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<菊地成孔の日記 / 2021年12月29日23時記す>
2021-12-30 10:00220pt24親の因果が子に報い、と言うが、僕は何度も繰り返したように生みの母と育ての母が姉妹で、育ての母が統合失調(昔日は「精神分裂病」と呼ばれていた)なので、要するに母像が分裂している。そして、そのラインでかどうかわからないが、父親は1人だけであるにも関わらず、不像も分裂している。
菊地徳太郎はもし生きていれば99だし、知可子(実母)は97である。要するに僕は、彼らがもの凄い恥かきっ子(両親が老いてからの子供。の意)として僕を産んだお陰で(というか、彼らは若くして長男秀行を産みーー世代的な常識でーー多産を計画していたが、死産が4人続き、6男である成孔をやっと生きて世に出したので、疲れ果てて倒れたのである。僕が死産していたら彼らは妄執に突き動かされて、60代になってもトライしたはずだ)、僕は小学生の頃から、クラスメートたちよりも早く両親を失うな。と思っていた。
もし穏当に30歳で両親が僕を生 -
菊地成孔の日記<新音楽制作工房>立ち上げに際して
2021-12-27 16:0011新音楽制作工房の皆様
菊地です。LINEにも書きましたが、あとはテクニカルな模索だけ残し、とりあえずカタログはリアルサウンドの記事、岸辺露伴シーズン2の初回オンエアまでに立ち上げられそうですね。皆さんの音楽的才能だけではなく、ひょっとするとDAWと密接的に関係があるかもしれない、ウエブデザインや運行能力、結束力に、またしても驚かされました。僕は、バンドを作ったり、リハをやったり本番をやったりはできますが、ご存知の通り、本当にデジタル社会に関しては能無しなので。
皆さんに認識していただきたいのは、第一にはこのカタログが、見切り発車の形でスタートすることです。見切り発車に抵抗がある方もいると思われますが、あくまで僕個人は、見切り発車には抵抗がありません。人生はいつでも見切り発車で、そもそも完全な計画出産で生まれた方は少ないでしょうし、「私立ペンギン音楽大学」は、全てのシステムと校則 -
<菊地成孔の日記 / 2021年12月24日午前2時記す>
2021-12-24 10:00220pt26僕が一番日常的に信仰の勤めを行なっているのは神道と祖霊崇拝である。毎朝神棚に柏手を打っているし、毎晩亡くなった血族と交信している(トイレで。名前と顔を思い浮かべて数分間集中するだけだが)。しかし僕は、宗教はすべて信じている。腕に入っているのはヒンドゥー教の神像だし、最初の結婚式はパイプオルガンが有名な教会で行なった、多くの音楽は宗教と関係している。汎神論とも実質的な無神論とも違う、すべての宗教は同じものだと思う。
キリスト教は中でもかなりエグい方だ。でないと特定宗教行事がここまで世界中には広がらない。というか、クリスマスの世界的な(もちろん例外もある。僕はモロッコ人がいかにクリスマスと正月を杜撰に扱っているかを調べるためにモロッコで年末年始を過ごしたことがある。その時の元日の写真が「野生の思考」のジャケットになった)行事化は、熱心なキリスト教徒には頭の痛い現象ですらあるのではないか?と思う。
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<菊地成孔の日記 2021年12月22日午前7時記す>
2021-12-22 11:30220pt14何か全てが遠い過去のようだ。僕は神田沙也加氏とスパンクハッピーをやろうとして動いたことがある。まだマネージャーが長沼ですらなかった頃だ
全てがもう時効という感じがするので、そして今、夜明けの一番日差しの強い時間なので、とても自然に書いてしまうけれども、僕は1998年に大病して入院し、退院したら原みどりさんがスパンクハッピーを辞めて(河野伸君はその前に辞めていた)、1人になってしまった。
以下、初めて書くことが続くが、僕はファーストスパンクハッピーと全く別に、セカンドスパンクハッピーの構想を練っていて、最初はポップな作曲のパンクバンドだった。角川春樹さんの娘さんはケイティと言って、当時、ケイティ&ダイナマイツというバンドも解散し、行方が分からなかった(ダイナマイツの「ワイルドルビー」は本当の名曲だと思う。「フロイドと夜桜」は、この曲とhitomiの「サムライドライヴ」とバグルズの「ラジオスターの悲劇」を足して、トニックディミニッシュを2小節目に入れた世界で唯一のロックナンバーである)。「ケイティとバンドをやったら死んじゃうかもな。自分かケイティが」と思っていた。
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<菊地成孔の日記 2021年12月16日午前4時記す>
2021-12-16 10:00220pt34全く気がつかずに「大恐慌へのラジオデイズ」を1週落としてしまったし、気がつけば日記の更新もかなり間が空いてしまった。僕は母方の遺伝子的にアルツハイマーとパーキンソンをもらっているはずなので、若年性のアルツハイマーになったら世界がどう見えるのだろうかと考えたりもするが、今は単に忙殺されているからだろうなと思う。
あらゆるところで強調しているので、むしろ秘匿や歪曲強調の類だと勘ぐられる可能性すら出ているが、僕は基本的に運命論者で、投機的に、計画的に物ができない。また、精神的にも肉体的にも開放系(いわゆる「開放的な性格」だという意味ではない。僕は自分が閉じられない)だと自認しているので、とにかく、あらゆる全てのことが、ただ歩いていると出くわす。つまりストリートと直結している。サバールを叩いて、サックスを吹いて、ピアノを弾いているうちに、あらゆることが起こる。
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