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「秋谷古道」
2022-05-30 07:00110pt秋谷で暮らして12年になる。富士山と江ノ島を望む海側ばかりが注目される秋谷けれど、暮らしてみるとわかる。海もいいが、山もいい。特に初夏は最高だ。新緑と青空の美しいコントラスト。山側の窓を開け放つと新緑によって湿気が吸収された5月の風が海へと吹き抜けていく。我が家では海側の部屋を湘南の間、山側の部屋を軽井沢と呼んでそのときどきで使い分けている。日々の活動や食事は湘南、寝転んで本を読みたいときは軽井沢、と言った具合に。
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「寂寞の季節」
2022-05-27 07:00110pt所用で近くまで来た折、思い立って大和市まで足を伸ばしていた。18歳まで暮らした街だ。桜ヶ丘から国道467号線を上和田方面に向かった。平日の正午前。白い社用車やトラックで遅々として進まない国道を左に折れて曲がりくねった坂道を下っていく。通学路の表示の向こうに色褪せた校舎が見えた。大和市立上和田小学校。ぼくの母校だ。開校は昭和47年。薄橙色だった校舎も今は白く塗り替えられ、当時の面影は微塵もなかった。周囲に建っていた家々もひとつ残らず建て変わっていた。道がとても狭く感じられた。登校のたびに息が上がっていた坂道もあの頃よりずっと緩やかに感じた。坂を下り切ると団地群が見えてきた。公団住宅上和田団地。ぼくが18歳まで暮らしていたマンモス団地だ。子どもの頃はコンクリートの森のようだった団地が、2階建ての寂れたアパートみたいに小さく見窄らしく感じられた。団地を左手に見ながら再び国道に出る道を走る。ここでも道があの頃よりずっと狭く感じられた。子どもの頃コロッケを買い食いした精肉店も駄菓子や漫画を買った文房具店も通り沿いの店はどこもシャッターを降ろしていて、もはやどれがどの店だったか判別すらできなかった。
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「5歳児の真摯な悩み」
2022-05-25 07:00110pt -
「続・好きな子とペアになって下さい」
2022-05-23 07:00110pt成長よりも成熟について考える機会が増えた。それが老いというものなのだろうか。自分的には子育てを始めたのが大きいのではないかと感じている。子育てに取り組んでいていつも思う。子育ては子どもだけでなく、大人も共に育つ良い機会だ、と。子どもにとっては何もかもが生まれて初めてだ。彼らに寄り添っていると知らず知らずのうちに同じ目線で社会を見つめ直している。自分たちにとっては当たり前だったことが何ひとつ当たり前ではないと気づかされている。それは時に常識や価値観を疑い、時代に合った方向へと軌道修正する絶好の機会にもなっている。
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「好きな子とペアになって下さい」
2022-05-20 07:00110pt娘が、また新たな世界の入り口に立ったようだ。保育園のみんなと海へ散歩に行ったときの話だ。昨日までは先生が決めたペアと手を繋いで歩いていたという。だが、その日は違った。「今日は好きな子と手を繋いでいいですよ」 彼女にとって悲劇だったのは、休みの日も家を行き来して遊んでいる友達が休みだったことだ。かといってみんな好きだし、どうやって誰かひとりを選べばいいのだろう。生まれて初めてのことに戸惑っているうちに目の前でどんどんペアができてしまったという。
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「ぼくらは宙を飛んでいた」
2022-05-18 07:00110pt -
「君は本当は自由なんだよ」
2022-05-16 07:00110pt子どもってなんて不自由な生き物なんだろう。 生まれる前から娘を見ているぼくの、正直な感想だ。最初は寝返りも打てない。這い這いできるようになっても、歩けるようになっても行きたいときに行きたいところに自分ひとりで行くことはできない。海も川も公園も友達に会うのもいつも保護者にサポートを頼まねばならない。
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「おばあちゃんの空豆」
2022-05-13 07:00110pt南房総にあるおばあちゃんの畑から空豆が届いた。
おばあちゃんというのは、ぼくの農作の師匠だ。70年以上、農業とともに生きてきた人。彼女が耕してきた土で育った空豆は数ある野菜の中でもファンの多い極上の逸品だ。豆を包む白い綿が羽毛布団のようにふかふかで豆自体もとても甘い。旬も短く、5月の二週間だけしか食べることができない。顧客の中には注文を忘れ「今年はもう終わっちゃったよ」と言われる人も少なくないという。
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「国家財政倍増プラン」
2022-05-11 07:00110pt固定資産税って何のために納めるんだっけ。大好きな5月に大嫌いな振込用紙が届くたびに思う。総務省のサイトで固定資産税について読む。「固定資産税は1950年にシャウブ勧告、すなわち占領軍の要請によって創設されました。納められた税金は皆さんの日々の生活を支えるために利用されています」。去年も読んだのにすっかり忘れていた。
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「50年目の真実」
2022-05-09 07:00110pt先日、久し振りに会った母に話を聞いた。「三島由紀夫が全共闘の学生と対話する為に東大に行ったこと知ってる?」 母は即答した。「それテレビで見てたわよ。生中継してたもの」 1969年5月13日。ぼくが『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』というドキュメンタリー映画で観た光景を、母はテレビで観ていた。東京都目黒区の六畳一間のアパート。25歳だった母のお腹の中には18日後に生まれてくるぼくがいた。
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