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記事 13件
  • 「不可能というのは行動しない人間の言い訳に過ぎない。」

    2016-05-30 07:00  
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     市民が都会のど真ん中でアスファルトをハンマーで叩き壊し、土を入れ、苗を植える。そんな衝撃的なシーンから始まるのが先日逗子の小さな映画館シネマアミーゴで観た『Edible City』というアメリカのドキュメンタリー映画だ。西海岸のベイエリアで実際に起きている市民活動を中心に描いたこの作品は、気候変動を何とかする為の映画を撮りたいと模索していたアンドリュー監督が、その入り口にある身近で実践可能な取り組みとして見つけた「土を耕して食べるものを自分の手で育てる」という人間として当たり前の行為にカメラを向けたのがきっかけとなって製作されたそうだ。 

     とはいえ都市で暮らす人たちの中には「野菜なんかスーパーに行けば売っているのに、どうして都会の真ん中でわざわざ作らなきゃいけないの?」という疑問を呈する人もいるかもしれない。しかし、
     

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  • 「世の中捨てたモンじゃないなと思わせてくれるものを探しながら日々を生きているのかもしれない。」

    2016-05-27 07:00  
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      スペインで暮らしている日本人の友人と久し振りに食事をした。元闘牛士のオーナー以下全員スペイン人で切り盛りしている渋谷のスペイン料理店で本場さながらのパエージャを食べた。店内には陽気なスペイン語が飛び交い、フラメンコギターの生演奏が響いていた。言っておくが店を選んだのは僕ではなく彼だ。何年か前に帰国して食事することになった際、彼の為に和食店をいくつかピックアップしておいたのだが「気が進まない」と自ら足を向けたのがこの店だった。要するに彼はスペインが大好きなのだ。以来スペイン在住の彼と日本で食事をする時はいつもこの店だ。
    「スペイン人の陽気さは日本にはないよね」
     彼はそう笑いながら流暢なスペイン語でスペイン人スタッフに同意を求めた。
     

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  • 「海辺の町ではいつもと同じ夏の準備が始まっている。」

    2016-05-25 07:00  
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     初夏の太陽に誘われるように、ビーサンで家を出た。週末の午後だった。実は仕事の途中だったのだけれど「原稿は夜でも書けるけど、太陽とは昼間しか会えないよ」と頭の中でもうひとりの僕が囁いた。こっちに移住してからいつも夏休み気分でいる自由な怠け者だ。 

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  • 「個人商店ならではの丁寧なやりとりが心地良い時代なのかもしれない。」

    2016-05-23 07:00  
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      週に一度、生放送で喋るのが生活のリズムになりつつある。毎週水曜日夜22時から1時間「渋谷のラジオ」というコミュニティFMでパーソナリティーを始めてから気がつけば2ヶ月が経った。当初はどういう人たちに向けてどんな言葉を投げればいいのか、とか、ましてや大都会渋谷で、しかも僕なんかが(という思いは今もないワケではないけれど)などの不安もあった。でも、すぐに馴染めたのは、20年以上携わって来た大手メディアの全国ネット番組とは真逆のスモールメディアだったからかもしれない。それは全国チェーンのスーパーやコンビニと、地元商店街の個人商店くらい違う。半径500mの人たちに向けて電波を飛ばしている町内会放送みたいな小さな小さなラジオ局なのだ。エンターテインメントの世界で言えば、路上での弾き語りとか、インディーズのアーティスト活動に近い。その小ささが心地良いのはそれが時代の空気に合っているからだろう。
     

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  • 「やさしくて、あったかくて、小さいけれど大きな手だった。」

    2016-05-20 07:00  
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      やさしくて、あったかくて、しわくちゃで小さいけれど、大きな手だった。
    「いつか、いつかって、ずっと思ってたよ」
     僕が大好きな女性の中で最年長のあの人は、皺だらけの小さな顔をさらにくしゃくしゃにして笑いかけてくれた。
     

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  • 「創造的な生活は消費するだけの生活より幸せを感じられる場面が多いのではないだろうか」

    2016-05-18 07:00  
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     こうして文章に書いたりラジオで喋ったりすることで自分のやっていることにだんだんフォーカスが合って来た。それは、モノを作る仕事と同じくらい、今は生活することが創造的で楽しいということだ。
     この町に移住したばかりの頃は、菜園を耕したり、海辺を散歩してビーチグラスを拾い集めたり写真を撮ったりしている自分が不思議でもあった。自由は欲しかったけれど、都会で暮らしていた頃は24時間仕事漬けの人間だった。いわゆる普通の生活なんて欲したことも、楽しいと感じたこともなかった。長い休みを取って旅をすることが唯一の、仕事以外の「生きる活動」だった。幸せを感じるのは仕事で達成感を得られたときと、旅の空の下で自由を感じたときだけだった。
     24時間仕事漬けと言いつつも、生きている以上は最低限の衣食住を必要とする。僕はそのすべてをただ、金を払って消費することで賄っていた。おいしいものを食べたり、ブランドものの服を

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  • 「砂場ではなく砂浜で遊んでいる子供は何を学ぶのだろう」

    2016-05-16 07:00  
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    「子供たちは公園の砂場で社会性を身につけるんです」
     たまたま聴いていたラジオに出演していた保育士の方が、そんな話をされていた。限られたスペースを譲り合ったり、協力して砂山を作ったりする中で、社会の中で誰かとともに生きることを学んでいくんだそうだ。そういえば何年か前に『人生で必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』というタイトルのエッセイが売れてもいた。分け合うこと、ずるをしないこと、人のものに手を出さないこと、誰かを傷つけたらごめんなさいということ等々、人が人として社会で生きる上で当たり前の、そして大切なことを人は幼稚園の砂場で学んでいくというような話だったと記憶している。 
     おそらく物心つく前のことなので記憶こそないけれど、団地の公園にもあったし、幼稚園にもあっただろうから、僕自身もそうやって砂場で遊びながら大事なことを学んだのかもしれないな、と独り言ちながら窓の外を見て、あることに

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  • 「ひと粒の種には世界を変える力がある」

    2016-05-13 07:00  
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     去年の夏、僕の菜園で大輪の花を咲かせ、種採りしたひまわりの種を今年、渋谷区に植えて頂けることになった。
      最初のひと粒は14年前、2002年に『福山エンヂニヤリング』というテレビ番組で作付けしたひまわり畑で花を咲かせた。その花々を追熟させて採った種は「未来は自分たちの手で作り出していく」という願いを込めて『未来の種』と名づけられ、1000人にプレゼントされた。最初の1000人が植えた『未来の種』は次の夏に花を咲かせ、次世代の種を生んだ。その種がまた別の誰かの手に渡り、別の土地で花を咲かせた。その繰り返しで繋がれて来た命は、今年15年目の夏を迎える。これまで何千人という方が全国でこの種を蒔き、夏空の下で大輪の花を見上げて来たことに想いを馳せると、手にしたひと粒が如何に尊い命であるかを改めて感じさせられる。
     その一方で、種を採り、命を繋ぐ行為が危機に晒されている。ひとつは高度経済成長期に

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  • 「母の日」

    2016-05-11 07:00  
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     日曜の午後にカーネーションの花束が届いた。「おかあさん いつもありがとう。」というカードが添えられている。配達員から荷物を受け取った妻は少しの間、玄関で立ち尽くしたまま首を傾げていた。それぞれの実家に贈ったものが手違いで自宅に届いてしまったのかと思ったようだ。差出人である自分の名前と住所を間違えて宛先の欄に書いてしまったと思ったらしい。しかし、差出人の欄にはどちらの実家の住所も母親の名前もない。「誰だろう?」 確かに妻に宛てられたものだったが、差出人の欄には名前がなかった。
     

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  • 「僕らは自由を守りたいから、今日もあなたのゴミを拾い続けるんだ。」

    2016-05-09 07:00  
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      人波の消えた海岸には今年もゴミだけが残された。煙草の吸い殻、ビールやチューハイの空き缶、バーベキューに使った焼きそばの空き袋、割り箸、紙皿など、僕が住む集落の砂浜でも享楽の残骸が風に舞っていた。そんなゴミを地元の僕らが黙々と拾い集めるのは、自分たちが気持ち良く暮らすという理由の他に、次にここを訪れる誰かに「何この海、ゴミばっかりで汚いじゃん」と思われたくないという想いがあるからだ。
     

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