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記事 7件
  • ビュロ菊だより 第三号「菊地成孔の一週間」自己更新、そして隔離可能性とサーキットの両立を目指して〜

    2012-10-31 11:00  
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     「菊地成孔の一週間〜自己更新、そして隔離可能性とサーキットの両立を目指して〜」

     

      

      

       10月24日(水曜)

     

       初回の日記を改めて一気に読み直すや否や(厳密には3分の1ぐらい読み進んだところで)、量が多すぎはしないだろうかという強い疑念が生じる。自己更新を目指すという、高邁な目的意識に憑き動かされていたとはいえ尚、これでは早稲田の男子学生しか食いきれないのではないか?

     

       厳密には如何なる筆者も自分が書いた文章を完全に客観的に読み返す事は出来ない。そして「長過ぎる」という声は、クレームとしても助言としてもひとつもないのである。これはいったい何を意味するのだろうか。

     

       筆者としての僕の、大まかな理想像は

     

      1)       一気に通読できて

     2)       退屈や眼精疲労などによって読快度が落ちる事無く

     3)       週に3〜4回読み返したくなる

     

       といったもので、しかしこれは、前述の食事のポーションのアナロジーと全く同じで極めて難しい。

     

       早稲田の男子学生にとっての大盛り定食は、ヨガの行者の一週間分の食事量に匹敵し、どんどん増えてゆくギガ数は、2030年には白米だけでも10キログラムに達するという。同年には原発が無くなるというのに、大丈夫なのだろうか?「ビュロ菊だより」の購読層が早稲田大学出身者、もしくは通学者に集中していないかどうか、すぐさまリサーチしないといけない。

     

       とか何とか、非常に重要のようでもあり、完全にどうでも良いようでもある話(っていうかそもそも、この日記コンテンツのマストではないと言われているのである・笑)を弄んでいたら、急激に寒気がし、咽喉痛が襲ってきた。

     

       あれ?おっかしいなあ。風邪は先々週にひいた。複合的な疲労の錯綜を緩ませようとして、自然に風邪はひくようになっているのである。今は風邪をひくタイミングじゃないぞ?

     

       う。そういえば、凄い咳をしている生徒が何人もいたけれども。そしてなんかこの、最初から気管支のあたりがむずむずする感じは、体をほぐす、ナチュラルな風邪の感じじゃない。そして、なーんか懐かしいんだけど。てか明日から、っちゅうか数時間後にはペペのサーキットが始まるんだけど(笑&滝汗)。集合前に医者に寄るとなると(笑&滝汗2)。

     

      

      

       10月25日(木曜)

     

      

       2時間だけ仮眠をとって内科医に行くが、まだ発熱も7度前後だし、喉も腫れていないし、と、抗生物質なしの、軽めの風邪薬セットが一週間分出る。これは正しい処置だ。

     

       「あのうワタシ、5年前にですね、マイコプラズマ肺炎やってまして、その時の兆しと凄く似てるんですよ。その時も最初、普通の風邪薬が出て」と言うが、医師は一瞬、心気症の患者(ちょっとした兆しを死病と考えたがる強迫症。著名な患者にウッディ・アレン、大槻ケンヂとその父、等々)を見る蔑視線にならぬように心を配った後、「そうですか、でも現状ではチェックできないんで、とりあえずこれ飲んで、症状かわったらすぐ来てくださいね」と言って微笑んだ。お手本とも言える正しい処置である。

     

       こんなときに限ってコンビニの雑誌に「マイコプラズマ肺炎が大流行中」とある。マイルスの命を奪ったとは言わないが、晩年の「病弱マイルス」の命を何度かは脅かした病気である。詳しくは検索して頂きたい。細菌の繁殖による肺炎である。

     

       僕は2007年にこれを罹患し、人生が変わった。何せ小学校5年から実に34年にわたった喫煙依存が苦もなく治ったのだ。そして入れ替わりに、これまた突如として(未だに理由はよくわからない)、何の苦もなく飲酒がどこまでも可能になったのである。ゴロワーズからブルゴーニュへ。今でも「え?タバコやめたのええええええ酒飲むの菊地!!」と驚く旧友が絶えない所以だ。

     

       まあ良い。まあ良い。演奏には絶対に影響は出ない。いや、出る。良い影響が。と心中で唱えながら新幹線に乗り、名古屋ブルーノートに着き、いつものようにサーキットが始まった。いつもと違うのは、メンバーと食事を一緒にしない事、メンバーと握手をなるべくしないこと、ハグやディープキスを絶対にしない事、セックスは死んでもしない事(洒落が通じない奴を相手にする必要は無い。とよく言われるのだが、念のため。ハグまでが実際です)だ。

     

      

       演奏は本当にすばらしい物になった。文章と筆者の関係と同じで、演奏家は原理的に、自分の演奏を客観的には聴けない(録音物は再生品であり、演奏そのものではない)。なのでこれは幻想である。幻想だが、虚妄や社交辞令やお約束ではない、真剣にそう幻想しているのだから仕方が無い(後日、マイコプラズマ肺炎のままサーキットしていた事をステージで白状すると、「やっぱり、音の張りがなかったですね」とかいった、これみよがしのメールがいくつか届いたが、マジ勘弁。どう考えても最高っしょとかいった話以前にこれは、人の心に「やっぱりな〜」と言いたい。という欲望があって、事実関係は関係ない。という事の現れだろう。「実はもう、このバンドやりたくないと思ってやってたんですよ今日」と言ったとする(嘘で)、絶対に「最初から気づいてました」というメールが来る。ぜんぜん上手くいっている大好きな彼女に「いきなりですが別れてください」と(嘘で)言ったら、「ええ?何で?」と「やっぱりね」の確率はほぼ同じな筈だ。まあ何でも良い。演奏が悪くなったと感じたら、即メンバーを変えるか、演目を変えるか、バンド自体を無くしてしまう。第一に自分がもたない。

     

       客席からのヴァイブスは演奏家が客観視できるもののひとつだ。名古屋ブルーノートで「客筋が悪くなったな」と思った事は、どのバンドでも一度も無い。ラジオによってビギナーが増えたのは、野鳥の会のように計測できたが、何らかのフラグメントがフックになってビギナーになった人々はほとんど同じ反応をする。驚愕するのである。

     

       終演後、ホテルの地下にある居酒屋で打ち上げになった。絶対に行くべきではないのだが行ってしまう(俺の馬鹿。凄く馬鹿)。マッコリのロックを飲みながら第一ヴァイオリンの吉田君の異常な可愛さ(「吉田君、吉田君って何が好きなの?」「菊地さん僕は揚げ物が好きなんですよ。なんで、妻に唐揚げばっかり頼んじゃいますねやっぱり」「トンカツは?」「あ!あれもすごく旨いです」)、第二ヴァイオリンのお姉様とヴィオラのお姉様と一緒に楽しんでいる間も、どんどん菌が繁殖してゆくのが解る。
     

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  • ビュロ菊だより 第三号 グルメエッセイ第二回<愛のメッセージはすぐ近く、例えば手元にある>

    2012-10-31 02:00  
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    グルメエッセイ「もしあなたの腹が減ったら、ファミレスの店員を呼ぶ丸くて小さなボタンを押して私を呼んでほしい」
    第二回 <愛のメッセージはすぐ近く、例えば手元にある>  2009年10月7日映画美学校音楽美学講座メソッド初等科の授業初日。今年は40名以上の大クラスに。終了後、七丁目交差点のロイヤルホストでフライドチキンとシーザーサラダとドリンクバー。誰も指摘しないがロイホはメニューのデザインやコピーが実はとうの昔からとんでもないことになっており(皆、ファミレスのメニューなんてどれも同じだと思っていて気がつかないのである)、それに突っ込んでいるだけで10時間ぐらい爆笑が保つのだが、1章に値すると確信するのでまとめて書いてみたいと思う(念のため。料理自体の話ではない)。      *    *    *    *   初回(前々号)のテーマが大テーマだったのに続き、今回も大テーマなので、この連載ひょっとすると5回ぐらいでネタが尽きてしまうのではないかしらんと、我が事ながら心配してしまいそう。しかし今回、心配を押しのけるようにして先ず、メランコリーが押し寄せてきます。このテーマが、既にピークを過ぎているからです。私は生活信条としても、単なる生まれつきの自然な成りゆきとしても「昔は良かったなあ」という台詞を滅多に吐きませんが、本件ばかりは、安心して心の底から、ほんのちょっとだけ、溜め息をつかせていただきます。ああ。昔は本当に、本当にちょっと、良かったです。     *    *    *    *
     現在のところ、私の知る限り。としますが、これを肩書きとして名刺に冠することが可能な者は、世界広しと言えど、この私と今回の名脇役である悪友の二人だけ、つまり東京都新宿区というエリアは、世界で唯二人の「ロイヤルホストのメニュー研究家」が両方とも在住する、いわば洋食の奇跡認定エリアということになります(一応念のため「ファミレスのメニュー研究家」ではありません)。  とはいえ再び、世界は広く、もし、ここまでお読みになっただけで総てを察し切ったアナタ――溢れんばかりのロイホ愛と健全な批評精神、そして英国式の正統ブラックユーモアを兼ね備えているであろうアナタは、たった今この瞬間、缶コーヒーのCMのように胸に炎がボワァッと立ち上ったことでしょう――は、以下お読みいただく手間を要しません。すぐさまその端末から「菊地成孔公式ウェブサイト 第三インターネット」で検索し、私にご連絡ください(ファンメール宛て。件名は「我等ロイホメニにて集わん」)。  以下、「ええ何それ?ちょっと面白そう」という市井の皆様に対し、我々研究家の活動報告をお読みいただくことになるのですが、冒頭の詠嘆にありましたとおり、そのピークが、今を去ること約5年前、2008年だったという記録をお伝えしてからでないと、報告はまとめることさえ出来ません。  ああ、此処でもまた、黄金時代が終わった後の世を、我々は生きているのであります。愛の言葉は必ず取り乱しているという摂理に従うのであれば、ロイヤルホストが我々に対して示し続けた、あの激しすぎた愛は、些かなれど醒めてしまったと言うのでしょうか。いえ、決してそうではありません。そう断じてから、我々の報告を始めさせていただきます。         *    *    *    *  そもそも私がこうして、日本を代表するロイホメニ研究家になりおおせたのは、決して独力によってではありません。前述の悪友の存在が不可欠だったのです。現在は共にフリーである我々ですが、偶然にも前キャリアが同じでして、共にあのジュー研職員として、各々別の地区で日々激務に勤しんでいたのでした。  一般の方には馴染み薄であろう通称「ジュー研」ですが、今や総てのファミリーレストランが常設している、所謂「ドリンクバー」に於ける、調合し得る総てのカクテル・ヴァリエーション――例えば、ホットコーヒーとホットティーとホットウーロン茶のカクテル「H3T」等々――の研究を目的としており、正式名称「全日本加工食品最大可能性追求センター/ドリンクバー調合科」と言えば、どなたでもはたと手を打たれることでしょう。 「カフェ飯」から「ちょい乗せ(おまかせランキング)」を経て、現在完全に一般化した「コンビニ料理」へと至る動きに先駆け、二次大戦直後の1947年より、安価な食品の「キッチンではなくテーブル上でのカスタマイジング」に関する総合的な研究を行い、戦後日本に於けるその歴史を編む目的で設立された(なんと)文科省の外郭団体である、所謂「全加可セン」は、実に344の部署を有しますが、中でもジュー研は激務で知られ(前述の「H3T」の調合比率変移による雑味変移の報告を三日三晩かけてやる――なぜならカフェインによって誰も眠くならないので――等々)、私も悪友も、共に音楽家活動との両立の厳しさを感じていたのです。 「えええ? オマエもジュー研だったの!!!」「そうだよー。びっくりしたよー」「H3TとI3Tの雑味変移の報告書、別々に書いた?」「書いたよー(涙)」「カルピスウォーターの原液とコーヒーフレッシュでココナッツミルク作らされた?」「カレーに入れて喰わされたよー(涙)。タイの留学生雇ってさあー! あいつらが教えてくれたんだよーレモンティー用のレモンも入れると更に良いってー(滂沱の涙)」  といった、叫びにも似た開始の合図によって、我々の友情はスタートを切ったのですが、給料だけは良かったけれども辛く苦しかった、あのジュー研時代の思い出は、この連載でもやがてお話ししなければいけなくなるでしょう(私は電話帳のような「調合比率と味覚への効果報告書」を未だに捨てられずにいます)。現在の私は、民間のロイヤルホストのメニュー研究家として、自由業の気楽さ、個人的な研究という無限の充実を謳歌していますが、青春時代の暗黒は自伝的なエッセイの醍醐味とも言えますので、読者の皆様にはお楽しみを取っておくかたちで、話を私が歌舞伎町に越してから3年が経過した2007年にリセットしましょう。「ロイヤルホスト東新宿店」が、「ホテル・サンルート東新宿」の1階に出店した年です。
     

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  • <ビュロ菊だより> 号外2号

    2012-10-25 01:52  
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     ビュロー菊地チャンネルをご覧の皆さん。菊地です。ビュロ菊だよりの第二号が配信されたばっかりでアレですが、書き落とし情報があったので、号外としてお送りしますね。
     明日(25日/木曜)「東京エトワール音楽院」という番組に出ます。この日は名古屋にサーキットしているのですが、来られない方は是非チェックを。内容はもう、内容はもう、お茶の間向けちゅうかね。地上波バラエティだし。とはいえ、MCがホリケンさんと枡アナウンサーで、二人とも超良い人!!なのでワタシも楽しくやってますんで番組のヴァイブスは良いと思います。「今年(もう終わるけどよ)のトレンドはバスク・ベレー」という推し運動にも参加してますよー。
     以下、名古屋~横浜サーキットに際しての、ニコ動外層のファンの皆様に投げた案内状ですが、皆さんにもお送りさせて頂きます。今からでも遅くないのよ。オトナになるのは。という訳で、ブルーノートとかフランス料理とかワインとか聞いただけでキレたりシカトしたりしないで、お金を何とか工面して、、、あ。イジメられている子から取るのだけはいけませんよ!イジメられてる子も多いと思うけど。そしてそういう子も、ワタシの音楽を聴くと復讐のやり方が自然と解るから、物は試しに聞きに来てみて下さい。毎日決まりきった事しかしないと、問題は解決しません。無理した時にだけチャンスがあるの~。
    でわ!!
     
      <ペペトルメントアスカラール秋のサーキット前夜>
     
     名古屋、そして横浜の皆様。今、旅支度している最中です。両日、両セットとも、まだ残席ございます。未だグローブ座、すみだトリフォニーホールの余韻が醒めぬペペトルメントアスカラールですが、本日から行われるブルーノート系列の2DAYSサーキットで、当オルケスタの今年を終わりたいと思います。
     昨日までの日記にあります通り、林正子さんはチューリヒ在住で、このサーキットとのスケジュール日程がどうしても折り合わず、名古屋、横浜のジャズクラブで、ワタシの筆による(オリジナルのアリアで、作曲/作詞/編曲/指揮/演奏をする。という好事家は世界でもワタシ以外にいません)南米のアリアを御堪能頂く機会を逸した事は大変残念ですが、必ずや来年また伺わせて頂き、その時にご披露したいと思います。
     しかし、神奈川在住のOMSBがモーションブルーに参加してくれます。OMSBはまたしてもキップの「カラヴァッジョ」への参加ですが、ライムの増設と、上手く出来たらフリースタイルも用意してもらえないかとオファーしてあるので、場合に寄っては横浜でかなりイルなチューンが生じる可能性もあります。
     

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  • ビュロ菊だより 第二号「菊地成孔の一週間」第二回~(笑)からwwwへの自己更新を目指して~

    2012-10-24 03:00  
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    「菊地成孔の一週間」 第二回〜(笑)からwwwへの自己更新を目指して〜  
    (前回の続きから)
     10/16(火曜)  「ビュロ菊だより」一号目の日記をマネージャーに送り、結局ブリッコラではなくプレゴに行った(最近はそんな事も無くなったがーー景気の悪化でーー、もの凄い顔でトラットリアで僕を待ち伏せている好事家の方が昔はちらほらおり、もうああいう人も生存出来なくなったろうなあと思っている訳だが、今回メディアを変えたので、まあ一応)。魴鮄(ホウボウ)のヴァポーレ、ブールブランがとても旨かったが、メルマガ開設前夜のドタバタのため、じっくり味わっている余裕が無かった。山の様な業務メールを読み書きしながら歯ごたえのしっかりした魴鮄のフィレを噛み締める。目でメールを追いながら物を喰ってはいけない。  とはいえ大満足でディナーを済ませ、帰宅してポッドキャストで「粋な夜電波」の大西順子さんとの対談の回を聴く。大きな声では言えないが、ポッドキャストの存在については反対である。番組でも何度か言ったが、おたくはライスだけでも絶品ですね〜と言われて嬉しいカレー屋がいたらお目にかかりたい(ミャンマーやブルネイだったらいると思うが)。  <ライスを試食させてカレーライスを喰いに来させるんですよ、普通の宣伝行為ですって>というラジオ局の言い分はよく解るのだが、宣伝用のライスだけ喰って暮らす、つまり「美味しんぼ」に出てくる、デパ地下の試食だけで、大変なグルメとして生きている(確か、元社長だが会長だか何だか)という大変な粋人のライフスタイルが一般化する、という異常事態に関して、最低でも経済学者のコメントは無いのだろうか(とっくにあると思う。SNSとかで)。 だってそれキャバクラ嬢が1時間に一度、交代で店外に出て手を振ったりなんかしたら、絶対にそれだけですくすく育つ肥満児が多産されるに決まっているじゃんー。とかなんとかこねくり回しているが、実のところAM文化に於いては伝統的に、喋りがカレーで、音楽がライスなのだ(これでも慎ましい。実際の所は、喋りがカレーライスで、音楽は冷たい水ぐらいだと思う)。それをひっくり返した番組だという自負があるだけに、一般的なAMカレーと同じ扱いを受けるのがちと辛いぜーというだけの話で、これは身から出た錆だ。身から出た錆ばかりで生きている。  大西さんは非常に知的で露悪的な毒舌家で、今まで誰も指摘して来なかったし、放っておいたら今後も誰も指摘しないので一応書いておくが、実はマイルス・デイヴィスの毒舌に最も近い日本人である。マイルスが好きだっつうなら、大西さんぐらい吐けよと言いたい。毒舌だけではない。マイルスに最も似たエゴを持つ日本人ジャズミュージシャンは大西さんだと思う(過去、引退し、復帰したから。とか、最も売れたという実績があるから。という、シンプルな見立てによってではない)。  なので、わざわざ番組に呼び出し、丸投げにして舌禍に導き、火傷を負わせる(テレビがむしろ、これを狙ってミスリードしようとするのは誰でも知っている通りだ。なので出演者はかなりの適性が必要とされる。僕には全くないのに、それを求めてくるPやDが山ほどいて、後日書くが、馬鹿というよりMなのである)等という失礼がないようにコントロールする事だけを心掛け、あとは大いに楽しんだ。  収録なのでほとんどがカットされたのだが、大西さんはアメリカの現場英語を使う(これはバークリーのジャズ留学者ほとんど全員に共通する事だ。含「カンナム・スタイル」のサイオッパー)ので、勢いコチラもヘタクソながら応答してしまう。オンエアでは「ワードオブマウス」と「スレイヴ・ドライヴァー」と「コンピング」が流れたように思う。  ワードオブマウスは噂の事で、日本でも認知度が高いが「スレイヴ・ドライヴァー」をSMの女王か何かのように捉えて欲情した人々もいたかも知れない。しかしこれは「キツい現場の責任者」の事で、部下をあたかも奴隷の様にドライブするという意味である。日本語だと<扱き使う>と書く。と、いずれにしてもMならば欲情楽勝だろう。Mが最強だ。  音楽トリビア(腹が減ると焼き鳥屋に思える語。そういう状態の時は「ボードレール」はスケートボーダーがレールの上を滑っている所しか思い浮かばない)みたいでアレだが、「コンピング」は、長らく和製英語で「バッキング」と言われて来た。  ソロ奏者の伴奏の事で、海外で通じなくもないが、少なくともジャズでは圧縮を意味する「コンピング」となる(和音を拡張ではなく圧縮するのがジャズ伴奏の基本)。海外で「オレのソロのバッキングをしてくれ」と言うと「オレの演奏を支援/援助/後援してくれ」のようなニュアンスも生じ兼ねない(ジャズメンで、実際そういう事を言う奴も多いので)。  「ビュロー菊地チャンネル」の立ち上げは、動画セクションがややトラブっている。画質が悪いそうだ。テクニカルな事は全く解らず、手をこまねいて状況見ているばかり(動画は見ていない。見ているのは状況)。いずれにせよ難産だが無事に生まれたとしよう。自分の出生と全く同じになったという訳だ。祝いのシャンパンとグラッパによる酔いをシャワーで醒ましてから、ストレッチ&整体。
     10/17(水曜) 
     午後4時起床でこの日記や連載エッセイを少々書き、美学校の高等科授業に向かう。高等科は課程修了に向けて、前回から最終カリキュラムの「ブルース概念」に入った。 デルタから始まってビーフハート方面からエリントン方面まで、ブルースがエレガンス←→ラウド軸を、両手を目一杯広げて発達して来た事を、音盤を流して説明するが、何を聴いてもウットリしてしまい、講義ではなくなりかける。「持っていかれる」という奴である。今日、最も強かったのはジョン・リー・フッカーだった。うおーと言っている間に、何を話そうとしていたのか忘れてしまうし、忘れてしまっても構うもんかと思ってしまうのがヤバい。  これは音楽理論を教える身にも、教わる身にも大変なアポリオなのだが、アポリオはあった方が良いに決まっている。ジョン・リー・フッカーは凄い。デルタが持っていた初期衝動、特に手と口のポリリズムによって生じるバグを忘れない。ハイファイ録音時代でも悠々とバグっている。 数日前、選曲家の中村ムネユキくんと焼き鳥屋の話をしていて(「バードランドがミシュランで星取ってるよね」とかーーもちろん日本の焼き鳥屋の方。NYのバードランドがミシュランで星取ったら笑う)、中村君一押しの焼き鳥写真をスマートフォンで観ていた件や、昨日のトリビア(何と実際にその名前の店があった。鶏がビール飲んでいるキャラクターの)の件も合わせ、帰途につく前、衝動的に焼鳥屋に行きたくなって「とり竹本店」まで歩いて行った。  とり竹に行く事はおろか、渋谷で食事をする事自体が15年ぐらいぶりなので、なんだか幻想病の発症というか、映画のセットで食事をしている気分だった。ハイボールを2杯飲んで、15年経っても相変わらず旨い焼き鳥を食べたのだが、まったく落ち着かない。一瞬も落ち着かない。 臨席の、モデルか新人映画俳優のようなカッコいい青年二人は、DJやめたら福岡に帰るしかないけど、必ず頂点に立つとか、クラブ狩りは朝鮮人の企てだから絶対に許せないとか言っているし、更にその臨席の超カッコいい青年5人組は「ナルトってまったく、オレ等の世代からとったら、リアルじゃない派やんなー。せやろ」とか、文法的にも単語的にも全く意味が解らない(ずっと聴いていて解った。マンガの話をしていたのだ)。新宿にも銀座にも、こういう会話をする焼き鳥屋の客はいない。  渋谷が嫌いな訳でも、若くてカッコいい人々が嫌いな訳でも、ましてやナルト(何のナルトだか良くわからないとはいえ)が嫌いな訳でもまったく無いのだが、渋谷はもうすっかりアウェイになってしまった。5分ともたない。実際は1分ともっていない可能性もある。急いで席を立ち、つくね串を一本口にくわえたまま会計をし、店の前でタクシーに飛び乗る(ちゃんと店の真ん前にいた)。 明治通りを渋谷から新宿に向かうのは本当に気持ちが良い。原宿でまず最高にアガり、北参道(ビストロダルテミスがある)の高架をくぐって代々木を経て、辻調(辻調理師学校)を越え、高島屋を横切る辺りで、パーフェクトなリラックスが訪れる。眠く成ってしまうほどだ。翼よ、あれがパリの灯だ。  プレゴ前でタクシーを降り、グラッパ(マストロベラルディーノのノヴァ・セッラ)だけ飲みに行く。臨席のカップルは、ねえ?あたし水着の日焼け跡みたいでしょ?ぜんぜん。ねーえー。水着の跡みたいでしょ?別に。いやあだー、あたしが見せたいの。俺は見たくない。じゃあ見なくていいよ。勝手にあたしが見せるから(といってニットの肩口を20センチほどズリ下げ)、ねえ興奮した?ああ、わりかし(パスタを食いながら)。とか言っている。やっと我が家に着いた。 帰宅後、ヴォルビックを2リットル飲み、シャワーで酔いを醒ました後ストレッチ&整体。いけないこれでは田中康夫ちゃんのペログリ日記(の、セックスとマスターベーションが出てこない奴のほう。しかしセックスとマスターベーションの回数と相手を律儀に書いていた初期「ペログリ日記」はハンパない。露悪趣味ではなく、貴族趣味の極地だ)みたいだ。これでは脱ダムもwwwも遠のくばかり。明日から文体をすっかり変えてしまわないといけない。 
    10/18(木曜)
     やや贅沢に午後5時まで寝てしまう。「ビュロー菊地チャンネル」は、概ね高評もしくは「とにかく三輪君をもっと鮮明に見たいのだけれども、菊地さんの焦らしが上手すぎるので、このままの画質で悶えます」という、趣味の方からの麗しいご意見を除けば、高い高いの大合唱と(ニコ動が)ダサイダサイの大合唱だ。  後者は個人の感想(←この歳になってもまだ、こんな嫌な言葉があるかね。というほど凄く嫌な言葉。商品カタログ番組の隅に小さく出ている)だから仕方が無いが、高い高いの大合唱が、読んでいない&会員登録していない人々の大合唱である事に、いくらインターネット退行時代とはいえヒヤヒヤする(この国の行く末に。30%ぐらい本当)。  これに関しては「高い高い〜って、こっちは赤ちゃんじゃねえんだ(笑)」という「第三インターネット」に書いた一言でもう、言いたい事は総て済んでいるのだが、それでも現時点でこの合唱、ぜんぜん止まらない(追記*実際売り出したらすぐ止まった・笑)。  これが決定的で最高のまとめ議論だ。という訳ではないが、例えば以下の様なやりとりをした(毎度お馴染みのメディア論だし、辛気くさいし、とにかく長いので、この問題に興味が無い人はスキップをお是非勧めする。いつもの通り、インターネットによる退行クレーマー託児所の赤ちゃん全員泣き出す社会の話である。我ながら退屈極まりない)。 
             *    *    *    * 菊地さんこんばんわ。 
     メルマガの開始に対して、菊地さんの苦手なクライマックスシリーズを観たあとにふと思いまして、ツウィートした内容を、失礼ながらコピペしてそのまま貼り付けてメールさせて頂きます。(多少付け加えました)~“ライブの集客の為うんぬんとか、メルマガのコスパや内容うんぬんとかじゃなく、そういう人達(ファン等を指す)が形のないものに毎月840円払い続けるのか(ニコニコなんとかっていう配信方法のセンスもしかり)ってのがそもそもなんじゃないかと。ドミューンなんかから年何回かで形のある物として出すってってんならまだしも。 本やCDを現物で集めてきた人らにとっては、むしろ手が出しにくいものでないかなと。音源ならば本当に欲しければCDを買うだろうし(例えばitunesならば音は落ちるが安いし手間が省けるって点で優れてるので需要があるだろう)し、対して文章は値段やお手軽さの比較対象が少なすぎるので(840円もあればいい本が本屋で買える。)、形のない有料の文章を買うということ(+スマホ、パソコンで読む事が)が逆に邪魔くさいし、読みにくいのでは。(本一冊持ちあるいててもなんら不快ではないし。)(ただデジタルの場合、スマホにあれば、ちょっとした瞬間にお手軽に読めるという利点はある。)なので結局は本ではないものに定額料を払えるのかというところに戻るのですが笑ただまだまだ製本されているもののほうが読みやすいのも事実だと思います。菊地さんのようなとくに長い文章を読むのにも。動画配信は時代に適して良いだろうけど、やっぱそこはドミューンとかと組んだほうが絶対面白いだろうに。なので数ヶ月後にはもっと進化したビュロ菊だよりに期待したいのですよ、菊地さん。”~というような雑な内容ですが。 さらにニコニコ界隈の方々を取り込むよりも、ドミューン筋の方々を固めていったほうが手っ取り早いのではないかとも思ったり。 まだ購入もしていないのに、つべこべ言うなという感じですよね。十分承知しています、購入したら楽しいだろうなと。内容や企画の素晴らしさというものは絶対だろうというのはものすごく伝わっていますし、わかります、(ただし、いままであなたに携わってきた人達には)ただやはりそれだけでなく、私個人としては、初めて閲覧した菊地さんのサイト
     「fontaine/degustation」~「Pelisse」~「第三インターネット」
     この素晴らしく美しい歴代サイトからの“ニコニコチャンネル”への移行~では内容がどうであれ、あまりにダサすぎます。(ちょうどニコニコチャンネルでメルマガを始めるのに乗っかってみたというところも)せっかくのビュロー菊地があるんだから、そんなもんに乗っからなくても、もっと他の素晴らしい方々と練り上げてからの企画にしていけばとても素晴らしいものになるのではないでしょうか。 雑すぎる文章ですみませんでした。色々考えましたが、なんか逆にスッキリしてきたので、まずは第一回配信は楽しみに購入させて頂こうと思います。 順番が違いますが、○×と申します。大変失礼致しました。今後もご活躍楽しみにしています。では失礼します。
     ○×さんこんばんわ 
     どうもどうも菊地です。同様意見を滝の様に浴びているのですが「金を払いたくない」というだけの事に異様に長い言い訳が付されている物と、ニコ動が嫌いだというだけの事に、異様に長い言い訳が付されている物以外バリエーションが無く、勢い問題の焦点が「何で人々は金を払いたくないのか」と「何で人々はニコ動が嫌いなのか?」の二つに収斂されてしまっており、ワタシの行為に影響力を持ちません(御存知だと思いますが、ワタシは人の言葉に耳を貸さないタイプではないです。説得力を感じれば動きますよ)。ドミューンは確かにニコ動よりかはカッコ良い感じがしますが、メルマガの機能を持ちませんし、動画はジャズドミューンとは全く別な事をするので比較対象になりません。また「数ヶ月後にはもっと進化したビュロ菊だよりに期待したいのですよ」と言われましても(笑)、まだ一回目を配信したばかりで&どうやらそれすらもご覧頂けていない様なので(笑)、このご指摘はまあちょっとその、余りにもこの、若々しいなと(笑)。 というか、絶対買え!オレのファンなら!等と言うつもりは全くありません。金が払いたくなく、ニコ動がお嫌いなのであれば絶対に買わない方が良いと思います(笑)。いずれにせよ、友愛のヴァイブスを感じ、良い気分になりましたのでお返事させ上げております。ツィッターにこの返信は転載自由ですが、出来ればいじらすにそのまま転載して下さい。 
    菊地さんへ
    すみません、もう少し駄文失礼します。 例えば実物(実体)として出した場合でも、メルマガという新しい(さほど新しいとは言えないのかもしれませんが)実体のない方法で作品を出した場合でも、根本の金銭的な形態、取り分(出版社、ニコ動がいくらで、菊地さんがいくらみたいな)の形は一緒なんだろうなと。むしろメルマガという方法のほうが菊地さんへの割合が多いのかもしれないですよね。 いままでであれば菊地さんの本を買う。という行為に対して、○○出版さんにもお金を払うという思いが付随しにくい(それが当たり前で育ってるし、現物からは感じ取りにくい。あくまで裏方ってイメージ)、それに比べ今回のメルマガに関してはニコ動主導のコンテンツであり、ニコ動の中のそれっという色が強すぎるのだろうなぁ~と思いました。だから、菊地さんの作品にお金をだすという感覚よりも先に、840円のうち、いくらニコ動に払わなきゃなんねーんだよってが先になるのかなと。(840円は菊地さんに全部入ってきて、それとは別に菊地さんが使用料を払うっていうような方法かもしれませんが。もはや想像です~) たださっき、ビュロ菊チャンネルまで入ってしまえば、なんてことはない、菊地さんの色で、ニコ動なんかそんな気にならないんだっていう笑。そんなことを感じました。 あとは、まだこれからいろいろと掴んでいくんだ、試していくんだっていう(すべてにおいて実験性を孕らんでいるんだっていう、ポジティブさというか。)姿勢であることも、“ご挨拶”など読み返して実感しました。ただやはり菊地さんのサイトのdiaryからだけでは、お金が必要なんだという部分だけが強く印象に残りすぎてしまっているのではないかなぁなんて思ったり。 まぁこんなこと昨日の返信を頂いた内容から察するに相当数同じことを言われているでしょうけど、思ったことメールしてみました。 “数ヶ月後のビュロ菊だよりに期待します”といったのは、その場の勢いでいってしまった部分もありました。すみませんでした。ただドミューンに関しては、“メルマガという機能をもたないから~”とか“ジャズドミューンとは違いをもたせるため~”に→ニコ動を使う。(メルマガもちょうど始めるし)というのではなく、ドミューンという媒体を使ってもっと面白いことは出来なかったのかなと考えただけです。「宇川くん、ちょっとさ、ドミューンで、もっとこんなこと(今の流れでだと、メルマガとか)出来ないのかな、なんか面白いことをさ。」みたいな会話とか。わたしドミューンの運営方法とかまったく知らないで話してますけども。「菊地さん、ニコ動始める前に一言言ってくれれば、ドミューンでも何かやれたのに。菊地さんのいけず~」(なんて宇川さんが言ったり)とか笑。もう危ない妄想です笑。なんかニコ動に嫉妬をする、恋する乙女の妄想みたいになってきたので、そろそろ限界です笑。 今回ので、菊地さんの大義は十分理解できたような気がします、なのでよい時間だったと。あと“友愛のヴァイブス~”は言い過ぎです笑。身に余る光栄ですが。本当にバカなただのいちファンです。たぶん何度かメール(ラジオにも。ちなみにラジオネーム△△と申します。どうでもいいですね。)させて頂いているので、そのかすかな余韻があっただけではないのかなと笑。 長々となりましたが、最後に(笑)だけは永遠に使い続けてください。わたしも使い続けたいので。そのほうが後ろめたさ、恥ずかしさなく、堂々と使って行けます!笑では。失礼いたします。
     ○×さん菊地です。 
    あの、やはり、メールの続きを頂戴しても、「金を払いたくない」「ニコ動はキモいから嫌い」という原動力以上のものを感じませんし(笑)、ラジオネーム「△△」さんであるのなら尚更ですが、ここから先は我々が議論するとかそういう事でも無いと思いますんで(笑)、あのう、これはニコ動とか菊地成孔とかいった具体例と無関係な、一般論として考えて頂きたいのですけれども。「金を払いたくない」「高い」「金が欲しくてやっている様にしか見えない」といった批判が、茫漠たる商品情報だけの段階で大量に生じるのは明らかにマスヒステリーであって(実際に商品が届き、それが不良品であったとか、商品情報が事前に理解されている上で、その価格が明らかに平均値を上回っているとかーーー例えば「普通の焼き芋。2万円」とかーーだったら解りますが。また、消費者個人の可処分所得が低く、欲しい物が何も買えないとして、それが不当な給料しかくれない雇用者や、雇用の無い社会全体や、不甲斐ない自分に向けられるのではなく、プロダクツ生産者やアーティストへに向けたクレームになるのは、冷静に考えるとかなり被害妄想的です)、ワタシは、現代の消費者が「こっちは金がないんだ。誰かに騙され、誘導され、損などしている暇はない。コスパを最大に上げたい。というか得をしたい。自分は得していない。どこかに得している誰かが要るのだ」と思うように思うように、社会に仕向けられている結果だとしか思えません。これは昔ナチスがやった事です。 現在生け贄になっているのは前述の通り、クリエーター/プロデューサーであって、体制に向けられるべき怒りの何割かを、不当に割り当てられていると感じています。民は一方で体制にもクレームをつけ、デモを起こしますが、商品査定や商品クレーム、販促形態へのクレームに忙しく、力が分散されています。しつこいようですが、これはワタシだけの話ではなく、一般論としてです。怒りには、簡単に言ってオトナっぽい怒りとコドモっぽい怒りがあり、コドモっぽい方は、還元するに甘えによる攻撃性であって、対象を親に、自分をコドモに設定し/看做し、いくらでもダダを捏ねられるという既得権益を予め持っている様なかたちの怒りですが、このままだとユーザー=クレーマーという図式が、傾向ではなく完成形に至ってしまうと懸念しています。 これはインターネットによる退行という、一種の罠です。インターネットによってコドモになってしまったユーザーは、あらゆる物や事にケチをつけ、乳幼児がオムツが濡れたミルクが欲しい暗闇が怖いといっては泣くように、イライラすると指先が動き出して(幼児が泣く&それが託児所全体に広がるのを止められない様に)自分でも止められない訳ですが、ライフラインであるネット/SNSを司る企業にはケチをつけられません。オレをこんな「いいね」というミルクが欲しいだけの飢えた赤ん坊にしてしまったフェイスブックを爆破してやる。というテロリストは絶対に出ません。ジャンキーと同じです。生殺与奪の権を握っている、要するに「おっかない方の親」の存在は埒外においてしまい「おっかなくない方の親」にはやりたい放題することが自分でも止められなく成る、というアンバランスがDVやイジメやファシズムのイーシャンテンであることは、誰もが知る事ですが、そういった事は主にSNSで語られるので(笑)、お釈迦様の手のひらの上です。 恐ろしいのは、生産者やアーティストもひとたび立場を変えればユーザーであって、彼等も幼児性と、コスパを追求するという、紛いのオトナ性(コスパを考える事は、情報収集と計算という知的作業を経由するので、一見オトナに見えますが、見えるだけであって結局、嫌だと言って無くのだから、オトナの擬態です)の二極によって駆動されてしまう、つまりマーケットとユーザーの撞着です。 つまり、作り手が「客が高いと言っている、コスパが悪いと言っている、ステマに釣られたと言っている」とマーケットリサーチした時の反応として、「いやあ、そんな事どうでも良いじゃないか。なにいってんだ」という方向に行かず、(1)「よし、コスパの良い商品を作ってお客様に喜ばれよう」(2)「よし、コスパの良い商品に見える様に細工して、クレームを回避した上で更に儲けよう」という二極の判断しか下さなく成ってしまう事で、これがファシズムのテンパイです。 ワタシの総ての営為は、生まれたときから一貫しており、そうした事を回避しながら、楽しく良い調子に生きる事です。楽しく調子良く生きるには、コスパが悪い時もあります。「粋な夜電波」なんて、ワタシの立場からすればコスパ最悪です。ギャラは一回も黒字になった事がありません。台本書きとCDの購入にギャラが発生しないからです。 つまり、台本も書かず、選曲もせず(ワタシは、これはスピンすべきCDだ。と思ったら、その都度私的に購入し、ほとんどは経費に計上していません)、仕事の合間に、時間になったらスタジオに入り、作家が書いた台本とメールを読む、という、タレントさんが貰う分のギャラしか頂いていません。TBSが搾取している訳ではない。ワタシが勝手にコスパ悪くやって人生を楽しんでいるのです。コスパが悪くて詰まらないでしょうか?あの番組は?  大人数のメンバーを駆使しなければいけないライブもそうです。どこをフルハウスにしようと、一回も黒字になった事がありません。メディアのあっちこっちに出ているし、ブログにワインの写真が載っているだけで「さぞかし儲けているんだろう。くそう。くそう。くそう」と怨念をブチまけられる事も多々ありますが、ワタシがコスパ良く生きたら、今頃歌舞伎町ワンルームではなく、パリ郊外の城でしょう。嫉妬と憎悪と被害妄想の時代。ファシストの攻めどきです。 ワタシの活動を逐一ご覧になっていて下されば、ワタシがアンチコスパ、反ファシズムである事はご理解頂けていると信じていたのですが、今回の動き(メルマガ)では、昔からのファンの方からさえも高い高いの大合唱(ワタシへ直接向けられた物が。です。下向いた独り言みたいなレベルだったらその10000倍あると推測しています)で、うわあこら重症だなあ世の中。と思うと同時に、とにかく変わらず見届けて頂くしか無いと思っています。
     菊地さま
     ご指摘頂いた通り、集約すれば「ニコ動っていうなんか得体の知れないものに金を払いたくない。」(キモイという感情は決してありません。見た目が良ければそれでかっこいいとかも。)というところからきているのだな、全ては。ということがわかりました。
      (中略/極めて個人的な記述があるので)
     えー、その上で、とにかくメルマガで何をしてくれるのか、どんなトンデモないものが飛び出すのかに期待して、楽しみにしていきます。恥ずかしながら朝に購入手続きしました。今回お時間割いて頂きありがとうござました!ではまた、ラジオなどで。 
            *    *    *    * 
     と、長々と読み終えてみれば、メールの往復によって、善良なファンの方を一人入会させた。という事になる。ややコスパ悪いと思う。 私塾(ペン大)の理論初等科。今週は一日の休みも無く授業がある(先月まで大きなライブが続き、休講が増えたから)。テンションノートのカスタマイジングについて、シンプルなコード進行をどんどんリハーモナイゼーションしながら説明。  我ながら説明が上手いわ〜とウットリしていると、寝ている生徒が3人ぐらいいる。私塾は社会人が多い夜学で(21〜23時でフタコマ)、皆さん疲れているのである。目を爛々と輝かせている学生と、気持ちよく寝ている(相当気持ち良いと思う。演奏と説明聴いて寝ているのだから)社会人が隣り合わせという光景はかなり素晴らしいと思う。 等とダブル自画自賛し、ロイホに行くも大した収穫なし。シャワー、、、と、一日を締めようとしていたら、いきなり「今週最もアガった」ことが勃発。こうして書いていてもイエアとしか言いようがない。  それは深夜29時のこと。シャワーも浴びストレッチ&整体も済ませて、さてヴィクトリア・シークレット・パーフェクト・ブックを丁寧に読もうかな、アドリアナ・リマのヘソの辺りに、田舎の中学生の様にキスをするのだと、手に取って横になり、完全にリラックスしたまさにその瞬間、明日、ぴあが出す森田芳光監督の追悼ムック本でインタビューを受ける事をいきなり思い出し、「やっばいやばいやばいよー」と、出川哲朗そっくりの声(と顔)で低く(そして凄い早口で)叫びながらベッドから飛びのく。 しまった明後日だと思っていた。どうしよう。  心拍数がご機嫌な感じで上昇するのを感じながら、PCで近所のTSUTAYAを検索する(こうした事は滅多にやらない)。  すると、タクシーでワンメーターの場所に24時間店がある事が解り、急いで電話する。大体こういう時は天使みたいなのが出て来るもんなのだが、果たして与太郎みたいな店員さんが出て、「すぃあっせん現在の時間帯コンピューターの検索が出来なくなっておりますぅ」と言う(この時点で既にあらゆる事が最高)。
     

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  • ビュロ菊だより 第二号“TSUTAYAをやっつけろ~日額15円の二本立て批評”プレ第一回

    2012-10-24 00:00  
    220pt
    最初に   映画批評、というか、映画音楽視線を映画評に導入した変種の映画批評として『ユングのサウンドトラック~菊地成孔の映画と映画音楽の本』という拙著がありまして、所謂「著者自身によるベスト」みたいな企画があったら必ず1位にしようと思っているほど愛着があるのですが、こーれがもう、Jホラーもかくや(あまりにも怖くて、1本も観てもいないのに死ぬほど怖い。我が国に怪談や恐怖映画の連綿とした歴史があるのは、わかっているつもりなんですが、それでも90年代末期から00年代初期にかけてのJホラーの怖さは超歴史的だとしか思えません)といった、背筋の凍るような実売数で(笑)、しかもなんと編集は、当ブロマガのグルメエッセイと、この映画評の担当である高良くんなので、既に契約書にサインしている、後の書籍化に関しても、イタズラな希望は持たないよう、修行僧なみに自分を律しています。  とはいえ実売数はまだしも、せめて反応は?と思わざるを得ないのが人情、というものなのですが、こーれーがーまーたー。ですね。「本当は、、、、、、どこからも出版されていなかったのであるっっ!!!!うあああああーーーーーーー!!」というショック描写が、この後待っているのだ、と震えながら暮らしているほどの真空(笑)でして、この連載自体さえ、『ユング~』のプロモーションになってしまわざるを得ない。といった体たらくなのですが(笑)、これはワタシという著者の一種の特性である、「ライブ演奏の反応と、書籍出版の反応の区別がつかない」という特殊なリスクでして、演奏のアプローズに比べれば、出版への反応というのは基本的に真空なので(笑)、これはまあ、いつになったら慣れるのだろう、いや、慣れるべきではない。と思うばかりです。 (因に、ファッション批評にショー音楽視線を導入した『服は何故音楽を必要とするのか?』も我ながら画期的かつ読快性の高い良書だと思うのですが、こちらなどは超Jホラー級、つまり最も怖いものより更に怖いわけで、この本が出てから本屋さんの自分のコーナーに近づけません。「そのタイトルの本は、、、、出版されておりません」とか店員さんに言われたらどうしよう。という恐怖から・笑)。  とはいえ、『ユング~』のお陰なのかどうか、先ずは「キネマ旬報」さんに、続いて「UOMO」さんから映画評の連載仕事を頂戴して(前者は終了。後者は継続中)、けっこう真逆な2誌に映画評を書かせて頂いたり、ゴダールだアルモドヴァルだ、或は音楽に関するドキュメンタリーだといった作品が公開されるときの解説者やコメンテーターといったお仕事も頂戴し続けておりまして、まあ、そのうち死語になると思いますが、サブカル仕事といった態でしょうか。  言わば、楽しいバイトにありついておるというわけでして、キツいバイトに喘いでいる若者には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいですが、自分の過去を振り返るにつけ、現代の平均的な若者とはまったく別種の、それはそれはエゲツない人生の辛苦を味わっている自覚のようなものがなくもないので(というか、現代の、所謂生きるのが辛い系若者が「シークレット・ガーデン」みたいにワタシと入れ替わったら、半年ほどで元に戻してくれと泣いて嘆願するか、それ以前に死んでしまうと思われます)、そこはまあ、それなりにいろいろ頑張った褒美ということでどうかご容赦頂きたいです。バイトで得た金で、自分だけで旨いモン喰ったりしてないことを、バイトの神、即ちバイトゴッドに誓います(全部CDに注ぎ込んで、良いと思ったものをラジオでプレイしています)。  というわけで、優れた映画批評家の方は既にたくさんいらっしゃいますし、何か企画性のある、面白い映画批評のかたちというのを模索しまして、その際に考えたのは、第一には映画評というものが、現在、映画を見る前に読むもの、ということが、漠然と前提化してしまっている。ということですね。  これ、映画に限った話じゃないんですけれども、所謂「ネタバレ注意」という言葉なんてそれが前提ですし、星付け型の採点制クロスレビューの類いは、総て「下馬評」「前評判」であり、書き手の意志と関わらず、一律、観客の劇場への誘導力が問われる仕事になっちゃってると思うんですよね(更に言えば、この状況は、不健康に見えて実は健康。であって、「下馬評」「前評判」が、プロモーションとまったく無関係に独立したテキストとしてただ読まれ、対象である映画自体はそれによって観られる前に評価され、記憶され、消費が終わってしまう。という状況がほとんど整いかけている現在だと思うんですが、それは文化論みたいで大袈裟になっちゃうので、稿を改めます)。  ワタシが思うに、映画には「観賞後にじっくり読むべき映画評」つまり「後解説」「観客誘導と無縁の批評」というのもやっぱ必要で、というか、それだって山ほどあるんですが、現行のそれらは重くなっちゃってて、「下馬評のまとめ」というポップな力に抗し得てないと思うんですね。まあ、産業構造/興行構造もあるからしょうがないんですが。  しかしまあ、オレがそれをやっちゃる!といった柄でもありませんし、まあ、ちょっとした遊びとして、ですね。これを楽しく定着させる方法はないものかと、いろいろ考えた結果     「TSUTAYAをやっつけろ~日額15円の二本立て批評」  という、ほんの一瞬回文かと思わせながらやっぱ違う。といったタイトルが浮かびました。  御存知の通り、TSUTAYAさんが旧作を一律100円にするという大英断によって、我が国の映画鑑賞文化を根底から変え兼ねないような、単に周到なコスパ計算によって、実は延滞料の総額がむしろ上がる以外、それまでと何も変わらないような、そんな微妙な状況をセットして下さったことにもちょいと乗りまして、「100円の旧作2本ひと組で批評(2本の批評を別に書くのではなく、2本を対象にした、ひとつの批評)」「事前に対象作を予告(観賞後に読む。ということへの誘導)」という連載フォームをセットしてみました。  まあ、どんなフォームを作ろうと、番人がいるわけではないので、事前に観ないで読むことも(そして、読んだあと結局観ないことですら)可能なわけですから、本当にこれは、連載を駆動して行く上でのレール、ということだけなんですけれども。「日額15円」の計算は「連載が隔週で2本ずつ=週に1本」ということですので、毎週5円おつりが来て貯金の習慣も出来る、という親切設定。どうすかこれ?  と、「バカじゃないのコイツ」と言われても「そうかも知れません」としか答えようのない説明を終わるが早いか、初回からアウトフォームでして(笑)これから劇場公開される、DVD化も決まっていない最新作を1本採り上げるんですが(言わんこっちゃない・笑)、でもだって!!これはほら、しょうがないじゃないですか。原理的に言って、最初の対象作品を予告するのが、今回のこのテキストなのだからして、初回は連載フォームは駆動しないわけです。  厳密には、ニコ生(?)で予告はしたんですが、ワタシ未だにですねえ、ニコニコ動画というメディアの骨組みがぜんぜん理解出来ておらず、自分がやったニコ生(なんか、カメラが回って生放送すると、コメントがブワーっと流れるような奴、としか説明出来ないんですが、一回やってみたんですねアレを)で告知したんですが、あれがこのテキストの購読者の皆さん全員に行き渡っているとはとても思えず(電卓で計算してからソロバン弾き直さないと納まらないおばあさんといっしょですよ。おばあさんといっしょ)今回改めて、正式に告知し直すかたちにします。  というわけで、今回はプレ連載回ということになりますから、先に、初回(次回)の対象作品をお知らせ致します。 1本はフランス映画『死刑台のエレベーター』、そしてもう1本は日本映画『死刑台のエレベーター』  です。本当はフランス映画の『死刑台のエレベーター』と、フランス映画の『ディーヴァ』のクプル、或は、日本映画『死刑台のエレベーター』と、日本映画『ラストラブ』のクプルの方がクプル・ビヤン・アソートなんですけれども、どちらもちょっとマニアックちゅうか高踏的すぎ、そもそも『ラストラブ』あっかなあ?全国のTSUTAYAさんで。等という疑念もぬぐい去れず、まあこれ、放っといたら誰もやらねえべこの2本の見比べ。というあり得ない一夜を読者の方々に強いるというか(笑)、まあ、ワタシとの、この遊び切っ掛けがなかったら、一生やらなかったなこんなこと。という経験をして頂ければ面白いかなと思いまして、『死刑台のエレベーター』日仏ドゥーブルを、記念すべき連載初回に選びました。  もちろん「やっつけろ」は、敵意を持って殲滅させる。の意ではなく、それの反転語/反転意であろう、いい加減に処理する(「やっつけ仕事」等)の意でもなく(というか、それらも総てネットワーク的に含んでいる)、「残り物を飲み干したり食べ干したりする」という意味の下町言葉で、宴会で酒やツマミが残っているときに、まだ飲み食い出来そうな若者なんかに「これ、やっつけちゃって」と言って、バッと一気飲みさせたり、一気食いさせたりして、皿を奇麗に片付けてしまう。アレのことです。TSUTAYAさんで「あれ、あの辺り(彼方を指差して)まだ観終わってないから、やっつけちゃって」というのはそもそも無理な話なので、勢い「やっつけろ!」と意気軒昂にこう、言ってみるわけですね。  というわけで、前夜祭というかマイナス一回目として、いきなりですが、韓国人ホン・サンス監督の、昨年製作/日本公開が来月という作品、できたてホヤホヤですね。『次の朝は他人』の批評を書かせて頂きます。これはタイミング的にはモロ「観客誘導」になっちゃう(絶好のプロモだよ。絶好の・笑)んですけれども、「観賞後に読む批評」を心掛けて書きました。というか、ワタシが責任もってお勧めしますが、お一人残らず、本作を観て不満や怒りを感じる方は居ないと思います。大変な傑作ですので、どうぞ、先ずは劇場に。暗がりでしっかり観るべき名画であります。                  *  *  *    【注】本稿の主題である「同一性」「の障害」という状態の理解に関しては、一般的によく知られる「性同一性障害」罹患者の心理/肉体の状態を想起/移入して頂いて概ね問題ないと想像するが、本作に性同一性障害の罹患者が登場するわけではないのは、ご覧になったとおりである。       ホン・サンス『次の朝は他人』(2011/韓国)           <同一性障害という美> 

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  • <ビュロ菊だより>号外初号

    2012-10-19 10:22  
    53pt
     
     <ビュロ菊だより>購読者(で、良いのか?正式名称が解らずスンマセン)の皆様〜
     どうもどうも菊地成孔です。皆様の予想どおり、ワタシまだシステムがぜんーんぜん解っていない訳ですが、何やらこうして、号外の様なモノが直筆で出せると聞き、試しに出してみることにしました。
     ビュロー菊地チャンネルの有料会員になると(?違うか。正式名称が以下同文)、こうした号外や速報も届きますよ!的な。仕事柄、日々いろいろな事が決定しては一般情報公開を待つ。という形になるのですが<ビュロ菊だより>では、フライングぎりぎりで新着情報を一番早くお届けします。
     

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  • ビュロ菊だより 第一号 2012.10.17

    2012-10-17 01:00  
    220pt
    3
    ━━━━━━━━目次━━━━━━━━■菊地成孔の1週間■グルメエッセイ「もしあなたの腹が減ったら、ファミレスの店員を呼ぶ丸くて小さなボタンを押して私を呼んでほしい」最初に/第1回 <深夜で、大勢で、毎日>■動画「ビュロー菊地ポップアナリーゼ中継」 第1回 <少女時代「GINIE」①>━━━━━━━━━━━━━━━━━━■菊地成孔の1週間コチラに詳しすぎるほど詳しく書いたので、詳細はそれをご参照頂くことにしまして、先ずは何よりも当「ビュロー菊地チャンネル」の会員になって下さった皆様、有り難うございます。  で、良いのかしら?これで合ってる?というのが、開設3時間前である12年10月16日22時の6分のワタシの状態です。そもそもニコニコ動画とニコ生と、ニコニコちゃんねるの違いが解っておりませんし、テメエでやってる「ビュロー菊地チャンネル」と「ビュロ菊だより」の違いもあまり解っておりませんし、初月無料とか、コンテンツのバラ売りありますとか、料金システム全体についても、ぜんっぜん把握出来ていないので、要するに、有り難うございますと言っても唇寒し、誰にどれぐらい有り難がれば適性なのか解らず、つまり、目隠し五里霧中のまま「有り難うございます、有り難うございます」と呟いて、とぼとぼ歩き出した人。という、ブサイク極まりない感じですね(面白いですけど)。 まあ、感謝なんてお前の気持ちひとつなんだよと言われれば、これはもう、天然自然、宇宙、世界中の、遍くありとあらゆる存在、ですね。原発や天然痘ウイルス、憎き恋敵や関係妄想症のストーカーファンの方々、等含め、もう総てに感謝。ですけどね。感謝ですよー。さっき急いで部屋に入ろうとして、クリーニング屋さんのビニール袋で滑って転んだんですが、「ありがとう!ツルツルしててくれて!お陰で気合いが入ったよ!」と。
      開設ギリギリに滑り込みで書いているのは、単純なケアレスミスで、開設日を1日間違っていて(笑)。←と、出ました最初の「(笑)」ですが、この日記、コンテンツのタイトルとしては「菊地成孔の一週間」とさせて頂きましたけれども、初回のタイトルは「(笑)からwwwへの自己更新を目指して」とさせて頂きます。もう別人ですよね。慣れ親しんだカッコ笑いを捨てて、反射的にダブリュウをパンチするようになったら。
      現在の予想では、一生「(笑)」を使い続けるような気もしますし(結構保守的なんですよね。先日、「菊地さん、もうOMSBはペペのメンバー。で良んじゃね?」って言われて、そいつのつま先にテーブルの脚乗せてから、そのテーブルの上に座り「<良いんじゃねえの?>が正しい」とか言っちゃったんですね。我ながら恐ろしいです自分の保守性が)、一方、もう次回には平然と使っている気もします(結構「郷に入っては郷に従え」タイプなんですよね。先日「菊地さん、もうOMSBはペペのメンバー。で、よくね?」って言われて、「やあ、でもやっぱあフィーチュアリングのがよくね?」と、超合わせて言ったんですよね。違和感ゼロ。恐ろしいです自分の適応力が)。兎に角ここは、自分的には。ですが、この連載の最重要ポイントですね。思い出しますよ最初に眉のトリミングした日のこと。運命ごと変わるんですね人は。カミソリ一丁でね。
      という訳で、コンテンツの説明をさせて頂きますが、毎週水曜更新。こうして先ずは、一週間分の日記で始まり、続いてグルメエッセイと映画評が交代で隔週連載となります。動画はレギュラー枠がアナリーゼ毎週30分(きっちりではなく、尺は若干伸縮します)、それと別にワタシが思いついたら別の番組もイレギュラーで製作してお届けします(今考えているのは、金曜夜の歌舞伎町から二丁目にかけて日産エルグランドでクルージングする事ですね。いろんな人乗せて。ご要望の多いライブ動画ですが、全部冨永監督が撮影してるんで、条件が整いさえすればいくらでも出しますんでお楽しみに)。
      あとは「ニコ生」というのですか?あの、ドミューンみたいな奴も、環境とか条件とか揃えば、いろいろやってみたいですね。一回目は絶対に「三輪君がマッサージを痛がっているところ(2時間)」二回目は絶対に「三輪君が麻雀で可愛い女の子に振り込み、ものすげえ悔しがっているところ(2時間)」ですが、三回目以降も夢は広がる一方ですね。三輪君のファンの方も、そうでない方もお楽しみに。
      と、さてここまでは開設に際してのご挨拶でありまして、今後「菊地成孔の一週間」がどんな感じなのか?というパイロット版を書きます(30分間で)。パイロット版なんで、昨日と今日の3日分だけですが、今後これが最低でも7日分づつになります。
     
     
              *   *   *   *
     
    「菊地成孔の一週間」
     第一週<(笑)からwwwへの自己更新を目指して>
      10月15日(月)
     午後3時、と、結構早起きをしたので、フラフラしたままワーナーの試写室で、イーストウッドの主演最新作(監督やってない)「人生の特等席」を観る。
      山田洋次の様なタイトルになってしまっているが原題は「Trouble with the curve」で、これはかなり洒落ているし、この映画が、ここ最近のマルパソ(イーストウッドの製作プロダクション)作品の中でも、ぎりぎりコメディタッチと言っても良いぐらいのライト感がある(それでもマルパソはマルパソだから、「凋落国アメリカの反省」という重さはしっかりマウントしているのだが)作品だという事のウインクになっているのだが、まあそれは言うまいという所。
      ワーナーでの試写会では著名人を良く見かけるのだが(前はおすぎ氏と戸田奈津子氏がいて、きゃあきゃあ言って手をつなぎ、楽しそうに話していた。おすぎ氏は戸田氏を「なっちゃん」と呼んでいる事を知る)、今回、早めに着いたのでタリーズのポルチー二クリームのホットドッグを齧っていたら、ピーター・バラカンさんがいた(奇しくも臨席になったのでご挨拶さし上げたら「ああ、そういう格好だと解らないね(笑)」と言われた。「バラカンビートと粋な夜電波をハシゴする人が多いみたいですよ」と言いかけたら暗く成って映画が始まった)。
      作品はとても良い、またしても脚本はガチガチのフロイディズムで、最近のアメリカ文芸映画は、臨床としてのフロイドは信じていないが、フロイディズムは信じていて、脚本がウォークする中枢に据えられている。という二重構造になっている。「頑固オヤジ」という人格類型に「なんで頑固なのか?」というフロイド的な説明がつく事など、長い間無かった。
     夜は青葉でクウシンサイ、アヒル、ワタリガニ、等々。久しぶりだったせいもあり、アメリカン・オールディーズ・ポップスが流れる中でアヒルの窯焼きを噛みしめ、昔のデパートの大食堂のソーダ水のようなルックスをしたライチ酒のソーダ割りを飲むと、泣けてくる。
     10月16日(火)
     17時起床で映画美学校の理論科初等へ。行く前に、長年に渡って膨大な数のメールを送ってくる、つまりこちらのPCのメーリングソフトの中で一人でツィッターを延々とやっている女性に、まあ、こんな事をしても無駄だよなあ。と思いながらも「もう、送らないで下さい(毎日毎日、大量のメールをドラッグしてゴミ箱に入れて捨てるという日々の勤めに疲れて来たから)」と丁寧にメールしたら、数分後に平然とメールが来た。「やはりな」と口に出してから部屋を出る。
      初等科は今日からモードの勉強に入った。モードを教えるのは本当に際どい事で、古典調性と違って一般的な教育システムがない、どころか、一般的な構造把握もないケモノ道だからだ。その事を生徒に説明しながら、概論からゆっくり教えて行く。際どい行為だが楽しい。安定的な事も際どいことも、両方楽しい。
      急いで日記を書いてマネージャーに送らないと開設に間に合わない。せめて今週一番旨かった皿を書いておこう。シェフとマネージャー/スムリエが変わった、新生ブリッコラに関しては、完全にイエスである。もう時間がないので内容にまで言及出来ないが、アンティパストのミストが残さずどれも高水準にある事は、地力という言葉以上のものがあると思う。これでは小林信彦の、昭和の日記のようだ。小林信彦はまったく悪くないが、これではいつまで経ってもwwwには到達出来そうも無い。次回から文体そのものを変えようか考える事にする。
      ワインはプーリアのスピノマリーノ10年。グレーコという土着品種を使っているが、上手く出来ているゲヴェルツみたいな川の水感がかなりヤバい。トリンバックの78年を飲んだ事があるが、あれと似ていた。新しいスムリエ氏の才覚は凄い。これをマネージャーに送ったらまっすぐにブリッコラに行く。と、日記初回を書き終えたら、見透かしたかの如きタイミングで、モーションブルー横浜の岡島くん(ものすげえグルメ)から、ぺぺトルメントアスカラール11/26公演のスペシャルメニューがフィクスしたとの報が届く。スタイリッシュでダンディな彼は、全部すっかり決めてから報告が来るので楽しみだし気持ちが良い。というか、すげえ旨そう。としか言えない。
    これぞビュロ菊だより最初の速報、ということで取れたての全文を転載します。ここだけの話だが、日本の「高級ジャズクラブ」の中で最も料理の水準が高いのがモーションブルーである事は、好事家あいだの統一的な意見である。食べるだけでも充分どうぞ。
     
    菊地さま
    お疲れさまです。
    大変お待たせしました、10/26のワイン&料理テキストです。
    各料理&それに合うオススメのワイン(グラス売り可)と、スペ シャル・セレクト・ワインというラインナップです。
    スペシャル・セレクト・ワインは、イチオシの1本のみ紹介していますが、他にも赤白数種ずつ取り揃える予定です。
    よろしくお願いします。
    岡島
    ________________________
    (前菜)フォアグラとポットベラのテリーヌ/フレッシュいちぢくとマスカットの白ワイン煮を添えて/バルサミコのレデュクション ノワゼット風味
    フォアグラは酒でマリネし低温で火入れをし、こだわりキノコ生産者、長谷川農産より届いた大きなブラウンマッシュルームはソテーして香りを引き出します。
    両者をテリーヌ型にてモザイク状に詰め、そこに旬のフルーツをあしらい、バルサミコを煮詰めたものにヘーゼルナッツオイルで軽く香り付けしたソースを添えた一品。
    こちらに合うワインとして
    Predicador Blanco / Bodega Contador / Spain Riojaプレディカドール・ブランコ / ボデガ・コンタドール /スペイン リオハ
    土着品種に拘っている生産者で、このワインのメイン品種はビウラ。骨太でパワフルなうえ、爽やか。
    はちみつ、黄桃、ヴァニラ、ローストナッツなどのアロマが見事に調和されたワイン。※グラスでも販売します
    (魚料理)ヒラメのムニエル/下仁田ネギのエチュベ/キノコのソテー 根セロリのエキューム/シェリービネガーソース
    ヒラメはフィレにして粉を振りムニエルに。ネギの王様、旨味の強い下仁田ネギは少量のブイヨンで甘みを引き出します。
    数種のキノコを刻んだエシャロット、にんにく、パセリを合わせソテーし、これらをフォン・ド・ヴォーにシェリービネガーソースと焦がしバターを加えたキレのあるソースで。全体のバランスをまとめる根セロリのピューレをベースにした泡状のソースを添えます。
    こちらに合うワインとして
    Condrieu Blanc La Galopine / Delas / France Rhoneコンドリュー・ブラン・ラ・ギャロパン / デュラス /  フランス ローヌ
    3つの畑のブドウをブレンド。アプリコット、桃、はちみつ、ドライフルーツなどの多彩なアロマが香る、ラ・ギャロパン "若い淑女" の名の通り、リッチで華やかな辛口の白ワイン。
    ボリューミーでコクがあり、余韻も十分にたのしめる1本。※グラスでも販売します
    (肉料理)シャラン鴨胸肉のロティ/アルゼンチン産赤ワインで煮込んだもも肉のパネ(クロメスキ)カブ ジロール茸を添えて
    フランス産シャラン鴨を、胸肉はロースト、もも肉はアルゼンチン産のタンニンの強い赤ワインで煮込み、ほぐして、キューブ状に型取りパン粉をつけフリットにします。
    ソースは、もも肉を煮込んだものを煮詰め、仕上げます。付け合わせは相性のよいカブ、ジロール茸のソテーを添えます。
    こちらに合うワインとして
    Golden Reserve Mlbec / Trivento / Argentina Mendozaゴールデン・レゼルヴァ マルベック / トリヴェント / アルゼンチン メンドーサ
    料理に合わせてアルゼンチンのマルベックをチョイス。ベリー、プラム、モカの香り豊かな、優雅で力強い味わいの赤。
    味の深み、複雑さ、飲み応えともに申し分のないフルボディー。※グラスでも販売します
    (スペシャル・セレクト・ワイン)Chateauneuf du Pape Rouge Les Oteliees / Les Vins De Vienneシャトーヌフ・デュ・パプ レ・ゾテリエ / レ・ヴァン・ド・ヴィエンヌ
    フランソワ・ヴィラール氏、ピエール・ガイヤール氏、イヴ・キュイユロン氏、優秀な醸造家3人が1996年に設立した注目のドメーヌ兼ネゴシアンによる、自然農法(リュット・リゾネ)のワイン。
    シラーのスパイシーな味わいとグルナッシュの濃厚な甘みが絶妙な逸品です。
    今回はペペ・トルメント・アスカラール初演年である2005年ヴィンテージをチョイス。※ボトルのみでの販売となります。
    ■グルメエッセイ「もしあなたの腹が減ったら、ファミレスの店員を呼ぶ丸くて小さなボタンを押して私を呼んでほしい」最初に  このコンテンツの編集担当は高良くんと言って、私がもし16歳で身を引かず、未だに24時間コーラを常飲する男として生きていたら、間違いなく「コーラくん」と、新聞の4コマ漫画の主人公のような名前で記述されていたはずだ。実家では業者との関係でコークだったが、個人的にはペプシ派である。それはともかく、何せ自分の家に売り物として常に冷蔵状態で満載されていたし、それは(どういうわけだか。恐らく二次大戦経験者である両親が、子供を豚児に育てることで「健康(栄養が行き届いている)」を確認したかったからだと思われる)売り物であるにもかかわらず飲み放題だったので、水道水などほとんど飲まなかった。朝起きてすぐ飲み、一日中飲み続け、ゲップをしながら寝ていた。  なので、あのまま現役を続けていたら、かなり高い確率で糖尿病になっていたであろうし、運良く演奏活動を始めていれば良し、もし(腹が出ているので面倒で楽器なんかやらない。といった理由で)始めていなかった場合は、人格が破綻し、ゲップをしながらニヤニヤ人を殺めていたかもしれない(陰惨な方法ではなく、ゆっくりとした、甘くて狂おしい方法で。であるだろうとは思うけれども)。コーラくんだのエッセイだのといった話ではないのである。  彼は私の唯一の映画批評の本『ユングのサウンドトラック~菊地成孔の映画と映画音楽の本』の編集者なのだが、飲み食いが好きということで(この連載にも後で必ず出てくるが、新宿で最も古いトラットリアである「プレゴ・プレゴ」の元バイトで、つまり「作家さんに気に入られる意外な経緯を持つ」という、不器用な者をイライラさせるような特殊能力を大いに発揮し)、出版後そのまま私の喰い仲間となってかれこれ3年ほど経った。  その間中、彼がずっとトライしていたのが私の、所謂「食エッセイ」の出版だったのだが、ずっと(要するに、この連載に至るまで)果たせなかった。方向性が全く違ったのである。  私が書きたかったのは、90年代まで食の荒野と言われ続けた新宿という街が放つ最強のグルメガイドで、ミシュラン2スターのフレンチや懐石から、ゴールデン街で明け方に出てくる、コーンビーフの缶を自分で開け、100円ライターとカウンターに並んでいる調味料を使って、自分で加熱調理する逸品まで、曼荼羅のように100店舗選んで私が紹介し、毎ページに料理の写真、それを私が旨そうに喰っている写真、店長と握手してニッコリ笑っている写真が掲載され、新宿が青山や目黒周辺、銀座や自由が丘といったゾーンに対抗しうる独立戦線を張る。という、戦闘的かつ非常に愉快で、強烈に腹の減る実用書なのであった。  しかしそれは退けられ続けた。彼だけではない。「グルメエッセイ出版」の依頼は少なく見積もっても10社ぐらいから来ていて、大変有り難い話なのにも関わらず、私はその総て(そのほとんどが、熱狂的と言って良いアプローチを見せていた)を、時に非常に丁重に、時に返事もせず黙って、とにかく断り続けた。何年もの間。  それらは総て同じ方向性を求めており、「まあ仕方がないとは言え、悲しいかな凡庸」と言うしかないそれらのオファー群は、一言で言えば「極めて文学的な食エッセイ(ちょっと泣けたり、欲情したり出来る奴)」というものだった。旨そうに喰ってる写真が満載のタウンガイドなど、とんでもない話なのである。  私は若い時分に『スペインの宇宙食』という本で、これをわりと派手にやってしまい、いつまでも大人に成れないし成りたくないというブッキッシュな青春病の患者達に、依存に近い感銘を与えてしまったかもしれないことを、今でも(部分的に、条件付で。ではあるが)はっきりと悔いている。若気の至りは誰にでもある。その程度のことではあるとしても。何せあの本は、34~5歳ぐらいから書き始めたものをまとめ、40歳の時に出版した、立派な中年エッセイストの本であるにも関わらず、(良い意味でも悪い意味でも=褒めてます貶してます)煌めくような青春の書になってしまっているのである。  クリエーターに悪名高いアマゾンのユーザーズ・レビューにあった一文が、少なくとも私の主観上は書評として最も正しい。そこには(大意)「彼が本当のグルメにも本当のファッションに触れたのも最近のことだ(だから、惑わされて過大評価を下してはいけない)」とあった。  私の知る限り、批評はやはり優れた素人に限る。正鵠を射られて絶句するという経験を何度かしているけれども、決して数多いわけではないその何件かは、総て素人が射った矢によるものだ。99・99%の素人の矢は、ブラウン運動のようにそこら中に霧散するだけだが、一矢が報いれば敵は殺せる。私はPCの前で、左胸を押さえてゲラゲラ笑いながら「言われたー。とうとうやられたー」と、声に出して言った。 『スペインの宇宙食』当時の私は、なけなしの金を振り絞って、怯えるようなメンタリティで、辛うじて支払い出来る料理店に行っては、酒も頼まず水ばかり頼んで、国産の紙巻きタバコ(喫するに値する味のものは絶無)を何本も吸い、そのくせ毎回異様に興奮して、熱病のような状態でその食経験を書き綴った。  これが、胸が張り裂けんばかりの青春の行いでなくて何だろうか。噎せ返るほど青々しい、修業時代の魅力でなくて何だろうか。青春よりも更に強く「少年が書いた」と言っても良い。前述の名も無き賢者は正鵠を射抜くと同時に、この本が青春の書であることも保証してしまっている。 『スペインの宇宙食』出版から2年後に自由が丘から歌舞伎町に移った私は、更にその1年後の06年に喫煙を止めると同時に酒の味を覚え(なので、日常的な酒のキャリアは43歳からの僅か6年である)、収入が増えると、その多くを飲食につぎ込んだ。5大シャトー、全国、全世界からのジビエ、料理人とのつきあい、日々の、予算を全く気にかけない料理店巡りによる、ミシュラン星のコンプ。今では死語になった「大人買い」という言葉が最も適切だと思う。  私は無邪気に、この暮らしをブログで開陳していた。料理もワインもとてもフォトジェニックであり、写真を撮るのも楽しいし、料理通な方からファンメールが届くと、文通みたいなことをして情報交換を楽しんだりもした。いつしかグルメコメンテーターのような仕事も舞い込み始め、小生意気にも、あすこのアレが旨いよみたいな話を、稿料を貰って書かせて頂いたりもした。まあ、加齢とともに、お気楽になったのである。少なくとも、ある側面は。  そんな最中、前述の通りオファーは頂き続け、断り続けて来た。99%が30代前半だった彼等は、全員『スペインの宇宙食』の熱烈な読者で、中には付箋が本書よりも分厚くなっているボロボロのそれに、サインを求める者もいた。  大勢の人間が、瞳孔を開いて頬を紅潮させ、あなたの修業時代のファンですと言って憚らない状況に対し、未だに修行中とはいえ、苦笑が精一杯、誠実にお答えしようにも、困惑の顔が作れず、大変難儀した。こうして、編集者の要求と私の現実との、広がる一方の解離は「予告しておきながら、いつまで経ってもグルメ本が出ない」という数年間を生んだ。  大袈裟に過ぎるという誹りは承知の上で書くならば、これは退行や青春期への執着という、現代病という名を借りた、人類の特性を示す典型だと思う。あなたの若い頃はもう終わった。あなたは劣化した。と賞味期限切れの宣告を受けるまでの速度も強度も飛躍的に上がる一方、対象(=自己)の加齢を全く認識せず、ボロボロになった相手(=自分)を、いつまでも若く輝いていた頃と同一視するという二極化。  音楽家としては遅咲きに類する私は、音楽ではこの齟齬と直面していないが(厳密には「動画サイトスパンクハッピーしがみつき」等、若干あるけれども、単純に数的に少ないし、彼等は現在の私の仕事を直接的に制限しないので、実害のようなものはない)、まさか私は、転がり込んだ話に転がされるような形で始めた、エッセイストという仕事で、自分がこうした、少女アイドルや女優のような局面を迎えるとは思ってもみなかった。「次のグルメエッセイ」は、というより「次のエッセイ」自体が、しばらくはないだろう。自分が転移の渦を起こしてしまった結果である、(読者/編集者達の)青春期への固着という熱が冷めるまでは。  でも、というか、なので私は、もう、自費出版でも良いので「次のグルメエッセイ」を出したいと思っていた。ブログはその肩ならしのようなものであって、内的な準備は着々と進んでいた。「菊地成孔の<おとなの週末>新宿エリア全域」完成による、自己更新に向けて。 「あいつはもう金持っちゃって実際に喰えるようになっちゃったから終わったね。つまんなくなった」「エッセイや詩というのはさ、青春の産物なんですよ」「もう俗物。成功者。絶対信用しない」等と、何が何でもガキ共に言わせないといけない。この段落で最も歯がゆいのは、実際のガキ共の生き生きとした口調が活写出来ないことだ。  とはいえ、こういったことは、知的、恣意的に出来ることではない。かと言って、何もしないと始まらない。ミシュランの星を潰したり、ロイヤルホストで人間観察をしたり、コンビニで買ったおにぎりを帰宅までの道すがら食べてしまったりしながら、つまり、ディナー1食20万円から2000円から500円(一人分換算。ワイン&デザート込み)の間を忙しく往復しながら、私は穏やかなような、激しいような内面を飼いならし、ひたすら食と音楽に淫していた。  ドワンゴのプラットホームに乗ってメルマガを始めるに際し、高良くんが改めてプレゼンしてきたのは、「近過去(04~11年)に私がサイトに書いた日記から、飲食に関する記述を彼がチョイスし、毎月そこから2点ずつを私に投げ、私はそれを読んだ上で、それに続いて書く。という、変形の(私と高良くんの)往復書簡のようでもあり、お題のテキストがセルフである、近過去の自己との対話のようでもある形式だった。  私は反射的に「うーんと。そうだなー。まあ、ちょっと面白いかも」と思った。「文学的な食エッセイ」のB案のようではあるが、何せ、外食産業を対象にする限りにおいて(1)リーマンショックの前後と(2)SNS普及の前後と(3)「女子会」という言葉の発明前後と、言うまでもなく(4)震災前後には、大きな断層が入っており、それのレポートとしてもこの企画は若干の有意義性を持つだろう。「震災を跨いだ近過去」との対話、というのは、ひょっとしてこれから、文学やアートのテーマのひとつになるやも知れない。果報は寝て待てと言うが、まあ、自然とスペイン熱が冷めたのかな。と思う。冷却はこの国の抑圧されたオブセッションになってしまっている。  というわけで始めさせて頂く。モチベーションの大半は、運が良ければ連載中に50歳になるということだ。『スペインの宇宙食』当時から15年でおおよそ15倍ぐらいになっている。年収も、負った傷も、得た快楽も。
     

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