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<菊地成孔の日記 2024年11月27日記す>
2024-11-28 10:00220pt7ずっと両腕と手首と肘と肩、そして後頭部と目が痛い笑。頭は眼精疲労のせいで、両腕はキーパンチしすぎだ。ノートブックPCで腱鞘炎になるとはね。そもそも考えてみれば、っちゅう話だけれども、「完全書き下ろしの単著」というアイテム自体が生まれて初めてなのであった。
「スペインの宇宙食」なんて「ゲットアップウィズイット」みたいなもん(=あちこちに散逸した非正規音源の寄せ集めだマイルスのアレは)だし、マイメンとの共著も、最新の対談集を除けば大学の講義録という元手があったし、正直、雑誌連載、WEB連載という「元手」がないのがこんな大仕事だとは思ってもみなかった笑。気が狂いそうだ笑。
僕のような遅咲きの老人でも、紙媒体の連載さえ「歌舞伎町のミッドナイトフットボール」で早々と終わっており、残る連載は(個人的に最も愛着がある「服はなぜ?」を除けば)全てWEB連載で、講義録とて美學校と東大2個と慶應だけだ(単発の講義も含めば、僕は25大学の教壇に立っていると言うのに。来年からまた立ちたい。今の方が昔より遥かに大学講師として優れていると思うんだけれども)。
まあまあ山籠りみたいな感じで、万年床でカルモチン喰らいながら書いていた坂口安吾というのは美化も良いところだとして、じゃないとネカフェなんてトライアウトにしたって行くわけがない。アレだったら音楽用の貸しスタジオ(っていうか100%NOAHだけどさ笑)で書いた方が1000倍良い、というか比べられない。建築物全体のオーラが全然違う。なんだあすこはソフトクリームばっかいっぱい食わせやがって笑。
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<菊地成孔の日記 2024年11月24日記す>
2024-11-25 10:00220pt7僕が처음 뵙겠습니다.만나 서반갑습니다というと、チャン・ゴンジェ監督は同時通訳の方を向いて한국어를 할 수 있습니까?と言ってニコニコした。「いや話せません笑、リトルコリアに住んでいましたが(以下、いつもしている話)」と言うと、「A Midsummer's Fantasia 에 대해 좋은 평을 써주셔서 감사합니다」と言った。今回対談をする条件として、「欧米休憩タイム」に収録した「ひと夏のファンタジア」に対する批評を韓国語に訳して、読んでおいてもらう事、監督の過去作品を全てDVDに焼いて事前に貸してもらうこと。を前提にしたのである。
対談イベントは、登壇するまでは相手と話さない。と決めておいた方がやっぱり良いな。と思う。重要なことは殆ど学や挨拶の際に話してしまい、とうとうPRIMARYについてまで話が盛り上がって(どういうわけだか。としか言いようがないのだが、僕が会う外国人監督はみんな音楽の好みが一緒で以下、ハングル入力がめんどくさくてしょうがないのでカタカナで書くがゴンジェカンドンニンはナヌン・ヌジャベス・チョアヘヨなのであった。「タンシギニン・ヨアエヌン・ヌジャベス・エオウリムニダ」と言うと、もうカタカナもめんどくさいので漢字とひらがなとカタカナで書くが「ジャズっぽいヒップホップだったらヌジャベスが一番良いですね」と監督は言い「あなたの音楽も聴きたい。ジャズなんですよね」と言って盛り上がったので「と、こういう話をステージでしましょう笑。チャルプッタッケヨ」と言って、楽屋を出て行ったのだけれど、もう、したい話は終わってしまっていたのだった。
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<菊地成孔の日記 2024年11月17日記す>
2024-11-18 10:00220pt14夢グループが、前番組、前々番組も含めると、気がつけばもう10年以上になるテレビ番組(BS朝日)があって、毎回見ているテレビ番組(BS朝日)があって、毎回見ている。「人生、歌がある」というタイトルで、まあ、改めていうまでもないが、ベタなタイトルである。この4月からは、司会が吉育三と岡田美里(ファンファンの娘で、元・マチャアキの嫁)になり、完全に安定した。
夢グループのことも、ましてや、この番組のことを、「正しく」説明するのは、僕には無理だ。いま、説明が一番難しいものになってしまった。これを20世紀的なキャンプの果てとするか21世紀的なニューシングとするか、もう既に、前者はマツコ・有吉でも取り上げられまくっているし、なんと我が故郷の銚子電鉄(廃線になるなる詐欺と言われて30年ぐらい経つ。僕も、デビューしてからほぼ毎年、イベントの依頼が来るが=全てが「セーヴ・ザ・銚電」なのだけれども)とさえ夢グループはコラボしている。
20世紀サブカルの知性の最高値を持ってしても、夢グループの説明は難しい。不確定性原理の説明が難しいような難易度ではない。そこに映るものは、50代以上の日本人なら誰でも知っているような有名物の残骸ばかりで、僕も、初見の時は残骸の集積にしか見えなかった。
なのだけれども、それがそうでないことはすぐにわかった。その時の、途方に暮れ方はハンパなかった。自分の説明能力を過信していたのだ。何だって的確に説明できる。オレが説明して意味不明というやつは救いようがないバカだ。ということで、60年近く生きてきてしまったし、未だに、夢グループと、「人生、歌がある」に関して以外ならば、そのことに揺るぎはない。
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<菊地成孔の日記 2024年11月11日記す>
2024-11-11 14:00220pt16缶詰になってるホテルは居心地良いが、古いので隙間風が吹き、流石にデロンギのオイルヒーターを入れた。本当に「還暦」とは言ったもんで、気がつけばあらゆる事が還っている。QN/Kの「told me」の歌詞に書いたが(最初この曲は語順が逆で「#me told」の予定で、いわゆる#mee tooとライミングして、、、、、とか思っていたが、なんとなくやめた)、別れた人たちが皆、生まれ変わって会いにくる。さっき天ぷらを食った。ヤリイカが美味かったが、これは、あの時僕が実家で見た、喧嘩の勢いて空中を飛んで地面に落ちたヤリイカの天ぷらの生まれ変わりだ。
こうしてあらゆるあれやこれや、人だけではない、気がつけば何をやっても、一挙手一投足がダブルイメージで、世界が生まれ変わって僕に会いに来ている。缶詰になる事自体、「歌舞伎町のミッドナイトフットボール」以来だし、というか、僕は易学一般をほとんど信じないが、根本から信じていないわけではない、経絡理論は間違いなく正当性があるし。
なので、60歳を過ぎると、世界の側が、僕の人生を漠然とトレーシングしているように感じている。これはなかったなあ59歳までは。すごい感覚である。
漠然とトレーシング、のニュアンスは伝わりづらいと思う。似て非なるもの、とは違うし、「ここは昔の反復(=過去)、ここは全く新しい何か(=未来)」とかいった、ありきたりな二分法とも違う。去年、昔の病気が再発した辺りから、気がつくと秒単位で還っているのがわかるようになって、発狂したのかと思った。
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<菊地成孔の日記 2024年11月1日記す>
2024-11-02 10:00220pt6いよいよコロンボ本の全ての準備を終え、執筆に着手した所だ。11月は人っ子一人会う暇がなくなると思う。山籠りと同じである。今、自分でもびっくりしたが、急に思い出した。「じどっこ地鶏」という宮崎産の地鶏料理の店かなんかがあったが、なんか不自然だけど良いリズムの名前だなあ、と、20年ぐらい思っていたら「人っこひとり」だった!!
歯応えのある、炭火焼きの鶏肉料理について驚いている暇はない。なんと、示し合わせたかのようにNHKがBSでコロンボ一挙放送を行うのである
まあ、今までもNHKBSのキラーコンテンツとして、ずーっと何度もやってるのだが、今回は引きの強さが出てしまったとしか言いようがない。僕がしくじりさえしなければ「刑事コロンボ研究(仮)」は3~4月には出るはずだ。コロンボは69作あるので、ウイークリーの放送だと1年以上は悠にかかる。
これは太字にして江戸時代の禁令や死刑囚の似顔絵みたいに町の角々に木製のペネルを立てて大書きしたいのだが
必ず全話録画しておくように!!
この本が僕の他書と違うのは「対象作品を見ようと思えば簡単に全部見れる」という点なのである。
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