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「いま、なにしてるの?」
2018-07-30 07:00110pt -
「ぞうさんじゃない」
2018-07-27 07:00110pt「ずかん!」
と娘が本棚から持って来た図鑑の適当なページを開き、掲載された写真のひとつ一つを指差してやる。動物のページなら「ぞうさん」「きりんさん」「うさぎさん」乗り物のページなら「きゅうきゅうしゃ」「しんかんせん」果物のページなら「ばなな」「すいか」「ぱいなっぷる」と言った具合に確認するように娘が答えていく。正解することに喜びを見い出しているのだろうか。あるいは忘れていないかどうか確認しているのだろうか。それとも前にもやったこと自体を忘れているのだろうか。二ヶ月ほど前から思い出したように繰り返しこれをやる。
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「おとうしゃん」
2018-07-25 07:00110pt -
「1年が過ぎるのがやけに早く感じて」
2018-07-23 07:00110pt「大人になるとあっという間に1年が過ぎるのはトキメキがなくなったからです」とある学者の方がテレビ番組でおっしゃっていた。子供は見るもの聞くものすべてが新しくそこには常に発見や感動、沸き上がる疑問があるが、大人は日々の生活の何もかもがすでに経験済みなので、たとえば日々の食事なども光陰矢の如しで、すぐに何を食べたか忘れてしまうのだという。あくまで諸説ある中のひとつに過ぎないとは思うが、果たして本当にそうなのだろうか、と僕は首を傾げてしまった。
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「海に吸い殻を捨てる人たちへ」
2018-07-20 07:00110pt2小学生の頃、「廊下を走っちゃダメ」とか「掃除をサボらないで」と高い声で注意する学級委員タイプの女の子が苦手だった。自分より先に生まれただけの人たちから一方的に押しつけられた正しさを疑うことなく鵜呑みにしている(ように見えた)彼女への嫌悪感だろうか。他人に干渉されたくないという怒りだろうか。今も自分の根っこにある反社会性のせいだろうか。それとも彼女のことが好きだったのだろうか。いや、違う。彼女の言っていることが一点の曇りもない、反論の余地もない「正しいこと」だったせいだ。
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「海へ行くつもりじゃなかった」
2018-07-18 07:00110ptフリッパーズギターが「海へ行くつもりじゃなかった」というタイトルのアルバムをリリースしたのは1989年、東京の石神井という町で一人暮らしをしていた二十歳の頃だった。当時、若者の多くが読んでいた「宝島」という雑誌で目にしたそのタイトルはそこに収録されていた曲を忘れてしまった今でも頭の片隅に残っている。
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「夕暮れの病院」
2018-07-16 07:00110pt1「大変!」
妻が叫んだのは午後6時を少し回った頃のことだ。娘と妻は夕食の最中で、僕は同じ席に坐るのもままならないくらい脚本の執筆に追われていた。週末から放送が始まれば書き溜めて来た脚本が定期預金を切り崩したかのように毎週一本ずつ減っていく。恐怖だった。一本でも増やしておきたい。登場人物の誰よりも僕自身が追い詰められていた。
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「こわい」
2018-07-13 07:00110pt -
「虹」
2018-07-11 07:00110pt2思えば子供の頃、父からよく「世の中が自分中心に回ってると思うな」と怒鳴られた。それが何歳の頃の話だったのかは分からないし、もしかすると今でも父からすると子供である僕は「世の中が自分中心に回っていると思っている」ように見えているのかもしれない。
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「7月7日」
2018-07-09 07:00110pt1朝、三浦の伊藤農園まで都かぼちゃを買いに行った。妻と娘も一緒だ。畑で完熟させた伊藤さんのかぼちゃは糖度が乗っていて包丁がスッと入る。食欲の落ちる夏場、我が家ではこの完熟都かぼちゃだけで作った冷製スープが暑さを乗り切る定番料理だ。伊藤さんは収穫で留守だったが、対応してくれたお母さんから栗坊やコリンキー、プッチーニなど他の様々なかぼちゃを頂いてしまう。娘はおもちゃかぼちゃとも呼ばれる黄色いプッチー二を抱えてとても嬉しそうだ。
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