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記事 14件
  • 「悲しいことがあった日はプラネタリウムに行く」

    2024-01-31 07:00  
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     百貨店の屋上遊園地にノスタルジーとともに物悲しさを感じるのは子供の頃に見たテレビドラマの影響だろうか。離婚を決めた両親。何も知らない子供が遊具で夢中に遊んでいるうちに父親がそっと姿を消す。何のドラマだったかは忘れてしまったけれど、なぜかそのシーンだけが強く記憶に刻まれている。調べてみたら、「親との別離」という子の悲しみを和らげる為に離婚後の親権のない親との面会なども遊園地などで行われることが多いという。「悲しい事実」を「楽しい体験」で上書きすることで「悲しい記憶」を「楽しい記憶」の下に埋めるという、心理学的にも理にかなった方法なんだそうだ。
     

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  • 「花のように」

    2024-01-29 07:00  
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     紫陽花が朽ちていく姿に美しさと儚さを感じるようになったのは、ぼく自身の年齢のせいでもあるのだろうか。
     

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  • 「小さな世界」

    2024-01-26 07:00  
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    「大縄飛びが30回跳べたんだよ!」とうれしそうに報告してくれたその日夜、娘が突然発熱した。夕食中に「眠い」と言い出したのが前兆だった。一緒に寝ていた妻が「なんか熱いの」と体温計を取りに来る。計ってみると38.5度あった。
     

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  • 「汚れちまった悲しみに」

    2024-01-24 07:00  
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     聞いておけば良かったと後悔することがある。たとえば、良かれと思って行動したことが相手を不快にさせてしまった時。親切が仇になった時。ありがた迷惑と思われてしまった時だ。
     

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  • 「夕暮れの境内で」

    2024-01-22 07:00  
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     風呂場から娘の啜り泣きが聞こえた。心配した妻が様子を見に行くと、その日学校であった嫌なことを思い出して泣いていたという。「なんで帰ってすぐに言わなかったの?」 妻が慰めながら質問した。帰ってきたときは笑顔だった。娘がその日あったことで泣くときは大抵そうだ。ずっと笑っていたのに、夕食の途中とか、寝る間際になって、不意に思い出したようにさめざめと涙を見せる。「だって忘れてたんだもん」 そういうものなのかもしれない。
     

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  • 「2024年1月17日」

    2024-01-19 07:00  
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     午前5時40分過ぎ、NHKで東遊園地の追悼式典が生中継されていた。灯籠で作られた「ともに」という言葉。能登半島地震の被災地を始め、幾多の自然災害などで悲しみを背負ったすべての人たちへの連帯のしるし。 
     午前5時46分、「黙祷」のアナウンスとともに手を合わせた。
     

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  • 「感情の引き出し」

    2024-01-17 07:00  
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     娘が母親に嫉妬していた。
     

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  • 「限りある命について」

    2024-01-15 07:00  
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     娘が施設で暮らしている曾祖父に会って来た。「98歳なんだよ」 目を丸くして愕いていた。「お習字がとっても上手なんだよ」
     

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  • 「あの頃の自分へ」

    2024-01-12 07:00  
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     多事多難な1年の始まり、久し振りに晴れ間が覗いたような明るいニュースがあった。「なんとか選手のグローブが届いたって朝会で校長先生が言ってた」 冬休み明けの学校から帰るなり娘が報告してくれた。「男の子たちが大騒ぎしてたんだよ」 大谷選手やメジャーリーグはもちろん野球もよく知らない娘はピンと来ていなかったようだ。ぼくと妻は信じられない気持ちだった。全国の小学校にお大谷選手がグローブを3つずつ寄贈するというニュース自体は知っていたけれど、彼の存在そのものがそうであるように現実と結びついていなかったのだろう。それが我が子の小学校に届いたことに夢が現実になったような愕きがあった。比べるのも申し訳ないが、数年前、忘れた頃に総理大臣のマスクがポストに届いていたのとは雲泥の差だ。
     

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  • 「忘れてしまっただけなのかもしれない」

    2024-01-10 07:00  
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     ぼくらは忘れてしまう。
     1月7日。町中から集められた正月飾りが焔に包まれ、立ち上る白煙となって冬の蒼穹に消えていくのを見ながらふとそんなことを思った。波の音が聞こえる。お囃子が聞こえる。支柱となっている竹がパチンと勢い良く弾けた。傍らには空を見上げている娘の横顔。何を思っているのだろう。そして忘れてしまうのだろうか。この光景も。
     

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