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<ビュロ菊だより>No.42『MAILS (DAVIS)』
2014-10-19 10:00220pt10年聴き続けた大向こうの1人です。いかにも大向こうが言いそうなことを申し上げますが、私はペペの時の(DCPRGは99年のスタパインズカフェからの、もっと大向こうです)菊地さんのメンバー紹介が、「京マチ子の夜」や「ルペ・ベレスの葬儀」よりも、すこし好きです。 そして、今回だけは特別でした。いつでも自己更新されてゆく菊地さんのパフォーマンスですけど、今回のメンバー紹介を越える事は無いと思いました。 私はインターネットを、菊地さんのサイトを見る以外はほとんど使わないので、菊地さんがインターネット社会に警鐘を鳴らしている(?)という事の意味があまり良くわかっていなかったんですが、大儀見さんの件(と表現すべきかどうか。。。。)の時は、ずっと胸が痛く、しかし嬉しい、という不思議に苦しい気分でした。私の子供はどちらも女なので、私も含めて、男同士の友情や信頼というものは、一生傍観するしかない生き物なんだなと思うと、不思議な気持ちにさえなりました。 東京ジャズも伺いましたので、大儀見さんが既に復帰されていることは分かっていましたが、改めて菊地さんが大儀見さんを、余計な事は何も言わず、でも、心底真心をこめてお名前を紹介されたとき、拍手がオペラのカーテンコールの様に鳴り止まなくなって、どんどん大きくなっていったとき、最初は粛々としたお顔だった菊地さんが、嬉しそうに、そして照れくさそうににやにや顔になって、ピアノの林くんの方を向かれました。 それはきっと、大儀見さんもニコニコされているだろうと想像されたからだなと私は思いました。だって演奏中、大儀見さんは田中さんや鳥越くんとニコニコ楽しそうにしていたからです。 そして、菊地さんがぱっと振り返ると、大儀見さんが感極まって下を見ていて、菊地さんはすごく焦った顔をなさいました。ステージではいつだって冷静沈着な菊地さんが、おろおろしている様に見えました。 そこまではいいのですが、そのあと菊地さんはヴァイオリンの梶谷さんの紹介に移って、梶谷さんがおしっこを漏らしたとか、毎晩夢(?)の中で裸にしていたのに、ある日、舞の海に似ている事がわかって萎えたんだけど、不屈の精神力で裸を想像し続けたとか、すごいパワーで下ネタを連発し、お客さま達を笑わせ続けようとした、その必死の態度を見たとき、私は泣いてしまいました。 菊地さんはその気になれば何でも出来る方ですので、人を泣かす事なんてお手の物で、ラジオでも本でもライブでも何度も泣かされました。でも、ご自分がお客様の前で泣いてしまうのは絶対に嫌なのだな、と思ったからです。芸事をなさる方、舞台に立つ方、というのは、そういうものなんだな、と思いました。 10年間通い詰めましたので、いろいろな思い出のシーンがあります。でも、あの夜のメンバー紹介の時の菊地さんの、命をかけても流れを笑いに変えてやるという必死の形相を、私は一生忘れません。 大儀見さんが戻って来られて本当に良かったです。大儀見さんや坪口さん、津上さんや大友さんが菊地さんと、同じ会社の同僚の様に、ごくごく自然に同席されていて、家族が一緒に食事でもしているような感じで演奏している自然なさまは、オムスビートくんを我が子のように見つめていたり、林正子さんに紳士的に接したりしている所よりも、何倍も、何百倍も好きです。男性どうしというのは本当にいいなあ。と思います。主人も会社で、あんな姿で働いているのかな、まさかな、でもそうかな、と想像しています。 私はむかしむかしは、自分も若く、菊地さんを愛人のように、恋人のように思っていました。でも、いつの間にか菊地さんが、主人の様に、好きなお仕事を、大切なお仲間と一緒に、ごくごく自然に、いつでも一生懸命なさっているのを見ることが好きになりました。10年間というのは、とても長いですね。へたくそな文章を読んで頂いて有り難うございました。お体にお気をつけて、これからも皆さんと一緒に素晴らしい人生を送って下さい。 ○△× -
<ビュロ菊だより>No.41『ワタシを焼きしめて(ガザにココスを)』
2014-10-13 07:00220pt
「抱きしめて」の誤植ではありません(っていうか出版物のデジタル化によって、「誤植」という物が、限りなく減ったか、あるいは消えてしまったかの様な昨今ですね。誤植好きだったんですけどねえ)。これは先日、生まれて初めて「ココス」というファミリーレストランに、ホットアップルパイ目当てで(アメリカ食に強い知人に「今、アメリカ家庭風のホットアップルパイが日本で一番旨いのはココス」と聞いたので)行った所、勿論そいつが言うだけの事はあって、ホットアップルパイは旨かったんですが、それよりも、やはり初めて行く所というのは総てが新鮮で、しかも金の鉱脈だったりする事もありますファミレスの場合。
ちゅう事で、「すわ、ポストロイヤルホストか!!」とご期待される好事家の皆様もいらっしゃると思いますが、そこまでではない、ちうか、全然問題のあり方が違うんですが「ココス」のメニューはヤバいです。
それは何故か、鉄皿で供されるハンバーグステーキ、並びにサーロインステーキにアツアツのペレット(網状になっていない、鉄板そのもののグリル板)が付いていて、自分で切ったハンバーグやビフテキの一切れを、ペレットに押し付けて「ジュー」とか言わせて食べる。という、一種のサーヴィスなんですが&それ自体はまあ、かなり珍しいっちゃあ珍しいものの、意味も意義も充分に分かりますし、実際にビフテキでやってみると、そのサーヴィス自体は普通に嬉しい物で、ワタシの様なビアンキュイ派(ワタシは、生の肉が喰いたければ、肉刺にしてしまえば良いと考えますし、セニャン/ブルーレア派の「血の滴りがタマラン」的な美意識が良くわかりません。むしろ良く焼いた方が血は滴りますし)には「みんなもっとやれば良いのに」ぐらいの感じだったんですね。
ところが、好事魔多し(違うか)問題は「言葉」でして、その行為を指す言葉がですね、まあ、メニューにこう書いてある訳です。
<熱々の加熱用ペレットに置いて、充分に焼きしめます>
あるいは
<ペレットを使用して充分に焼きしめてお召し上がりくださいませ>
と書いてあるのでした。「これは、、、、遂に来た、、、、運命からは、逃げられないのか、、、、、」と、メニューを持つワタシの手が若干震えたのは言うまでもありません(笑)。
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<ビュロ菊だより>No.40『夏の幽霊が潜んでいそうな秋について。51歳に成ると21歳のようにセンチメンタルに成る。』
2014-10-05 19:00220pt
ワタシは本当に「去年何があったか」を覚えていない様な、楽々薄笑いなフォームでのシュトルム・ウント・ドランクを過ごしている訳ですが、次の本を書き始めました。すわ!グルメ本か!という方々ごめんなさい、音楽本です(笑)。しかも今度は単著なので、、、まあいいや、詳報は後ほど。といった所でしょうか。
「33年後のなんとなく、クリスタル」は3度熟読しまして、「山口百恵は菩薩である」も通読しましたが、やはりこのまま読書習慣が戻りそうなので嬉しいやら懐かしいやら。しかし、この年に成ると「懐かしい」のはまあ、そんなに、最高に良いもの、ではなくなりますね。これが一般的な事なのかワタシの個人的な病理なのか解りませんが、未来志向になります。
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