-
「人は夢や理想だけじゃ食べていけないのだろうか。」
2016-06-29 07:00110pt6自分自身も気づかぬうちに荷担してしまってはいないだろうか。マスメディアで働くひとりとして我が身を振り返ったのは、とある週刊誌のスクープ記事だ。案の定常軌を逸した取材だと批判されている。男性である僕ですら目にした瞬間にそう思ったのだから、主な読者層である女性の嫌悪感はなおさらだろう。誰も止めなかったのか。スタッフに女性はいないのか。などと可視化された世間の声がひとつの波となって今も出版社を揺さぶり続けているのが容易に想像できる。
-
「海辺のレモンサワー教室」
2016-06-27 07:00110pt2天気予報は雨だったけれど、見上げた空は明るくなり始めていた。激しい海風が早送りの映像みたいに灰色の雲を沖へ押し流してゆく。たくさんのサーファーが休日の高波と戯れている。午後の空模様を聴こうとカーラジオを湘南ビーチFMに切り替える。曇天の朝に似合うけだるいジャズが聞こえて来た。
-
「こんなにシンプルでおいしい料理を今まで知らなかったのはどうしてだろう。」
2016-06-24 07:00110pt5三浦半島で海開きよりも少しだけ早く夏を告げるのがかぼちゃだ。この里山でも先週ぐらいから早生かぼちゃの収穫が始まっている。三浦で400年の歴史を持つ伊藤農園さん(4年前に柿沢安耶さんのラジオ番組にもご出演頂いて以来のおつきあいだ)のように最近は西洋かぼちゃから日本かぼちゃ、ペポなどのおもちゃかぼちゃまで様々な品種を栽培する農家さんが増えているけれど、三浦においてかぼちゃの代名詞といえばやはり「都かぼちゃ」だろう。甘味みとねっとり感がたまらない西洋かぼちゃだ。そして、おそらく生産地の近郊でしか食べられないのが「完熟かぼちゃ」だ。成熟するほど甘くなるかぼちゃを食べるギリギリまで畑で完熟させてあるので驚くほど包丁の通りがいい。そして糖度が高い。かぼちゃというのは硬くて切りにくいというそれまでの常識が覆されたのを今でもよく憶えている。
-
「今はもう少しだけ、夜の闇を味わっていたい。」
2016-06-22 07:00110pt -
「だから僕は満員電車に乗ることができなかったのかもしれない。」
2016-06-20 07:00110pt4それが常識だと思って生きて来た人には不快に思われるかもしれない。「こいつ何を書いてるんだ?」と叩かれるかもしれない。でも、書こうと思う。批判されるのを覚悟で僕自身が感じている有りのままを包み隠さず表現しようと思う。なぜなら僕自身は今から書くことをそれこそが常識なんじゃないかと思って生きて来たからだ。
-
「あじさいの葉のような女の子が好きだ」
2016-06-17 07:00110pt4あじさいは淡い色の花よりも、それを引き立たせる濃い緑の葉の方が好きだ。淡い美しさを持った女性らしい女性の隣りで、元気に笑っている日に焼けた女の子みたいな。生命力が強そうに見えるからだろうか。思い起こせば昔から好きになるのはいつもそういう女の子だった。子供の頃、母が病弱で(おかげ様で今は病気ひとつせず健在ですが)床に伏せるたびに家の中の雰囲気が暗くなったことが心の片隅に影を落としているのかもしれない。
-
「塩梅の甘い香り」
2016-06-15 07:00110pt2「南高梅より、こっちの方が好きなんだよね」
群馬の果樹園で採れた梅を送って下さった見城さんが電話口でそう呟いた。梅と杏を掛け合わせて実をふっくらさせたものが南高梅。もともとの梅の実は小さくて固いものなんだという。
-
「人生とは偶然という奇跡の連続なのかもしれない。」
2016-06-13 07:00110pt -
「僕は米軍基地のある町で生まれ育った」
2016-06-10 07:00110pt4初夏の海岸線と並行するように、黒いチョッパーが飛んでゆく。米軍のヘリを彼ら自身はそう呼んでいる。あまり知られていないけれど民間機や自衛隊機と違って、どこをどんな高度で飛んでもいいことになっている。1960年に締結された日米地位協定という不平等な取り決めに基づいて。
-
「隠れ家で味わう音のない打ち上げ花火もそれはそれで悪くない。」
2016-06-08 07:00110pt10仕事帰りに妻と待ち合わせした逗子駅は人で溢れ返っていた。陽炎がうっすらと揺らめき始めた金曜の夕暮れ。浴衣姿の若い男女も大勢いた。あと30分もすれば逗子海岸でこの辺りではもっとも早い花火大会が始まるのだ。
1 / 2