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2017年8月の記事 1件

<ビュロ菊だより>No.132「<本書は、私の二冊目の映画批評書である。私は幸福な観客ではない+>」

   口唇が遅れてすみません。間違えた。更新が遅れてすみません。と、先日のトークイベントでの廣瀬純氏のパンチラインを流用してみたが、流用部は「口唇/更新」の部分ではなく「遅れてすみません」の部分だ。廣瀬氏は「遅れてしまった事に間に合う喜び」はダメだと言っている。曰く、交通事故で死んでしまった恋人の遺体を見て泣く、曰く、東日本大震災の現場に炊き出しに行く、曰く「自分さえこうしていれば、こうはならなかったのに」という悔恨、こうした物は総て「嬉しい」のである。そんなもんに淫してしまったら反省しろ、そして「間に合わなかった事に間に合わない」事、例えば、ドキュメンタリー映画用の器材を総て揃えて、2011年3月に、福島に行かずに、群馬でドキュメントを撮っていた青山真治を称揚する。という論法である。青山真治や黒沢清を称揚する廣瀬氏の「日本映画に関する感覚」には違和感を憶えるが、それ以外の総ては親和感しかない。「最終的にクソが出て来る映画」と「クソだらけの世界から始まる映画」の二種類がある、というのは至言である。まあ、こういった話は今回の最後に出て来る。   更新が遅れているのは申し訳ない限りで、単に夏バテとか、詰まらない理由もあるのだろうが、既に世界を覆い尽くさんとしているインスタグラマラスな価値観の定着に辟易しているので(とかいって、「TABOO レーベル」のインスタグラム始めますけどね。アルバム売る為に)、気の利いた写真を上げて、文章を添える。それに何の意味があるのだろうか?といった、間違った感慨を抱いている。どう間違っているかというと、ここは課金性で、主に私のファンの皆さんから料金を頂いているのだから、「写真と解説」の意義は固定されて揺るぎない。揺るぎないのは良くわかっているのだが、それでも嫌になるほど、つまり理性的な理解をブッチ切るほど、世界はインスタジェニックとかインスタグラマーだとかいって、まあ、自分も似た様な事を10年以上もやっていた訳なので気持ちは解る、なのでアホかとは決して言わないが、「猫も杓子も」という言葉があり、これは神主から小坊主まで、女から子供まで、寝ているガキも起きているガキも、といった意味だ。この例えの中だけでさえ「寝ているガキ」以外、全員がインスタグラムをやっている。神主のインスタグラムは見たくなくもないが、音楽家であるだけで自分を表現しているのに、更に表現や発信をする必要があるのか?という問いは、自分の中でも正解は出ていない。「試しに、この連載を文章だけにしてみたらどうだろう?」と思う時もあるのだが、ほぼほぼ80:20ぐらいで、「だったら写真だけの方が遥かに良い」と言われるだろう。  

ビュロ菊だより

「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。

著者イメージ

菊地成孔

音楽家/文筆家/音楽講師 ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。

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