詐称もしくは誤謬さえなければ、真鍋氏は「オイラ」を「わたし」にするだけで良かったのである。アニメに習って、何か行動等も変えないとキャラのリセットが出来ない。という強迫をして、真鍋氏はワインを3本も買い込まずにはいられなかったのである。様々な仕事をしながら、名称を「菊地成孔」に固定してきた事で、自分的には良しとしてきたが、一人称の問題は盲点だった。と今わたしは思っている。
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<ビュロ菊だより>号外No.6
2012-12-10 22:3053pt
どうもどうも菊地です。みんな咳してるねー!こちら「ビュロ菊だより号外no.6」となります。内容は公式サイト「第三インター速報」の短縮版なので、ビュロー菊地チャンネル非契約の方は、これだけ買っちゃわない様に気をつけて下さい!&長文が苦手な方は、一気にスクロールしてください。一番下に、情報がまとめてあります。
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<ビュロ菊だより>号外No.5
2012-12-10 13:00どうもどうも菊地です。来る12年12月12日という無駄にゾロ目な日に、この秋日比谷野音でやった、toe/SIMI LAB/DCPRGの追加公演をやります。 「追加公演」というのはワタシのキャリアの中で初めての事なのですが、DCPRGとSIMI LABのコラボは今年2回しかやっておらず、その都度クラウドがバキバキにアガり狂ったので、まだ見たいまだ見たいと言いまくられて年の瀬に滑り込ませた感じです。 フットワーク軽く、かつ腰を据えてガッツリとやりたいので、自分の膝元というか、歌舞伎町にしました。 元コマ劇場前の「BRAZE」という、ビジュアル系とかJメタルのための中バコなんですが、敢えてそこにSIMI LABとDCPRGと、そのクラウドを全部突っ込んでみようと言う感じです(toeは出ません。念のため)。 OMSBのソロもリリースされて絶好調の新SIMI LABとウチラで、今年のやり納めとばかり
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