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記事 5件
  • <ビュロ菊だより>No.110「<フジロックに出る>という事」

    2016-07-26 10:00  
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       もう何年前か忘れてしまったけれども、我々(デートコースペンタゴン・ロイヤルガーデン=当時)が初めてフジロックに出る時、ワタシはまだ精神分析の治療中で、「フジロック(の、ような有名でステイタスの高いフェス)に出たら死ぬ」と思っていた。本当に思っていたのである。 

     

     何度か書いている一般論だが、神経症とは、複数の症状に対して、複数の要員がある。これを複合体(コンプレックス)というのだが、それを言葉によって構造を読み取り、最終的に解体することが分析行為であるのも、また一般論である。 

     

     「フジロックに出たら死ぬ」と思うこと、これは不感症の女性と似ている。勃起不全、射精不全の男性とは、「取りあえず」区別する。 

     

     オルガスムスを最悪徳と最重罰と自己決定し、イク(物凄い快感を得る)と死ぬ。と思い、イク前に(それが直前なのか遥かに前かは個人差があるとして)自分で醒めてしまう。パニックの傾向がミックスされれば、イク直前に相手を投げ飛ばしてベッドから闘争する患者もいる。 

     

     何れにせよ、そんなに深刻な症状ではない。イカなくても(実際は、もちろん「イッても」)死にはしない。リスクがあるとすれば、相手の男性(或は女性)を追いつめてしまうか、場合によっては相手が、プライドを守る為に暴力を振るったりする可能性まである。それだけである。 

     

     罪悪感=宝の在処を移動させてやれば治りそうなものだが、複合的だからそうはいかない。絡んだ糸である。 

     

     それにワタシは、不感症の女性と違って、というか、逆転的に、いくら真剣に「出たら死ぬ」と思い、過換気になっても、眠れなくなっても、結局出た。つまり、さきほどの例えで言えば、イったら死ぬと思いつつイッた訳で、なんだかんだ苦しいフリ(勿論、演技ではないが)をして、お宝の価値を上げ、そして、出ても死なない事によって、下ろした。つまり、神経症者がよくやるマッチポンプをしただけとも言える。 

     

     神経症の話はどうでも良い。フジロックの話だ。神経症の話の方がフジロックの話なんかよりずっと興味がある。という方には、悪い事は言わない。退会をお勧めする。 
     

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  • <ビュロ菊だより>No.109「ルックスを変える+」

    2016-07-22 10:00  
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    <7月某日 アレクサンダー・マックイーンでスーツと靴を揃える。伊勢丹メンズ館のマックイーンのバイヤーは私の事を知っていて、特にラジオが好きで、最近だと「ノンストップ・ビートルズ」が最高だった。と言った>   「マイルスのカプセル怪獣」こと、「となりでサックスを吹く男達」がいるが、その中でも私が最も愛するのはデイブ・リーブマンに他ならない。このあいだ、「なんとかサックス」みたいなサックス・マガジン(意外といっぱいあるのだコレが)の特集記事で「マイルスの隣の男」みたいな感じで、歴代のサックス奏者のうちで、あなたは誰が一番好きですか?理由は?ベストプレイは?みたいな、結構突っ込んだアンケートの仕事があったので「自分の母体になっているのはウエイン・ショーターだけれども、他人事だと思って眺めるとしたら(全部他人事だ・笑)、圧倒的にデイブ・リーブマン」と解答した。   あれこそホワイト・ドーベルマンであろう。一番マイルスが吹かない(吹けない)時期に、マイルスの、何だか意味の分からないソロが終わると、猛然とサウンドに噛み付いて、吠えまくり、引きずり回した。マイルスが「豹を連れて歩いた黒人たち(今更、誰とは言わないが)」に強く憧れた事を、最も鮮やかにトレースしている。ウエイン・ショーターは「物凄く頭の良い(主人より良いかもしれない程の)忠犬」という感じではないだろうか。私は野良犬の友人だが、野良犬を最高位に置くほど不良ぶりたい訳ではない。マイルスが連れた野良犬の代表は言うまでもない、ジャッキー・マクリーンである。   とまれ、今回は「伝説の<ライブアンダーザスカイ・マイルスコルトレーントリビュート>の2トップ(2ソプラノ)試合」が、一般的には「圧倒的にリーブマンの勝利」と看做されがちだが(私もそう思っているが)、今改めて、特に音源だけで聴くと、ショーターは既に現在のカルテットのスタイルを取っており、少なくとも先鋭性に於いては、無用なほど高かった、つまり「速すぎたが故の、観客からの圏外」という立ち位置を、我が身に比そうなどという、身の程も恥も知らぬ不細工な行為をするつもりではない。   マルチリード奏者とまでは言わないが、ソプラノを筆頭にテナー、日本ではついぞ披露しないが、アルトやバスクラも吹かいではないデイヴ・リーブマンは、「楽器の持ち替えに」ついて、私の世界認識の一角を形成するほどの強烈な金言を残している(そもそもリーブマンは大変なカマシ屋でフカシ屋であり、でないと金言など引き出せる訳が無い*「M/D」参照)。   「持ち替えた奏者が思っているほどの差を、客は感じていない」   凄い。ユダヤ人にしか言えない言葉だこれは。   私はペペトルメントアスカラールでのみサックスを持ち替えるが「おお、いまアルトになった」「やっぱテナーはいいなあ」とか観客は思っていないだろう。ただ、私自身も思っていないので、考えようによっては、私は小林信彦が自称した様に日系のユダヤ人なのかもしれない。   日系ユダヤ人にとって、「ルックスを、能動的に変えて行く」事は、宗教上の規律だ。私は6歳、15歳、18歳、飛んで30歳、飛んでイスタンブール、飛んで39歳、50歳の時に、能動的に自らのルックスを一変させた。マイルスの様に、女(母や妻)の影響ではないのが我ながらかわいげの無い所だと思うが、必要性があって思い立ち、さっき「一変」と書いたが、ある日一度にしたのではない。徐々に確実に行うのである。   ちょっと前に心的予兆があり、「禿げたデブになろう」という心の声を聞いてしまった、と書いたら(書かなければ良かった)、物凄い数のメールが届いて、「禿げは構わないからデブはいかん」と言われた。「何故デイブ・リーブマンの話しから?」と思っていた方で、デイブ・リーブマンについて熟知している方であれば、流れの自然さはご理解頂ける筈だ。   最近はファンメールも数名の決まった方(私のメールボックスの中で日記を連載している様な方など)からしか来ないし、驚いたのは「こんなに沢山、<ビュロ菊だより>を読んでる方がいる」という事である。ここ数年で、飛び抜けて多かったので、腰を抜かしていたら、次に多かったのがすぐつぎに来た。内容は「ズッカのPコートください」(笑)。余りに驚いたので、「肥りたい」という欲望は無理矢理封印する事にした。そのツケとして、痩せたままルックスを変えて行かねばならない。自分でも何をしでかすか解らない。
     

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  • <ビュロ菊だより>No.108「鳥」

    2016-07-11 09:00  
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     タイトルは「ヒッチコック映画がいま、韓国の、複数のテレビドラマに影響を与えている。という、非常に奇妙な現象」について考察しようというのではない。 

     

     ここ数年で私は「ポスト韓流」とも言うべき、韓国のヒップホップならびに、韓国映画とテレビドラマに、耽溺と言って良いほどのハマり方をして来て、それは現在も続いている。これを書き終えたら、イ・ソングクとチャン・ナラ主演の「君を憶えている」を、夜通し全巻観る事だけを楽しみにしている。 

     

     韓国のテレビドラマで、タイトルが「君を憶えている」では、とにかく先入観の抜けない頑固な人々は「冬のソナタ」のような物だと思うに違いない。そういう人々には電気について「<ああ、知ってるよ。コミカルラップの新人だろ♪痩せない痩せない痩せないよ~。そんなに食べてちゃ痩せないよ~♪とかいうフックの>と、言われたらどう思うかね?」と言うだけの事だ。 
     

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  • <ビュロ菊だより>No.107「羊をめぐる冒険」

    2016-07-03 10:00  
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     タイトルは勿論、「<ニューチャプター/いまジャズ>なんて聴かなくても良い―――大意―――と発言した村上春樹氏に、大西順子氏の新譜を聴かせる事で、無理矢理にでも耳に入れてやる」という音楽テロを暗示するものではない。あくまで私感だが、村上氏は、ジャズの中の「ノスタルジックな気分」をかなり重要視しているし、更に言えば「金にならない」という側面も、とてもうっすらだが(無意識に近いほど)、親近感の様なレヴェルで捉えていると思う。 

     

     両者とも、後者は特に「大西順子のおっかけ」という行動とはコンフリクトするが、まあ、そこはそれ村上春樹とて人類だ。「萌えた」のであろう。萌えてしまえばコンフリクトもノーベル文学賞候補もサイトウキネンも、グラミー賞獲得も、愛も死もない。萌えるだけだ。私は「TEA TIMES」のプロデューサーとして、一点だけ心掛けた。答えは言うまでもないと思う。「大西順子に萌えない事」。 

     

     コツを知りたい方は更に課金して下さればご教示差し上げるに吝かではない。<萌えという地雷を踊りながら避ける事が出来るスキル>は、とても重要である。私はこれを「イン・ベッド・ウイズ・マドンナ」という1991年の映画から学んだ。デヴィッド・フィンチャーの代役としてこの素晴らしいドキュメンタリー作品の監督を務めた、当時26歳だったアレック・ケッシアンは、「登用されて最初に思った事は?」という質問に対し「少なくとも映画が完成するまでは、マドンナと寝れない。という事」と答えた。 
     

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  • dCprG新メンバー募集に関しまして

    2016-07-01 08:00  

    以前より募集をさせていただいております、dCprGのベーシスト、ドラマー募集に関しましてですが、

    最終の締め切りを7月末日と設定させていただきますので、我こそは!という方はご応募ください。

    以下、ご確認の上、ご応募ください。

     

    1.     プロアマ、自薦他薦は問いませんが、他薦の場合、ご本人の了承済みの場合のみご応募ください。

    2.これまでにご応募いただいている方も含めまして、8月に審査をさせていただきます。

    3.ご応募の際には、音源データ、もしくは動画サイトでプレイが確認できるURLなどをお送りください。書類のみの受付は致しませんので、ご了承ください。

    以前にご応募いただきました方で音源未送付の方は、お手数手ですが、再度音源、もしくは音源を確認できるURLをお送りください。

    楽曲はオリジオル、コピー何でも構いません。dCprGの楽曲である必要はござ

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